poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

イタリア(4)篇 その2

2022年12月02日 | ヨーロッパ
ヴェネツィアの旅 後半で以下の場所を訪れました。また、後の下線部の数字にも対応しています。


1・2 ヴェネツィア ⇔ ヴェローナ (2019年1月1日)

ヴェネツィアまで来たからには、列車で1時間強のヴェローナまで足を伸ばそうと考えていた。以前読んだ本で、ロマネスク美術てんこ盛りの教会に魅かれていたので
いつものごとく、宿を出てサン・マルコ運河沿いを西へ進む。朝焼けではありません・・・9時をまわっているけど、この日は曇りがちだった。

2番のヴァポレットに乗ってサンタ・ルチア駅へ向かうことにする。乗船場サン・ザッカリアを出てまもなく、ジューデッカ運河に入る。下の画像左がジューデッカ島、右端のクーポラは本島にあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会。

サン・マルコ広場を後にする。ひときわ目立つのが鐘楼【高さ98m。9世紀の見張り台に淵源があるとされるが、現在の形になったのは16世紀という。20世紀初めに倒壊し、10年後に再建】、その右に見え隠れする複数の玉ねぎ型屋根がサン・マルコ聖堂。

50分後、サンタ・ルチア駅最寄りの船着き場Ferroviaに到着。地図を見て予想していたとおり、時間がかかった【本島の南西岸沿いに大まわりするルートなので、別の航路をとるヴァポレットを使った方が早いのだが、翌日の下見を兼ねて遠まわりした】。が、フェリー乗り場を通過したりして、観光地然としていない雰囲気も味わえて面白かった

チケットを買うべく券売機に立ち向かうも途中で操作が分からなくなり、躊躇なく女性職員に助けを求め、10時50分発車の10分前にチケットを入手。RV(急行)でヴェローナ・ポルタ・ヌオーヴァ駅まで片道€27也。飛行機の搭乗券のような紙質のチケットは当然イタリア語だらけ。発車するホームは電光パネルで確認したけど、はて何号車の座席?? ホームで立ち止まっていると、ナイスミドルの職員が教えてくれた。そっか、号車はイタリア語でcarrozzaというのね・・・
なんと最前車両 発車時間を気にしつつ、長~いホームをひたすら歩いて乗車。車内は日本の新幹線よろしく綺麗。
空いている4人ボックス席でガイドブックとにらめっこ。半日いるとしても全部は見きれないな、セレクトしなきゃ。一番のお目当てはサン・ゼーノ・マッジョーレ教会なんだけど、元日の今日は祝日扱いで遅めの12時半オープン。というわけで、他からまわることにした。

駅は街外れにあり、中心街までは軽く1㎞以上。人の流れになんとなくついて行き徒歩20分、街の中心部が見えてきた。

ブラ広場は古代ローマ時代の円形闘技場【3世紀築、152m×128mの楕円形。1913年、ジョゼッペ・ヴェルディ生誕100年を祝してここで「アイーダ」を上演したのを機に、野外オペラの祭典アレーナ・ディ・ヴェローナが毎年6~8月に開催されている】を擁する。奥は市庁舎。
この付近はものすごい混み様で、ヘタするとヴェネツィアより人が多いかも

まずはジュリエッタの家を目指す。そう、ヴェローナは かの『ロミオとジュリエット』の舞台なのだった【16世紀末に成立したシェークスピアの戯曲。実話ではなく、ヨーロッパの各地に多数存在する類似の民話をベースに、時代設定を14世紀のヴェローナとした】。
広場の北東数百m、難なく発見。入口から大行列、件のベランダの下はものすごい喧騒・・・人の頭が写らないように撮影するのが精一杯

挙句の果てに、ベランダ正面に設けられた売店ではハートマークの乱れ飛ぶグッズを売りまくり。見た目には可愛いんだけども、悲恋だよね 何か違うんじゃぁ・・・
楽天的な営利主義にドン引きで、風景ハガキだけ買って足早に去る。

シニョーリ広場を横切り、スカラ家の廟にたどり着く【13世紀半ばから100年余りこの地を支配した領主スカラ家の墓碑が建ち並ぶ】。入場せず、通り沿いに覗くのみ。

さらに北東に進み、サンタナスターシア教会へ【6世紀の教会跡地に、スカラ家などの援助を受けて13世紀末から約200年かけてドミニコ修道会が建立。ゴシック様式。現在、ヴェローナ最大の教会】。ファサードの色石は三色でも、イタリアならぬフランスの国旗っぽい配色で面白い。フレスコ画は退色している。

近寄るとこんな感じ。

中に入ると、天井の高さ・模様の細かさに驚く。

柱を飾る一対の彫刻は不思議な作風。聖水盤を背に載せるその姿は、キリスト教が説く人間の苦しみを表現しているという。


次は北西に向かい、ドゥオーモへ【初期キリスト教時代にバシリカ(教会堂)があったとされる場所。現存するのは12世紀のロマネスクと15世紀のゴシックの混合様式】。工事中でこちら側からは入場できず、裏側へまわった。

南東壁面の柱頭にロマネスク彫刻を発見。修復の手が入っているんだろうけど、好み



街並みを高い場所から眺めてみたい。というわけで、街の北東の丘にそびえるサン・ピエトロ城のふもとまでのぼる。
アディジェ川の対岸がヴェローナの中心街。ひときわ高いのは、先ほどまでいたドゥオーモの鐘楼。

左に目を転じると、たおやかに流れるアディジェ川。画像右端の尖塔は先ほど立ち寄ったサンタナスターシア教会。

トイレにも行きたかったので、カフェで休憩。エスプレッソ(€2)にクッキーがおまけで付いてきた、ラッキー てか、お砂糖のパッケージが可愛い

さて、地図で見たところ主目的の教会へは徒歩40分くらいの距離。のんびりするのもそこそこに席を立つ。橋を渡り、アディジェ川沿いに南下していく。
日が暮れかかってきた。

スカリジェロ橋を過ぎ、北西へ進む。下の画像は、来た道を振り返って撮影。


16時、ファサードを薄赤く染める陽のもと、サン・ゼーノ・マッジョーレ教会に到着【12世紀前半建造、イタリア・ロマネスクの傑作】。

1対のライオン像の背後にたたずむファサード彫刻がすごいのである【創建時、12世紀前半の制作】。これを見るためにヴェローナへ足を運んだといっても過言ではない。

イエス誕生の場面。中央で横たわるマリアの向こう側に、飼葉桶に寝かされた幼子イエス。存在感薄めで、馬のほうが目立ってるけど
そして、足元のヨセフの表情がなんともユニーク・・・ロマネスクのこーいう表現が好きでたまらない

その上には、東方の三博士による礼拝【占星術によりユダヤの王(イエス)誕生を知った三人の博士(祭司)たちは、贈り物(黄金・没薬・乳香)を携えてマリアとイエスのもとを訪問】。さらにその上は聖家族のエジプト逃避【東方の三博士はマリアとイエスを訪れる前に、当時ユダヤを支配していたヘロデ王のところへ行き、誕生したというユダヤの王はどこにいますか?と尋ねる。自分の地位が脅かされるのではと恐れたヘロデ王は、ベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男児を皆殺しにするよう命じる。その直前に、天使からお告げを受けたヨセフ(マリアの夫、イエスの養父)は妻子を伴ってエジプトへ脱出、ヘロデ王が亡くなるまで滞在した。聖書にはその年月が明確に記されていないが、1~4年とされる】。

扉を挟んで反対側には旧約聖書の物語。左下は神が男の脇腹から女を創造する場面、その右は禁断の実を口にするアダムとイヴ。左上は実を食べたことを神にとがめられるアダムとイヴ、その右は神の言いつけに背いた罰としてエデンの園から追放され、労働と産みの苦しみにさらされる場面。

中庭に面した回廊の列柱。

クリスマス直後という時節柄、中庭を舞台にクリッペ(キリストの生誕場面を表すオブジェ)が展開していた。

教会の内部。かなり大きく、遠く正面奥が祭壇、その下には地下聖堂が見え隠れしている。

正面へ進む前に、回れ右して背後の扉装飾に向き合う【ブロンズ製、12世紀制作】。先ほど外から見たファサードの真裏にあたる。

旧約・新約の両聖書などから48の場面が描かれている。こちらはノアの方舟。

サロメの物語。テーブルの上に載っている首は洗礼者ヨハネの、テーブルの手前で海老反りしているのがサロメ【ヘロデ・アンティパス(ガリラヤ太守。イエス誕生の報に接してベツレヘム周辺の2歳以下の男児を皆殺しにしたヘロデ王の子)が異母兄弟の妻だったヘロデヤを後妻に迎えようとしたのを諭したヨハネは投獄された。宴で披露されたヘロデヤの娘(連れ子)の踊りに感心したヘロデは、何でも望みを叶えようと言う。母ヘロデヤの入れ知恵により、娘はヨハネの首を所望した。19世紀末、このエピソードを下敷きに書かれた戯曲でヘロデヤの娘に「サロメ」と名が与えられ、広く知られるようになった。聖書にはあくまでも「ヘロデヤの娘」としか記されていない】。

祭壇の左手前にはこの教会に名を冠する聖ゼーノ像【13世紀制作、木造。北アフリカ出身で、4世紀にヴェローナの司教を務め町全体をキリスト教に改宗させたという。アディジェ川に流されている農民を救った奇蹟から、漁師の守護聖人とされる】。

近づくとこんな感じ。艶光りする赤銅色の肌、2本指を立てた右手と、何ともいえない上目遣いの笑顔が強烈なインパクト 心魅かれる彫像だった。

地下聖堂へ下りていくと、ガラスケースの中に刺繍がたくさん展示されていた。ロマネスクって・・・真面目にこんな表情を制作するのだから面白い


地下聖堂の空間【実はここ、毒を飲んだジュリエットが安置された場所という設定。駆けつけたロミオがその姿に絶望して自害、仮死状態から目覚めたジュリエットはロミオの変わり果てた姿に後を追う・・・物語のクライマックスの舞台なのである】。

2人の悲劇などいざ知らずな感じで、柱頭にはコミカルな表情のロマネスク彫刻が展開している。



再び階段をのぼり、地上へ。正面にファサードの薔薇窓が見える。

抜け目なく、こちらにも柱頭彫刻あり。

17時の閉館まであと15分。入口にあった売店を物色するぞ~ 意気揚々と赴くも、一足先に店じまいしていた えぇ~
よくよく考えてみれば、イタリア初日に訪れたサン・マルコ寺院もそうだったわ・・・学習しなかった自分のミスか
1.5km南の駅への道は遠かったが、これまた人の流れについて行きつつ、ガイドブックの地図をチラ見してたどり着くことができた。今回このパターン多し。なんとかなるもんだなぁ

すっかり暮れたヴェローナ駅の構内。

予想より1時間遅くなり、17時半発のRVをつかまえてヴェネツィアへ戻る。翌日の出国に備えて車内でハガキ書きにいそしむが、必死なあまり車内アナウンスを聞き逃し、ゾロゾロ降りていく人の流れに身を投じたら 終点の1つ手前Mestreで降りてしまった・・・
10分ちょっと経ってやって来た各停列車の乗務員に切符を見せると、乗っていいと許してくれた。ホッ
18時55分、サンタ・ルチア駅に到着。駅前に臨むカナル・グランデ。

駅前から乗った2番のヴァポレットはリアルト止まりだった。暗闇に浮かぶ大理石の橋、風情あるわ~ 個人的には夜景のほうが好みかも

リアルト橋付近から人の流れに乗りつつ、所々現れる"per St.Marco”の表示を見て進んだら、なんと8分でなじみの広場に到着。こんなに簡単でいいのか(笑)

この旅最後の晩餐はカルボナーラにしようと決めていた。郷土料理じゃないけど、食べたいんだもん
お目当ての店に向かう途中、呼び込んでいる店にターゲット変更。時間は19時半、予定より遅くなったしなぁ。いくら治安が悪くないとはいえ・・・色々理屈をつけてみるものの、要はお腹が空いていたのだ
まずは魚介の盛り合わせ。シャコみたいなのも獲れるのね~ てか、前菜っぽいものもいくつか含まれていて、なんだかお得

白のハーフボトルを頼んだら銘柄をたずねてくれたので、迷わずソアーヴェ【古代ローマ時代から造られている、当地ヴェネト州を代表する銘柄。ヴェネツィアの西で生産。葡萄はガルガーネガを70%使用】

スパゲッティーニは乾麺だった。ま、値段的にはそんなものだろう(2品にワインで計€54.5)。

この夜は一段と霧がかっていて、幻想的な雰囲気だった。左がサン・マルコ聖堂(北壁)、中央奥が広場。

ドゥカーレ宮殿の布告門上部の彫刻をズームアップ 夜に浮かぶ有翼のライオンは、いまにも飛び出してきそうなほど凛々しい。
【15世紀、ゴシック様式。かつての正門で、ヴェネツィア共和国時代には評議員や賓客がここを通った】

21時前、ホテルに帰着。ヴェローナ駅で入手したプロセッコ(200㎖)【密閉タンク方式で造られるスパークリングワイン。ヴェネツィアの北、トレヴィーゾの周辺で生産。葡萄はグレーラを85%以上使用】を舐めながら、夜は更けていった。

1 ヴェネツィア (⇒ドーハ)(2019年1月2日)

16時の便で経由地ドーハへ発つことになっていた。
まずはチェックアウトの手続き。ユーロへの両替をケチったのもあり、想像以上に高い物価の前に手持ちの現金が早々に減っていき、宿代はカードで支払った。
見納めに広間をパシャリ クリスマス仕様の空間の奥の扉が3泊した部屋の。

荷物を預かってもらって、いざ出発
まずはヴァポレットに乗りサン・マルコ広場の対岸、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島へ渡る。サン・マルコ運河越しに何度も眺め、気になって仕方なかった。
400m先にドゥカーレ宮殿と鐘楼が浮かんでいる。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会のファサードは白くて荘厳【最初の教会が建てられたのは8世紀末という。10世紀後半、当時のヴェネツィア共和国総督の命令により島全体がベネディクト修道会に与えられる。13世紀前半の地震で建物が崩壊後、修道士の手により再建された。現存するのは16世紀後半から改修されたもの】。

お目当ての鐘楼にのぼった。上から眺めて初めて、表からは全く見えなかった修道院の敷地が存外広いことに気づく。昔から聖なる島として歴史を刻んできたんだな・・・
なお、画像右奥に霞むは隣りのジューデッカ島。

教会越しに望む本島。ガイドブックではサン・マルコ広場の鐘楼の次に眺めの良いスポットとして挙げられていたが、曇っていて視界不良・・・残念
この画像ではその魅力を伝えきれないが、訪問前に自分が見かけた晴天時の眺望画像は本当にすばらしかったので、ぜひ足を運んでほしいと願う。


次にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を目指す。こちらは本島にあるのだが、カナル・グランデの南に突き出している岬に位置するため、やはりサン・マルコ広場から目に入り、気になっていた。
ヴァポレットの航路に沿ってジューデッカ島の船着き場を3つ経由し、Zattereで下船。教会までは1㎞ほど。いつものように人の流れについて行く。
界隈は小洒落た雰囲気が漂う。


途中、行き止まりになるかと心配になるほどの細~い一本道を抜けると、教会に到着。
白いクーポラがパリはモンマルトルのサクレ・クール寺院を思い出させた。一瞬同時代かと思ったが、こちらのが断然古い【1629年からペストが流行したイタリアでは、2年間で人口の30%が死亡したという。災厄を逃れようと祈りを込めて、聖母マリアに捧げる教会を建立。サルーテ=乾杯ではなく「救済」の意味で名づけられた。埋立地のため地盤がやわらかく工事は難航、半世紀以上かかって17世紀後半に完成。ヴェネチアン・バロックの傑作。毎年11月21日には、ペストの終息と聖母マリアの祝日を祝う祭が催される】。

内部は天井が高く明るい。曇りでこれだから、晴れていればさぞや

主祭壇のマリア様は褐色の肌に深い眼差し。背景の銀細工が美しいコントラストを生み出している。一目で魅了された自分。
3種類のカードが売られていた。手持ちの小銭は€0.4、ハガキ大の代金には一歩届かず。中サイズを買えという思し召しね・・・うちの本棚にお迎えすることにした。


教会真ん前の船着き場サルーテから船に乗る。教会に隣接するプンタ・デッラ・ドガーナ【かつては船の荷揚げ場で、税関だった。17世紀の建造物を建築家の安藤忠雄がリノベーションし、現在は現代美術館として使用。フランスの実業家フランソワ・ピノー氏のコレクションを展示】。

北東のVallaressoに着岸して振り返ると、今しがたまで居たサルーテ教会のシルエット。はあぁ~絵になるわ

船着き場Vallaressoで、空港行きの船がここから出ることを知る。3日前に空港からの便が到着したS.Zaccariaで情報が見当たらないと思ったら・・・
ローマ広場までヴァポレット→バスに乗り換えて空港へ向かうという計画を既に立てていたため予定は変えないことにしたが、結果的にはその選択で問題なかった。ローマ広場には5台のバスが並んでいて、空港行きが難なく見つかった。船と違って、空港の目の前で降ろしてくれるので便利でもあった。

ヴェネツィアの最後はサン・マルコ聖堂で締めくくる。下の画像は南壁、修復中の箇所あり。

今回は別料金が不要の箇所だけ見学した。まずは3日前に見落としたモザイク、「ノアの方舟」と「ペテロと船」を探す。前者はナルテックス【聖堂正面入口と身廊の間に設ける空間】で発見、斬新なモチーフと鮮やかな青色の海が印象的だった。後者はパラ・ドーロに入場しないことには近づけない場所にあるようだった。行列して入場する時間はなかったので、遠方から目を凝らすのみ。心眼に近いもので見た(笑)
2度目の訪問は滞在10分、無償とはいえ慌ただしいことこのうえ無し。そんなわけで、教会内の売店でポストカードすら買う時間なく去った。おすすめのモザイクを紹介できなくて、ごめんなさい

急いで宿へ引き返し、荷物を受け取ってヴァポレットに乗船。見納めのヴェネツィア。
ん~ 晴れてきたなぁ。水墨画のように霧がかってるのも風情あるけど、青空もまた格別だわ


★ 終わりに ★

気に入った場所・国を何度も訪れる、はたまた未知なる場所・国にどんどん足を踏み入れる・・・旅のスタイルは人それぞれだと思うが、自分は後者のようだ。
「またおいでと言いたいけど、次はないのかな。まわり方がそうだもんね」とはスリランカのガイドΩさんの言。見透かされてドキッとしたのを覚えている。
旅の前に色々調べて行きたい場所をピックアップし、漏らさず旅程に組み込んで、現地では目いっぱい楽しむ。帰国後ほどなくすると次なる国に心が向かい・・・これまで39ヵ国を訪れてきた。
しかし、そんな自分が何度となく訪れた国があり、4度のイタリアと中国が同率1位で並ぶ。気の向くまま旅先を決めているので、なぜそうなったのか論理的に説明できないのだが 悩ましいことに()、どちらの国も訪問したい場所がまだまだ浮かんでいるので、いずれ(5)篇をお届けする日が来るかもしれない。

 おしまい 

コメント
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