poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

インド篇(2)その1

2020年09月18日 | アジア
大学時代の友人Cちゃんと飲んでいて何かの拍子に、日本を去った後のフランシスコ・ザビエルについて話題になった。その後の調べで、明への布教を目指して上川島(広州沖)で待機中に病死したことが分かり、行ってみようか・・・となったのが2007年。それ以来、ザビエルの足跡を訪ねるCちゃんとの旅を数度重ねてきた(このブログでいつの日か紹介したい)。
上川島に埋葬されたザビエルの遺体は腐敗することなく、ミイラ化した。生前の偉業やその奇跡ゆえ、各地でザビエルの遺体から一部が切り取られ、聖遺骸として崇められている。そして、最終的にゴアに安置されている遺体は10年に1度しか公開されないと知った。直近は2014年11月22日~2015年1月4日。絶対に行こうね!と約束し、ついにその年が巡ってきた

自分的には2000年以来2度目のインド訪問となるので、(2)とした。6日間の旅を2つに分けて、前半をその1とする。旅の前半では、下の地図に示している場所をまわった。


1 パナジ ⇒オールド・ゴア ⇒フォート・アグアダ (2014年12月27日)

(航空券の購入をモタモタしていたら、アブダビまで飛んでインドに戻るという意味不明のフライトになってしまった ともかく前夜ゴアに到着し、先に現地入りしていたCちゃんと合流したのだが、詳細は割愛する)
本日はこの旅のメイン、ザビエルの聖遺骸にまみえる日。朝食後すぐにホテルを出て、ガダムバ・バススタンドを目指す。その道中、マンドヴィー川に注ぐ小川を越える。
昨夜着いたばかりでこんな感想を抱くのは気が早いかもしれないが、本当にここはインドなんだろうか?? 北部を中心にまわった初インド旅の時とはずいぶん印象が違う。車も人も多くなく、のんびりしていて空が広い。
ちなみに、対岸の広告KINGFISHERはインドでシェア第1位を誇るビール、その名のとおりカワセミをラベルに擁する。この旅で何度もお世話になった。

オールド・ゴアへのバスは頻発している(10分おきくらい)。が、ぎゅう詰めである。これはいつものことなのか、10年に1度の公開に伴うものかは不明・・・

揺られること25分、約10㎞内陸に到着。バスを降り、なんとなく人の流れについていくと・・・とんでもない行列が

若干怯みつつ、ともかく列に並ぶ。聖遺骸の公開は8日後まで。このためにやって来た私たち、何時間かかろうとも進むしかない
道路を挟んで向かい側にあるのはボム・ジェズ教会【1552年、上川島で没したザビエルの遺骸はマラッカを経由して、翌年12月にゴアへ運び込まれた。当初は別の教会にあったのだが、この教会が完成した1605年以降はここに安置されている。ただし、10年に1度の公開イベントの間だけは数十m離れたセ・カテドラルへ移される】。
もちろん、写っている頭部は行列している方々の。

白い仮設テント屋根の下に続く行列、聖フランシス教会の脇をうねっている。まだまだ遠い道のりだなー 
ひとまず、道路サイドから芝生エリアに入らなければ。

並び始めて1時間半、ようやく芝生に到達。ステージが上がったぁ 最初の道路サイドがはるか向こうに見える。

が。結論から言うと、ここからが更に長かった
前日から飲み始めたペットボトルの水は半分もない。教会の配慮で給水タンクが設置してあるのだが、飲んでお腹を壊さないか自信がなく手を出せない・・・そもそもトイレに行けないので、飲むのを我慢してひたすら暑さに耐えるしかなかった 軽~く頭痛がしていた。今思えば、熱中症になりかかっていたのかもしれない。
待つ間に気を紛らわしてくれたのは、ザビエルの生涯を紹介するパネルたち。来日したザビエルが4ヶ月で500人の信者を生み出した、とある。
パネルをもっと撮影しておけばよかったなぁ~ まさかブログやるとは夢にも思わなかったあの頃

ようやくセ・カテドラルの近くまで来た。

この後、ザビエルと対面を果たしたのだが、もちろん内部は撮影禁止。ついでに言うと、立ち止まるのも禁止。そんなぁ~
代わりに、Cちゃんが撮影してくれていた このイベントのポスターを載せる(写っているのは上半身のみ)。
実は、聖遺骸の全身が写ったポストカードを教会の売店で買ったのだが、何処にしまったのか見つからない・・・本当にごめんなさい


