高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

Tレックス展

2005-03-12 | Weblog
アンアンの後援があったロンドンでのフォト・セッションから帰って、アンアンのグラビアをTレックスのマーク・ボランとミッキーフィンが飾った。そのグラビア最後のページは、モノクロの顔のアップで「マークにお化粧をしよう」というメッセージになっていた。。
このアンアンへの掲載とあわせて、渋谷西武百貨店B館地下で、「Tレックス展」が開催された。ふつうの写真展とちょっと違うアイデアがいろいろあった。
ほぼ等身大のマーク・ボランの写真を切り抜いた人形が、何十体か店内各所に飾られた。会場には、特別なブースがあり、そこには全国のアンアン読者から送られてきたマークのメイクアップ写真が貼られていた。会期中送られてくるお化粧をしたマークの写真の数はうなぎのぼりになり、ついに壁から天井まで覆いつくした。鋤田さんの友人でもあり、いつもレオンで元気な声を発していた糸井重里さんも参加していたと記憶する。
さらにツアーで来日していたマーク・ボランとミッキー・フィンが会場に現れた。会場は若いファンですし詰め状態になり、興奮は頂点に達した。そう、ふたりはアーティスト同士として鋤田さんに深い信頼をよせていてた。さらにここでロックスターとして、自分達がなにをすればいいかもわかっていた。押し寄せたファンのうねりの中、彼らはゆっくりと作品を見て周り、サインをし、鋤田さんやファンと握手をした。
そんなふうに、展示方法にも、イベントにも時代のホップな風が吹いて、楽しい写真展になり、その集客記録は長い間破られなかった。

・その後マークは昔自分で予言したとおりに交通事故でなくなり、数年前、六本木の「スイート・ベィジル」でパーフォーマンスをしたミッキー・フィンもこの世を去っている。
・展覧会の様子(アンアンにでた作品、アメリカ、日本ツアーetc)は「T-REXPHOTOGRAPHS BY SUKITA」 (カラーフィールド・3500円)に。

写真 (撮影者・不明) Tレックス写真展まえで。会場を訪れたマークとミッキーフィンのサインが見える。

何かが始まるとき

2005-03-12 | Weblog
何かを始める時が、何かが始まる時。それをやるとどのくらいお金が入るか、ということを先に考えたことはない。エキサイティングな予感が波のようにひろがって、いつのまにか、漕ぎ出しているのだった。(70年代も、そして今もできる限りは、、)そうはいっても、自費ばかりで、海外を往復するのはむずかしかった。鋤田さんは業界のカメラ雑誌ばかりでなく、当時新しいカルチャーに向かっていた「アンアン」にTレックスやデヴィッド・ボウイの作品を発表したいと考えた。そのアイデアをアンアン編集部に持っていったときのシーンをくっきりと思い浮かべることができる。編集長の木滑さんはきっぱりと即座に「おもしろい!やりましょう!」と言った。そして、アンアンの誌上を飾るということで、往復のエア・チケットをタイアップで手配してくれた。
あるときは、加納典明さん、沢渡朔さん、鋤田正義さんの超豪華なフォトグラファー 3人をアンアンが引き受け、それぞれにアシスタントや私のような役目のものがついてロンドンに渡った。その集団を仕切ったのはエディターの石川ジローさんだ。アーティストやミュージシャンが定宿としているポートベロー・ホテルから、毎朝ロンドンの街に飛び出し、それぞれのテーマで撮影をした。それ以外にモノクロページのロンドンのお店紹介のマップ作りのために、細々とした写真も3人が分担して撮った。

十文字美信さんが若いフォトグラファーとして登場したときも、エディターの椎根大和さんが大胆に十文字さんを起用した。十文字さんは当時来日中のザンドラ・ローズのシフォンのドレスを、スタジオでシンプルに力強く撮った。フリーランスの私は仕事をしていると、時々ひとりぽっち感にとらわれた。
何かを確かめたい時、楽しい仕事が出来た時、自分を元気づけたい時、漠然とした不安を感じる時、椎根さんに電話した。彼は喫茶店で何時間も話をしてくれた。

アンアンは金子功さんの服、モデルは立川ユリ、マリ姉妹、フォトグラファーは立木義浩さんが毎号大きく活躍していた。
私は時々変わった企画の時、ちょっとだけ参加出来ただけだが、今でも、そのとき関わったページはすべて頭の中でめくることができる。 10年目に「さよならアンアン号」が出て、アンアンは大きく変わった。最初の3年間、アートディレクターをした堀内誠一さんはその号で、「アンアンは僕の”空飛ぶ魔法の絨毯”だった」と語っている。


写真(アンアン創刊号)
1970年3月20日に創刊。ページをめくるとその新しさ、楽しさに驚く。立川ユリさんがパリとロンドンを駆け巡って24ページもカラー・グラビアを飾っている。アンアンはパリのファッション誌「エル」とタイアップしていて誌名(アンアン)のそばに、エル・ジャポンと記されている。中ほどにはエル直送のパリ・コレの写真。ウンガロやクレージュの前衛的な服に、長澤節さんが、「手をどこから出すんだろう?なんて言わないこと。美はときどき人間が生き物であることを否定する。人の集まるところに、突然まるで彫刻のような自分を見せたいという欲望を、モードが果たしてくれる」と解説している。わかるような、わからないような、なんだかワクワクする解説だ。