poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

スリランカ篇 その2

2022年07月03日 | アジア
まだまだ旅の前半です。第2弾では、以下の地図の➋と➎~➑を訪れました。なお、距離が近いためハバラナとシーギリヤは➎に、アルヴィハーラとマータレーは➐に一括しています。
そして、後の下線部の数字とも対応しています。


2・5・6 ダンブッラ ⇒ハバラナ ⇒ポロンナルワ ⇒シーギリヤ ⇒ダンブッラ (2011年7月31日)

ヘリタンス・カンダラマに泊まって2回目の朝、部屋のベランダにサルが姿を見せた。
ダンブッラやミヒンタレーでも間近で見かけはしたけど、ホテルに現れるってすごくないか ジェフリー・バワの建築が自然と一体化している証なのだろう。

自然の岩を活かしたホテルのロビー。テラスの奥にはカンダラマ湖が広がる。


この日はポロンナルワとシーギリヤをまわることになっていた。が、最初に停まったのはハバラナ。
前日あんなに断ったのだが、ゾウ乗りをぜひ体験してほしいとガイドのΩさんに連れて来られたのだ。時々強引なんだよなぁ・・・まぁ、押されたら断りきれない私の性格を見てとりながらなんだろうけど
というわけで、係員さんに言われるがまま乗り場へ。1階建ての屋根の高さくらいの台からゾウさんの背中におりる。はぁ~ こうやって乗るものなのね・・・もちろん初めてのことなので、逐一もの珍しい。足元を見ている係員さんの顔と自分にモザイクかけたら、ボールを抱えたイルカが立ったような形になっちゃった

ゾウ使いさんが随伴してくれて、のんびりと進む。

ゾウさんが機嫌よく過ごしてくれるようにリンゴを手に取ると、受け取るべくちゃんと鼻を巻き上げてくれる。

とても穏やかなゾウさんで、振り落とされそうとか微塵も感じなかったけど、つかまるのに必死だった。なにせ背中に人工的なモノ(モロッコのラクダに備えられていた取っ手のような)が何もなかったので というわけで、どのくらい乗っていたのか体感ではさっぱり分からなかった・・・備忘録によると、30分で$40だったようだけども。

ハバラナから東南東に30㎞、ポロンナルワに到着【10世紀末、シンハラ王朝の都アヌラーダプラは南インドのチョーラ朝(タミル系)に占領され、スリランカ北部を支配するようになったチョーラ朝は11世紀前半に80㎞南東の地ポロンナルワへ遷都。しかし11世紀半ば、シンハラ王朝のウィジャヤバーフⅠ世がチョーラ朝を追い出して奪回。12世紀、パラークラマ・バーフⅠ世が初めてスリランカ全島を統一、最盛期を迎える。13世紀、再びチョーラ朝の侵略に悩まされて他所へ都が遷るまで、200年以上にわたりアジア有数の仏教都市として繁栄した。このような経緯から、仏教遺跡の中にチョーラ朝がもたらしたヒンドゥー教の影響が随所に見られる。遺跡は貯水池パラークラマ・サムドラのほとり南北9㎞・東西1.5㎞に広がる】。

最初に宮殿跡を訪れた【12世紀、王パラークラマ・バーフⅠ世が建てさせたもの。かつては7階建てだったらしいが、現在残るのはレンガ造りの3階まで。失われてしまった上層は木造だったという】。

次はクマーラ・ポクナ(王家の沐浴場)。地下につくられた水道管によって、1㎞西の貯水池とつながっているそうだ。

ポクナのそばにあった建物跡(更衣室とか観覧所の説あり)にはライオンの彫刻。「その1」で既報のとおり、ライオンはシンハラ王朝の象徴なので・・・

その次は、王パラークラマ・バーフⅠ世の閣議場。背後から見るとこんな感じ。話し合っている内容を聞かれないように、小高い構造になっているという。

基壇は3層構造で、最下段にはゾウが彫られている。

最上段の踊る人はメッチャ躍動的

入口の階段。

この側面は鼻を巻くゾウがモチーフと思いきや・・・後出のランカティラカを調べていて、マカラ(インド神話に出てくる、ゾウのような頭部を持つ海獣)の可能性もあるなと思った。

