高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

寺山修司する?

2005-03-07 | Weblog
寺山修司さんが出演した後、ウイスキーのコマーシャルの美術の担当が劇団四季の舞台美術をやっている金森馨さんとなった。(広告界は、才能のある人をいち早くとりこむ)
ところが金森さんは絵と設計図をかくだげだったので、衣装のほかに私がトラックに乗って、大道具もあつめることになった。
撮影用の大道具は映画などでは、高津という大道具屋さんで手配するが、それだけだと金森さんの意向に副わない気がした。
青山の骨董どおりにある「阿藤ギャラリー」という骨董屋さんとか、銀座の「サンモトヤマ」とか、知恵をしぼって借りて回った。ある時、青山学院の並びにある「ゆかわさるん」という北欧家具の店で大きなパインのテーブルと革のソファを借りた。撮影後にチェックしたら誰がつけたかタバコの焼け焦げ跡がくっきりと残っていた。困り果てながら、返却の時お店の方に告白すると、「大丈夫、ちょっと削ってパテをつめれば元どおりになるからね」と優しく言ってもらった。
スタイリストが何処までやるのか、なんてまだ誰もわからなかった。私を使う人たちも、スタイリストというより、「ヤッコならこういうことをやってくれるだろう」ぐらいの気持ちでいたのだと思う。
きついことも多かったけれど、金森さんのような歴史に残る方のお手伝いが短期間でも出来たのは、ラッキーだった。

よくよく考えてみると、寺山さんとはコマーシャルの仕事をする以前に何度かお会いしていた。
コピーライターを目指していた頃、「ヤマハキャンパス」という音楽大学の学生向けの小冊子を定期的につくるのをまかされていたが、そこの巻頭エッセイをお願いしたことがある。
締め切りの日、待ち合わせの喫茶店に現れた寺山さんは、お茶を飲みながら「あ、原稿、クルマのトランクに入れてきちゃったよ。今日は取りに戻れないから、明日ね」とおっしゃった。
次の日、また待ち合わせをしたが、今度は「上着のポケットに入れておいたんだけど、違う上着を着てきちゃったから、また明日」ということだった。三度目の正直で、あるパーテイ会場に呼ばれた。今度は無事原稿をもらうことが出来た。
「君、せっかくだからこのパーテイに出て、うまいもの食べて帰りなさい」と言われ、私は何のパーテイかもわからないまま、ごちそうをいただいて帰ってきたのだった。

その話を仕事仲間に克明に話すと、しばらくの間は締め切りに間に合わなくて言い逃れをするのを、「寺山修司する」というのが流行った。それにしてもどんな理由であれ、寺山さんに3度もお会いできたのは貴重なことだったと思う。

写真 斉藤秀一 (芸術生活グラビア) スタイリスト・Yacco 友人の國分さんに借りたこの人形は、昭和2年に青い目の人形使節としてアメリカから日本におくられたものと同じものだと聞いている。