高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

エスニックなもの

2005-03-25 | Weblog
はじめてニューヨークに行ったとき、街の雑踏の中で、自分が日本人であることを自
覚するより、私の血には南米のメスティーソ(インディオとスペイン人の混血)と同
じような血が入っているんじゃないかと、感じた。(それから数十年経ってから、現
実的には、私に八分の一ほどのロシアの血があるらしいことを知ったが)
多くの人が行き来する人種の坩堝(るつぼ)と呼ばれるなかにいると、私がこの世に存在しなかったはるかな昔が自分のなかでよみがえるような瞬間がある。トルファンで撮影していたときは、ウイーグル族の踊りを見ながら私は祖先とつながった。彼らの住まいの中庭には、干しふどうやお菓子の類がテーブルにならべられ、時間が止まったような午後の陽射しに満ちていた。いつの日かここにいたことがある(デジャブ)という感覚こそ、旅が与えてくれるかけがえのない宝物だ。

「地球風俗曼陀羅」の浜野安宏さんのプロデュースで、ファッションデザイナーの新人達のファッション・ショーがあった。
そのなかの菱沼良樹さんのショーはどこか異国の言葉が交錯する音ではじまった。その音がまず私をどこかの国の街角に佇ませた。ステージにはいつも旅先で感じる「地球感」があった。服は具体的にどこの国の影響というようなものではなく、むしろ現代的で、抽象的な形態をしていた。その服が、チベットの山岳地帯でなびく旗のように、大海を渡る帆船のように、風を含んでふくらみ、揺れるのだった。肉体が着ている一枚の服によって、ステージのうえに地球そのものが大きく出現するのを観て私は感動し、涙を流した。(そのとき、バックステージでは、会場の様子を見ていた菱沼さんが「僕の服を見て泣いてるひとがいる!」と感動してくれたとか)ファッション・ショーはただ服に関する新しい情報を伝えるだけではない。ときとして、映画やお芝居と同じような深い感動や共感をなげかけてくれる。

写真 (撮影・謎のひと) モロッコのマラケシュにて。ロンドンから足を伸ばして、スペインや北アフリカへ行った。
ブラウスは蟹の柄のゆかた地。山口小夜子さんから竹の柄のゆかた地のブラウスをいただいて、愛用したが、同じパターンで柄違いの2枚目を自分でつくった。赤いサボ(サンダル状の履物)は当時大流行したもの。