NEVER TOO LATE

この年齢になって、チェロを始めた、、、、、

この4月 松山城

2014年04月30日 | 旅行
 ということで前夜は遅くまで飲み語らったため
手近なところをぶらぶらしようということになり、
手近も手近「松山城」に登りました。
何しろ学生時代6年間を過ごした街ですから
松山城なんていまさらという感じなのですが
ここの所行われた改修でずいぶん立派に変貌していました。
天守閣でただ景色を眺めていると
自称新聞記者という方が勝手に説明し始めました。

いわく
日本三大連立式平山城であること(てっきり山城と思っていた)
登り石垣は他には彦根城、洲本城にしかないこと。
野原櫓は現存二重櫓では唯一の望楼型であることなどなど
実に知らないことばかり。
無知とは恐ろしいことを実感しました。

で、
ちょうどその1週間後ふっと購読している新聞を開くと
「城を訪ねて」という記事が目に留まり
しかも「伊予松山城」
普段なら「なんだ、松山城か」で済ませるところですがちょっと興味を持って読み始めました。驚くことに、その内容はその日城で遭遇した薀蓄男子が語っていた内容そのもの。
どうやら、我々があそこであった彼がこの記事を書いたに違いないと確信するに至りました。詳しいはずだ、あの時点ですでにこの文章は大方で来ていたに違いない。
購読している新聞は「産経」で、比較的珍しいでしょう?
偶然とはこういうものなのですな。
写真は松山城HPからお借りしました)



この4月 瀬戸内料理

2014年04月29日 | 食楽
 22日(平日火曜日)は
40年来の親友遠方より来る

清水の舞台から飛び降りる気分といえばかっこいいけど、
本業をお休みし松山を楽しみました。
なにしろ
「お前、今度いつ会えるかわからんしこれが最後になるかもしれんぞ」
などと言うものだから・・・・・
 
 その前夜
老舗割烹旅館で昔話をしながらいただいた瀬戸内料理の中の一品。
メバルの煮つけですが背開きにしてごはんが仕込まれていました。
 

この4月 ブラームス:クラリネット五重奏曲

2014年04月28日 | チェロ
 3月に大放電した余波で
この4月は「充電中」といえばかっこいいかもしれないけれど
チェロに触れない日も多々あるといった状態でした。

 とはいえ、
早々に霜先生から来年の発表曲の楽譜が届きました。
ブラームスのクラリネット五重奏曲第一楽章と、
モーツアルトのディヴェルティメントK.136。
ブラームスは数年前に三重奏曲のほうをやりましたが
今回は規模が違います。
もちろん難易度も。
いまのところCDを聴きながら譜面を眺めているといった状況。
どうなることやら・・・・・・

春の発表会ー2

2014年04月04日 | チェロ
 発表会の前々日、久しぶりに京都のO君が訪ねてくれました。
いつものように、京都の旨いお土産持参で。
 
 ちょうどS女史との最後のあわせ当日でしたので
恥を忍んで聴いてもらいました。
コメント
「いや、それなりにまあまあ・・・・・」
ほかに言葉がなかったのかもしれません。
思い切って、私のパートの模範演奏をリクエスト。
「いやいやいやいや」と言いながら、
おもむろに音階を弾いたり今練習しているらしき曲のフレーズをさらったりしはじめ、
瞑想し深呼吸をし、虚空をにらみ一気に演奏を開始しました。
そういえば、以前
「演奏するときは足元から地球のエネルギーを吸い取ってから始めます」
と言っていましたがまさにその通り。
これが私のチェロかと思うほど太くずっしりした音が奏でられました。
あまり開放弦を使いません。
もちろんこの曲は初めて、初見一発でした。

S女史、エプロンさん、もちろん私、釘付け。
エプロンさん「右手やね~~」と一言。



春の発表会-1

2014年04月02日 | チェロ
 前夜の嵐ですっかり葉桜になってしまいましたが
当日は陽も差し無事エプロン門下生発表会は終了。

 第三部(大人)冒頭に私のバッハ無伴奏チェロ組曲2番クーラントが置かれ
霜先生曰く
「入場して弾き始めるまでもっと間をとればよかったのに」との感想どおり
なんだか早く済ませたい気分ばかりであたふたと終えてしまいました。
一曲おいてS嬢とのヘンデルバイオリンソナタ6番合奏。
これは十分練習した甲斐もあり上々。
さらに続いて先生方と
モーツアルト弦楽四重奏曲K157
さらにさらにシューベルト「ます」と続き
最後は
例の「カノン」「マカベウス」大合奏まで全6曲出ずっぱりでした。
打上では
「本番が一番よくめでたしめでたしでした」という霜先生の講評をいただき
それはそうだったのですが、
私個人の問題として
「技術点はまずまず、表現力がねえ~」
つまり右手の諸問題があらためて浮き彫りになったのです。

続く