poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

アルゼンチン・パラグアイ・ウルグアイ篇 その1

2020年12月13日 | 南米
前年の秋、離婚して人生にひと区切り。仕事の合間、春先には旅に出ようと思い立つ。
旅先はどこでもよかった。モアイに会いに行こうとぼんやり思い描き、南米のガイドブックを読んでいたところ、アルゼンチンのぺリト・モレノ氷河の写真に魅かれた。雪って青いんだなぁ 
年間でほとんど降らない地域に珍しく雪の降った日に生まれた自分。こーいう時は原点回帰もいいな、そうして10年ぶりの南アメリカ大陸行きが決まった。
下の地図中➊~➍は旅の前半で訪れた場所です。また、あとの下線部の数字とも対応しています。


1 (アトランタ経由) ⇒ブエノス・アイレス ⇒ポサーダス (2012年3月27日)

成田からアトランタまで12時間、乗り継ぎで5時間待たされ、アルゼンチンまでさらに10時間。3月26日15時40分に成田を飛びたって、3月27日朝8時10分にブエノス・アイレスへ到着。時差12時間なので、ゆうに24時間を超える長旅。さすが地球のほぼ裏側、遠いなぁ~
隣席が巨漢という不運に見舞われ、アメリカからの機内ではうつらうつら眠った。寝ぼけていたのだろう、入国審査で到着便名を聞かれているのに、turismo(観光)と答える始末 でもオランダほど厳しくないらしく、あっさりと通してもらえた。ラッキー

明るい時分の到着とはいえ、アルゼンチンの治安がどんなものか不安だったため、空港出迎えをお願いしておいた。コーディネーターのLさんと無事に出会えて、国内線の空港に向かう。この日は、昼間にブエノス・アイレスをフリーで観光した後、夕方の便でアルゼンチン北部のポサーダスに飛ぶことになっていた。国際線の空港と国内線のそれは異なるので、移動しなければならない。
スーツケースを空港に預けて市内観光に出かけるつもりだったが、預かり所がないと判明 ポサーダスに向かう便のチェックインには早すぎるが、Lさんに頼んでダメもとで航空会社に交渉してもらう。が、やはりダメだった 
Lさんは自分の家に預けることを提案してくれたが、タクシーで個人宅を探し当てるのは難易度高そうと判断し、結局スーツケースを引きずりながら市内観光することを決断。初めてだよ、こんなの 治安が怪しいカミニート行くのに。しかも、出国以来ベッドで寝てないコンディション・・・無事に終わりますよーに

まず、タクシーでレコレータ墓地【1882年開設、最古であり最も由緒ある墓地。150m四方の中に6,400の納骨堂がある。歴代大統領のほか、有名人の墓も多い】へ。
舗装が割と良くて、スーツケースを引っ張りやすかった。が、ガラガラという音は如何ともしがたく 静かに眠られている方々の傍を音たてて歩きまわり・・・故人に申し訳ない気持ちが募った。
敷地内にはギッシリお墓が並んでいる。

ひとまず、エビータのお墓を目指す。迷いそうだと思ったが、何となく人の流れについて行き、人だかりしていたのがお目当ての場所だった。
黒光りする御影石、高級感あふれる外観。ミュージカルや映画に詳しくもない自分は完全におのぼりさん、単なる好奇心の訪問だった【エビータ =アルゼンチンの大統領フアン・ドゥアルテ・ペロンの妻で、本名マリア・エバ・ドゥアルテ・ペロン。私生児として貧しい環境で育ち、15歳でブエノス・アイレスに上京、カフェの給仕・モデル・女優として働く。1946年、夫が大統領となるとファースト・レディーとして政治にも関与したが、病のため33歳で死去。死後に夫がクーデターに遭い亡命すると、エビータの遺体はイタリア→スペインに移されたが、夫が再び大統領に返り咲いた後、この墓地へ埋葬された】。 



