NEVER TOO LATE

この年齢になって、チェロを始めた、、、、、

クラインクネヒト氏ー2 余話

2008年12月30日 | チェロ
 時のたつのが早くなったのか?こちらがのろのろしているのか、
あっという間に今年もあと二日。

 クラインクネヒト氏のレッスンの翌々日には、某クリスマスコンサートがあり
笛子軍団も参加したのですが、残念ながら私は所用で欠席しました。
で、いっしょに4thチェロで参加する気だった彼が、
あの髭の男はなぜ来ない、残念!といったとか言わないとか。

 さらにその翌日には、通訳兼マネージャー氏が体調を崩し急遽入院になりました。
しかも、我が町で!
ただ、我が町は規模も小さく、かつ、できたばかりのハイテク基幹病院があり、
適切な早期治療ができたため、お見舞いに行ってきましたがいたって元気。
忙しい人ですし、少し休めと言うことだよ、と慰めてきました。
さらにその翌日には、K氏がなんとか予定通り帰国。
で、K氏は来年もまたやってきて、一緒に弾こうと言っているらしく、
その時は島嶼部や山間部をまわりましょうとすでに仕事の予定が頭から離れられない様子。
それやこれやで、あっという間の師走となったわけです。

写真は新病院五階病室からの風景。旧病院は壊されつつあり、駐車場になる予定。

クラインクネヒト氏ー1

2008年12月15日 | チェロ
 昨年に続きフリードリヒ・クラインクネヒト氏のアンサンブルレッスンが実現しました。
雲間が空いて明るい初冬の陽射しが降り注いだかと思うと、
にわかに鉛色の空になり時雨れ、かと思うと大きな虹が架かるという不穏な天気でしたが、
いつものレッスン会場へ着く頃はすっきり晴れ渡りました。

 クネヒト氏はわれらが笛子先生は久音仁様と呼ぶようになりましたが、
年齢不詳の好々爺です。
三十年以上バイエルン州立管弦楽団の次席を務めたようですから、
さらにその前にいくつかの歌劇場でソロ・チェリストを務めていますから、
還暦は過ぎているでしょう、大ベテランです。
午後1時の約束少し前に現れ、顔を紅潮させ再会を喜び、
襲いかからんばかりの勢いでみんなと握手をしてレッスンが始まりました。

問題は、言葉。
彼の英語は、バイエルン訛り(わからないけどたぶん)がひどく、
ドイツ語を聴いていると大差なく、インポータント!!ベイビー、
トギャザーらしき単語を連発し通訳兼マネージャーも「わしゃ知らん」といった感じで
おかげでメンバーには集中して彼が言いたいことを聴く姿勢が醸し出されるわけです。
で、結果、、ただひたすら彼が望むように演奏しようとて演奏そのものにに緊張がでず、
なんだかいつもと違う素晴らしい演奏になっていきました。
午前中に行った練習ではどうなる事やら、
まぁあのじいさんだしいいかって雰囲気が漂っていたんですけど。

つづく

秋も深まり

2008年12月05日 | チェロ
 冬間近のいつものPA

全山紅葉し雲一つない秋空のもと、笛子先生のレッスンに出かけました。
今日は昨年も指導を受けたクラインクネヒト氏に
アンサンブルレッスンを受ける事になった
コレルリのクリスマス協奏曲(笛子先生のいつものひらめきで突然決まってしまった)
一本に絞って練習していきました。
で、2年前に笛子先生が吹き込んでくださったゆっくりした演奏に合わせ練習をしてきたのですが、
先生の変貌(進歩?)ぶりにビックリ!!
「え~~~!!あれはもう聴かないで、、、」
「二年前によく人前で弾いたよね~」といわれるように、
完全に「イ・ムジチ」のテンポでした。が、むしろこの方が弾きやすい。
ゆっくり弾くって、逆に難しいことがあるわけで、まさに気分よく流れました。
いつもどおり
「ここはぼやーっと、非現実的な音で」とか
「あ、この音型は全部スラーをつけることにしたのよ」とか
「下がしっかりしてくれると気持ちいいのよ」とか
まあ、笛子節炸裂でした。
最後に「来年の5月の発表会はヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ1番をやります」

こちらは「は!?」「ほーっ」「へ!?」「ああ!!」の連発。