![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/86/27d2f644d201416ac99e72e5eb4d80fd.jpg)
美しい秋の日が続く。
東京郊外のロケで、広い日本家屋での撮影。
なかば紅葉した大きな木々からの木漏れ陽が、芝生に光りのまだら模様をつくる。
太陽が回って、その模様が刻々変化する中、撮影は順調に終ってはやい夕方には、家に戻っていた。
着替えて、恵比寿の写真美術館へ。
2年前に亡くなられた横須賀功光さんの遺作展のオープニング。
長友啓典さんの会場構成がすばらしいから混まないうちに観るように、という事前情報があったので、はやめに駆けつけた。
会場をさまよっていたら、涙が出てきた。
横須賀さんは今はもうエーテルになってしまって、違う世界にいる。
姿がない横須賀さんは、この純度の高いご自分の作品群とこの場所で呼応していることだろう。
息子さんの安里さんを、幼い頃から知っている親戚のおばさんみたいに眺めたり、松岡正剛さんや、館長の福原さんとお話させてもらったりしてたら、なぜか、プラスティックスの中西俊夫さんを発見。即、ミーハーに戻る。
「やっこさん、千駄ヶ谷日記のブログすごくおもしろいよ」
「えっ! みてくれてたの?」
と奇跡的みたいに喜んじゃったんだけど、後で考えたら彼の友だちの桑原茂一さんが宣伝してくれてたんじゃないかしら。
そのあと、スパイラルホールの、ひびのこずえさんのラストパーフォーマンス。
ほぼ若い人たちが長い列を作って、始まりを待っていた。
実は私はすでに初日に拝見していたのだけれど、今日は、横須賀さんのオープニングと、こずえさんのラストショーに、リトアニアのファッションデザイナーを連れて行ったのだった。
ニューヨークやロンドンで、私がその時代の何かに触れたり、仲間に入れてもらえたのは、たった一人でふらりと行った私に、糸口を与えてくれた人たちがいたおかげだ。
見知らぬ国でただ、風景を眺める旅行者ではなく、クリエイティブに生きている人の何かに連なることが出来たことが、人生のいちばんの幸運だったと思う。
だから、東京で、同じような外国人にあったら、私も彼らの役に立てたらいいな、と考える。
刺激的なことですっかり脳が目覚めっぱなしで、夜中まで「猫と小石とディアギレフ」(福原義春著 集英社)を読む。
朝から次の夜明けまで、こんなに張り切ってしまって、果たして明日は正常に生きられるだろうか。
写真 ・恵比寿写真美術館にて、中西俊夫さんと。ふたりとも、いまだに鋲が打ってある服を着てる。湘南でやるライブにさそわれたけど、残念ながら行けない。またこんど。
東京郊外のロケで、広い日本家屋での撮影。
なかば紅葉した大きな木々からの木漏れ陽が、芝生に光りのまだら模様をつくる。
太陽が回って、その模様が刻々変化する中、撮影は順調に終ってはやい夕方には、家に戻っていた。
着替えて、恵比寿の写真美術館へ。
2年前に亡くなられた横須賀功光さんの遺作展のオープニング。
長友啓典さんの会場構成がすばらしいから混まないうちに観るように、という事前情報があったので、はやめに駆けつけた。
会場をさまよっていたら、涙が出てきた。
横須賀さんは今はもうエーテルになってしまって、違う世界にいる。
姿がない横須賀さんは、この純度の高いご自分の作品群とこの場所で呼応していることだろう。
息子さんの安里さんを、幼い頃から知っている親戚のおばさんみたいに眺めたり、松岡正剛さんや、館長の福原さんとお話させてもらったりしてたら、なぜか、プラスティックスの中西俊夫さんを発見。即、ミーハーに戻る。
「やっこさん、千駄ヶ谷日記のブログすごくおもしろいよ」
「えっ! みてくれてたの?」
と奇跡的みたいに喜んじゃったんだけど、後で考えたら彼の友だちの桑原茂一さんが宣伝してくれてたんじゃないかしら。