あとは自由に歩きまわる。実に様々な形のお墓があった。
レンガ造りのお墓。

まるで美術館のよう。

石を積み上げたもの。ちなみに、個人的にはかなり好み

途中で見かけた猫。日向ぼっこ中

死を悼む女性像はマグダラのマリアがモチーフなのだろうか。お花の飾り方がセンスいい

死後の棲家を大切にしたいという思いはアルゼンチンの人にとって共通なのだろう。しかし、何の素材でどんなデザインにするのかという部分で個々人の価値観が表れるんだろうな・・・
せっかくなので、スーツケースを撮影。南米の治安を警戒して、この旅のために新調した黒R〇MOWAの小さめサイズ。

墓地に隣接する聖母ピラール聖堂も訪れる。鐘楼の屋根が白と青のタイルで、アズレージョを思い起こさせた。

キラキラした祭壇。小綺麗で、創建から300年近く経過しているとはにわかに気づかない・・・

側廊にあった彫像はイエス

腰壁のタイルが美しい。青と黄色が目に鮮やか

そこかしこのアーチが印象的だった。上のアーチの奥に、パイプオルガンに合わせるように誂えたアーチが覗く。

この教会の鐘楼は、かつてラプラタ川を行き来する船の目印になっていたそうだ。登れるかと期待したが、上へつながる扉は閉ざされていた、残念
かわりに、200年近く前の絵や写真によってその雰囲気を知った。


お次はカミニートへ向かう。タクシーに頼らず、観光循環バスに乗ろうとするもバス停が分からない。観光案内所を見つけ、たどたどしいスペイン語で尋ねてみたが、「観光バス」というのがうまく伝わらなかったようで、教えられるままにたどり着いた場所にはフツーの市内バス停しかなかった。あきらめて、タクシーを拾う。
進みが遅いので渋滞かと思ったら、何のことはない、デモ行進をしていた。何を訴えていたのか、白パンがたくさん入ったバスケットを頭上に掲げている人がいた。
このドライバーさんには どこから来たのか尋ねられ、soy Japonesa.と教科書通りの返事をした。日本か、と言って私の顔をじっと眺めていたが、いわゆる典型的な日本人顔ではないので、ちょっと申し訳ない気がした。ちなみに、1台目の(空港からレコレータ墓地まで乗せてくれた)ドライバーさんは「中国語しゃべれない」と言っていた、私の国籍を聞く前に。ある意味、そっちが正しい反応かも(笑)

ブエノス・アイレスの一大観光地、カミニート【かつてアルゼンチン随一の港だったボカには、ヨーロッパから来る船が全て停泊。造船工場や賭場があり、移民労働者や船乗りを客とする酒場などが密集していた。タンゴ発祥の地として知られる】。
治安対策を強化中とかで、なるほど警察官が目を光らせている。結論から言うと、スーツケースを引きずっていても全く危険ではなかった。「コニチハ ぼくマラドーナ」と日本語で話す怪しい人(たぶんカフェの呼び子さん)はいたけど・・・確かに激似で笑えた
下の写真は、カミニートの入口。窓から覗いているのはマラドーナ人形


通り沿いのカフェの2階にも人形がズラリ。ちなみに一番右端はこれまたマラドーナだった。

こ~んなマラドーナも。愛されてるなぁ~

店先で軽いタンゴショーを見せるカフェ。4日後にタンゴショーを見る予定になっているので、ここでは通りすがりに眺める程度にしておく。

撮影看板もやっぱりタンゴ。徹底してるな~

通り沿いには土産物屋がズラリ、路地の奥にまで並んでいる。

絵を売るお店もあった。

買う気もないのに、ショップの軒先をブラブラ歩いて素敵な革小物に目を引かれたり。カミニートの北端、商売っ気のないお店でポストカードを買ったり。
カラフルな街は、歩いているだけで楽しめる。

さすが芸術の街、そこかしこに絵が飾られている。モチーフは、昔のボカ港の様子・・・この土地への愛が伝わってくる。



カミニートにも観光客目当てのタクシー乗り場があり、いとも簡単にタクシーを拾うことができた。
道すがら、車窓に船のドックやフェリー乗り場、カフェ、レストランが広がる。華やかでオシャレだなぁ・・・港町育ちの自分としては、郷愁を微妙に刺激される街だった


