高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

コマーシャルのなかの寺山修司

2005-03-04 | Weblog
その頃、コマーシャル・フィルムの撮影は、大抵、映画の撮影所で行われていた。大道具、小道具はそれまでの映画界のひとたちでほぼ占められていたし、衣装さんと呼ばれていた分野の一角に出現したスタイリストという女の子のやることをみてやろうじゃないの、という視線を感じることも多々あった。
(ま、私の場合、そういう方々ともいつのまにか仲良くなっていたけれど)

その日は、あるウイスキーのコマーシャルの撮影だった。
セットは、撮影所のなかの美術の方がデザインしていた。
設定は寺山さんの部屋に篠田正弘監督が訪れてウイスキーを飲み交わす、というものだ。
寺山さんが所有していると聞く、アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローを借りる役目が、何故か私に回ってきて、プロダクションの制作の若者とともに事務所に伺った。
美術の方がどう解釈したのか、セットは寺山さんの部屋というより、不可思議なモノが重なりあった物置みたいだった。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の住まいのようなところに、シルク・スクリーンのマリリン・モンローだけがぽっかりと置かれていた。生意気ながら私は内心ひやりとした。これでだいじょうぶなの?
やはり寺山さんは、スタジオには入ってきてセットを見るなり「なんだこりゃ、これじゃ化け物屋敷じゃないか」と率直に驚きの第一声を発した。私の「内心ひやり」は的中したが、寺山さんはそれ以上は言及せず、また私は内心ほっとしたのだった。
寺山さんと篠田さんの会話は途切れることなく延々と続いた。このコマーシャルの監督は「薔薇の葬列」などの実験映画作家の松本俊夫さんだった。彼は、一定の時間が来ると、さりげなく話のテーマをメモしたカードを取り出して、「じゃ、こんどはこれについて話してみてください」とふたりの話題をうまくリードした。
もう話の内容は覚えていないが、互いに尊敬しあっている3人のその場の空気感は思い出すことができる。あの長い長い会話は、30秒、60秒の映像の世界だけじゃなくて、面白いショート・フィルムや、30分、1時間のテレビ番組もじゅうぶん出来たのではないかと思う。
ウイスキーの撮影だったが、長時間飲み続けつつ、しゃべらなければならないので、顔が赤くならないうちにウイスキーはやめにして、その後はノンアルコールのものが注がれた。
(それに寺山さんの持病はすでに密かに進行していた頃だったろうから)こんなラッキーな体験はめったにない、という貴重な時間は、夜半になってようやく終止符をうち、寺山さんはマリリン・モンローとともにスタジオから消えた。

現在だったら、人物関係が終わったスタイリストはそこで、出演者とともに、「お疲れさま」なのだが、そこではまだ帰ってはならないような、暗黙の空気があった。
これから先は商品のシズルの撮影が待っていた。
これは、コマーシャルの大切なシーンで、商品そのものを美しく、おいしそうに見せなければならない。
今はウイスキーにしろ、ビールにしろ、飲み物を扱う専門の方がいて、グラスの選択から、ビールの泡の具合まで、きっちりコントロールするプロ中のプロが存在する。そして、グラスの中の氷も、見た目も氷より氷らしい溶けない氷(シリコン製?)もある。そういうわけで、ウイスキーのシズルカットのノウハウはほぼ完成している。

その頃は、誰かの行きつけのバーのバーテンさんを頼んで、氷も本物を使って、こちらが望んでいるような演技をグラスのなかで、氷がしてくれるのをひたすら待つのだった。時間が経てば経つほど、氷は劣化してうまくいかない。深夜に氷を売っているところはない、と悪循環がつづくこともあった。
美術のおじさん(デザイナー)は失敗するたんびに捨てられるウイスキーをしこたま飲んでいた。
ご自分が作った魑魅魍魎(ちみもうりょう)のセットのように、本人自身がすっかり魑魅魍魎となってしまい、なかなか決まらない撮影に、監督をしのぐ大声で「用意、スタート!」 「カット!」と叫んでいた。そして演技ができない氷にむかって「なんどやったら出来るんだー」としかりとばした。
大根役者の氷が、クルンと可憐に回って、グラスの中でウインクするようにコトンと傾いたのは、一夜明けて、すっかり明るくなってからだった。

写真(撮影・斉藤秀一) 「芸術生活」のカラーグラビアシリーズ女の映像。テーマは「赤い靴の少女 野田ジュリー 」 企画・上村喜一 ヘアメイク 夢見人。スタイリストは私で、この少女をお人形のように、スタイリングしたものも、数ページある。夢見人(ムミト)さんのメイクがすばらしい。