そのあと、スパイラルホールの、ひびのこずえさんのラストパーフォーマンス。
ほぼ若い人たちが長い列を作って、始まりを待っていた。
実は私はすでに初日に拝見していたのだけれど、今日は、横須賀さんのオープニングと、こずえさんのラストショーに、リトアニアのファッションデザイナーを連れて行ったのだった。
ニューヨークやロンドンで、私がその時代の何かに触れたり、仲間に入れてもらえたのは、たった一人でふらりと行った私に、糸口を与えてくれた人たちがいたおかげだ。
見知らぬ国でただ、風景を眺める旅行者ではなく、クリエイティブに生きている人の何かに連なることが出来たことが、人生のいちばんの幸運だったと思う。
だから、東京で、同じような外国人にあったら、私も彼らの役に立てたらいいな、と考える。
刺激的なことですっかり脳が目覚めっぱなしで、夜中まで「猫と小石とディアギレフ」(福原義春著 集英社)を読む。
朝から次の夜明けまで、こんなに張り切ってしまって、果たして明日は正常に生きられるだろうか。
写真 ・恵比寿写真美術館にて、中西俊夫さんと。ふたりとも、いまだに鋲が打ってある服を着てる。湘南でやるライブにさそわれたけど、残念ながら行けない。またこんど。
そうですよね、ちょっと紹介することが、素晴らしい展開を生む奇跡を逃さないようにしなくちゃなぁと、つくづく思います。
ちょうど今味わっているところで、
こちらのエントリを拝見してて、
ふわーんとあたたかい気持ちが強くなりました。
プラスチックス、ファンでした。
茂一さんも。
亡くなった方が
「今はもうエーテルになってしまって違う世界にいる・・」というくだりに
すごく共感しました。
私たちの今いる世界には
いなくて姿も見えないけど、
どこか違う世界に確かにいらっしゃるんでしょうね。
1 なぜスタイリストになろうとしたのですか?
2 仕事で大変なことはありますか?
お忙しいと思いますが,よろしくお願いします。
短い言葉でお答えするのは、むずかしいですが、お答えすると、、
1私がスタイリストになったのは1965年ごろです。スタイリストということばもなかったころなので、今とはずいぶん事情が違うと思います。
最初は広告のコピーライターになろうと思ったのです。でも、机の前で文章(コピー)を書くより、いろいろとびはねて、世の中に散らばっているものをみつけてイメージの世界をつくることのほうがむいていたみたいですね。
いつの間にか、そういうほうに方向転換していました。
2 仕事で大変なことは、毎日あります。でも、基本的に好きなことをしているので、こんなに長続きしているのだと思います。
それぞれの仕事のなかに、ちょっとした喜びを発見できれば、90パーセントの苦労もなんのそのです。
MIXIのこちゃよこさんのページから
ここに飛べるんですよ。
バナナですか、オバースカートと
ぴったりですね!
人のえにしって言う言葉が好きです。
素敵なご関係ですね、ブラボー
長友さんは2次元のプロでも、3次元についてはイメージディレクションくらいです、出来たとしても。空間構成はそんな簡単じゃないです。
部下のクレジットさえ出すことのない方ですが、他のプロの仕事を自分の功績にしてしまうところ、そろそろ止めてほしい。いまだに同じことをしてるのかと吃驚。。。周りに言わせているのでしょうが、
空間をなさったデザイナー、長友さんよりはひとまわり程年下ですけれど業界では名のある方です。
見るところを見ればそういうことってすぐばれるんです。
もう70にも近い方なのに、名声と賞賛はどれだけあっても足りないのでしょうか。次世代を称え、支える懐を持ってもいい年代なのに。
いずれにしてもフェアでないことをすると、必ず神様は見ているものです。
名を連ねることばかり気にして、展覧会の趣旨がずれたこと気がついてないですね誰も。