poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

キプロス篇 その2

2020年08月13日 | ヨーロッパ・アジア
旅の後半、はじまりで~す!
下の地図中の①③④は旅の前半で、➋➎~⓭は旅の後半で訪れた場所です(表示が難しいため、➎については近接する3つの教会をまとめて一本化)。
なお、2~13の数字は後の下線部の数字と対応しています。


2・5~8 レメソス ⇒トロードス地方 ⇒オモドス ⇒レメソス (2015年8月24日)

前夜洗濯しないまま眠ってしまったので、起床後すぐに実行。本日はトロードス地方の教会を巡って再びこのホテルに戻って来るので、干したまま出かける。連泊って便利~ お掃除の人は驚くだろうけど
パフォスのモザイクに魅かれキプロスについて調べ始めた時、トロードス地方の壁画教会群にも興味を持った。計10ヶ所が世界遺産に登録されているのだが、山あいにあり公共交通機関での訪問は難しく、さらに鍵を開けてもらわなければならない教会もあることを知り、車をチャーターするしかないと考えた。検索して辿り着いた日本の旅行社を通じて手配(旅初日の空港出迎えのドライバーNさんも同じ会社に依頼)、そうして出会ったのがドライバーのMさん、美しき白髪ロングの女性である。年齢は50代後半~60代といったところか。白いパンツを履きこなし、サングラスをカチューシャ代わりに掛けるのもカッコイイ

トロードスの教会群はレメソスの北40㎞の山岳地帯に点在する。結論から言うと、この日は1日中走りまわった(自分が運転するわけでもなく、苦ではないのだが)。
行き先はお任せした。こちらから指定するほど事前に知識を得られなかったので、現地の方にお任せするのがいいだろうと考えた。結果的に、以下5つの教会に立ち寄ることができた。

(Ⅰ)The church of Archangel Michael (ペドゥラス村)
石畳を歩いていくと民家と民家の合間に突如現れた、小ぶりな教会。

内部は木の梁が目立ち、温かみを感じる。正面が祭壇。

祭壇右方の聖人(?)の下に注目。漆喰の上に直接描かれた十字架の手作り感に、置かれたレースも素敵

この教会は1474年築といわれていて、今回まわった教会の中では最も新しかった。壁画はおもに新約聖書の場面が広がる。
イエスの誕生。左下に頬杖をつくヨセフ、右上に羊飼いと、登場人物をたくみに配置している。

エルサレム入城(変に光ってて、ごめんなさい)。

逮捕されるイエス。左下で、小さいペテロが耳切りをしている。限られたスペースに定番の場面を盛り込むための苦肉の策なんだろうけど、このサイズ感 面白いなぁ

聖母マリアの臨終。画面中央のイエスは、赤子と化したマリアの魂を抱いている。

十字架にかけられたイエス。


(Ⅱ)The church of Panagia (ムートゥーラ村)
うねうねとした山道を上がり、とても見晴らしの良い場所にあった。
下の写真は、教会の目の前のテラスから見た景色と、外観。


こちらの教会は1280年に寄進されたという。壁画は剥がされている部分も多いけど、赤の色使いがとても印象的だった。
祭壇上のマリア、表情がリアル。そして、ヒビの入り具合が絶妙・・・

幼子を抱くマリア。イエスの右手はしっかりと祝福のポーズ、この部分が剥ぎ取られなくてよかったぁ

聖ジョージ(ゲオルギオス)、燃え立つような赤が情熱的に見せる。

ここでもイエスの降誕。マリアの左に横たわるイエス、その左には東方の三博士。そして左下にまたしてもヨセフ、イエスたちを見上げている。
降誕の場面のヨセフは疎外感ハンパない描かれ方をすることが多い。聖家族の一員なのに、神々しいイエスとマリアとは対極的に表現されがち。でも拗ねてる感じのヨセフ、個人的には好きである(ちなみに一番のオススメは、イタリアはヴェローナのサンゼノ・マッジョーレ聖堂のファサード。イタリア篇でいつか紹介したい)。