アルゼンチン1日目にして思うことは、タクシーはハズレがないということ。一人で大きい荷物を持って流しのタクシーに乗る行為は、自分の旅ポリシーから外れている。それくらいリスクが高いと思うんだけど、昼間のブエノスアイレスに限っていえば、全然問題なしだった。乗ってみて、よかった。3台ともコーディネーターのLさんが教えてくれた相場通りでボッタクられないし、ドライバーさんは基本的に愛想も良い。私がスペイン語ペラペラだったなら、もっと会話が弾んだと思う。カミニートから乗せてくれた3台目のドライバーさんは、私が空港へ向かうと知って何時の便か心配してくれたし。なんだかフレンドリーなんだよなぁ
下の写真は、空港へ向かう途中に車窓から撮影したもの。奥を流れるラプラタ川はミルクコーヒー色。
コーディネーターLさん曰く、茶色いけど光ると白く見えるから「銀の川」なんだそうだ。


遅い昼食のような早い夕食のような食事を空港のフードコートで取った。エンパナーダ【牛肉・鶏肉・魚介・チーズなどの具入りパイ。ポピュラーな軽食】、美味しかった(写真撮ってなくて残念)
期待していなかったのだが、空港内にワイン売り場があった。しかも、品ぞろえが豊富 日本で見かけるようになったNo〇tonブランドもある。値段はピンキリだけど、日本で買うより断然安い(恐るべし、関税) 圧倒的に赤が多いけど、白やスパークリングもある。当然、大好きな泡に魅かれる・・・
産地はやはりMendoza【ブエノス・アイレスの西方約1,000㎞、アンデス山脈の東に位置する。温暖少雨の地中海性気候で、アルゼンチン・ワインの70%程を産する銘醸地】が多い。若干パタゴニアもあり、明後日のカラファテ行きの楽しみが増えた
今夜の晩酌用に赤のハーフボトルを入手。空港値段で32ペソ=640円くらい、本当はもっと安いのだろう。日本で愛飲しているマルベック種

ポサーダスというアルゼンチン北東部の地方都市までの便は、当然ながらミニジェット。横幅は2席×2しかない。
疲労で終始ウトウトしていたから朧げではあるけど、かなり揺れていた。弱い人だと酔ってしまうような上下動だった。1997年、フィンランドからロシアへのアエ〇フロートがこんなだったなぁ・・・機体はアルゼンチン航空の方がピカピカに新しいが。
1時間10分の空の旅後にミニジェットを降りると、三日月がくっきりと輝いていた。さては周囲が暗いのだな、やはり田舎なんだろうか?! なにせ、ガイドブックに載っていないため情報ゼロなのだ
ドライバーのK君と無事に出会い、ホテルへの道すがら車窓に目をやりつつ、メキシコはサカテカスを思い出す。あの時も遅い便で到着し、天空に星がきらめくなかホテルに向かったのだった。比べるのも変だけど、ポサーダスの方が町だな。

空港から30分ほどでホテルに到着。4つ星ついていたが・・・本当か 今のところ部屋に問題はないが、通りに面していて車道の喧騒が聞こえてくるのと、カラオケのような歌声がうるさいのが難点か。ま、ベッドで眠るのが2日ぶりだから、バタンキューだろうけど
さて、今すすっているのはビール ワインオープナー不所持という根本的ミスのため、先ほどのワインにありつけなかった。部屋の冷蔵庫にワインはなく、栓抜きも当然ない。フロントに聞くというテもあるが、2日ぶりのシャワーを浴びてほっこりした後にバタバタしたくない・・・というわけで、安直に冷蔵庫のビールに飛びついた。10ペソ=200円くらい。銘柄はQuilmes、1890年創立のメーカーみたい。人生初のアルゼンチンビールは、すっきりしていて好みだった (これもまた撮ってなくて残念 まさかブログやるとは思ってもみなかったあの頃

明日はゆっくり出発できるのかと思いきや、8時にピックアップとのこと。ドライバーK君によると、多くの人が橋を渡って国境を越えるらしく混雑するという。仰せのままに
日帰りパラグアイ。いびつなスケジュールになっても貫いた、イエズス会のミッション遺跡訪問。前半のハイライトに胸が高鳴る

