poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

フィリピン篇

2020年11月15日 | アジア
仕事のポスト異動で、4月以来ストレスフルな日々を過ごしていた。このままではいか~ん と一念発起、無理やりスケジュールを空けて旅立つことにした。
4日間の旅とはいえ初日は午後に日本を出国、最終日は昼に帰国しなければならなかったため、短時間でも楽しめそうという観点で旅先を選んだ。
下の地図に示したとおり、セブ島とボホール島。
(てか、フィリピン全土ではなくその一部を着色できることに感動 かつて北アイルランドを塗れなかったあの苦労は、私の技術的な問題だったんだろーか・・・)
地図中の数字は、後の下線部の数字と対応しています。

1 (出国) ⇒マクタン島 ⇒セブ・シティ (2014年7月22日)

時間節約のため、直行するフィリピン航空を選んだ。雨季のセブは人気がいまひとつのようで、1列に6シートのみの小型機にもかかわらず、空席もある。
離陸して間もなく、ガタガタと小刻みに揺れ始めた。接近している台風10号の影響らしい。今のところの予報では翌朝に台湾へ到達、25日朝には朝鮮半島付近に進むので、自分はビミョーにすり抜けられるようだ。なんてラッキーなんだろう
ガイドブックを眺めて翌々日の行程を妄想し、税関と入国のカードを書き、日記を書き・・・気づいたら到着まで1時間になっていた。4時間半って短いなぁ。フィリピンって近いんだ、しみじみ。

ヒコーキは予定より20分早く到着。空港は予想よりもこじんまりとしていた。
入国審査で待たされているうちに荷物はとっくに出ていて、愛用のミニ黒RIMOWAはターンテーブルから降ろされていた。普段はソフトバッグ派の自分だが、治安が悪いかもと警戒して今回珍しくスーツケースにしてみた。

空港で当面の両替をしたのだが、いきなりガツンときた。300ドルが12,450ペソになるはずが、私が数えても店員が数えても11,450なのだ。“One more.”と低い声で要求し、1,000ペソ札を1枚追加させた。そのテに乗るか、こちとら何十ヶ国まわってんだい ぼんやりした風貌だからって、なめないでよね
しかし、いきなりコレだよ。ま、300ドルも一気に替えようとするからリスク上がるんだよなぁ・・・翌日予約しているエステ代をクレジットカードで払うのも気がかりで、現金で支払うためやむなくの高額両替。後味の悪さは残るけど、気づいたんだからよしとしよう

さっそくのジャブに気を引き締めながら外に出ると、メータータクシーを待つ人の列と、出迎えの人々が目に入る。どこに並べばよいのか分からないので、“Taxi!”と声を張り上げているおばちゃんに近づくと、「ようこそ」と怪しい日本語をかけられた。ホテルを聞かれて答えると、どうやら470ペソらしい。ガイドブック情報から大体400ペソと予想していたので、誤差の範囲。暗いし、とにかくホテルに早く着きたいので了承した。

小綺麗な白いボックスタイプの車に乗せられ、18時40分に出発。空港はセブ島にはなく2㎞隣のマクタン島にあり、いわゆるリゾートホテルが林立しているのだが、自分はセブ・シティの中心部に泊まることにした。泳ぎに来たわけじゃないし、セブの町巡りがメインだし
マクタン島とセブ島を結ぶ橋まで10分かかった。その途上は、道路の両脇に個人商店が立ち並ぶにぎやかな界隈だった。煌々と照らし出される人々の群れ。
看板はほぼ英語で、タガログ語らしきものはほとんど見当たらない。それでも、間口の狭い店先に商品を並べる様がアジアを十分に感じさせる。
一人旅では薄暗くなったら出歩かないようにしているので、この時間に到着しなかったら、おそらく見ることのなかった光景だろう。眠りに来るだけの1日目と思っていたが、思いのほか素敵な光景に巡り合えた。偶然に感謝しつつ、目に映るものをひとつひとつ焼きつける。