閣議場の中に林立する柱。ひとつひとつに彫刻がほどこされている。手前の柱の上部に彫られているのは蓮の花か。

一番下はドヴァーラパーラ(力持ちの金剛力士的存在)か。


遺跡の中心部、クワドラングルへ【数百m四方に11の建造物が密集している。かつて仏歯寺があり、ここが都だった時代に一大仏教センターとして栄えた】。

トゥーパーラーマ【レンガと漆喰で造られた仏堂。ポロンナルワで最も保存状態がよく、丸天井に至ってはスリランカいち良好な状態らしい。南アジアの建築様式の影響を受けている】。

中の仏像は7世紀作で、石灰岩の彫像としては古い作例らしい。

壁に穿たれた穴から朝と夕に太陽光が射し込み、仏像の顔を照らし出すように設計されている。

こちらはラター・マンダパヤ【不思議な形の柱は蓮の茎を模しているらしい。かつて中央の小さな仏塔を覆っていた木製屋根を支えていた】。

こちらはアタダーゲ【11世紀、王ウィジャヤバーフⅠ世が建てた。ポロンナルワで最初に仏歯が安置されていた場所】。奥に立仏像が見える。

柱の三連の渦巻きの中には人物が彫られており、かなり精緻

東隣りに位置するハタダーゲ【12世紀、ニッサンカ・マーラ王が建てた第二仏歯寺。聖遺物をめぐる戦いにより大きく損傷した】。

ハタダーゲからワタダーゲを望む(ガイドΩさんが撮ってくれた自分にモザイクをかけた)。そう、両者は南北に向き合っているのだ。

ワタダーゲ【クワドラングルの中で最も大きく、威容を誇る。全体は円形で、レンガ造りの建物を覆う円錐状の木造屋根を石柱が支えていたらしいが、屋根は失われている。東西南北の四方を向く4体の仏像は、これまた四方に設けられ各々が階段とガードストーン、ムーンストーンを持つ入口を見守っている。この画像の角度では仏像に隠れてしまっているのだが、中央の仏塔はこの地が都になる前から栄えていた僧院の遺物で7世紀に遡るといわれ、ポロンナルワで最も古い歴史を持つらしい】。

ガードストーンは、アヌラーダプラでも見かけたナーガラージャ【インドの神話から仏教に取り込まれたコブラ神が王の姿で人格化されたもの】。ちなみに、後ろに写りこんでいるワタダーゲの基壇は2段で、下にライオン・上に踊る人の彫刻が見られ、先ほどの閣議場と意匠が似通っている。

ムーンストーンにご注目あれ(デザインを見やすいように180度回転)。中央は蓮の花、その上に馬、ゾウ、ガチョウ、炎。
「その1」に出てきたアヌラーダプラのそれと比べて、違いにお気づきでしょうか。牛が消えたのです(ライオンもだけど) ヒンドゥー教で神聖とされる牛が「死」を象徴するのはよろしくない、と外されたといわれ ヒンドゥー教が伝わった後の作例だという。

てか、どの角度から見てもいいわぁ

次はガルポタ【本の形をした石碑で、碑面が8m×1.5m、厚さ0.43m。12世紀にニッサンカ・マーラ王がつくらせたもので、彼の事績を讃えている】。
側面の彫刻が素晴らしい。2頭のゾウに囲まれて座すのはブッダかと思ったら、ヒンドゥー教の女神ラクシュミーらしい。模様の隙間にシンハラ文字も見える。

クワドラングルの最後は、サトゥマル・プラサーダ【7層の塔。タイの様式に似ていることから、来島した建築家によるものとされる。タイやミャンマーから巡礼者が訪れたというこの地の全盛期を今に伝える遺産のひとつ】。


後半戦の前に、飲み物休憩。木陰でライムジュースをすすって、ひと休み

垣間見えるのはキリ・ヴィハーラ【王パラークラマ・バーフⅠ世の妻のひとりが建立したという】。

ど~んとそびえるはランカティラカ【13世紀、王パラークラマ・バーフⅢ世が建てた寺院。高さ・幅18m、奥行き52m】。

上の画像で、まるで2本の塔のように天空へ伸びる入口正面壁には彫刻が残っていた。くびれたウエスト、豊満な太ももが印象的・・・書きながら、金剛力士の表現としてはいかがなものかと思いつつ

