高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

ファー・コートのご機嫌

2005-03-17 | Weblog
68年、始めてニューヨークに行ったのは、スタイリストの修行のためだったが、そこで、フラワー・リボリューションの洗礼を受けた。それは私の価値観のベースになり、一生私の中のどこかで生きつづけている。と、同時にどんなものであれ、何かを見つけるのが大好きなので、マンハッタンの中を歩き回ることに夢中だった。

まだ着たことのないものに毛皮があった。何としても着てみたかった。
6週間のニューヨーク滞在の半分ぐらいを泊まらせてもらった広告代理店の副社長のお宅で、3日間の沈黙(英語が出て来なかった)を破って、最初にしゃべった英語が「何処に行ったら、毛皮のコートがあるかしら?」だったかもしれない。
6週間の間に、ニューヨークのスタイリストにくっついて、撮影現場や、雑誌の編集部や、お店まわりをしつつ、私は同じ質問をくりかえしていたらしい。
そして「ロード・アンド・テイラー」というデパートでこれぞ!と思うものにめぐり合うまで、いつもの精いっぱい精神はずっと目を覚ましつづけていた。
ウィーズル(いたち)の滑らかな光沢を、フサフサした狐が取り囲むコートで、どちらの感触も、私の好みだった。私の全財産はこのすばらしいコートに注がれ、帰国する時は、空港から家までの交通費を残すのみとなった。

当時は1ドル360円で、お金の持ち出しに規制があり、そんなコートを買ったら、基準を超えているのは明白だった。税関で「そのコートは?」と聞かれたらアウトだ。でも、その質問の上手な答えを考えつかないまま、当時国際線だった羽田空港に着いた。私はジーンズにTシャツ姿にお宝のコートをはおって税関の列に並んだ。
私のコートにちらっと目を向けた税関の人がまさしく「そのコートは?」と地獄の質問を私に向けた。私は映画「ミッドナイト・エクスプレス」の主人公みたいに絶体絶命だった。とっさに答えられない私は顔を赤くして、もじもじしたに違いない。意外なことに、質問した税関のひと自身が大きな助け舟を出してくれた。
「日本から持ち出したものですね」という彼の言葉に、私は「はい」と蚊の泣くような小さな声で答えた。彼はにっこり笑いポン!とハンコを押して、私は無事税関を通過した。

そのあと、ニューヨークで知り合った人たちから、手紙やカードをもらったが、どれも「ファー・コートのご機嫌はいかが?」というようなジョークにあふれていた。私はよほど大騒ぎをして買ったのだろう。これは、一生に一度の買い物だった。(注・現在、3年後ぐらいにお金持ちになる予感がするが、毛皮のコートを買う予定はない)

写真 (撮影・染吾郎) レオンにて。向かって左に見えるのが毛皮のコート。ミッキーマウスのTシャツの上に着ているのはマドモアゼルノンノンの皮のジャケットか。どんな服の時も大活躍したコートは、最終的にこの写真の撮影者、染吾郎さんに。