顔は眼窩がほぼ潰れていた。人相が分からない・・・(いや、そもそも絵でしか知らないのだった
透明のケースに入れられた聖遺骸の周囲を牛歩で進みながら、全身を目に焼きつける。
なかでも、足を忘れることはないだろう。あの足で故郷ナバラを出たあと幾多を経てゴアへ、そして日本にもやって来たのだ。
後半篇も含めて、今回の旅ではそこかしこで教会を見かけ、クリスチャンのインド人にたくさん出会った【2011年実施のインド国勢調査によると、キリスト教徒は人口の2.3%。ヒンドゥー教徒(79.8%)・イスラム教徒(14.23%)には遠く及ばないが、堂々の3位】。イエスの弟子聖トマスによる布教の伝説もあり、ザビエルの遥か以前からインドにキリスト教がもたらされていたとはいえ、圧倒的にヒンドゥー教とイスラム教が強い土地にキリスト教を根付かせるにあたってザビエルが一役買ったことは間違いない。人間が日々なす行為の尊さに心震える。

暑さ、水、トイレ・・・世俗の欲望との苦闘3時間15分の果て、20秒だけザビエルに会うことができた。
心おきなく教会を後にする。どうやら私たちは横口から入り、正面から出ることを許されたようだった(下の写真は翌日撮影したファサード)。


旅の第一目的を果たし、何となくホッ 喉がカラカラだったこともあり、近くのお店に入ってビールで乾杯 
その後、並んでいる最中 目に映っていたボム・ジェズ教会に入ったのだが、実は翌日も訪れたので、後でまとめて記すことにする。
15時頃バスに乗りパナジに戻って、バススタンドでCandolim Beach行きに乗り換え。ポルトガル人が築いたFort Aguadaを目指す。
40分でビーチに到着、目についた両替屋に入る。前夜の空港では最小限の両替だったので、ここで思いきって今後の旅資金を得ておく【ゴアの西方、アラビア海に臨む海岸沿いには数十㎞にわたってビーチが広がる。欧米人に人気の観光地らしく、両替屋の他にも土産物屋などツーリスト向けの店が軒を並べている】。

折よくやって来たトゥクトゥクをつかまえて、Fortへ向かう。途中からはうねうねとした山道をのぼっていく。

目の前に広がるアラビア海。16世紀前半、ゴアを東方進出の拠点と定めたポルトガルは、その十数㎞西の岬に砦を築いた。


時刻は17時過ぎ、太陽が傾いていく。
本当はこの砦で日没を迎えたかったのだが、closedのため追い出されてしまった

アシが無いので、往きはトゥクトゥクで20分かかった道のりを、ひたすら歩いて戻るしかない。
途中、偶然見つけた教会の庭にはクリッペがあった。人形以外は、土や藁や石など自然のもので作られていた。珍しい

ついでに、この教会の脇から夕陽を眺めることにした。
下の写真、右に突き出ている岬が先ほどまでいたFort Aguada。

いよいよ最後はオレンジ色に輝いていく。

完全に暗くなる前に山道を抜けるべく、駆け足で進む。
途中の入江には漁船が係留されていた。船体に十字架マーク・・・クリスチャンの漁師さんなんだろうなぁ。

下りだったせいか、予想より早く30分でCandolim Beachに到着。
バスを待ちながら、目の前の小間物屋で店主らしき人がヒンズー教のものと思われる店先の祭壇にお香を焚くのをぼんやりと眺めた。
30分経過・・・バスが来る気配は一向にない。
タクシーに切り替えたほうがよさそうだ。同じくバス停で待っていた女性2人組にシェアを持ちかけ、交渉成立
そして、あっという間にタクシーを呼んできてくれたタイ人女性の手際のすごさに感謝
30分くらい乗車して、一人あたり175ルピー(約300円)。ありがたい

夕食はポルトガル料理も出すお店と決めていた。
小道に面したベランダにテーブルと椅子が置かれていて、雰囲気が抜群

下の写真、2皿目はお店のスペシャリテのお魚料理。ピンボケ画像しかなくて、ごめんなさい


ポルトガル料理なら、やはりワインでしょう~ 日本でも最近見かける、SULA【ムンバイの180㎞北東、ナシクに1997年創設されたワインメーカー。アメリカはソノマの技術を導入し、今や世界に通用するアジア最高のワインと評されている】。ロゼの桜色が目に涼やか

酒豪のCちゃんと、強くないくせにお酒好きの私。備忘録によると、赤ワインも頼んだようだけど画像がない。手ブレがひどくて消去した模様
何はともあれ、美味しかった~ ごちそうさまでした


1 パナジ ⇒オールド・ゴア (2014年12月28日)

翌日には発つので、パナジはこの日が最後。前日ほぼ列並びに終始してしまったオールド・ゴアに再び向かい、他の教会も巡ることにする。
宿からバススタンドへ向かう途中、パナジ教会へ寄る。クリスマス直後という時節柄、階段下にクリッペがあった。等身大のマネキンがリアル~
上は往きに、下はオールド・ゴアから戻って来て撮影したもの。朝日にきらめく感じも、青空に映えるのも捨てがたく、両方載せちゃう