ホテルまで45分の道のりのうち、最初の15分を過ぎると、妙に寂しい道へと進んで行った。車道も狭いし、交通量も少ない。
まさか、薄暗い所へ連れ込まれて金品盗られるのではと、いつになく疑心暗鬼に ガイドブックでチラ見したマニラのタクシー強盗情報がオーバーラップしているのは明らかだけど、これに先ほどの1,000ペソ詐欺まがいが追い打ちをかける
いやいや、ここはマニラよりやや治安が良いとされるセブだし、深夜じゃないし・・・と必死に否定してみるものの、不安は拭い去れず。
今となっては、細くて車が少ない道も混雑を避けるためだったと理解できるけど・・・その場ではハラハラしたなぁ~ 初めての国に暗くなって一人で到着は、できれば避けたい

プリントアウトしておいたバウチャーのおかげで、スムースにチェックイン。時刻は19時半、出かけるのはパスしてホテル内のレストランへ行く。
伝統的なフィリピン料理は、どれも魅かれた。結局選んだのは、Laing【ほうれん草と豚ひき肉を海老のペーストとココナッツクリームで煮たもの】。生姜のみじん切りが効いていて、美味だった
ライスは蒸してある。若干やわらかめの炊き具合。タイのようにパラパラではないのが興味深い。
グラスワインはあきらめた。だって、ビールの倍の値段なんだもん。ラベル情報によると、サンミゲルのPale Pilsenは国外では売っていないらしい。ふ~む。
その昔ネパールを訪れた時、現地で知り合ったネパール人がビールはサンミゲルが美味しいよと言ってて、ネパール産じゃないんかいとツッコミたくなったのを懐かしく思い出した

寝る前に部屋のクーラーを切った。ヒコーキといいタクシーといい、レストランといい・・・クーラー効きすぎ。
タクシーに乗るため空港から一歩外に出たら、まずメガネが曇ったもんなぁ 温度差で風邪ひかないように気をつけなきゃな~

1 セブ・シティ (2014年7月23日)

この日は前半かなり歩いた。ホテルからサント・ニーニョ教会まで20分以上。オスメニャ通りを進むだけの単純な道を迷うことはなったが、蒸し暑い空気が容赦なく体力を奪う。途中コロン通りと交差した後、ダウンタウンから明らかに治安がガラッと変わった。明るいうちだから何とか歩けるものの

前年秋の台風で一時は見学不可となっていた教会は、外壁を修復しつつも見学できるようになっていた。どうしても訪れたい場所のひとつだったので、ひとまずホッ

教会の敷地はとにかく広い。下の写真は記念のモニュメント。上は1521年にマゼランがこの地にキリスト教を伝えた場面、下はマゼランからセブの女王に贈られたサント・ニーニョ(幼子イエス)を祀る教会が建てられたことを示す場面。


なぜだか祭壇を正面から撮った画像がなかったので、こちらをば。

サント・ニーニョの来島を示す絵もあった。フィリピンにおけるキリスト教布教史の金字塔と書かれている。

中庭にさりげなく配された彫像。木陰で祈りを捧げている。

そして、人の流れについて行ってサント・ニーニョ像を見学する列に並んだ。写真はすっかりあきらめていたが、大丈夫なようなので撮った(ガラスの反射で見にくくて、ごめんなさい)。
この像は16世紀の戦争時、焼け跡に無傷で残っていたという伝説を持つ。500年近く前のものとは思えない煌びやかさ・・・大切に守られてきたのだろう。


教会のすぐ近くにはマゼラン・クロスがある。マゼランが上陸した時に十字架を立てた、まさにその場所に。
風雨から守るための八角堂の中、水色の美しい天井画の下に屹立する十字架【ただし、目に映っているのはオリジナルではない。かつてこの十字架を煎じると病に効くとされたため、削り取る人が続出。現在はオリジナルの十字架を木製のケースで覆っている】。ちなみに、白木の補修は前年秋の台風後のものらしい。