2・3 ポサーダス ⇒トリニダー遺跡・ヘスス遺跡(パラグアイ) ⇒サン・イグナシオ・ミニ遺跡 ⇒ポサーダス (2012年3月28日)

ドライバーK君の運転で、ホテルから10分ほどでパラグアイへつながる橋に到着【ポサーダスとエンカルナシオンの間を流れるパラナ川が国境となっている】。
アルゼンチンからの出国は簡単で、車から降りることなく窓越しにパスポートを渡して終了。が、入国はそうはいかない。下車してパラグアイの窓口に行く。とはいえ、空港での審査のようなピリピリしたムードは皆無で、簡単にスタンプを押してくれた。
車に戻る時、エンカルナシオン側からパラナ川越しにポサーダスが見えた。その美しき景色をカメラに収めなかったことを後々悔いた(撮るのは帰りでいいかと思ったのだが、出国時は下車することがなかったので、機会を逸してしまった  旅先では躊躇せずシャッターを切れ、今後のモットーにしよう)。

パラグアイ南部には森が広がっている。かつてジャングルだったであろう緑の中を貫く道路をひたすら走っていく。スリランカに似ているなと思う一方、あちらは平坦だったが、こちらは高低差がかなりあるジェットコースターのような道。起伏の高い所から眼下に広がる木々の眺めは美しいの一言に尽き、見ているだけで癒される
さて、向かう先はトリニダー遺跡【イエズス会宣教師が先住民グアラニ人とともに暮らしながらキリスト教化をおこなったレドゥクシオン跡。教会の他に学校・住居・墓地などを持つ共同体】。アルゼンチン訪問を決めてガイドブックを見ていたところ、その存在を知った。ザビエルは訪れていないが、イエズス会による伝道のスピンオフとして見てみたいと思った。

国境から30分ほどで遺跡に到着。正式名称はサンティシマ・トリニダー・デ・パラナ遺跡。
英語ガイドはいないらしく、一人で歩きまわることになる(K君はドライバーであって、ガイドではない。ほんの少しの英語で私たちは会話していた)。ガイドブックに詳しい説明もないので、とりあえず入口を抜けて端から逐一歩きまわることにした。
結局、聖堂脇に復元ジオラマがあって全体像が判明した。
ひときわ大きい聖堂の前に広場があり、それを囲むようにグアラニ人たちの家があったようだ。

てか、この遺跡は自然と共生している。
世界遺産だから芝生は整えてあるのだが、そこかしこで鳥たちがさえずっていた。フクロウ属と思われる鳥も間近に飛来して、少々ビックリした。


この赤い花は何だろう

手前の説教壇は、少々修復の手が入りすぎかな

壁面の高い部分にひっそりと彫刻が残っている。アーチの奥にご注目ください。

拡大すると、こんな感じ。真ん中は、マリアと幼子イエスのように見える・・・

こちらも彫刻が細かい。管楽器のようなものを吹く天使の彫刻も見える。

祭壇には花と鳥が彫られている。

側廊の彫像には首がない。

聖堂の脇には、付近で発掘された物を展示するスペースがあった。

頭部はもちろんのこと、手や足の指など様々なピースが集められている。見つけ出した人すごいな~

花の装飾は彩色が鮮やかに残っている。

グアラニ人の家から見つかったという食器たち。

これはなぜ床に転がってるんだろーか・・・(右下、愛用のコンバースを履く自分の足

この日一番のお気に入りは、神父の家とコレジオが面する中庭の脇にあった貴婦人像

近寄ると、こんな感じ。東洋的な顔だちに、手にはなんと扇子 交通至便でもない時代に、日本起源の扇子が地球の裏側までたどり着いたことを感慨深く思った【団扇(折り畳まない扇)は古代エジプトの壁画にも描かれるほど歴史は古く、日本へは中国から伝えられた。いっぽう、折り畳む扇子は平安時代に日本で生まれた(檜扇→蝙蝠扇)。鎌倉時代に中国へ伝えられると、両側に紙を貼る唐扇に変化(蝙蝠扇は片側のみ紙を貼る)。それが逆輸入されて日本でも一般化、大航海時代以降はヨーロッパに持ち帰られて、紙に代わり絹・レース・羽を用いるなど改変されていった】。

