poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

イタリア(4)篇 その1

2022年11月03日 | ヨーロッパ
4時半に起床してシャワーを浴び、宿に頼んでおいたタクシーで6時に出発。8時半過ぎ、ダブリンを離陸。
せっかくヨーロッパまで足を伸ばしたので、アイルランドの後にどこかへ寄りたいと考えた。いつか訪れたいと思いながらも未踏で、冬でも観光できそうな場所・・・
というわけで、ヴェネツィアへ向かった。自身4度目のイタリア訪問となるので(4)とし、4日間(実質3日)の旅の前半をその1、後半をその2とする。
今回の旅の舞台は下の地図中の➊。ヴェネツィア潟に浮かぶ島々は近距離にあるため、➊に集約しています。


1 (ダブリン) ⇒ヴェネツィア (2018年12月30日)

11時40分、ヴェネツィアに着陸。荷物を受け取った後、船乗り場へ向かう【ヴェネツィアの中心へはバスで行くこともできるが、島の西部ローマ広場で降ろされてしまい、2㎞南東のサン・マルコ広場付近の宿へは水上バス(ヴァポレット)へ乗り継ぎが必要となる。日中とはいえ大きな荷物を持ってウロウロしたくないので、ダイレクトにサン・マルコ広場付近へ連れて行ってくれる船をチョイスした。もしもローマ広場付近の宿であれば、運賃も時間も半分のバスが賢明であろう】。
空港から船乗り場まではしっかり表示があって迷うことはないものの、予想以上に距離があり・・・€15のチケットを買い、人々の群れに交じって乗船したのが13時前。

ひたすら南行する船、景色を見ているだけでも楽しい。

遠くに街がうっすら見えてきた。無数に突き出す木杭はヴェネツィア潟の象徴。

右に目を転じると、いくつもの橋が映る。アーチ橋、絵になるなぁ


正面にサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会とその塔、右端にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会。終点のS.Zaccariaは画像の右斜め外方向にある。

下船し、運河沿いの道を東へ300mほど進む。びっしり並ぶゴンドラに、ヴェネツィアに来たんだなぁと実感。


左折して路地に入り100mほどで広場に出ると、目的の建物は正面にあった【15世紀築のパラッツオ。グリッティー家などの貴族が代々所有してきた邸宅で、40年ほど前から宿として営業。ファサードはゴシック・ビザンティン様式】。あまりにもピッタリと扉が閉じられているので、他に入口があるのかと360度まわってみたものの無い。自分の英語に不安を覚えつつ、意を決してインターホンを押すと開錠してくれた。

恐るおそる扉を開くと、目の前に空間が広がった。玄関 他に選択肢がなく、赤絨毯敷かれた階段をのぼる(以下2枚、撮影は翌朝)。

2階は絢爛豪華な広間。画像左奥の外れにレセプションがあり、自分の部屋は画像中央の扉を開けた所だった。

部屋はめっちゃコンパクト。画像の右手前にクローゼットがあるのみ、奥の扉はトイレ&シャワー。ここって その昔は倉庫か、使用人の部屋だったのかなぁ・・・
お値段はバカ高くもないけど、年末年始だからか安くもなかったのでコスパ的には疑問符 ま、街の中心サン・マルコ広場まで450mの立地は抜群、住めば都っていうしね


14時半にチェックインしたのも束の間、17時に閉まるサン・マルコ聖堂へ急ぐ。
再びサン・マルコ運河沿いの道に出て西へ進みつつ、右側に目をやるといくつもの水路が映る。

左手前の装飾がクリスマスっぽい。

かの有名な溜息の橋【右が16世紀半ばに増設された牢獄。左のドゥカーレ宮殿で有罪判決を受けた者が牢獄へ移送される時に渡る橋で、この世に別れを告げることにちなんで命名されたという。が、有罪即死刑ってわけじゃないので、皆がみな永訣ではなかったんだろうと思う自分はひねくれてる】。