サンペドロ要塞は、スペイン支配下の1738年に築かれた。マニラのと並んで、フィリピン最古の要塞らしい。
それにしても、スペインやポルトガルがつくった要塞に各国で足を運んでるなぁ。ザビエルを追いかける旅では大航海時代の要衝をたどるから、自然とそうなってしまうんだよな・・・要塞マニアでもないのに(笑)

大砲が狙う()先は郵便局。要塞へ来る前に立ち寄り、切手を入手

現在、要塞は博物館のようになっていて、昔のパネルなど展示物がチラホラある。ここでもサント・ニーニョに出会った。右手はしっかり祝福のポーズ

黄色いハイビスカスを見かけた。ハワイの州花・・・いや、ここはフィリピン


展示を見ていたら、カテドラルにあるパイプオルガンはスペインがフィリピンにもたらした4つのうちの1つと判明。行く予定ではなかったが数百mの距離、翻意して寄ることにした。
漆喰の白壁が陽光に映えて、まばゆい。
備忘録によるとパイプオルガンを確認したものの、画像が残っていない。祭壇すら撮っていない・・・残念


翌日はボホール島日帰りツアーに参加したかったので、確認のため埠頭へ行く必要があった。
炎天下、約1.5㎞の道のりを歩いてゆく。ほどなく汗でTシャツはベッタリ、ジーンズも貼りつく。手持ちの水は尽きかけ。とにかく先を急ぎ、20分ほどでスーパーキャット・ターミナルに到着。
ツアーデスクで尋ねると、お目当てのボホール日帰りツアーは1人では催行できない、人数が集まるかは明朝7時半に判明するとのこと。運に任せるしかないが、可能性があるだけでもマシ 
ホッとしつつ、火照った身体をクーラーの冷気で冷やす。気持ちいい
サント・ニーニョ教会の土産物屋辺りから感じていたのだが、この国(少なくともセブ)のクーラーの入れ方は、暑い中を動いてきた人向けなのね。炎天下からやって来ると快適この上ない。ずっといると、肌寒くなるけど 滞在2日目にして悟ったのだった。

翌日の予定が固まったので、次はショッピングモール(SMシティー・セブ)を目指す。1km以上先だが、ギラつく太陽の下を意地で歩き通した。20分余りで到着。
ホテルを出てから立ちっぱなし、汗だくでもあり・・・モールに着いた途端、フィリピン料理レストランへ引き込まれてしまった。歩きすぎてお腹すいたし、喉はカラカラ 
イカのココナッツカレーソース焼きにガーリックライス、美味だった


夕方から予約しているエステの前に、ショッピング1.5時間を捻出。明日ツアーが催行されるとしたら帰着は夜、明後日の出国が朝・・・買い物はここしかない。
あらかじめ目をつけていた北ウイングの民芸品店にたどり着き、お土産を物色する。買い物って意外と時間かかるんだよね~ 時計と睨めっこしながら
モールのタクシー乗り場には、次々とタクシーがやって来る。並んだ後いざ自分の番がくると、係員にメモを渡された。車のナンバーが記されている。ん
エステの後、ホテルから乗った時も同様だった。想像するに、ドライバーの身元を明かすことで犯罪等トラブルを抑止しているのだろうか。たしかに、メーターと言わずともちゃんと倒してくれた。国によって色々なシステムがあるよね、面白いなぁ

マッサージ好きの自分、時間が許せば各地で施術を受けている。今回はマクタン島の氣スパ【世界各地のシャン〇リ・ラホテルズ&リゾーツで展開するスパ。古代中国の陰陽五行説に基づいて、体内バランスを整え氣を滞りなく流すことにより、心身の健康維持を目指す】をネットで予約しておいた。
ホテルのロビーでスパの場所をたずねると、カートで送ってもらえることになった。さすが、敷地広いなー
スパのエントランスはこんな感じ。

スパのロビーで待つ間、カラマンシー【ミカン科で、外観はスダチやシークワーサーに似ている。四季を通じて結実するため、シキキツともいう。フィリピンでポピュラーな柑橘類】のジュースが出てきた。ん~美味しい 先ほどランチの時にも添えられていて、カレーソースに絞ったらぐんと風味が良くなった。お酒で割っても良さげ・・・なんだかカラマンシーにはまりそう 


ひと息つくと、water gardenに案内された。着替えロッカーとシャワー、トイレを備えている。歩きまわった1日だったので、施術前に汗を流せてホッとした。
迎えが来てついて行くと、戸別のヴィラに通された。内観を何枚か撮ったのだが、鏡に自分が写り込んでいるので割愛
メニューは、まず塩とハーブでスクラブ。かなり大粒で、かかとの角質は取れたけど、日焼けした両腕にはキビシイ
少しだけミスト・サウナに入れられた後、汗を流す。次は、身体に何がしか(ココナッツオイル?)塗ってバナナの葉でラッピングされる。こんなお料理ありそう・・・まるで自分が食材になった気分
しばらくして、お庭のバスに案内されココナッツミルク風呂に15分浸かる。
最後にヒロット【フィリピンで伝統医療として継承されてきたマッサージ。淵源は5世紀に遡るとも。ピレイ(血管や神経のふさがった場所)やラミグ(筋肉や関節が冷えた場所)を探し出し、強い圧力で揉みほぐす】の施術。いつものことだが、マッサージされると必ず眠ってしまう。足も背中もかなり強く押してくれたので、秒殺だった 意識を保っておいて、気持ち良さを楽しめたらいいのになぁ~
目覚めると、辺りは薄暗くなっていた。ココナッツ風呂から1時間は経ったと思われる。名残惜しく起き、ヴィラを後にした。
またもやカートでロビーまで送ってもらったが、所持金が余っているからといって、ラウンジでカクテル1杯引っかけて・・・という気分に全然ならないのは、根っこのところで貧乏性なのだろう。

タクシーに行き先を告げて発車すると、すぐにfish shrine marketの灯が目を賑わせる。往路は見逃してしまったマゼラン記念塔がライトアップされて目に入ってきた。目を凝らしたものの、ラプラプ像は見つからなかった【1521年、セブ島に上陸したマゼランは王に洗礼を受けさせることに成功すると、更なる布教のために隣接するマクタン島に赴き、島の首長ラプラプとの戦いの果てに命を落とした。侵略を防いだ英雄としてラプラプは崇められ、そのモニュメントが島の北東部にある】。世界一周の途上でマゼランが亡くなったことは学校で学んだが、それがマクタン島だったと今回初めて知った。最終日の出国がもう少し遅ければ立ち寄れたのにな・・・残念

ホテルに近づいてきたところで車窓を見まわし、セブン〇レブンを発見。20時をまわっているので夕食はホテルでと決めていたが、部屋飲みのドリンクが要る。タクシー降りて一目散に駆け込む。暗くなって出歩きたくないが、背に腹は代えられない。
ビールコーナーを発見し缶を見ていたら、後から来たおじちゃんが「高いよ」と言いながらサン・ミゲルのpale pilsenの瓶をつかんで去った。やっぱりあの銘柄が美味しいのか・・・
そして値段を見ると、瓶ビールは缶の7割の値。たしかになぁと瓶を買ったのだが、これが失敗 ソムリエナイフでは開けられないことに後々気づかされた。哀れ、冷えたビールが2本、ホテルの冷蔵庫に眠っている。お土産決定だな・・・

部屋に一旦戻り、あらためてレストランへ向かった。
野菜のパートから選んだのは、pinakbet【野菜炒めに、バゴオン(海老の塩辛)を加えて煮た料理】。豚肉も入っていたが、皮がサクッとクリスピーで小気味いい。全体的に甘じょっぱくて美味 


2 セブ・シティ ⇒ボホール島 ⇒セブ・シティ (2014年7月24日)

超特急のシャワーと朝食の後、7時5分にフロントへ。タクシーをお願いすると、ツアーを予約してるのか?とフロントマン。正直にNo.と答えると、ツアー紹介できるよと案の定持ちかけられたが、1人と言うと表情が曇る。だよね~と心の中で首肯しつつ、タクシーを呼んでもらう。7時半ジャストに港へ着いた。
昨日の今日なので、カウンターのお姉さんは私を覚えていた。目が合うと、ニコッとほほ笑んで「2,850ペソよ」と。催行決定、やったぁ 
当日朝まで可否が不明なのはさすがに初めてのパターンだったけど、してやったり 昨日汗だくで歩いた甲斐あったなー

ボホール島への船が出るまでの1時間、日記の続きを書くことに費やす。さらに、ターミナルから船内へと場所を移しながら、友人たちへのハガキを書く。退屈することなく2時間後、タグビラランに到着。ツアーのマークを目印に、マイクロバスに集合。全部で12名、見たところKorean、Chinese、Japanese・・・東洋人ばかりのツアー。日本人は私以外にもう1人いたが、お互いにオーラを感じたのだろう、結局最後まで言葉を交わすことはなかった。


最初に訪れたのはバクラヨン教会【1595年に建てられたフィリピン最古級の教会】。前年11月の地震でベルタワー(写真の左端)が半壊して痛々しく、修復の真っ最中だった。

教会の主祭壇。上には最後の晩餐が描かれ、アヴェ・マリアの文字も。天井は薄い水色に塗られている。

教会の後方はこんな感じ。右奥の見切れている部分にパイプオルガンがあった。

マリア様、教会が修復されるのを静かに待っているんだろうな・・・

教会に隣接するミュージアムはじっくりまわりたかったが、時間に追われた。ツアーなので仕方ない 
南国らしく、マリア様の厨子やイエス像の頭()に貝殻が使われているのが印象的だった・・・撮影禁止だったのが口惜しい

リバークルーズの発着地ロボックまでは40分くらい。道すがらの車窓には、完全な木造やニッパヤシを使用した伝統的な家屋が並んでいた。セブ島の市街地では見かけなかったので、面白かった。小さな正方形の格子で構成された桟唐戸も目についた。
写真の左手でバスを降り、橋を渡って右手から乗船。他のツアーグループと同乗だった。

船の中央には昼食ビュッフェが用意されていた(昼食終了後、帰路に撮影)。メニュー豊富で、この旅で初めて出合った料理がいっぱい
下の写真で2時の位置に焼きそば(pancit)、その下にカボチャ・インゲンのココナッツミルク煮(ginataang kalabasa)、8時の位置にウミブドウのマリネ、その上にレンズ豆の煮込み・・・すべて美味しかった



足元、竹の割れ目から水面が垣間見えているけど、それもご愛嬌
途中、ダンスをしてくれる村(Gotozon)があった。下の写真、右の東屋にいる黄色い服装の人々が踊ってくれたのはKuradang【お祭り・結婚式・パーティーなどお祝いの席で踊るボホール島のダンス】。5分弱の動画を撮影したが、肖像権など色々ありそうなので掲載しないでおく。
2人の女性が二本の竹の間を器用に飛び跳ねる。そんな遊び、小学生の時にやったなぁ・・・フィリピン発祥だったのか


クルーズはブザイ滝で折り返し。

誰を救う要員なんだろう 地元民が溺れるとは考えにくいし、クルーズ船に万一があった時用かな? てか、誰もいない(笑)

ヤシの木の隙間に洗濯物が。お家の輪郭も少しだけ見える。

クルーズの後半は退屈させじと、ギタリスト&ボーカルの独壇場。
「上を向い〇歩こう」はともかくとして、知らない日本の歌謡曲がいくつか・・・それだけ年輩の日本人客が多いのかな。それとも、昔日本で働いてた?!
フラの定番曲「Pearly Shells」を歌ってくれたのはうれしかったな
下船間際にチップ箱がまわってきたので、迷ったすえ10ペソだけ入れた。


クルーズ発着場のそばにも大きな教会があった。1608年築でこちらも古め、聖ペドロ教会。
件の地震で先ほどのバクラヨン教会よりもっと大きく損傷していて、真っ二つに割れていた


バスはロボックから40分ほど走り、Chocolate Hills【ボホール最大のハイライト 島のほぼ中央に位置し、高さ30m前後の丘が約1,200個突き出ている。約200万年前に海底が隆起し、長年の雨水による浸食で成形された。珊瑚礁でできた石灰岩から成る】へ。
ここで、フィリピン初の雨に打たれる。ザーザーというより、ポツポツと。ツアーの途中には止み、小1時間ほどだった。
セブ島に戻った時もパラパラしていたので、この日午後は天気が悪かったんだろうなー

約200の石段をのぼると、視界が開けた。
展望台から見ていると、遠くへ雷落ちるのが見えた。下の写真で雨雲を感じ取っていただけたら嬉しい。

展望台の先端=最も眺めがよいポイントが、やはり地震で崩れていた。恐る恐る端まで進み、パシャリ
乾季(12月~5月)には草が枯れて茶色になり、巨大なハー〇ーズが並んでいるように見えるらしい

円錐形の小山が並ぶ様子、独特だな~ 自分をボホール島へ引き寄せた風景をじっと見つめる。
緑を見下ろしていたら、ふとスリランカはシギリヤ・ロックから見たジャングルを思い出した。湿度の高いねっとりとした空気が似ていたのだろうか。


お次はバタフライ保護区(Simply Butterflies Conservation Center)へ。個人的に蝶にはあまり関心ないんだけど、メスがオスより大きいとか、雌雄同体がいるとか、勉強になった。
下の写真は、こんな種類がいますよ~というディスプレイ。

サナギを手のひらに乗せるのは抵抗あったけど、蝶を髪と手の甲に乗せての撮影は意外に楽しかった 係員さんがシャッターを押してくれる。この旅で唯一、自分が入っている写真になった。
下は、園内を歩いている最中に見かけたトーチジンジャー【熱帯アジア原産のショウガ科で、高さ3~4m。形状がたいまつに似ていることから命名。花は赤またはピンク】。これ、フラで使用するパウスカートのモチーフになっていたりして知ってたけど、実物を見るのは初めて カッコイイなぁ


その次は、ターシャ保護区(Conservation Area)へ。ターシャとは世界最小の猿で、体長10cm・体重100gくらい。
繊細な生物らしくて近くには寄れないけど、そこかしこの木の上に見ることができた。

ズームすると、こんな感じ。
小さなモンチッチみたい~ 手は人間っぽくて、ミニチュアみたい。目を開けるよりも眠ってる方が愛らしい コアラもそうだけど、眠々しい動物って可愛いよね。母性本能くすぐられる。

これは別の個体。しっぽ長いなぁ。丸まってる感じがキュート

敷地内にあった、お土産物屋さん。が、結局何も買わなかった。昨日ショッピングしたしなー
しかし、ハガキを売ってなかったのは誤算 友人に送る分が2枚不足していて・・・やむなく、リバークルーズの際にサービスでもらったハガキに書くハメになった。どこでもわりと置いてある定番品なんだけど、調達できないのは珍しい。


ツアーの最後は血盟記念碑【1565年、スペインの初代総督レガスピとボホール島の首長シカツナは、互いの腕をナイフで切ってワインに血を注ぎ、飲み干して友好を誓ったという。その場面を再現したモニュメント】へ。ちなみにこの記事を書くにあたり調べたら、マゼランが殺害されたことを教訓にして、レガスピは下手に出て慎重かつ狡猾にフィリピン人に接近した、と書いているものもあった。
ふ~む・・・
ともあれ海辺にあるので、晴れてたら背景の海が青々とキレイなんだろうな~
血盟記念ワインなんて売ってないかとノーテンキに妄想してみたけど、んなもん売ってなかった、残念


港へ行く前に、ホテルで3人を降ろした。それ以外は皆日帰りのようだ。
港には食料を売る店しかなく、ターシャの所がお土産最終ポイントだったと気づくも、既に遅い。結局、ボホール島で自分は1ペソも使わなかった・・・ケチケチしたつもりはなかったのに。
あ、クルーズのチップ出し渋ったか(笑)

