poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

インド篇(2)その2

2020年10月11日 | アジア
波乱含みの旅の後半、スタートです。
下の地図中の①は旅の前半で、➋~➎は旅の後半で訪れた場所です。なお、2~5の数字は後の下線部の数字と対応しています。


1・2・3 パナジ ⇒ベンガルール ⇒サリム (2014年12月29日)

就寝後3時間ほどで起床し、午前1時にタクシーでホテルを出発。
空港に着いたところで、乗るべき国内線(α社/ベンガルール行き)のdelayが即座に判明 突然の事態に狼狽している他の人々と同様にカウンターに行列し、自分たちの行程を告げて対応をたずねたところ、ひとまずベンガルールまで飛んで同日13時半発の同社便トリヴァンドラム行きに振り替えられるかをmanagerに相談せよとのことだった。
というわけで、遅れてやって来る機体を空港で待つことになった。友人あてに絵ハガキを書き、日記を書き・・・朝食も摂っておこうというわけで、サモサ【インドの軽食。ゆでてつぶしたジャガイモに玉ねぎ・豆・挽肉等を加え、クミン・コリアンダーシード・ターメリック等の香辛料で味付けし、小麦粉を主体とした皮で包んで揚げたもの。三角錐に整形することが多い】とコーヒーを口にする(画像が残っていなくて残念)。

結局、当初の予定より4時間遅れて8時20分にゴアを発った。明け方のはずが、すっかり朝を迎えている。

9時半にベンガルールに到着したら、当初乗り継ぐ予定だったβ社の便(トリヴァンドラム行き)はタッチの差で飛びたっていた 国内線の乗り継ぎとしては十分な4時間をとっていたので、不運としか言いようがない。
頭を切り替えてα社のカウンターに並ぶが、複数の窓口でたらいまわしにされ1時間半が経過 ようやく対応してくれた職員にゴア空港で伝えられた内容を告げたところ、お目当ての便は満席と判明。α社に責のある事態なので、いかに無償で弁済してもらえるか尋ねると、トリヴァンドラムへ行くには翌日以降の便になると
私たちの予定では、この日にカニャークマリに1泊して翌朝 日の出を見届け、すぐにコーチンへ列車で向かうつもりだった。なんという事態だ
さて、どうするか・・・Cちゃんと作戦会議。
α社による無償弁済にこだわり、翌日までこの地に留まるという選択肢は私たちにはなかった。物価が安いのもあるが、自腹で代替手段を講じてとにかく先へ進もうと思った。カニャークマリをあきらめて、一気にコーチンへ向かうことも考えなかった。
が、共通していたのはここまで。残念ながら、以降は意見が割れてしまう・・・

私は同日20時発のLCCでトリヴァンドラムへ飛ぶのがベストだと思った。費用は約1万円。
一方、Cちゃんは列車かバスで進むことを主張。9時間も空港から出ずにジッとしていたくないと。
今回の旅で、各地のホテルや国内線の予約をしてくれたのはCちゃんだった。結果的にはゴア⇒ベンガルール⇒トリヴァンドラムの空路を選んだけど、列車も検討してくれていた。ゆえに、夕方に着くexpressがあるはずなので、今駅に向かえば間に合うという。
私は反対した。
乗りたい列車が空いている保証はないこと(←カニャークマリは巡礼地)、次の列車がexpressでない場合は時間がかかること、地図を見る限りバスでも相当時間がかかるので夜に飛行機で飛ぶのと到着時間に差はないことを挙げた。
お互いに譲ることができず、ひとまず第三者の意見を聞くことにした。
空港のインフォメーションデスクの方曰く、900kmあるのでバスは現実的ではない、飛行機で向かうべきだと。
空港を一度出たら、航空券なしで入ることはできない。鉄道駅に行って列車の状況を確認し、ダメだったら戻って来ることは不可能だった。
そして、空港を出るのを渋る私に、Cちゃんは「じゃあ、別行動する?」と提案。