サン・マルコ聖堂の正面。5つの入り口のタンパンの上、半円形の部分には聖マルコの遺体を運ぶ伝説がモザイクで表現されているが、最も古いのは一番左側。
【聖マルコは四福音書の中で最も古く成立したという「マルコによる福音書」を著した。十二弟子のペテロや、パウロの宣教旅行にたびたび同行したとされる。その後、エジプトに渡って布教したマルコは迫害によりA.D70年前後にアレクサンドリアで没したという。3世紀にはその墓の上に教会が建立され、5世紀半ば以降はカルケドン派(のちのギリシャ正教会)がマルコの聖遺骸を管理していたらしい。7世紀前半にアラブ軍がエジプトを征服してまもなく、アラブの水兵がアレクサンドリアの教会からマルコの頭部を盗み出したが、船が出航できない奇跡が発生。積み荷を調べたところ発見された頭部を、一行の将軍は非カルケドン派(のちのコプト正教会)の総主教に渡し、かつ教会建設費を提供したという。こうしてマルコの聖遺骸は別々に保管されることとなった。828年、ヴェネチア商人2名がカルケドン派の教会から聖遺骸をイタリアへ持ち去る。アッバース朝の支配下で大理石の供出を命じられた教会は、いずれ聖遺骸にも累が及ぶのではと危惧しており、高名な聖人の遺物を探し出すブームにあやかりたい商人と利害が一致。なお、税関を通り抜けるためにムスリムが忌み嫌う豚肉でマルコの遺骸を覆って運んだという。それまで聖遺物を持たなかったヴェネチアはビッグネームの聖遺骸を歓喜して迎え入れ、832年に現在の地に聖堂が築かれた。残念ながら、976年に暴動から生じた火災により聖堂は倒壊、まもなく再建が始まる。現存する聖堂は11世紀後半に完成したが12世紀初頭に火災に遭い、以後改修と建て増しを繰り返して今日に至る。サン・マルコ聖堂の代名詞であるモザイクも12世紀初頭の火災以降、断続的に追加されている】

一番左側のモザイクを夕食後に撮影。光線の加減によって、受ける印象がずいぶん異なる。個人的には薄暗い方が好みだが、見づらいのでモザイクのアップは翌朝撮影したものを載せる。

まさにこの聖堂に聖マルコの遺体が運び込まれる場面。中央のイエスのすぐ下、赤い布にくるまれて棺に横たわるのがマルコ。

入場者の行列ができていて いつ入れるのかヒヤリとしたが、100m超の長さのわりに進みは早かった。
自分の思い描く旅程では、まとまった見学時間が取れるのはこの時だけだったため、2時間しか残されていないのに有料券を全て購入。
まずは列に並んで有料の宝物庫とパラ・ドーロを見学したのだが、財宝も金ピカの衝立にもさほど興味が湧いてこず、全くの猫に小判
次に、無料の身廊を歩いてモザイクを見上げた。この聖堂の歴史的経緯から、幅広い時代に制作されたモザイクで壁も天井も埋め尽くされているのだが、個人的には北東廊のモザイクが魅力的に映った。

場所は変わって、中央ドーム周辺のモザイク。先のアイルランドで幾度となく目にしたモチーフ、磔刑。

祭壇側から振り返った角度。

2階のバルコニーに出て南を望むと、美しい空模様だった。クロアチアでもそうだったが、えもいわれぬこの色調・・・我がこよなく愛する欧州の夕景
左のドゥカーレ宮殿には夕陽の残照。

正面の2本の柱にズーム【右はヴェネツィアの守護聖人テオドロス。左は有翼の獅子=聖マルコの象徴。いま柱の上に載っているのはレプリカ、本物はドゥカーレ宮殿内にある】。

先ほど気に入った北東廊のモザイクを2階から眺められる絶好の場所を見つけて心の中で快哉を叫んだものの、いかんせん閉館時刻10分前・・・瞬く間に時間切れ、しぶしぶ退出。予想通り、時間に追われながらまわるという いつもの感じになってしまった 

まっすぐに夕食へ向かう。早い時間だが、混み始めると一人客には敷居が高くなるのではと考え、その前に飛び込むつもりだった。
残念ながらお目当ての店は賄いタイムのようだった。待てば開くのだろうけど この日はあきらめることにして、なんだか愛想の良い呼び込みのお兄ちゃんが立っていた向かいのお店に入った。
グリル野菜(€10)に白ワイン(フリウリ・コッリ・オリエンターリのソーヴィニヨン・ブラン)。はあぁ~ 久々のワイン、最高 会計してみて€25に少々ビックリしたけど、高級化路線をいく銘柄なのでやむなしか

マカロニ(€18)はフンギの旨味にローストしたトマトがバランス良し


宿からサン・マルコ広場までの往路、水などを売っている店が見当たらなかったので、帰りがてら入手。3連泊なので水は1.5ℓ、ワインはフルボトル。
こちらは€12、食料品店で買うと安いわぁ