そして、ここにも入口の階段側面に手の込んだ彫刻あり ナーガラージャと踊る人。

ライオンと宮殿風の柱の上に、火を噴くドラゴンかと思いきや・・・この記事を書くにあたり調べていて、ドラゴンではなくマカラかもと思い至った【摩竭魚、摩伽羅魚とも書く。インド神話に出てくる海獣で、ゾウのような頭を持つイルカ・ワニ・サメなどとして表される。大洋神ヴァルナの乗り物。魔よけとして用いられる】。
そんなわけで、「その1」の記事に出てきた同様の作例のアヌラーダプラはマハーセナ・パレスの階段側面装飾の部分に追記した。

 たくさんの人が綱引きしているような・・・乳海攪拌か??【古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』に記されたヒンドゥー教の天地創世神話のひとつ。不老不死の霊薬アムリタを手に入れたい神々とアスラ(悪鬼)は、ヴィシュヌ神の提言により協力して大海をかき回す。マンダラ山を軸にヴァースキ(大蛇あるいは竜王)を巻き付けて綱とし、神々がしっぽをアスラが頭部をつかんで引っ張ると、ヴァースキの口から炎と煙が昇って雷雲が生じ大雨が降った。さらに攪拌すると海中生物が死に絶え、山の木々が燃えて乳海になり、女神ラクシュミー・太陽・月・白いゾウ・馬・牛・宝石・酒などとともに、医の神がアムリタの入った壺を手に現れたという】
規模はずいぶん異なるが、1999年に訪れたカンボジアはアンコール・トムの橋を思い出した。

さてさて、このお寺の本尊は巨大な立像。損傷激しく、頭部はおろか腕も失われている どんな印を結んでいたのだろうか・・・

シンハラ独特の浮彫りゲディゲ。建物の外壁に建物を彫り込むという面白さ。


1㎞余り北上して、ガル・ヴィハーラに到着。巨大な御影石を彫り込んだ壮大な仏像群である。向かって左から座像・岩窟・立像・涅槃像なのだが、自分のデジカメの広角では1枚に収まりきらず 何枚かに分けてご覧ください。ちなみに かつては野ざらしだったが、現在は保護のために屋根がかけられている。
まず、高さ4.6mの座像。その右には岩を彫りあげてつくった洞窟がある。

洞窟の右には、7mの立像と15mの涅槃像。

近づくとこんな感じ。腕を組む立像は悟りを開いて7日目のブッダという。涅槃仏は実に穏やかな表情。

立像の左に位置する洞窟の中にも座像あり。瞑想するブッダの周りを取り囲むのはヴィシュヌやブラフマーなどヒンドゥー教の神々という。ここにも異なる宗教との混淆・・・


ガル・ヴィハーラから約2㎞、遺跡の最北端を目指す。その途中にあった、蓮の池【直径8m、低い8段の構造。僧の沐浴場として使われていたという】。

ポロンナルワの最後、ティワンカ・ピリマゲ寺院に足を運んだ【13世紀、王パラークラマ・バーフⅢ世が描かせた壁画が残っている】。ぜひにとガイドのΩさんにリクエストしたところ、そんなん言われたことないと驚いてたけど 入口はこんな感じ。

中はとにかく暗いうえに、フラッシュ撮影は禁止だった 見づらい画像でゴメンナサイ
とても柔和な表情に惹きつけられる・・・

額の前で手を合わせ、祈りを捧げているのか??

唯一明るい場所にあり、いくぶんマシに撮れた壁画。下段、身体が緑色の人物が目立つ。


遺跡を出てランチの後、木彫り工房へ案内された。職人さんの作業風景を眺めつつ 彫る木のサンプルを見ていたところ、嗅いでみてと言われたので鼻を近づけると大好きな香り・・・
思わず「ビャクダン」と口について出ると、職人さんが爆笑。スリランカでもビャクダンで通じるのか??(この記事を書くにあたり調べたところ、ビャクダンは和名でサンスクリット語のチャンダナ、英語のサンダルッドが一般的なようだ。ということは・・・自分の言動がなんだかスリランカ人のツボにはまり 笑いをとったと思われる) 
ともあれ、白檀製のフクロウの小彫像を父へのお土産に買った私。
ランチも含めてこの辺り、全く画像を撮っていなくてごめんなさい

午後はシーギリヤ観光。ポロンナルワからの移動中、ゾウが集まっている場所を通りかかった。前日にジープサファリを断った私に、せめてもとガイドのΩさん・ドライバーのΦさんが見せてくれたのだろう。


ポロンナルワから西に30㎞、シーギリヤへ到着。天空へ向かって突き出す巨石が現れた。その高さは180m。
【5世紀後半、カーシャパ王によって築かれた宮殿兼要塞跡である。ダートゥセーナ王の長男だったカーシャパは、母の身分が高い異母弟モッガラーナに王位を奪われることを恐れ、父を幽閉して王位を剥奪、最終的には殺してしまう。弟モッガラーナはインドへ亡命したが、カーシャパ王は都アヌラーダプラを離れ岩山の上に逃げ込んで宮殿を建て始めた。その理由は弟の復讐を恐れたためとも、父を殺害したことを悔いたためとも・・・。495年にカーシャパ王は岩山を下り、支持を得てインドから戻って来た弟モッガラーナとの戦いに臨んだ。カーシャパ王を乗せたゾウが沼地に危険を感じ突然方向を変えたところ、それを撤退の合図と勘違いした王の軍は四方へ逃げ去り、残されたカーシャパ王は自殺。王に就いたモッガラーナはアヌラーダプラに都を戻したので、結局シーギリヤが都として機能したのは10年余りにすぎないが、5世紀の土木技術と芸術の粋を集めた傑作である】

岩と岩の間をくぐり抜けて進む。

岩山の中腹にたどり着くと、金属製でメッシュならせん階段がある。高所恐怖症気味の自分、急なそれをおっかなびっくり上って行くと・・・
美女たちの壁画が出迎えてくれた(モザイクがかかっているのは自分)。

さすがに19体全部というわけにはいかないが、いくつか紹介したい。


後方は侍女。肌の色を若干変えて描かれている。

更に肌の色が濃い女性たちも描かれていた。ネグロイドだという。


いずれも1,500年の時を経たとは到底思えない色鮮やかさ。失われることなく、よくぞ永らえてくれたなぁ・・・
いくつもの偶然や必然が折り重なり、生き残ってきた至宝。相まみえることができた自分はなんて幸せなんだろう

眼下には、来し方がはっきりと映る(木が欠けている部分で、8枚上の画像を撮影した)。

しかし、まだ頂上ではない。「ライオンの入り口」と称される階段をのぼって行く【現在は鋭き爪を持つ前足の一部を残すのみだが、かつては大きく口を開けたライオンが座るデザインだったという】。階段上に写る人々と対比して、スケールの大きさを感じていただけたなら幸いである。

岩山の頂に残された宮殿跡と、四方を取り囲むジャングル。

ちょうどいい感じに陽も傾いてきた。逆光の中、遠くに湖?貯水池?が光る。

自分が立っているような岩山が所々に飛び出してはいるものの、基本的にこの国はジャングルに覆われているんだなぁ・・・
海辺に生まれ育ち、いま東京暮らしの自分にはあまり馴染みのない光景に目を奪われるばかり

この日もダンブッラはヘリタンス・カンダラマに泊まった。

2・7・8 ダンブッラ ⇒アルヴィハーラ ⇒キャンディ ⇒マータレー (2011年8月1日)

3泊したヘリタンス・カンダラマをチェックアウトし、一路南へ。
まずはスパイス・ガーデンへ。自分がリストアップした訪問希望地には入っていなかったのだが、旅行社の方に勧められて寄ることに。
エントランスで撮った野菜たち。

カカオもスパイスなのか

こちらはペッパー。

お土産用に様々なスパイスや、それらを原料とする薬品を売っていたのだが、デモンストレーションの衝撃で脱毛クリームを買ってしまった。
手の甲、小指の付け根の下に生えていたムダ毛に塗ってもらったところ、するりと抜けたのだ・・・ビックリしてそのクリームを手に取ると、お店の方が「その手で絶対に髪の毛を触らないでください」と強めに言ってきたので、相当効果があると思われる。
ここでランチもとったのだが、例によって全く画像を残していない。ごめんなさい

次はアルヴィハーラに停まった。アレンジを依頼した旅行社から渡されたスケジュールには含まれていなかったのだが、寺院遺跡が好きだと繰り返し口にしていた私のために寄ってくれることになった。追加料金が発生するのか念のため確認したが、移動の途次だからもちろんナシとのこと。わ~い
【アルヴィハーラの歴史は紀元前1世紀に遡り、これまでに立ち寄ってきたアヌラーダプラ、ダンブッラ、ミヒンタレーと並んで古い寺院だという】
岩をくりぬいて造られた寺院である。

黄色い座像を戴く仏塔が遠くに見える。

ランプを置くための穴が無数に並んでいる。キレイな三角形なので、切れ味鋭い道具を用いてわりと近年に開けられたものではと推測するが、真相は不明
てか、夜はさぞや幻想的な光景なんだろーなぁ

寺院内の地獄絵図がユニークだった。そういえば、バリ島のクルタ・ゴサにもこんなのあったな・・・国は違えど、通底するものがあるんだなぁ。


蝋人形まで・・・。ガイドのΩさん曰く、これらを子どもに見せて悪いことをしないように教育するんだそうだ。

こちらは僧侶たちの蝋人形。

境内で犬が寝ていた。無防備なこのポーズに弱い自分。あぁ~ なんて可愛いの 瘦せすぎなのがちょっと気になるけど・・・

なお、このお寺には図書館があり、仏典などの古代に書かれた文書が保管されている。下の画像でガラスケースの左下を除いて、左上や右に写る横長の物体がそれである【文字が書かれているのはパピラという細長い紙で、蒸したヤシの葉を乾燥させて作られる。2,000年前に刻まれた文字を今に伝えているのだからスゴイ】。

サービスで、パピラの紙片に WELCOME TO SRILANKA、氏名、西暦年月日を書いてくれた。鉄筆でパピラに文字跡をつけているところ。

この後、炭と油脂を混ぜたものを文字跡に塗り、さらに米粉をまぶして磨いていくと文字が現れる。こちらが執筆に使われるモノたち。


この日の宿はマータレーだったが、一旦通り過ぎて10数㎞南のキャンディへ。
後から振り返ってみると、旅程の都合上 このタイミングでキャンディにおける買い物タイムが設定されていたようだ。
キャンディ湖越しに臨む仏歯寺(観光するのは、この4日後になるのだが)。

バティック屋と宝石屋へ連れて行かれて、シーギリヤの壁画をデザインしたバティック【ろうけつ染め。インドネシアなど東南アジアで盛ん】をお土産に買ったまではいつもの流れだったのだが・・・
ほっほ~ こんな煌びやかな世界もあるのね、と好奇心だけで眺めていたはずの宝石にひとめ惚れしてしまうとは 
旅立ち前に目にしたガイドブック情報で、宝石が豊富に産出する島だと知ってはいた(ダイヤモンドとエメラルド以外は採れるらしい・・・すごすぎる)。が、まさか購入に至るとは予想もしていなかった。
心撃ち抜かれたのは、パパラチアという石【コランダム。シンハラ語で「蓮の花」と表現される、オレンジでありピンクでもある何ともいえない優しい色合い。認められる色の範囲が狭いために希少で、幻のサファイアといわれる】
穏やかな朝焼けを連想させ、眺めているだけで心が温かくなってくる・・・。ふだん寒色系を好む自分が惹きつけられたことに驚き、直感で買い求めることにした。決して衝動買いではない、そう思いたい自分がいる
ルース(裸石)を好きなように加工してもらえるのだが、少し迷いつつも指輪に仕立てることにした。ネックレスだと自分の目に入らないので
サービスで、両脇にホワイトサファイアを付けてくれた。値段については備忘録に記しておらず、記憶も定かではない(下の画像は、この記事を書くにあたり撮影)


キャンディから北上し、マータレーにあるアーユルヴェーダ宿で降ろしてもらった。ドライバーのΦさん、ガイドのΩさんとは翌々朝までしばしのお別れで、ここから2泊3日(実質1泊2日)の施術がスタート。宿泊するコテージに通されると、ベッドに並べられた葉っぱが WEWA DEEGAYU(てっきりシンハラ語と思ったのだが、この記事を書くにあたり調べてもヒットしなかった いったい何語??)。

引きで見るとこんな感じ(撮影は翌朝)。

20時前、レストラン棟にて夕食。手前はカレー。フラッシュ撮影していないので、薄暗い画像でごめんなさい

左はロティ【ココナッツの削り粉と小麦粉を混ぜて焼いたもの】。右はパリップ・ワデー【パリップという豆の生地に野菜などを入れた揚げ物。マサラワダという南インドのタミル料理がルーツ】。

クッキーのようなスイーツ。

粗食を覚悟していたが、予想以上に美味しくて食べごたえがあった・・・満足

7 マータレー (2011年8月2日)

とても静かな夜が明け、気持ちよく目覚めた。
6時、朝食に向かう。下の画像の正面がレストラン棟、手前は施術者が宿泊するコテージ。

森を切り拓いてつくったと思われ、緑豊かな環境である。食材および施術に用いるハーブは敷地内で栽培されているという。

テーブル上に様々な副菜が並ぶ。

コラキャンダ【ツボクサなど葉野菜の汁で炊いた、若草色のお粥。ココナッツミルク、ニンニクも入って栄養満点】を撮っていないのが悔やまれる 温かいうちに食べたくて、デジカメそっちのけだった結果 そしてまた、これが美味だったんだよなぁ

6時半、同宿の人々とともにヨガ。8棟のコテージのうち、自分を含めて5組が泊まっていたが、全員日本人だった。
これまた人生初体験のヨガ、時計を持っていなかったため正確な時間は分からないけど、30分くらいのはずが限りなく長く感じられた。終わる頃にはヨレヨレだったわ・・・ムリなポーズが多いんだもん でも、決まるとキレイなんだよなぁ・・・中に経験者の女の子が1人いて、素人目にもメッチャ上手かった。
自分のは絶対に鏡で見たくない。参加者のほとんどが初心者だったのは不幸中の幸いかも

9時、施術舎にて問診を受けた。入口はこんな感じ。

質問がたくさん並んだ問診表に記入した後、ここで医師と1対1で話した。

言葉を憂える必要はナシ。この施設で働く方々は皆スリランカ人なのだが、オーナーが日本人かつ客の多くが日本人ということもあり、カタコトの日本語をしゃべることのできるスタッフが多く、施術の合間にかけられる言葉は全部日本語だった。「熱い?」「気持ちいい?」「大丈夫?」etc・・・医師も例外ではない。
改善したい症状について、まずは肩こりを挙げ、便秘もリクエストしてみた。日頃はそんな状況にならない自分だが、この旅に来てからというもの朝食後すぐに出発が多く、リズムが狂ってしまった。また、目に見えて分かる効果を期待してもいた(汚いハナシが苦手な方、ごめんなさい m(_ _)m)

この15分間の問診で施術内容が決まり、2時間半に及ぶ午前の施術が始まった。
まずは全身マッサージ。ウッディーなオイルの香りが辺りに漂う。背中や手のマッサージ、いい所に響いてる感じ。特に頭のマッサージがすばらしく、目の周りやこめかみがものすごく気持ちいい。そんなに力を入れていない風なんだけど、効くぅ~
次はシロダーラ【ハーブやスパイスから抽出したオイルを温め、額に垂らす施術。チャクラ(エネルギーが出入りするスポット。7ヶ所あり、額のそれは直感をつかさどるらしい)を覚醒させるという】。ハバラナに続き、この国で2度目となる。いつの間にか眠りに落ちていて、一体どのくらいの時間やっていたのか不明。オイルは大地の香り・・・おがくずのような、木々の安心する匂い。

最後にスチームバス。これまた2度目だが、ハバラナの時のように温度が高くなく、時間も短い。よってダラダラ汗をかくことはなかったが、1時間くらい経ってから身体がポカポカしてきたのだった。

午前の施術を終え、昼食を数十分待つ間に日記を書く。ものすごい格好をしながら。
全裸にサロン(面積の大きな布)を巻き、その上からバスローブを羽織っている。オイルを一刻も早く洗い流したい衝動に駆られるが、シャワーはランチ後と指示されているので耐えねばならない。しかも、シャワーまで耳栓も取ってはならないという。この耳栓、ペーパーを長く丸めた形状で耳から突き出る長さ。なんとも珍妙な風体でレストラン棟に赴かねばならない。そういえば、昨日の夕食時に耳栓してる人いたなぁ・・・もはや、ここでは割り切るしかないのだろう
なお、ランチのメニューはバナナの実のカレーとヘチマのカレーだったようだが、画像を撮っていない 

午後の施術は15時からだった。まず、膝下からのフットマッサージでは ものすごく細かくツボらしきものを押さえてくれた。痛いとまではいかなくとも、所々手ごたえを感じる部分があった。どこが悪いんだろう・・・思い当たることがありすぎる 
足湯20分をはさんで、肩のマッサージ。最後はハーブボールで肩を刺激。午後はあっさりと70分で終了。明朝は6時半に発つので、これで全ての施術が終わった。

部屋に戻り、施術終了から30分くらいしたころ下腹に痛みを感じてトイレへ。なんと、朝に続きこの日2度目のお通じだった。午前と午後にプルーンと思われる液体を飲まされたのもあるけど、これは・・・施術の効果が出たのではと思ってしまう自分はいかにも単純なんだろーか
19時半の夕食までフリータイム。日記とポストカードを書きながら のんびり過ごすつもりでコテージのテラスに出た。緑に囲まれた谷にあるので、風が吹き抜けてとても涼しい。この国に来て日射しがキツイ、さすが赤道に近いと感じるけど、湿度がないので日陰にさえ入れば真昼でもしのげる。
暮れが近づくにつれ蚊がヤバイと思いつつ(←携帯用のベー〇マットを傍らに置いてはいる)、居心地が良くて思いのほか長い時間をテラスで過ごした。

この日、同宿の人々は宿主催のツアーでシーギリヤに出かけると言っていた。よって夕食は途中まで自分ひとり、しばらくしてこの日に到着したらしき日本人と思われる女性が来て2人きりだった。近づかないでオーラが出ているのを感じ取り、声をかけずじまいだった。日本語が大声で飛び交い、ここは日本じゃないかと錯覚してしまいそうなこれまでのダイニングとは随分異なる雰囲気で食事を終え、部屋に引き揚げた。
夕食はたっぷりの野菜&お魚の料理。

ヨーグルト&フルーツ。

締めのハーブティー。

21時過ぎ、レストラン棟のほうから談笑する声が聞こえてきた。ツアー参加者たちは遅めのディナーだったようだ。何処に行っても聞き役がラクな自分、シーギリヤの感想を聞いてみたかったな。日本語ペラペラのガイドΩさんのおかげで、日本語が恋しいわけではない。アーユルヴェーダを受けたくてスリランカに来た、遺跡観光はそのついで、という彼らのスタンスは自分とは真逆である。旅には色々なスタイルがあることが面白く、ここに泊まらなければ出会えなかった種族の彼らともう少し触れ合えたなら より楽しかっただろう。

日頃とは若干かけ離れた 食事制限あり・アルコールなし・テレビなし・クーラーなしの生活は、わりと受け入れることができた。自分的には野菜・魚・果物があれば満足できることも分かったし、お酒なしでも2晩なら過ごせた。暑さ対応は立地に救われた感があるけど、テレビは日頃からBGM代わりにつけてるだけだしなぁ・・・
が、施術や食事の合間に飲まされる丸薬(直径1㎝程)には閉口した。カルダモンとかコショウの香りがして最初はいいんだけど、後味が何ともいえず不味い。独特の香りなんだよなぁ

日記とポストカードがあれば、かなりの時間を過ごせそうだ。ゆったりと時間が流れてゆき、心地良くもある。ここまでの5日間、暑さの中を埃にまみれて歩きまわるスケジュールだったので、旅の半ばにしてちょうどよい骨休めになった 
とはいえ、1週間以上の長期滞在(選べば、そんな設定もあるのだ)は自分には無理だと思う。異国で(国内でも?)出歩きたいサガはどうしようもない 

★ 中締め ★

旅の第3弾では、紅茶栽培で知られる高地ヌワラ・エリヤを訪れた後、キャンディで催されるペラヘラ祭を見物します。
これまでにお届けした中北部とはまた異なる魅力の詰まった中南部篇をお楽しみに






















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