前日ほどの混み様ではないものの、やはり座れないバスでオールド・ゴアへ。真っ先にボム・ジェズ教会へ足を運ぶ。
前日 道路脇に並び始めた時、ず~っと目先に映っていた教会脇の十字架は赤茶色のラテライトでできている。吊り下がる鮮やかな黄とオレンジ色の花 車のフロントガラスなどにもよく飾られているから、インド風アレンジだろう。面白いなぁ

教会の前面はこちら。テントは、イベント期間の仕様だろう。
ラテライトを白く塗り込めているセ・カテドラルや聖フランシス教会と違って、赤茶色の風合いをかなり残した外観。自分的にはこっちのが好みだな~

中に入って、主祭壇は金でキラキラしている。

主祭壇の右手前、側廊にザビエルの棺がある。遺骸公開の期間でない時、すなわち普段はこちらに安置されている。
銀製の棺はゴージャスな装飾が施された土台の上にあり、その高さはゆうに3mほど。窓(?)から覗き込むのは到底ムリ 
公開イベント期間外に訪れたら、存在を心眼で感じるしかないんだろうなぁ・・・


さすがザビエル様をまつる教会、彫像が複数ある。




最後のは、中庭のクリスマス装飾の一部。記された聖句は「人は、たとえ全世界を手に入れたとしても、自分の命を失ったならば、何の得があろうか。」
≪マタイによる福音書16章24~26節およびマルコによる福音書8章36~37節≫
見知らぬ土地を次々と踏破しながら布教していくことは、ザビエルにとって自分の命を燃やし続けることだったんだろうなぁ。
実践するのは並大抵のことではない・・・

教会を出て、西へ向かう。聖モニカ修道院は修復中だった。
アズレージョのような色付きのタイル。ちょっとポルトガルっぽい。


南西に進むと、遠目にも大きなタワー状のものが屹立している【高さ46m】。

聖アウグスティヌス教会跡。案内板を見ると、かつては壮大な堂宇がそびえていたようだ。在りし日の姿を想像しながら歩く。


教会の床に刻まれていた碑が残っている。前方には、黄色と青を使った色タイルの壁。

遮るもののない炎天下を歩きまわり、喉がカラカラ。
もと来た道を戻りつつ、食堂でビールを注文。まだ昼なので、小瓶のシェアにとどめておく
休憩後、街歩きを再開。聖フランシス教会(含 考古学博物館)は閉まっていた。ガイドブック情報だと「無休」なのだが、これも公開イベント絡みの特殊状況なんだろうか。
あきらめて先へ進みつつ、横を通りかかった聖カタリナ礼拝堂は見目麗しかった。石と白壁のバランスが素敵 閉まっててもいい、見るだけで癒されるぅ~

お次は聖カジュタン修道院へ。敷地も広く、立派だった。木彫の説教壇。


修道院を出て北上すると、門があった。

門をくぐると、ほどなくしてマンドヴィー川に行きあたる。船を係留するための杭が立っている。
ここがかつての波止場。ザビエルは下船して、先ほどの門をくぐって教会へ向かったのだろうか・・・想像をめぐらせた。

目の前には水遊びをする親子。それを眺めるともなしに佇む人々。
ゆったりと流れる時間が いにしえと重なった・・・ような気がした(笑)

オールド・ゴア発のバスで珍しく座ることができた。眠気に襲われつつ、パナジへ戻る。
サン・セバスチャン礼拝堂を目指して、街歩き。この付近はコロニアル風の街並みが残っている地区らしい。
確かに、画像だけ見せられて何処かと問われたら、インドとはなかなか思い浮かばないだろう。



一度ホテルに戻って荷物を置き、再び外出。
その途上、街中で見かけた祠。赤ん坊を抱いているところからすると、聖アントニオかなぁ

フィッシュ・マーケットと市営市場をブラつく。魚の種類はよく分からないけど、蟹らしきものもあった。


17時半過ぎ、早めに夕食をとる。目をつけていたレストランに振られ、結局は宿の近所のお店へ。
前夜と違って、今日は思いっきりインド料理。手前から右奥に向かって、野菜サブジ、海老、ビーフマサラ。
牛肉がメニューに並ぶのも、キリスト教徒が多い土地柄か。

宿の近くのリカーショップで晩酌用のビールも入手。ゴアのみで販売、とラベルに書いてあった。
アルコール控え目で、21時過ぎには就寝。午前4時過ぎの国内便に乗るため、夜中に起きなければならないのだった。


★ 中締め ★

旅の後半は、カニャークマリ(コモリン岬)とコーチンを訪れます。
が、飛行機が大幅に遅れるトラブルが発生 自分の旅史上、一・二を争う事態に突入
どうかお楽しみに~























 















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする