高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

山口小夜子さん

2005-03-02 | Weblog
このブログをはじめて、長いこと眠りっぱなしだったいろんな箱を開けている。現実的にそれはクリアケースだったり、ダンボールだったりする。今日開けたなかに1970年、71年のことを、1978年に書いた文章が出てきたので、そのまま引用することにした。以下がそれです。

      ☆        ☆       ☆

もう、8年ぐらい前になるだろうか。その頃、青山の絵画館前に、サンローラン・リヴ・ゴーシュがあって、その隣がレストランだった。
ある夜、そこでマリー・クアント女史のパーティがあった。
ロンドンで一度だけランチに招かれたことがある私は、小柄なオカッパ頭の彼女に再会したのだった。”再会”というのは少しオーバーかもしれない。
その頃、私は寛斎さんのロンドンのショーのプロデュースを体験したばかりだったから、そのランチとて寛斎さんのオマケでついていったのだ。
40歳近い彼女は、シャイで声も小さく、少女のように可憐だった。
そう、コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんのみたいな雰囲気のひとで、寛斎さんの声高な話をニコニコ笑いながら聞いていたっけ、、、。
その彼女が初めて来日して、歓迎パーテイが開かれたのだけれど、その群れの中にもうひとり、印象的なオカッパの少女がいた。
ふじ色の着物風の打ち合わせのブラウスを着た彼女は、細くて小柄に見えた。山口小夜子さんだった。
彼女とまったく対照的な、色が浅黒くてキラキラした目のボーイッシュな新人モデルがいっしょで、彼女がのちにスタイリストになった富士野多英子さんだった。その夜、私はふたりといくつかの話をしたと思う。
私はこのふたりの新人モデルの将来を予感して胸がドキドキした。

その後、小夜子さんとはいろんなところで会った。小さなフロアショーの楽屋で。デザイナーのアトリエで。
彼女は、待ち時間にはいつも静かに本を読んでいた。そして、「ジェニーの肖像」や「日々の泡」を私に貸してくれたりもした。

ある時、ロンドンからデザイナーのザンドラ・ローズが突然やってきて、急きょ西武デパートでショーをすることになった。
ロンドンで知り合ったザンドラ・ローズがショーをしたいと言い出し、私は西武百貨店に橋渡しするというスリリングな役目を引き受けてしまったのだ。
オーデションで小夜子さんをひと目見たザンドラは、ただちに彼女を決定した。小さな展示会のショーや、デザイナーの仮縫いモデルとして、静かに出番を待っていた彼女は、はじめての大きなステージで、堂々と大きく映え、美しかった。
それから、小夜子さんは急に大きくなった。寛斎さんや一生さん、ケンゾーなどが競って起用し、ステージのうえで、彼女はどんどん大きく大きくなっていった。ある時、深夜のニューヨーク五番街でたくさんの小夜子さんに再会したことがある。ブルーミングデイルというデパートのショーウインドウのマネキンが、みんな小夜子さんの顔とあの独特なポーズで、夜の照明の中に浮かんでいたのだ
。私はひとまわりして、さまざまな服をまとっている小夜子さんを眺めたものだった。

つい先頃の秋冬のコレクションのいくつかで、フィナーレを飾っている小夜子さんをみた。
モンタナの大きな服をまとい、宇宙にさしのべている指の先の先まで、電流のように通っている彼女の感覚。8年間みがきつづけた才能を、感じないではいられなかった。(La Vie Vol 4 1979)

写真(撮影・染吾郎) レオンにて。