聖堂前にあった魚の彫刻。海は遠い内陸だから、川魚をモデルにしたのかなぁ・・・

聖堂を後にして、周縁部へ向かう。道中で目にした花はレンゲソウに似ている。

四角いのはベルタワー。

アーチ状の遺構はグアラニ人の家。ちなみに、右奥は先ほどまで居た聖堂跡。


帰りしな、1軒しかない売店に寄ったもののポストカードがない。そんなはずはと、チケット売り場に戻って聞いてみても「ない」。
まさかぁ~~ 世界遺産なのに、全然商売っ気ナシ これまでに各国で出会ったしつこい物売りを懐かしく思い出しつつ、これもお国柄かとあきらめる

トリニダーから10分ほどで、ヘスス遺跡に到着【正式名称はヘスス・デ・タバランゲ遺跡。先ほどのトリニダー遺跡とあわせて「イエズス会伝道施設群」として世界遺産に登録されている。2020年現在、パラグアイ唯一の世界遺産】。
このミッションは建設途中で放棄されたという。トリニダーのような彫像はないが、聖堂跡には控えめながら彫刻装飾が残る。




奥に広大な麦畑が広がる。かつて共同体の人々はその畑を耕して食料を生産したという。


こちらではmuseoを建設中だった。代わりに、付近のSt.Rosa遺跡(観光用に整備されていないと後で知る)から出土したイエスの壁画や彫像の写真が展示されていた。とても魅力的で、いずれ公開されるようになることを願わずにはいられなかった。観光地化=善とは限らないが、良いものが多くの人の目に触れるようになってほしいな~



まだポストカードを諦めていない私は、ここでもチケット売り場の人に尋ねてみた。先ほどはスペイン語が通じなかったのかもと思い、手持ちの『指さし会話帳』で調べて“tarjta postal”と言ってみたがやはり通じなかったようで、 カラーのパンフレットを渡される始末
ヘスス遺跡の周りにも物売りが1人のみ。いつかパラグアイ政府が観光に力を注ぐようになったら、この風景も変わっていくのかなと思いつつ・・・グアラニ(パラグアイ通貨)もポストカードも得ることなく、ハガキの投函など夢のまた夢で、4時間余りのパラグアイ滞在は幕を閉じた

国境を通過してアルゼンチンに戻り、サン・イグナシオ・ミニ遺跡へ急ぐ。時間があるから、オプションで行ってみてはどうかとドライバーK君が勧めてくれた。料金は350ペソという。日本で調べた時、トリニダーの方が素晴らしいと情報を得てはいたが、二度は来ないであろうアルゼンチンはmisiones州。行けるものなら行こう、というわけで急きょ決定。
13時半頃に到着、まずは遺跡前のレストランで昼食
この旅で食す2つめのアルゼンチン料理、milanesa【牛肉を薄く伸ばしパン粉をつけてカリッと揚げた料理】。これが美味しかった
バルサミコ酢をかけて食べるようだが、肉に香草をからめてあるので、味を加えなくても十分イケる。迷ったナポリターナ(トマトとチーズ乗せ)にしていたら、さすがに重かっただろう。量的にはこれが正解だった


サン・イグナシオ・ミニ遺跡は「グアラニ人のイエズス会伝道所群」として、アルゼンチンとブラジル両国にまたがって登録されている世界遺産のひとつ。
入るとすぐにmuseoが構えていた。中は撮影不可だったので、代わりにエントランスの写真を載せる。彫刻の意匠は、先ほどのパラグアイのとは異なる雰囲気。行ったこともないのに無責任に言うならば、エジプト風な感じ。トリニダーからそんなに距離があるとも思えないのだが、違いがあるんだなぁ~

展示品は多くないが、グアラニの歌に宣教師の聖歌を融合させた曲を聴くことができたのは面白かった。CDにして売ってないかと思ったが、もちろんそんな気の利いたモノは無い(笑)
パラグアイで洗礼を受け、だいぶ慣れてきた自分

