高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

同潤会アパート

2005-03-16 | Weblog
表参道の同潤会アパートは原宿を拠点としていた私にとっては、いつも見慣れた風景だった。
枯れたまま壁にしがみついていた蔦も、季節が春になるといきいきとした緑が芽吹きはじめる。そしていつの間にか濃い緑の葉が建物をぎっしりと包み込む。欅の緑と蔦の緑は田園の緑ではない。でも私は都会の酸素の供給源(精神的にもね)でもあるこの緑をとても愛していた。
代々木公園も、まだ木々はまばらで、ゆっくりと成長していた。明治神宮は緑の杜として、ある種の風格を備えていたがこの神宮も、私にはなんだか若々しく感じられた。
同潤会アパートの前には歩道に沿って、住んでいるかたがたのつくった家庭的な花壇が細長くつづき、そこに咲いている小さな花を、見るともなしに見ながら歩いていた。
原宿の街自体がおしゃれさと下町っぽさをもっていて、同潤会の裏には銭湯があった。この時代、銭湯は3軒あって、キディランド裏(ここには神宮橋旅館もあった)と、明治通り、現在のラフォーレの斜め裏あたりにもあった。表参道の変貌の中で、ある日銭湯が取り壊され、湯船の背景の富士山の絵が明治通りに突然出現した。まるで、寺山修司の舞台のようにシュールなあの風景を何故撮っておかなかったんだろうと、悔やまれる。

同潤会に初めてお店が入ったとき、入居者による管理組合がよく許可したものだと、みんなでうわさした。
そのうちポツポツとお店が増えて、ファーマーぽい雰囲気のある雑貨屋さん、ギャラリー、眼鏡屋さん、、、と、古い階段を登り降りしながら、回った。

私はある日一児の母となったが、仕事は増え続けていた。それで、子供との散歩は仕事前の早朝にすることが多かった。朝6時まえから7時にかけて、同潤会から、東郷神社の境内まで、乳母車で長い散歩をした。現在のピアザビルのわきのお豆腐屋さんで出来たての暖かいお豆腐を買ったり、東郷神社の池のまわりで遊んだりした。早起きのお年寄りや新聞配達のおにいさん、競歩に励むおじさんなど、言葉をかけあう早起きの仲間が出来た。息子が二歳に満たないある夏の終わりの朝、その日初めて吹いた秋風に、「お風涼しいね。もう暑いないね」と目を細めて言った。私は朝の散歩の成果あり!とうれしかった。私には息子の単純な言葉が
「秋来ぬと目にはさやかにみえねども風の音にぞおどろかれぬる」という有名な短歌に聞こえた。

写真(撮影・Yacco)  この時代、スタイリストの仕事に、撮影場所を探すロケハン(ロケーション・ハンティング)というのもあった。カメラのサイズで切り取ると、どこかちらっと外国風という一角を探すことが多かった。これは原宿じゃなくて、代官山の同潤会だと思っていたがそれも違うみたいだ。六本木のスペイン村でもないし、霞町(西麻布)付近だったかもしれない。家電の豪華カタログのために、おしゃれなインテリアの部屋、格調ある和室を探すこともあった。雨の中、一軒一軒訪ね歩いて、泣きそうだったこともある。まだ、ハウス・スタジオなんてなかったので。