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hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

燈台のようにさびしい…

2005-03-09 23:55:09 | 本と雑誌
ぼくが何故パソコンにのめりこんだか。それはレイモンド・チャンドラーの「かわいい女創元推理文庫 131-2」に始まる。もう20年も昔のことになる。

「(報酬が)?5ドルなのね」と、彼女はいった。
「哀れな、淋しいドルさ」
「とても淋しい?」
「燈台のように淋しい」

当時、志しを離れ、やむなく家業を継がなければならなかった。
顧客は主に女性。ともに働く仲間も女性で、ぽつんと孤立していた。
そのことを指して「燈台のように」と言うのではない。学生気分の抜けきらぬ世間知らずにとって、異性を相手にした商いが、ともすればうわすべりを起こしていた。何を言おうと真意が伝わらない気がして、途方に暮れていた。
むろん事情を呑み込んでいるお客様はそんなぼくを受け入れてくださり、いたわりと寛容のこころで接してくださるだけに、無性に自分が腹立たしかった。
力みもあったのだろうが、すべてにいたらなかった。
そんな折に、この台詞に触れ、突如、ひらめいた。言葉数ではない。簡潔、明瞭に、感情を言葉に託せばよいのだ。その時伝えるべき気持ちは、感謝だった。まず最初に、「ありがとうございます」が素直に言えるようになった。心と言葉の一致。肩の力が抜けた。
チャンドラーを始めとして、ハメット、ロスマクと、彼らの小説の世界は美しい言葉の宝庫だった。短いセンテンスで、適確な表現。ぼくの琴線に触れる言い回しや喩えの妙をノートに書きとめた。帳面はすぐにいっぱいになった。
心にゆとりができるようになると、言葉の分類作業に力を傾けた。感情別に表現法を分けた。次に状況別に、というふうに。書いては消し、消しては書き足した。いつしかノートは真っ黒になっていた。かったるい作業だったかもしれないが、いつしかぼくはデータベースを構築していることに気がついた。文系の、文書型のデータベースだった。
これをもっと簡単な作業にできないか。それがパソコンの出会いに繋がってくる。
商売のための、でもなく、顧客管理のための、でももちろんない。笑える話だろうと思う。それが、ぼくだ。
今、それらは手元にない。頭にすべて叩き込んだ、と言えばカッコもいいのだろうが、そうではない。パソコンの世界の日進月歩の成長とともに、記録メディアがあまりにも旧式になり、移行に躓いてしまったのだ。せめてプリントアウトしておけばよかったかとは思う。それもアフターパーティ、あとの祭りだ。
「男はタフでなければ生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」プレイバックハヤカワ・ミステリ文庫 (HM...。今、教訓が活かされていないのが、つらい。


息子がマンドリンを

2005-03-08 00:54:43 | 本と雑誌
大学生の息子(末っ子)がちょうど春休み。
教室にふらーっと現れた。
パソコンのレッスンでもするのかと思えば、ぼくのマンドリンを見つけ出した。
簡単な方のタブ譜を渡し弾いてごらんというと、これがけっこう様になる。
どんな練習法をとっているのか訪ねるので、
パソコンにダウンロードしてあるアメリカのTraditional曲、「Soldier Joy」というMIDIの曲を
Windows Media Player で聞かせた。
レベル1とでもいうのだろうか、メロディラインのみで実にシンプルだが、
かなりのアップテンポ。
最初は手こずっていたものの、すぐに合わせていく。
ぼくとしては複雑な心境。だって、ここまで3日かかったんだから。
自ずと子どもに負けたくないと意地が出る。
「こうやるんや」と無理やり奪い取って弾いてみたんだが、
それがトチッテばかり。父親としての面子は丸つぶれ。
でも、さすがにコードは特別。
指がつりそうと投げ出したところを、ぼくが難なく押さえて見せると
「スゲー」と感心はしてくれたが、いささか労わりの気づかいがあるようで、
それを察することができるだけに、ますます寒くる。
例えていうと、息子の演奏はギャロップ。軽いのだ。
ぼくのはスキップ、といえば聞こえはいいが、少し訛りがある。音をひきずっているのだ。
ひとの演奏を聴くことで自分の欠点が見えてくる。
習い事というのは奥が深い。
道は遥かに遠いようだ。


継続は力なり

2005-03-06 16:07:55 | 本と雑誌
何気に愛読誌、ミステリマガジン 04月号を読んでいて目に留まった言葉がある。
ちなみにこの号の特集は「危険な女たち」。

「いま向かっている場所に着くためには
いま歩いている道を進み続けること」


トマス・H・クックの「彼女がくれたもの(仁木めぐみ訳)」の冒頭部分だ。
何かが起こることを予感させるまわりの雰囲気を、中国のことわざとして引用している。
少し長ったらしくて、平素なら読みすごしてしまうところだ。
物語の世界とは離れるのだが、今は違った。

自分の中である何かが始まっていて、それを持続したいという気持ちがある。
志を離れ、いつも微妙にずれてしまう顛末を思い浮かべた。
マンドリンがそうであり…、掲示板もそうだった。

一旦馬力で起動はさせるものの、
立ち上げる行為に自己満足を覚え「良し」とする自分に
恥ずかしさを覚えるのは年齢からくるものだろうか。


言葉自体は簡単なものであり、当たり前のことを言っているの過ぎない。
が、理解するだけで終わらず、持ち続けることは難しい。
さっそくスクリーンセーバーの伝言板の入れてみた。5分すると流れてくる。

とりあえず、そこから始めよう。継続は力だから。


はじめまして(た)

2005-03-02 19:35:09 | 本と雑誌
掲示板、大ちゃん(ジャニーズ系)合格の報とともにめでたく復活。
・:*:・(*´ー`*人)。・:*:・ 嬉しい…って、これは蛇足か。
おまけにブログまで始めてしまって…、春だなぁ。
ブログの先輩である moge さんにはご心配をおかけしました。
おおきんなぁ(美しい方言は残したいものです)。

最近、フィリップ・ロスを耽読しています。
映画にもなった「さようならコロンバス」以来、ずっと男のエゴをつらぬき通している姿に、
ヘタレのぼく、畏敬の念を抱いてしまいます。この作家、もう70代だって。
老境に達しても、それでもまだアイデンティティを損なわぬバイタリティに魅せられのは、
ぼく自身の怖れとかぶり、戸惑いからの脱却を願わずにはいられないから?
アンソニー・ホプキンスとニコール・キッドマン主演で映画化された「白いカラス」の原作、
ヒューマン・ステイン」と目下格闘中です。
やや苦戦か…(^^ゞ