高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

マリーズ・ショップ

2005-03-21 | Weblog
青山3丁目を西麻布に向かった右側に「マリーズ・ショップ」というガラス張りの店があった。入り口の近くには大きなロリポップ(棒付きの飴、棒が1メートル近かった)や雑貨があって、中はカフェになっていた。
当時、宇野亜喜良さんの奥さまだった倉島真理さんの店で、真理さんはまさしく宇野さんの描くイラストそのものの不思議なお顔だちの方だった。色がちょっと浅黒くて、かぼそい身体に、そのころ大人の女性が着るの?というような超ミニのワンピースを着ていた。でも、そのワンピースは上等なウールで注意深く、良い縫製でつくられていたので、決してチープではない。
私のおしゃれを映えさせてくれる場所は少なかったから、私はこの店に正装して行った。白い襟付きで真っ赤な袖なしのワンピース。クニエダ・ヤスエさんのストローハットには、赤と白の縞の太いリボンが巻きついている。これで、白に赤い渦巻きのロリポップをもてば、私は完璧というわけだ。
真理さんに「可愛いわね。それどこの服?」と聞かれたらうれしさと誇らしさは頂点に達した。つぎの時は黄緑のワンピースで、袖は真理さんと同じように小さなちょうちん袖になっているので出かけた。
仲良しの鳥居ユキさんに作ってもらう服はいくらお友だち価格といっても、私の経済が追いつかなかった。それで、知恵をしぼって、お気に入りの服をつくった。

渋谷の道玄坂にある巨大な生地屋「東亜」で生地を探した。5階か6階あるフロアを上がったり降りたりして、安くてきれいな色をみつけた。私のウエストはすばらしくくびれているわけじゃないけど、若い女性としては、夏は海で、肉体を誇示しなければならない。それであんまり市販されていないビキニも自分でつくった。
私は生地とフランスのファッション誌「エル」の切り抜きをもって、日暮里の縫製工場へむかった。
渋谷発、日暮里経由の服たちは青山や表参道でよく活躍してくれた。

マリーズ・ショップでは、ときどきパーティがあり、宇野さんをはじめとしてユニークなアーティストが集まった。
金子国義さんや四谷シモンさんが抜群の存在感で踊りまくった。パーティのラストにスリップ一枚で踊るシモンさんは圧倒的にセクシーで、私たち女性のこじんまりとしたがんばりなどかすんでしまって、どこかに飛んでいってしまうのがオチだった。

真理さんは月刊だった「婦人公論」に「いいものみつけた」というコラムをもっていた。毎月そのページを開いて真理さんの美意識や価値観をながめて楽しんでいたけど、ある時彼女がやめることになった。
そして後継者として私が指名され、びっくりしつつも、ひきうけることになった。小さなみっけものに当時アシスタントだった中村のんちゃんの親友の中澤寿美子さんがイラストを描いてくれた。通称キーの中澤さんはのちに画家になる。私よりさらに若いジェネレーションの才能が走り出していた。

写真 婦人公論の私のコラム「いいものみつけた」はかなり長く続いた。