その瞬間、私の心は決まった。困難に直面して別行動するくらいなら、一緒に旅に来た意味がない。楽しいことだけ分かち合うのが旅じゃない・・・はず。
11時半前、私たちは空港を出てタクシーで鉄道駅へ向かった。
Cちゃんが推していた列車の出発前にバンガロール・シティ駅に着いたが、結果は満席。窓口の方によると、次に早く着くのは夜行(翌朝着)だった。
というわけで、バスを探すことにする。鉄道駅から歩いて数分のバススタンドのenquiryで、まずシャンティーナガル(ガイドブックでいう「サテライト・バススタンド」と思われる)まで行かなければ長距離バス便は無いと教えてもらった。
駅前のシティ・バスステーションからシャンティーナガル行きのバスに乗り、20分。降りてまずはマドゥライ行きのバスを探し、その先は乗り継ぐつもりでいたら、偶然にもナガルコイル行きの高速バス(Kanyakumari Express)を発見。即乗車 

今振り返ってみても、バスに方針を切り替えた後の動きはスムーズだったし、カニャークマリまで最も近いバス停まで運んでくれるベストのバスに巡り合えたのは幸運だった
・・・が、日本の9倍の面積を誇るインド。乗れたことに安心してのんびり座っている場合ではなかったのだ。
走り始めて30分経った頃、目的地到着はfive o'clockと車掌から聞く。
が、18時を過ぎても到着しない。18時半に休憩に入り、出発は19時50分と耳にしてCちゃんが周囲の人に聞いてまわった結果、翌朝5時着と判明。
その時居た場所はSalem。手元の地図には表記されておらず、目的地までの距離が不明・・・
たむろしていたタクシードライバーに尋ねると、ナガルコイルまでは7時間、タクシーで1万ルピーかかるという。さらにCちゃんは別の人にグー〇ルで調べてもらい、500km以上あることを知ってようやく納得した。
タクシー代を捻出できないわけじゃないけど、深夜に着いたところで予約していたホテルには入れてもらえないだろう。もはや、この夜行バスで進むしかないのだ。

行く末がはっきりとして、かえって頭はクリアになった。
腹が減っては・・・と居直り、バススタンドの食堂で夕食をとる。ドーサ【米と豆を吸水させた後ペースト状にすりつぶし、泡が出るまで発酵させた生地を熱した鉄板で薄く伸ばして焼く。クレープ状】が南インドらしい。

こーいう時は飲むに限ると、ゴアで買っておいたワインを開ける。銘柄はヴァスコ・ダ・ガマ ポートのような、樽香の強い甘い赤(画像は翌日夜に撮影したもの)。
あれこれ予定外だった本日に乾杯
Cちゃんと私はこの一件を「サリムの変」と呼び、笑い話になっている


4・5 カニャークマリ ⇒コーチン (2014年12月30日)

寝酒して、バスのクラクションに時折眠りを覚まされながら、午前4時半にナガルコイル【カニャークマリの25㎞北西】に到着。予定より30分早かったな~
私たちと共に降りた人たちはいつの間にか消えていった。バス・スタンドにタクシーがいるのではと期待していたが、見当たらず 
当然ながら辺りは暗い・・・これは明るくなるまで待つしかないのかと半ばあきらめムードでいたら、ジュース売りの少年がどこからかタクシーを探してきてくれて、ドライバーと交渉(バックミラーに十字架が掛かっていた。クリスチャンなんだろうか)。9時25分発の急行列車でコーチンへ発つことになっていたので、カニャークマリまで行って観光のあいだ待機し、ナガルコイル駅に送り届けてほしいと伝えた。が、待機は難しいと却下されてしまった。まぁ仕方ない、この状況でとりあえずカニャークマリまで運んでもらえるだけで御の字だ
ところが道すがら何を思い直したのか、希望通りにしてもらえることになった。なんてラッキー