遺跡の全体像はこんな感じ。

パンフレットの表紙を飾るこの遺跡一番の見所、教会のファサード跡。

目を惹く彫刻にズームすると、右に顔を向ける天使が。

下の写真、中央のIHS紋にご注目 団体の横をかすめて英語ガイドの説明を拾い聞きしたところによると、オリジナルで残っている部分なんだそうだ。イエズス会の紋章はトリニダーでもヘススでも見かけなかったので、面白い。

ちなみに同じ方法で、聖堂の隅に木材を使用していることを知った。実はトリニダーで柱に加工されたような四角い木材を見て、レンガの下に木を使ったのか?と思い即座に打ち消したのが正解だったとは。コバンザメ戦法、たまにはやる価値あるな

真ん中の欄干はイルカのように見える・・・んなわけないか。百歩譲って、川魚

帰り際、待望のポストカードを入手してホクホクの私。ただしデザインは1つのみ、やっぱり商売っ気少な目 
修復前と思われる写真は、寂れた感じが出ていて自分好みだった。世界遺産なので、現在の遺跡は修復の手が入ってピカピカ
遺跡付近には土産物屋が並んでいた。全体的に、アルゼンチンの方は観光地化が進んでいる感じ。 

ちなみに、パラグアイ・アルゼンチン・ブラジルの国境地帯にはこんなふうにミッション遺跡が点在している。水色が世界遺産(案内所でもらったパンフレットを撮影)。
今回自分が訪れたのは、写真上部中央の上から3ヶ所。


17時過ぎ、ホテルに帰着。早々に戻れたので、車窓から見た日系の苗字を看板に掲げるお店へ歩いて行ってみた。ホテルから3分くらいの距離、公園のそばに位置する。
不愛想なおばさんから、ガス抜きの水を購入。ホテルで買うより2ペソ安い。
日本人かと聞かれたので肯定すると、さらに何がしか質問されたのだが、想定外のスペイン語を聞き取れるはずもなく “日本のどこから?”と勝手に予想し、東京と言ってみたが違っていたようで。すると、早口の日本語で「ここの住所」とおばさん。近くのホテルに泊まっていることを告げると、ようやく旅人だと理解してもらえたようだった。さらに名前も聞かれた。
本当はもう少し質問攻めにあっていたかもしれない、4~5人の客が来なければ。
実は、栓抜きはないかと尋ねたかったのだが、他の客はいるし ざっと店内を見まわしたところノンアルコールの飲み物と果物のみなので無さそうと判断し、聞かずに辞去した。しかし・・・どこに住んでいるかにこだわるあたり、日系人コミュニティのつながりを感じさせられた。旅人ではなく居住者に見えた自分は、あるイミ安全ないでたちということか だとしたらちょっぴり嬉しいが、観光に来る日本人があまりいない=いるのは居住者という図式にすぎないのかもしれない・・・

ホテルに戻り、あらかじめ下調べしておいたスペイン語で「栓抜きはないか?ワインを開けたいのだ」とフロントに伝えてみると、2階のレストランへ行けと言われた。
そして2階で髪型が具志〇用高なウェイターに同じセリフを繰り返すと、「いまビンはないのか?部屋にある?じゃあ開けに行く」というような反応(←スペイン語なのだが、状況から判断するにこんな感じ)。てっきり栓抜きを借りて自分で開けるものと思っていたので、驚きつつ部屋番号を告げると、5分後には来て開栓してくれた。アルゼンチンの人って、基本的に親切だよなぁ な~んて感動している場合じゃなかった、チップ渡すのをすっかり失念してしまい、あとで後悔しきり これだけ旅してる身、習慣がない国に生まれたからって言い訳もできないよなー 身につけねば。

すぐにもワインを口にしたいところだったが、貴重なランドリータイム。目の前のワインをエサに、洗濯にいそしむ。
ここに至って洗面所の栓がないことに気づく。代わりになるモノを物色し、部屋備え付けのグラスの下に敷かれていた紙ナプキンを試しに詰めてみると、あら不思議 意外にも役目を果たしてくれたのだった。次のホテルも同様だったら、このテでいこう
さて、お待ちかねの赤は・・・決して不味くはないのだが、ハーフボトルで32ペソ=640円と考えると、味と値段が見合っていないような。いやいや、空港値段だから本来は3分の2くらいなんだろーかなどと、酔いのまわり始めた頭でぼんやり考えるのだった(瓶を撮ったのだが、自分が写り込んでいたので画像は割愛)。