ラザロの蘇生。キプロスといえばこのモチーフでしょ。鼻を押さえる人物(右から2人目)がラザロを見上げる視線、メッチャ写実的(笑)

磔刑、かろうじてイエスの顔が残されている。

扉の木彫は同じ模様の繰り返しながら、とても立体的

実はこの教会に行く前に、民家の前で停車。ん ドライバーMさんの呼びかけに、出てきたのは鍵の管理人のおばちゃんだった。Mさん曰く、数回に及ぶ電話攻撃によりようやく鍵を開けてもらう約束を取りつけたという。本当にありがたい・・・感謝の念でいっぱい

この先の行程をみて、腹ごしらえしましょうとドライバーのMさんに声をかけられた。のぼった道を下りながら、村のパン屋さんらしき場所で停車。
チーズサンドを以て昼食とする。挟まれているのはハロウミ【キプロス原産のチーズ。ヒツジやヤギのミルクから作られ、熱しても溶けないので焼いて食すことも多い。繊維状に割け、モキュモキュとした食感が独特】。旅の当時、特産品とは知らなかった・・・キプロスを訪れる前、ヨルダンで食したことがあったため珍しいとも思わず写真に収めていなかった、残念 
下の写真は、その大きさに驚いて思わずパシャリ。大人の頭は優に超える大きさ、家族で分け合って食べるんだろうな~


(Ⅲ)The monastery of Agios Ioannis Lampadistis (カロパナヨティス村)
こちらは橋を渡り川を越えた先に現れた、かなり大きな修道院だった。
内部は一切撮影NGで、一枚も写真を残せなかったのが残念 (かわりに、後日ニコシアのビザンティン美術館のショップで入手したこの修道院の冊子を眺め、心を慰めている) こちらは、異なる時期に建てられた3つの教会が今日ひとつ屋根の下に収まっている。最も古いのはSaint Heraclidius(Irakleidios)教会の壁画で、12~13世紀のもの。とはいえ、内部には18世紀までの様々な年代の壁画が混在しているので、審美眼がかなり要求されるかも 壁画を見上げながらひとまわりした際、この辺りは古そうだな~と思うエリアがあったのだが、果たしてそれが13世紀のものだったのか、まるで自信がない【今後この修道院を訪れる方がいらっしゃいましたら、Saint Heraclidius教会の西壁をしげしげと眺めてくださいね。十字架にかけられたイエス、その右下には大きな天使ミカエルが描かれています。私のオススメはその磔刑の左下の場面、イサクの犠牲。息子の髪を引っつかむアブラハムの背後、幽霊のように現れる天使がツボ


(Ⅳ)The church of Panagia Phorviotissa(Asinou) (ニキタリ村)
現地では「アシヌウ」のほうが通りが良いかもしれない。そんなに大きくはないが、トロードスを代表する壁画を擁する教会。
下の写真、右側3分の2が1105年創建の本堂で、左側3分の1(膨らみを持つ部分)は約100年後に増築された。

12世紀初頭、最も古い壁画のひとつ(南東壁)。アーチの下に聖母神殿奉献【3歳のマリアが両親に連れられて神の宮に入る。マリアの両親は娘が特別な務めを果たす者と知っており、神との約束通りマリアを連れて来た。以後、マリアはヨセフと結婚するまでこの宮で過ごす】の場面が描かれている。中央の小さい女児が後に聖母となるマリア、左は祭司長ザハリヤ。

これも古い壁画(北東壁)。ライトが当たっている部分はイエスの誕生。右端の、左足を前に踏み出しているのが受胎告知する天使ガブリエル。
告知を受けるマリアはというと・・・祭壇をはさんで南に配置されている。ひとつ前の写真に戻って、祭司長ザハリヤの左をご覧ください。

背景の緑色の美しさに、思わずパシャリ。ただしこちらは画風が異なるので、時代が下るものと思われる。

そして増築部分(西側)へ移動。ナルテックスには、ひときわ目を引く聖ゲオルギオスがおわして・・・背景はラピスラズリを思わせる深い青、宇宙のように神秘的。凛々しい顔つき、めっちゃイケメン。思わず魂を奪い去られそうになった 写真に残せなかったのが残念 
えっ さっきのは何、ですよね・・・ 実は、自分が入った時に団体客たちがいてバシバシ写真撮ってたからそのつもりでいたら、途中で係員に撮影禁止と言われてしまった
本来なら撮れるはずのない写真、掲載するか迷ったが・・・キプロスに興味を持ってくださる方がいるかもしれないと思い、意を決して載せた。
【ちなみに、この教会には他にも著名な壁画がある。増築部分とを隔てる本堂の西壁には、エルサレム入城・最後の晩餐・聖母の眠りが描かれており、こちらも12世紀初めに遡る古さ。特に聖母の眠りで足元に見えるパウロは、イギリスはカンタベリー大聖堂の壁画に影響を与えたなど、美術史的に重要な作品らしい・・・というようなことを、この記事を書くにあたり調べた結果知った】

(Ⅴ)The church of Panagia Tou Arakos (ラグデラ村)
こちらも内部の撮影は一切禁止だった 外観の写真だけ載せる。1192年に寄進された。

こちらの聖堂は壁面のほぼ全てが完全に近い状態で残っていて、ネレヅィ(マケドニア)やコーラ修道院(トルコ)を凌ぐビザンティン美術屈指の作品らしい。
また、南壁のイコン「豆の聖母」は禁欲的ながら幼子の将来を憂う表情をたたえる名作という。
が、私が魅かれたのは別のイコンだった。神々しさを強調しない素朴な筆致、そして何ともいえないマリアの表情が心に残った。
下の写真は、そのイコンのレプリカ(25×18cm、厚さ2cmの木の板)。後日訪れたニコシアのビザンティン美術館のショップで巡り合い、わが家にお招きした(この記事を書くにあたって撮影)。


教会めぐりの後、ワイナリーへ寄った。キプロスは紀元前からワイン造りの歴史を持つ。トロードス地方がその中心であることを知り、旅行社にリクエストしていた。
ちなみに、トロードス南方の大都市レメソスでは毎年ワインフェスティバルが開かれる。下の写真、レメソス初日の街歩きで見かけた看板。なんと、私が出国する翌日から始まるのね~ 残念


1件目のワイナリーは開けた丘の上にあり、新しそうだった。何種類か試飲させてもらった。
(この記事を書くにあたり検索したところ、Pitsilia地方にあるKyperounda Wineryと判明。1990年代後半の創業らしい)

2軒目はオモドス村にあるLinos Winery。工程も見学させてくれるようになっていた。



壁にズラリと積み上げられたボトルは圧巻

1件目のワイナリーで買ったのが右のボトル、2軒目で買ったのが左。もちろん赤白両方売っていたのだが、好きな白ばかり選んでしまった
ブドウ品種は右がキプロス固有種のxynisteri、左がxynisteriとリースリングのブレンド。

オモドスは観光向けによく整備されていた。そもそもは4世紀創建と伝わるThe monastery of Holy Crossを中心に、町が発展してきたそうだ。
その修道院に伝わる聖遺物がこちら。ガラスの反射で見づらいですね、ごめんなさい。

十字架そのものは後世の作、中に入っているのが・・・イエスを十字架に縛ったロープの一部なんだそうです
 イエスって、釘で打たれたんじゃなかったっけ?・・・ま、追究はよそう。大事なのは信心。

ちなみに、十字架表面の装飾も凝ってますねぇ。下のイエス捕縛の場面、真後ろから縄をかけようとしてて躍動的。

最後に、オモドスの街に並ぶ土産物屋に入った。で、結局買ったのはワイン
コマンダリアとは、紀元前からの製法(ワラの上でブドウを天日干し、果汁を自然発酵させた後、樽で熟成)を守って作られているワイン。酒精強化してあって、ポルトガルのポートのように甘くて度数が高い。使用する葡萄は既出のxynisteri(白)とmavro(赤)。かのアントニウスがクレオパトラを口説く際、コマンダリアのように甘美で優雅と例えたとか・・・ホンマかいな ともあれ、由緒あるワインは試さないとね~

レメソス帰着は17時だった。がっつり1日、Mさんにお世話になった 
あちこち立ち寄るたびにパンやワインなどをこれでもかと買って持たせてくれたし、教会をまわっている途中で絵ハガキが欲しいと伝えたら、他所では買えないことを知っていたのだろう、自分用に買ったらしいのをポンと譲ってくれた。せっかちなんだけど、肝っ玉の大きい人。お喋りなところもあわせて、関西のおばちゃんぽい人だった

ホテルに荷物を置き、お土産探し&夕食に出かける。何度も往復してきた海岸沿いから1本内側に入った道を初めて探索してみた。表通りから少し入るだけで、街の表情はガラリと変わって面白い。
夕食は目についたレストランで、ムール貝のサガナキ【取っ手が2つ付いたフライパンで焼くギリシャ料理で、具材をチーズとトマトソースで味付けする。単にサガナキという場合、チーズだけを焼いた料理を指す。ややこしや~】。それだけでは足らず、ツナサラダも注文。昼間にワインを舐めたので、夜はビール。



2・9~11 レメソス ⇒キティ ⇒ラルナカ ⇒ニコシア ⇒ラルナカ (2015年8月25日)

この日は出国前日。最終宿泊地のラルナカに向かうため、9時半にレメソスを出発。この旅で初日にお世話になったドライバーNさんがホテルへ迎えに来てくれた。
当初は公共バスでの移動を考えていた。が、ホテルとバス停が2㎞離れており、炎天下に大きな荷物を提げ歩くのが憂鬱になっていたところへ、Nさんの売り込み・・・ちゃっかり乗ってしまった
車内でおもむろに切りだす私。途中、キティ村の教会(ラルナカの西11㎞)に寄りたいと。
途上だからとタカをくくっていたところ、予想に反してNさんは即座に拒否。次の用事でも入っていたのだろうか、かなり強いNo.だった。
が、私も引かない。ラルナカの向こうなら無理なの分かるけど、手前じゃん、寄ってよ~ てな感じで食い下がり、説得に成功。言ってみるもんだね
当初から寄る契約をしておけばスムーズだったに違いない。元々はラルナカからバスで往復するつもりだったが、キプロスで入手したガイドブックを読むうち、最終日の予定が変わり、ドミノ式にその前日にも影響が及んでしまった

レメソスから小1時間で、アンゲロクティスティ教会へ到着。6世紀の聖堂はアラブ人に破壊され、現存するのは11世紀の再建である。

が、アプシスのモザイクだけは襲撃を免れたというのだから、スゴイ
聖像破壊運動により、この時期のモザイクで生き残っているものは多くない。イタリアのラヴェンナくらいか。
と、ここまで煽っておいてお見せする画像はピンボケ・・・デジカメの時代になんでこーなるかなぁ、もう 申し訳ありませんが、心眼でご覧ください。
イエスを抱くマリア様が中央に屹立。左右を囲むミカエルとガブリエルは、天を表す球体を手にしている。金地の背景がまばゆい。
必死に目に焼き付けていたら、駐車場で待っていたはずのNさんがひょっこり現れ、モザイクをチラリと見て踵を返した。全~然興味なさそうだった・・・
ちょっとでも興味を示してくれれば、来てよかったでしょって言えるのにな


11時、ラルナカに到着。皮肉屋だけど根は優しいドライバーNさんとはここでお別れ。
ホテルには荷物だけ置いてすぐに出発、1㎞ほど歩いてバスターミナルへ。日帰りで首都のニコシアを目指す。
1時間余りでニコシアに到着、まずはビザンティン美術館へ。キプロス国内で有数のイコンを有するらしいが、自分の目的は6世紀のモザイク。1974年、キプロス北部にトルコが侵攻した後、著名な教会のモザイクが剥がされて海外に転売された。出所はすぐに明らかとなり、無償で返還されたモザイクを展示しているという点に魅かれた。
たっぷり1時間半鑑賞。撮影禁止のため、挙げる画像がなくて残念

美術館を出て、クロスポイントへ向かう。せっかくの機会なので、グリーンライン【件の侵攻後に建てられた北キプロス・トルコ共和国と、キプロスを分断する境界線。PKFが監視】を越えてみようと思っていた。下の写真はキプロス側(リドラス大通り)から見たクロスポイント、奥がトルコ側。白いパラソルの右側でパスポートをチェックされた。
かつて緊張感漂った時代もあったようだが、現在は24時間オープンでのんびりした空気。ちなみに、メガネをかけた黒人系の係官は最初、私のことを中国人と思ったみたい。ま、いつものことか

北側入境後、人の流れになんとなくついて行くと、モスクにたどり着いた。13世紀初め、イギリスがキプロスを領有していた時代に建設が始まった聖ソフィア聖堂は、16世紀後半に領有者がオスマン帝国に替わるとモスク(セリミエ・ジャミィ)になった。2本のミナレット(尖塔)はオスマン時代に追加されたもの。

モスクに変更後、キリスト教的要素のものは撤去された。が、ステンドグラスは健在。


モスクと目と鼻の先のマーケット、天井は木製。売られる物はやはり西アジア色が強くなる。

生鮮食品も売られている。夏の野菜が色とりどりに並ぶ。

次は北ニコシアの目玉のひとつ、ビュユック・ハン(16世紀の隊商宿跡)へ。中庭を囲む角形の建築。現在は土産物屋やカフェとなっている。



何か飲みたい・・・中庭に面したカフェで、ユーロは使えるか尋ねるとO.Kだったので入店。ほどよく冷えたビールが小気味よく喉元を通り過ぎてゆく。銘柄はもちろんトルコの(このたび調べたら、トルコ国内のビールシェア8割らしい)。
『地球の〇き方』を開いていたら、トルコ系と思われるウエイター(たぶん20代)が話しかけてきた。まず中国人か日本人か確認され、日本人と答えるとさらにフレンドリーになった。そう、トルコ人は親日家が多い。1998年にトルコ本土を旅して実感したけど、飛び地的なここでもそうなんだなぁ~ 
ドイツ語はしゃべれないかと聞かれて、首を振ると残念そうだった。英語でたくさん話すのは苦手なのかな? てか、流暢な英語だと自分が対応できないけど

もう少しだけ歩きまわる。
下の写真は「ベネチアの柱」。1489年にサラミスから移されたと書いてあったけど、それ以上のことは不明。1489年といえば、ヴェネツィア共和国がこの島を支配し始めた年・・・何か関係があるのかもな~

こちらはギルネ門。16世紀、ヴェネツィアによる支配時に城壁が形成されたのだが、城外と中をつなぐ3つの門のうちの1つ【ちなみに残る2つ、ファマグスタ門とパフォス門はグリーンラインの南側、キプロス共和国内に位置する】。

クロスポイントへ戻る途中、遠く左手にミナレットが見えた。案内板を見て、さっきのセリエ・ジャミィと知った。
以上でグリーンラインの北側探訪はおしまい。1時間20分ほどの滞在だった。


ラルナカへ戻るバスの時間を決めているわけではなかったので、フラフラと街歩きを楽しむ。
そのうちふと発見したシャコラス・タワー【百貨店11階にある有料展望台】にのぼった。左手奥の山肌にはトルコのマーク。右手奥にセリミエ・ジャミィ、こうしてみると結構大きいよな~ その少し左にはブュユック・ハン・・・さっきまで歩いていたグリーンラインの北側を、鳥の視線から眺めることができた。このタワーへの立ち寄りは偶然の産物だったけど、予想以上によかった

さらに、ライキ・ギトニア【旧市街の中でも、昔の面影を最もよく残すといわれる場所】をうろつく。時間は17時過ぎ、夕食をとるにはまだ早いかな・・・ニコシアで食事する唯一の機会ではあったが、ラルナカへ戻ることにした。
バスはきっかり1時間でラルナカへ着き、海沿いの道をホテルへ向かう。まだ泳いでいる(というか、海に浸かっている)人たちもそれなりの数いた。
閉じたパラソルが1日の終わりを告げているが、19時過ぎでもまだ仄明るい。夏だなぁ~ 地中海に来ると、夕方の空の色が美しいなとつくづく思う。

夕暮れの聖ラザロ教会。もちろん閉まっているので、見学は翌日に持ち越し。

このあと町なかで夕食をとってホテルに戻ったのだが、写真がないので割愛。日記には、チキンのベーコン巻き(サラダとポテトフライ付)に赤ワイン2杯とある。

10・12・13 ラルナカ ⇒ケープ・グレコ国立公園 ⇒アヤ・ナパ ⇒ラルナカ (⇒ドバイ経由で帰国)(2015年8月26日)

キプロス出国日、乗り継ぎ地ドバイへの便は20時過ぎの離陸。チェックイン後に荷物を預け、ケープ・グレコ国立公園【断崖絶壁が波に侵食され、多数のアーチや洞窟を有する】へ向かう。
その前に、郵便局へ。実はここまで切手を入手できていなかった。入国日が土曜だったこともあり、自分としては前日にニコシアの中央郵便局で手に入れるはずだったが、17時前に行ったら閉まっていた。無事に切手を購入できて、ホッ

乗り込んだバスの運転手にCape Grecoへ行きたいと伝えると、Nissi Beachで101番のバスに乗り換えろと教えてくれた。50分ほど走って海沿いのホテル前で降り、結果的に20分待たされた。
乗り継いだ101番はかなりのローカル路線らしく、観光客と思しきは自分一人のようだった。これは・・・再びバスの運転手に自分の行き先を告げておいたところ、25分ほど進んだ辺りでドライバーが「Cape Greco」と叫んでくれた。降りた所は格別な目印もないバス停。車窓を見ながら自力で判断するのは100%不可能だと思われる。あぁ、伝えておいてよかった 
復路のバスの時刻をメモする。1時間半後にはここへ戻って来なければ。あまり時間ないなー
さて。当てもなく海と思われる方角に歩き始めたら、ずいぶん経って後ろから車が来て追い越していったので、追いかけるように歩き・・・人影を発見。やった~ 着いた
しばらくして現れたKorakas Bridge。あの上に乗りたい もちろん立ち入り禁止だが

ずいぶん歩いて振り返り、パシャリ。海の色が綺麗

30分くらい歩いて見えた景色がコレ。奥には大型ホテルらしきものが見え、あの辺がこの国立公園の中心部と推察される。が、時間的にここまでが限界と判断。

目の前のAgioi Anargyroi Caveへ向かう。小さな教会の脇の階段を降りていく。
遠くで見るよりも波が荒い感じ。海中でたわむれている人たちが数人いた。急な思いつきで訪問のこちとら、水着なし


目的だった海中caveにはお目にかかれなかったけど、雰囲気は味わった。この旅の最東端に別れを告げる。

メモったバスに乗り15分ほどでアヤ・ナパに到着するも、衝撃の事実が発覚・・・ラルナカ行きのバス発車まで2時間とな
自由旅行あるある 腹ごしらえをしつつ、フラフラする。大通りにあまた並ぶレストランの中から何となくチョイス。
ムサカ【東地中海沿岸の料理。今回食したのはギリシャ風で、ナスと挽肉の上にベシャメルソースをかけて焼いたタイプ】、めっちゃ美味しかった ご夫婦の接客も温かく、快適な時間だった。

昼食後メインストリートをうろつくも、お店の品ぞろえはビーチ・リゾート。水着とか買いたいわけじゃないしな~
バス停の目の前のアヤ・ナパ修道院に入る。どんな町でも、教会の類に足を踏み入れる癖がある。だって、来る者拒まずな場合が多いし、たいていタダだし
こちらのお庭でハガキを書かせてもらい、時間をつぶした。感謝



旅のオオトリは聖ラザロ教会【イエスの奇跡によって生き返ったラザロは、キプロスに来て最初の主教となり30数年生きた。2度目の死を迎えた時に葬られたのがここ。地下には彼のお墓がある】。
ラルナカのランドマーク的存在、こちらは朝ケープ・グレコへ向かう前に撮影。青空に映えるぅ~

内部は何本ものアーチ柱に支えられる構造のため、率直に言って狭く感じた。重厚な石積みの壁の間にイコンが現れる。
よく見れば意図的にであろう汚されたイコンがちらほら・・・苦難の歴史を感じさせた。


こちらのイコン、銀の細工がとても細かい・・・額縁の彫刻も精緻

ホテルへの道すがらハガキを投函し、預けた荷物をピックアップ。海沿いの道でタクシーを拾い、空港へ。
最後に買ったのはやはりワイン。キプロス固有品種のxynisteri(白)、クオーターボトル。モザイク風のエチケット 
先ほどのケープ・グレコ国立公園付近にもかつてはアフロディテを祀る神殿があったらしいし、旅の締めくくりに最適、と言い訳を付す


★ 終わりに ★

この国の記事を書き始めるにあたり、疑問にぶつかった。キプロスはアジアなのか、ヨーロッパなのか
旅した実感としては、通貨がユーロだし、主にモザイクや教会などを巡ったこともあり、文化的にはヨーロッパと捉えていた。
が、いつもお世話になっているフリーの地図サイトではアジアに区分されていた。地図帳を開いてみると、ボスポラス海峡の遥か東にあり、アラビア半島は目と鼻の先。確かになぁー
そもそも土地がなければ文化は花開かないと考えるなら、アジアか? 
いやいや・・・ヨーロッパ或いはアジアの一方を選ぶほど、自分はキプロスのことを知らないぞ。しかもグリーンラインで分断されている現状からして、片方に決めつけるのは南側または北側支持と受け取られかねないよなぁ。
そんなわけで、カテゴリーは双方併記の「ヨーロッパ・アジア」とした。白地図に色を塗る段階で、ラインを無視して全島が色づくことに気づいたけど(遅っ)、自分には政治的な意図はない。

それにしても、下調べ不足の旅だった。前半篇で紹介した、ミノタウロスを退治するテセウスの次に楽しみにしていたモザイク「レダと白鳥」を見逃してしまった 
他のモザイクと同様にパフォス考古学公園にあるだろうくらいに思っていたら、ついぞ巡り合えなかった。
いま調べてみたところ、アフロディテ神殿近くのパレパフォス博物館にあるらしい。位置的にはパフォスとペトラ・トゥ・ロミウ海岸【アフロディテが誕生したとされる場所】の間。だとすれば、旅の2日目に海岸とセットで訪れるべきだった。時間も十分あったのに・・・痛恨のミス
自分の準備不足を棚に上げ、愛と美の女神にひと泡吹かされたと悔しがるのは八つ当たり以外の何物でもない。ナメたらあかんぜよ、とアフロディテがウィンクしているような・・・気のせいだろうか

 おしまい 



















































































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