5時20分、カニャークマリに到着。日の出を拝もうと、岬を目指す。まだ暗い中にも関わらず、インド人の参拝客でごった返していた【アラビア海・インド洋・ベンガル湾、3つの海が合流するこの場所はヒンドゥー教徒にとって聖地。日の出と日没には太陽を仰ぎながら沐浴する】。遠く海に立つ像はティルヴァッルヴァル(古代タミルの詩人)。
結局、小1時間待って6時15分ころ夜が明けた。あいにくの曇天で朝日は拝めなかった、残念 ま、インドの最南端に来られただけで満足 下の写真は待っている間に撮ったもの。




その後、クマリ・アンマン寺院を訪れたが、撮影禁止のため画像は一切なし。古くから聖地とされているだけあってお寺は古そうで、そして内部は迷路のように複雑な順路だった
目の前のガンディー記念堂にも行く。シンボリックな糸車。不勉強な自分、ここからガンディーの遺灰が流されたことを初めて知った(ちなみに、ここ以外に南アフリカなど他の複数の場所からも流したらしい)。

先ほどまで自分たちが居た喧騒を第三者的に見下ろす。参道を埋め尽くすような出店に、人・人・人・・・

道沿いの食堂で朝食をとる。店先に飾ってあった写真では、バナナの葉の上に料理がのっていたのだが・・・観光地あるあるだな
ドーナツ状のがワダ【水に漬けた豆またはジャガイモをペースト状にし味をつけて揚げる】、2度目のインドにして初めて口にした。器に入っているのはサンバル【豆と野菜を煮込んで作るスープカレー】、その右の白いのはココナッツのチャツネ、いずれも南インドの定番。

ドライバーさんとは8時に待ち合わせているので、余った時間は海岸沿いに歩く。先ほどの岬がずいぶん遠くなった。ガートで沐浴する人々が豆粒のように見える。
けっこう波が荒いんだよな~ 海の合流点、突端なんだから当然か。


8時45分、ナガルコイル駅に到着。小さな改札があるのみ、ごくシンプル。野ざらしのホームでHapa Expressを待つ。
乗り込んだエアコンなし3等列車の中はこんな感じ。椅子にも寝台にもなる仕様。


窓の外にはヤシの木が生い茂る。圧巻

途中停車した駅にて。向かい側にとまっている列車は見た感じ、同じタイプのようだ。

車窓いっぱいに広がる水田。あぁ、南インドは米食なんだと実感する。
雨上がりのようで、うっすら虹のような模様も。

15時、エルナクラム駅に到着。30分ほど遅れたが、この国の鉄道あるあるの範疇。
ローカルの方々と共に揺られながら5時間半、本当に楽しい道中だった。やっぱり乗ってよかったぁ
今回、鉄道をリクエストしたのは私。初インド旅では乗らなかったので、是非にと思っていた。
私の思いを汲んで、Cちゃんはネットを通じて座席を予約しようと懸命に努力してくれたのだが、かなり難しかった模様。それでも私は諦めたくない執念で、インド現地の業者で日本語サイトを持つ旅行社を探し当て、ようやく乗車にこぎつけた

今夜の宿はフォート・コーチンにあるので、駅を出て船の出るメイン・ジェッティーへ向かう【コーチンはいくつかのパートから成る。交通の中心地で、バスや鉄道で旅人が最初にたどり着く内陸の(1)エルナクラム、その対岸に横たわる人工の(2)ウィリンドン島、60数㎞南のアレッピー付近から伸びてきている半島部の北端(3)フォート・コーチン、その北部に浮かぶ(4)島々(ヴァイピーン島、ヴァラルパダム島、ボルガッティ―島)。(2)~(4)いずれも橋で(1)とつながっておりバス便もあるが、船のほうが断然速い】。

船から眺める光景。対岸のビルや橋が霞んでいる。

水辺の建物はコロニアル風。


4㎞対岸のカスタム・ジェッティーへは20分で到着。トゥクトゥクをつかまえ、Cちゃんが予約しておいてくれたゲスト・ハウスを目指す。サンタ・クルス聖堂横の分かりやすい立地だった。下の画像は、部屋のベランダ越しに見る聖堂(撮影は翌朝)。


17時過ぎに宿を出て浜辺へ行く。夕景に映えるチャイニーズ・フィッシング・ネット【マカオのポルトガル人が伝えた漁法で、網を海に沈めて引き揚げる】。
コーチンいやケーララ州の風物詩。

夕食の前に、カタカリを鑑賞【ケーララ州の古典舞踊で、コーチンが本場。顔の筋肉や指先の動きで感情を表現するパントマイム。本来は、ヒンドゥー寺院内で男性のみが踊るものだった(女性役も男性が演じる)。伝統的な衣装に、歌舞伎に負けず劣らずのド派手なメイクを施している】。なぜ撮影してないんだろう・・・画像がなくて残念
カタカリはメイクをするところから観客に公開してくれる。ちなみに、この記事を書くにあたり調べたら、赤い目の役を演じる際にはスパイスを目に入れて充血させるんだそうだ・・・根性スゴイ
私たちは劇の開始に合わせて行ったので、1階席はほとんど埋まっていた。良い席にこだわるなら、早く行った方がよいかも。
しかし、言葉の壁がない表現っていいね~ 外国人にはありがたい 

フォート・コーチンの見所は500m四方に収まっているので、徒歩でフラフラできるのがありがたい。再び海辺へ北上して、お洒落な雰囲気のレストラン・バーにて夕食
前夜とのギャップの甚だしさったら
備忘録によるとイカ料理に、スペシャリテのエビ料理を注文し、ビールとワインを楽しんだようだが、画像が一切ない。シラーズとカベルネ・ソ―ヴィニヨン、葡萄品種は記録しているのに・・・
ゴメンナサイ

5 コーチン (⇒シンガポールへ出国) (2014年12月31日)   

7時過ぎに宿を出て、浜辺へ向かう。ここ何度か、Cちゃんと旅に出た時はフラを踊って動画を撮影してもらっている。一人旅ではできないこと、ありがたい
その道中で見かけた野良ヤギ 早朝で交通量の少ない道路を堂々とのし歩いている。


既に漁が始まっている。

奥のチャイニーズ・フィッシング・ネット、45度くらい傾斜している柱に軽々と乗っている・・・スゴイ

売られているお魚は大小さまざま。


宿へ戻りつつ、朝食がとれる場所を探す。泊まっているゲスト・ハウスは家族経営でこじんまりしていて、食事を提供しないタイプ。
開いたばかりのような食堂に飛び込み、マサラ・オムレツとマサラ・ティーの朝食。


ホテルに戻って荷造りし、チェックアウト後も荷物を預かってもらう。
Cちゃんは13時過ぎに、私は19時前に空港へ向かうことになっていた(2007年、最初の旅から何回かは往復とも同じ飛行機に乗っていたのだが、出国・帰国の日程を合わせる煩雑さを避け、現地集合・解散パターンが定着してきた)。
ひとまず郵便局に行って切手を入手、既に書き終えているハガキを投函する。Cちゃんも私もハガキ魔、旅先から友人たちに送るわ送るわ

その後、目と鼻の先の聖フランシス教会へ。むむっ 写真で見たのより小綺麗になっている・・・外壁を塗り直したらしい。

1524年、ヴァスコ・ダ・ガマはこの教会に葬られた。その墓石がこちら。

説明のパネルもあった。遺体はその後掘り出され、現在はリスボンのジェロニモス修道院に収められている、と。
2008年、Cちゃんとスペイン・ポルトガルを訪れた際に件の修道院にも寄った。私たちはガマを追いかけているわけではないが、ザビエルの足跡を辿ること=ポルトガルの航路をなぞることになるので、必然的にこうなってしまう(笑)
ともあれ、アラビア海に直に面するこの辺りがコーチンの中心として大航海時代には栄えていたんだなぁ~

ちなみに、教会の正面祭壇は修復中らしく、味気ない緑のシートが掛けられていた。
入口を振り返ると、こんな感じ。天井から下がっているのはクリスマスの装飾だろう。


さて・・・次はどうするか。時刻は11時、あと2時間で何をしよう
たたずむ私たちに声をかけてきたトゥクトゥクに乗り、2時間でマッタンチェリー地区を巡ってもらうことにした【マッタンチェリーはフォート・コーチンの南東2㎞に位置する。かつて香辛料貿易に従事するユダヤ人が住みついて繁栄した】。歩いて往復するには時間もないし、渡りに船・・・いや、車か

最初に案内されたのは、洗濯場。各ブースの中で作業に打ち込んでいる。

こちらではアイロンかけ中。

このアイロン、中で石炭らしきものが燃えている。鉄製? 重くて全然持ち上がらなかった

庭に整然と干されている。


次はヒンドゥー寺院と思われる場所へ。池の中の祠に神様が祀られているようだ。

付近で偶然見かけた教会、地図には載っておらず名前が不明。目にも鮮やかな白壁が美しい。


立ち並ぶスパイス・マーケットのうちのひとつへ。下の画像、トゥクトゥクの前の楕円形の入口を奥へ向かう。

作業中の様子。腰に相当負担がかかりそう


最後はマッタンチェリー宮殿【1555年、コーチンの藩王のために建てられた。コーチンがポルトガルからオランダの支配下に替わると、総督邸となった】。
撮影禁止なので、画像はなし。せめて外観の写真でもあればよかったのに・・・ごめんなさい
当時の家具が残っていたほか、ヒンドゥー教と細密画が融合したような壁画に目を奪われた。

13時過ぎ、フォート・コーチンに戻ってCちゃんを見送った。
15時からアーユルヴェーダを予約していたので、それまでお土産を探したり、カフェで友人へのハガキを書いたりして過ごす。
そして、ふと思い立ってサンタ・クルス聖堂へ入った。宿の目の前にあり、何度も通り過ぎるうちに妙な愛着が湧いてしまった・・・
手前の赤い星々はクリスマス仕様と思われる。

祭壇に向かっての眺め。木組みの天井は白く塗られている。側廊とを隔てるアーチ状の壁には黄色いタイルが使用されており、明るくて南国らしい雰囲気
雪のように見える白く小さい円形状のものは電球。夜はさぞ明るいのだろう。

祭壇まわりに電飾、ミャンマーのお寺でもこんな感じのあったなぁ。宗教は違えど・・・

側廊には高さ数十cmの聖像が集められていた。
その中央で十字架を掲げるのはザビエル様 この旅で数々お見かけした中、これが最後となった。


15時過ぎ、サロンの方がホテルへ迎えに来てくれた。宿からメッチャ近いのだが、そういう約束になっていた。
入ってすぐの待合室には棚が並んでいた。その中には薬品の瓶がギッシリ。
イエスの肖像画が掛かっている・・・ということは、こちらの方はクリスチャンなんだな。

アーユルヴェーダとはサンスクリットの複合語で、直訳すると「生命科学」。5000年ほどの歴史を持つインド・スリランカの伝統医療。2011年にスリランカで体験して、結構気に入った
ボディーマッサージ50分間に加えて、シロダーラ【薬草などから作られるオイル(体温より少し高めの温度)を眉間に一定量垂らし続ける療法。中枢神経系の深いリラックスをもたらし、ストレスの回復や免疫力強化に効果があるとされる】の施術を終え、約2時間後にサロンを後にした。
旅の最後に疲れがとれたぁ 

出発まで時間も残りわずか。最後の食事をとる。
これまでチョイスしてこなかったフィッシュ・カレーに食指が動く。が、残金が少なくて注文できなかった ああぁ~
というわけで、エッグのビリヤーニ【スパイスと肉・魚・卵・野菜などからつくる米料理】。上に乗ってるのはパパド【豆粉をこねて伸ばし天日干しして揚げた極薄の煎餅。パリパリの食感、スパイシーで塩気の強い味わい】、手前のライタ【塩味のヨーグルトソース】はさっぱりしてて美味


18時半過ぎ、荷物を取りにゲスト・ハウスへ戻ると誰もいない 戻る時間は伝えてあったんだけど、通じてなかったんだろうか・・・
荷物がないことには、どうしようもない。迫り来るバスの時間を気にしつつ、まんじりともせず待つ。
7分後、旦那さんが自転車で帰宅。ホッ
幸い、空港行きのバスが停まるバススタンドは宿から近い。結果的に、予定していた時刻よりも早くバス停に到着できた。
が・・・待てども待てどもバスが来ない
55分待ったが、飛行機のチェックイン時刻から逆算してもはや限界。バスをあきらめるしかなかった
バス代ギリギリしか現金を残していなかったので、前日行った両替所へ向かい手持ちのルピーを増やした後、交通量の多い所へ戻ってタクシーをつかまえようとする。
が、なぜだかタクシーが通らない。バスにせよタクシーにせよ、大晦日だからだろうか さらに過ぎゆく時間に焦るばかり・・・
意を決し、道端で交通整理をしていた警察官に声をかけて事情を説明すると、トゥクトゥクに交渉してくれた。
空港は遠すぎる、エルナクラムまでと当初言っていたドライバーだったが、最終的には意を翻して空港まで運んでくれた。
目の前のツーリスト・ジェッティーから出るフェリーでヴァイピーン島へ渡り【フォート・コーチンとの間には橋が架かっていない】、3つの島を貫く橋を渡っていく。離陸時刻を伝えたら、あまり時間がないのだろう、一所懸命アクセルをふかすドライバー。そうだよね、40㎞の距離はトゥクトゥクには遠すぎるよね。それなのに、引き受けてくれて本当にありがとう
ボルガッティー島と本土をつなぐ橋の上から薄暗い海のシルエットを眺めつつ、New Yearの花火を遠目に、時差3時間半の日本でそろそろ新年が明けたことを意識しながら、実に穏やかで満ち足りた心持ちでこの旅に別れを告げた。

★ 終わりに ★

振り返ってみて、つくづく他者に救われた旅だったと思う。
旅の前半、ビーチからパナジへ向かうバスが来なかった時、シェアに応じてタクシーを呼んで来てくれたタイ人女性。
明け方のバススタンドで途方に暮れた時、タクシーを探して来てくれたジュース売りの少年。
同じくナガルコイルで、一旦は片道乗車としつつも思い直してリクエスト通りaroundにしてくれたタクシードライバー。
空港行きバスもタクシーも来ず困って声をかけたら、トゥクトゥクに交渉してくれた警察官。
最初はエルナクラムまでと言っていたにもかかわらず、翻意して空港まで精いっぱい急いでくれたトゥクトゥクのドライバー。おそらくは年末の家族の時間を犠牲にし、あまり詳しくないであろう本土の空港まで運んでくれて、「5分早かっただろ?!」と得意げに笑ってたね。
皆みんな・・・感謝の念に尽きない

実は2000年の初インド旅の時も、途中でアクシデントに見舞われている。同行者が体調をくずしてホテルでの休養を余儀なくされたため、予定していた旅程の一部を変更した。もちろん、入院するほど重症化しなかったのは不幸中の幸いだった。
そして、国内線遅れに端を発する今回のトラブル。カニャークマリ観光の辺りから予定通りの動きに復帰できたが、その間まる1日は全く想定外の行動だった・・・
細かいことを挙げるならば、夏な気温のインドから真冬の日本に帰国するため、コーチンの空港に着いてトイレで着替えたり荷物を入れ替えたりしていたら、チェックインできたのは離陸の1時間半前。もしもオーバーブッキングだったらと思うと、冷や汗モノ 
最後の最後まで、決して安心させてくれないインド。
にもかかわらず、既に3度目を思い描いている自分がいる。
きっと次も ただではすまないんだろーな・・・それでも、訪れたいと思わずにはいられない。
恐ろしいほど奥深いインドにすっかり魅せられてしまっている
 おしまい 






































































コメント
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