サン・マルコ広場はまだ人々でにぎわっていた。

闇に浮かぶ溜息の橋。

19時、宿が面する広場まで戻ってきた。運河通り沿いの道は明るく人も多いので、路地に入る道だけ注意すれば何のことはなかった。

燦然たる広間。さすが、ライトの下で一層輝きを放つように設計されている(19枚上の画像と比較してみてください)。


前日はトゥラスでぐっしょり汗をかきながら、夜はアイリッシュ・ダンスのショーで遅くなり洗濯をさぼっていたので、ここぞとばかりに洗う。
が、寒いんだよな~(アイルランドのほうが緯度は高いが、暖流の影響で暖かい) 湿度も高めだし・・・乾くのか心配だなぁ

1 ヴェネツィア ⇒トルチェッロ島 ⇒ブラーノ島 ⇒ムラーノ島 ⇒ヴェネツィア (2018年12月31日)

翌1月1日は閉まっている所が多いので、この日のうちにヴェネツィア潟に浮かぶ島々へ行くことにした。
島めぐりの船が出る乗り場Fond.Nuoveに向かいつつ、郵便局を経由する。北アイルランドで1枚投函したきりなので、友人たちへのハガキに貼る切手をゲットする必要があった。いつものようにサン・マルコ広場に出た後、400m北西を目指す。迷路の街といわれるヴェネツィア、たどり着けずタイムロスも想像していたのだが、地図を見ながら歩いたところ、あっさり到着 日本へのハガキは1枚€2.4とな。

第二の目的地は200m先のリアルト橋【島の中央を蛇行するカナル・グランデにまたがる橋の中で最大、長さ48m・幅22m。13世紀後半に木造で架けられたが、16世紀末に大理石製に替わった】。大学時代、この地を訪れた友人から送られてきたポストカードをふと思い出した。

橋の上には土産物屋がひしめき、思った以上の観光スポット感に気圧される。橋の上から西側を望むと、いつだかカレンダーの写真で見かけたような風景が広がっていた。定番のアングルなんだろうけど、安定した美しさがいい


600m北北東の船着き場へ向かいながら通りすがる細い路地、ふと横に目をやると なんとも美しい。海辺で育ったので基本的に水のある風景が好みなんだろうけど、それにしても・・・バシバシとシャッターを切り、どんな人をも写真家にしてしまうヴェネツィア・マジックに酔いしれる



迷わずたどり着くと、1時間に3本の便がもうすぐ来るではないか、ラッキー そこで人々の動きを観察していると、乗船前に紙のカードらしきものを機械にタッチしている。が、見渡せる範囲には売っていない。買わずに乗るか?・・・いや、不正乗車を疑われたらマズイ 
珍しく急速回転する脳が、前日に空港からの道すがら見かけた光景を思い出させた、このFond.Nuoveには波止場が2つ並んでいたと。もう一方で券を売ってるのかも 昨日の感じからして船はわりと定刻・・・あと3分しかない アーチ橋を上り下りして数十m、やはり券売機と窓口があった。並んでいない自販機を迷わず選ぶ。1日券は€20、これでいいのか確信はないが、迷っている時間はない。財布には€50札しかないが、受け付けてくれず返ってくる・・・やむを得ず腰の内側に巻いていた財布から€20札を取り出して購入、ダッシュで元いた波止場へ戻る。なんとか乗れたけど綱渡りだった、ふぅ
こんなドタバタで乗れば座れるはずもなく、40分以上デッキに立つ羽目に 手袋ははめたけど、マフラーを宿に置いてきて手元にない。アイルランドが予想以上に暖かかったから、ここぞの活躍タイムだったのになぁ~ 島に着く頃には冷え切っていた。それでも体調をくずすことはなかったので、身体が丈夫でホント良かったと思う
ヴェネツィアを後にして進む。

15分ほどでムラーノ島が見えてきた。ここで下船する人も多かったが、通り過ぎてさらに北東のブラーノ島へ向かう。

更に30分経過、ブラーノ島へ到着。そのまま観光へ向かう人々を尻目に、トルチェッロ島行きの船に乗り換える。10分と待たず乗船できた。画像の右後方がブラーノ島。


5分ほどでトルチェッロ島に到着【潟に浮かぶ島々の中で最も古くから人々が住み始めたため、ここがヴェネツィア発祥の地といわれる。5~6世紀、異民族の襲撃を逃れるため人々が移住し、交易の中心として地中海に名を轟かせた。11世紀前半に最盛期を迎えたが、12世紀に交易の中心がヴェネツィア本島に移り、14世紀のペスト流行で人口が激減】。

港から大聖堂へ続く一本道にはのんびりとした時間が流れていた。ひなたぼっこする猫、その後方には鳩もいる。

静寂に満ちている・・・サン・マルコ広場周辺の喧騒とは好対照。

悪魔の橋。好奇心に勝てず、おっかなびっくり のぼってみた【ネーミングの由来として、前日になかったものが一夜にして完成していた説、この橋を境に淡水と海水が分かれる説などがある。なお、面白いデザインの橋だなと思ったが、欄干がないこのタイプが昔ながらのスタイルなんだそうだ】

お目当てのサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂。残念ながらファサードは工事中だった【639年に創建、11世紀前半に改築。ヴェネツィア最古の教会】。

内部は撮影禁止だったので、購入したポストカードを載せる。まずは祭壇に向かって遠景。

アプシスを彩る聖母子のモザイク、これを見たくてやって来た 上の画像では、磔刑の彫像に隠れてしまっているけど
厳しい面持ちで正面を見すえるマリア様は、典型的なビザンツ様式という(11世紀末の制作)。

祭壇と向かい合う西壁は全面がモザイク【一番上が磔刑、2段目が冥府降下、3段目以下が最後の審判。一部に20世紀初頭の修復の手が入っているものの、ほとんどが12世紀の作品という】。

大聖堂の回廊は木の屋根と梁が美しい。壁面にはフレスコ画の痕跡も。

大聖堂の南にはサンタ・フォスカ教会が隣接しており、回廊でつながれている。

外観はこんな感じ【11世紀築】。こちらも内部撮影は禁止だったが、モザイクは残されていなかった。

小1時間過ごし、来た道を戻った。トルチェッロ島から眺めるブラーノ島。


12時15分、再びブラーノ島に上陸。特に地図を見ることもなく、人の流れについていく。何時の船に乗らなきゃ、何時までにヴェネツィアに戻らなきゃ、とか一切無い。
う~ん、自由な旅っていいわぁ

この島は色鮮やかな家並みと、漁網から発達したレース編みで有名である。

窓辺にはクリスマスを意識した置き物、可愛い

漁師が濃霧の中で自分の家を見失わないように彩色したのが始まりという。

橋の上でボーッとしていたら、中国人と思われる旅行者に写真を撮ってほしいと頼まれた。さては、同胞と間違えたに違いない 
すかさず自分の写真もお願いした。一人旅のマイポートレートは助け合い

遠くに教会の尖塔が見えるこの通りが島のメインストリート、と思ったら早とちりだった

通りを南下しながら ふと後ろを振り返ると、これまたサマになる景色。

近づいてみても、鉛筆のように細長い塔だった。

なんだかステキなお店を発見。庇の上に寝そべるサンタクロースがなんともいい

窓や扉のガラスにも絵を描き、一体化したアート作品になっている。お洒落~

レースを売るお店。

ヴェネツィアの象徴、仮面も売られていた。

サン・マルティーノ教会は閉まっていた。

教会東側の水路周辺をブラブラする。

振り返ると、尖塔が傾いてないか 気のせいなんだろうか・・・

最後に土産物を物色しながら、船着き場へ向かう。お店の建ち並ぶ大通りだが、脇道もあったりする。

船乗り場の近くで売られていた魚介のフリットが目に留まる。朝食から5時間、そろそろ空腹を感じていたが、後ろ髪引かれつつ乗船の列に並ぶ。かくして、1日2食の旅がアイルランドから継続中なのだった

20分ほどでムラーノ島に到着(画像は朝通り過ぎた時に撮影)、時刻は14時15分。

街はずれの船着き場Faroでヴァポレットを降ろされた。これまた人の流れについて行き、運河沿いに北上。

運河の角にぶつかったところで左折。

しばらく進むと、サント・ステファノ広場に到着。画像左がサン・ピエトロ・マルティーレ教会。

広場周辺はかなりにぎわっていた。看板を出しているお店のバジル味のトロフィエ【リグーリア州生まれ、小麦粉と水を手のひらでこすり合わせてつくる3~5cmのショートパスタ】美味しそう 
が、ともかくトイレに行きたいので、運河をはさんで対岸のガラス博物館へ急ぐ。
カナル・グランデ・ディ・ムラーノに架かる橋の上から眺めるサント・ステファノ広場。絵になるわぁ~

道端にはガラス製品を売るお店が建ち並ぶ。ちょっとしたお土産物から、本格的で高級そうなものまでピンキリ。魅かれつつ、後で戻って来ようと心に決めて前へ進む。冷えがちな冬のトイレタイム確保は死活問題なのだ

ガラス博物館でキレイなトイレにありつく、ふぅ そして展示や解説を見て、14~17世紀がヴェネツィアガラスの黄金期と知った。
館内の自販機でエスプレッソ(€1)を買い、ソファーに座ってしばし休憩。

やおら100m北のサンティ・マリア・エ・ドナート教会へ【7世紀創建といわれるが、現存の教会は12世紀前半にロマネスク様式で建てられた。トルチェッロ島が衰退していくなか、17世紀末にサンタ・マリア・アッスンタ教会からこの教会に司教座が移った】。

ファサードはいたってシンプル。

扉を開くと盛大なパイプオルガンの音色 最初はCDでも流していると思っていたが、所々止まるので どうやら練習しているらしい。見まわす限りオルガンが見当たらなかったけど・・・一体どこにあったんだろう
正面のクーポラにマリア様(モザイク)がいらっしゃった。出発前に読んだ本ではトルチェッロ島のそれにばかり言及されていたけど、こちらにもおわした・・・予想してなかったので、ちょっと驚いたが嬉しい。説明書きを読むと、トルチェッロ島のとほぼ同時期の作品らしい。正面を向いて一歩踏み出しているスタイルは共通しているが、こちらは幼子イエスを抱えていない。写真撮影禁止、そしてポストカードなど売っていなかったので、画像で比較していただくことができず残念
こちらの教会、アプシスの外壁が創建当初の名残をとどめていて とても美しい。

教会の南東に架かる橋から運河を眺める。

ガラス製品を買うべくショップをはしご。陳列されているものがイタリア製とは限らないとガイドブックが注意喚起していたので、入念にチェックしながら友人たちへのお土産を購入。自分用には、実益を兼ねてワイン栓をチョイス

買い物を終えると、日が暮れ始めていた。画像左の塔は、最初に通り過ぎたサン・ピエトロ・マルティーレ教会の。

南東の方角を望む。

さらにウィンドウ・ショッピングを続けるうち、すっかり夜に(画像は1枚上とほぼ同じ場所)。
1日の最後というのもあり、予想以上にムラーノ島に長居してしまった。3時間半くらい過ごした計算になる。


ヴァポレットでとっぷり暮れた潟を進み、おなじみのサン・ザッカリアに帰着。時刻は18時15分、混む前に夕食へ向かう。
サン・マルコ広場の夜景、右手がサン・マルコ聖堂。

前夜は賄いタイムになってて断念したトラットリア、再訪したらすんなり入れた。とはいえ入り口脇の席に自分が着席して満員になり、その後もひっきりなしに客が出入り。自分が退出する際には外に長~い行列ができていた・・・ものすごいタイミングで席をゲットしたんだわ、ラッキー
野菜の前菜。ワインは銘柄不明なれど、500mlのデキャンタを注文。左端のはワインボトルじゃなくてオリーブオイルですよ、念のため

ヴェネト州の郷土料理、Bigoli in salsa【ビゴリとは太めの長い手打ち麺。玉ねぎと塩漬けのアンチョビをニンニクとオリーブオイルでじっくり炒めたソースをかけたパスタ料理】。これを食べたかったのぉ

昼間に涙をのんだフリット(エビ・イカ)も楽しむ。しめて€46.4也。
念のため、扉の外の子どもは心霊現象ではないですよ~ 待ちきれなくて中を覗いてます

大晦日の人ごみを掻き分けながらホテルへ戻る。夜の運河も風情あり。


20時前にホテルに戻り、洗濯→入浴。日付が変わる少し前、爆音で起こされた。新年カウントダウンの打ち上げ花火
冬のヴェネツィアはオフシーズンと思いきや年末年始は例外のようで、予想以上に人・人・人でにぎやかなのだった。

★ 中締め ★

ヴェネツィア篇をひとつの記事にまとめるつもりが、字数オーバーになりそうなので2つに分けることにしました。
次回はヴェローナへの日帰り旅をメインにお届けします
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