2・4 ポサーダス ⇒カラファテ (2012年3月29日)

10時ピックアップの約束でドライバーK君を待っていたら、別人がやって来た。ええっ
一昨日 空港に迎えに来てくれたから今日もそうだと思い込んでいたが、たしかに確認していなかった。
今になってみれば、前日の別れ際に「旅を楽しんでね」みたいなこと言ってたなぁ・・・違和感一瞬でスルーしたことが悔やまれる
オプショナルのサン・イグナシオ・ミニを勧めてもらったおかげで、充実した旅になったことを深く感謝してお別れしようと思っていたのに・・・
つくづく旅は一期一会だと思う。その時に行動しないと、二度とチャンスが巡って来ないことがザラ。あぁ、やってしまった

ともかく、離陸2時間前にキッチリ空港に送り届けてもらった。が、構内の電気はあちこち消えてるわ、人が少ないわで不安に。20分ほどで人が集まり始め、ホッとするのだが。
この日はまずブエノス・アイレスに飛び、さらに乗り換えてカラファテへ向かう。到着は夕刻、移動に費やす一日である。
一人旅のうえに何かと待ち時間が多いので、日記がはかどる捗る。手帳(愛用のRol〇bahn)の残りページ数を気にしつつ、したためる。
お昼はブエノス・アイレス空港内にてフェットチーネ。奥の液体はコーラ。海辺育ちの自分の胃は肉料理があまり得意ではないらしい。前日に大きな牛肉料理を平らげたので慰労する。コーラ=胃薬を信奉している私。旅に薬を携行しないので、胃をねぎらう時はコーラを飲むことにしている


カラファテ便の搭乗口では、リュックサックにトレッキングシューズの人々が目立つ。氷河に行くんだろーな・・・
スーツケースの一角を占めるトレッキングシューズを、その使用頻度ゆえに憎らしく思った今朝の荷造り中の自分を反省。リュックじゃなくショルダーバッグで歩くんだから、せめて足元は万全でないとね。
明日は混載ツアーで氷河へ行くのだが、同じ飛行機には中国人や韓国人らしき姿がチラホラ。日本人にも出会えるのだろうか?

出発が30分遅れた飛行機は、予定どおりの時刻に到着。それにしても、3時間余りのフライト・・・南北に細長い国だと実感せずにはいられない。
ブエノス・アイレスで積み直されたスーツケースは無事にターンテーブルを流れてきた。が、ネームタグが無くなっていた。朝ポサーダスで預けた時には確かに付いていたのに。しっかり住所を書いていたので、個人情報が国際的にダダ漏れ。ま、いいけど(笑)
下の写真は降機後に撮影したもの。天空には月が見える。
今朝までのパラナ川沿いとは異なる風景がゆったりと広がる。ポサーダスの周りが森の緑に象徴されるとすれば、カラファテのそれは茶色が多くドライな感じ。同じ国とはいえ、別天地に来たんだなぁ。

出迎えのコーディネーター(見事な白髪の白人系婦人)とは難なく会えて、翌日のツアーのバウチャーを受け取った。欧米系の老夫婦と自分の2組がワゴンに同乗してホテルへ向かったのだが、コーディネーターは老夫婦のそばに密着して親しげに会話、私は眼中にないかの扱い。なんだかカンジ悪~ この旅で初めて

街はずれのホテルのフロントには10代と思しき少年が2人。ちょっとしかスペイン語しゃべれないのと伝えたら、顔を見合わせ、はにかみながらカタコトの英語で対応してくれた。初々しくて微笑ましい 夜当番のアルバイトだろうか、勝手に想像を膨らませてみる。
部屋まで荷物を運んでカード式錠の開け方を教えてくれたので、“vale!”(スペイン語で「O.K」)と言ったらクスリと笑ってくれた。言葉は潤滑油だね~ 単語でもいい、どんどん使おう

★ 中締め ★

後半篇のハイライトは氷河ツアー 
そのほか、ウルグアイを日帰りで訪れたり、ブエノス・アイレスをもう少し観光したりです。
お楽しみに~






























































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