17時45分にボホールを出た船は、2時間余りでセブ島に到着。
ホテルまでの移動手段を心配して、朝カウンターのお姉さんに尋ねたら タクシーがたくさんいるから大丈夫よ、と。
確かにその通りではあったけど・・・ホテルまでの15分乗って300ペソ 朝は100ペソで来たのに・・・
ま、真っ暗な中を歩くわけにもいかず、他の交通手段もないし・・・足元見られる状況なわけで、やむを得ないのかぁ

ホテル前で降ろしてもらい、ロビンソンに飛び込んでみた。地下はスーパーとフードコートになっている。20時過ぎても営業してるのはありがたい。
お土産のドライマンゴーとアルコールを探す。ワインは品ぞろえ良かったが、やはり国産は無い。缶ビールはコンビニより10ペソ安かったので、迷わず購入。

21時前だったが、ホテル内のレストランへ出かける。結局、この旅のあいだ毎晩お世話になった。
今夜はsisig【炭火で焼いた豚の耳・顔の部分を刻んで炒めたもの】にしようと決めていた。
最後のぜいたくで赤ワインを注文。ブラインドでは、ニューワールドのカベルネ・ソ―ヴィニヨンだと思われる。濃厚なお料理に最高の組合せ
豚の耳だけじゃなく、豚足もレバーも入っているようだった。普段そんなに口にする食材じゃないけど、美味しい 味付けはシンプルだけど、食欲そそるガーリック風味。
このレストランの腕がいいのか、私の舌に合うのか・・・フィリピン料理は私の中でスリランカと争う各国料理ベスト3に入ること疑いなし

この日の朝、朝食のバイキングで「ハム」として出されていたブツはス〇ムに激似だった。スペインの後に入植したアメリカの影響だろう。
でも、豚耳とか豚足とか食べるのはアメリカ由来じゃないよね? カラマンシーでシークワーサーを連想するにつけ、フィリピンと沖縄は共通項が多いなと思う。物理的にそう遠くないし、はるか昔から交流してきたんだろうか・・・取りとめもない想像を巡らせつつ、久しぶりのワインに酔いしれるのだった

1 セブ・シティ ⇒マクタン島 ⇒(出国) (2014年7月25日)

5時に起きて荷造りし、フロントでタクシーを呼んでもらった。早朝にもかかわらず5分で来て、5時半にはホテルを出発。
車通りが少ないため、往路45分かかった道のりをたった30分で空港に到着。
チェックインの前に、ハガキを投函しなければ。security checkのお姉さんに尋ねたが、post officeが通じない。ええ~っ、私の発音が悪いのか
挙句に切手の意匠だった女性を見て、「これあなた? 何なの、意味分かんない」と言われる始末(ちなみに、客観的に見て切手の肖像と自分は似てません)。
まさかのピンチに焦る自分の横を、同じ便に搭乗すると思われる日本人ファミリーが2組通り過ぎていく。すると、そのうち一方のガイドさん(たぶんフィリピン人)がお姉さんと私に声をかけてくれた。曰く、郵便局は8時からで今は閉まっていると。
開くまで待つ時間はなく、思わず非常に困った顔になる自分。と、「チョット マッテテ」 怪しい日本語を残して、担当客の日本人ファミリーとともに中へ入っていった。
しばらくして戻って来てくれたので、自分の代わりに投函してほしいと頼み、チップに100ペソ渡した。切手を貼っていないと思ったのか、仲間のガイドにも見せて確認するガイドさん。切手ありと分かって前向きな感じが見てとれたので、私のために投函してほしいと重ねて頼み、ダメ押しの500ペソを払った。すると、「10枚投函すればいいのね、はいはい」と軽~く、明るく応答。ポケットに無造作にハガキを押し込んでたけど、大丈夫かなぁ
こんなこと、前にもあったな・・・つくづく学習しない自分 ともかく、今は赤アロハのおじちゃんを信じるしかない。頼むよ~

★ 終わりに ★

初めてフィリピンを旅して、予想したほど治安は悪くないと感じた。そして、フィリピン料理は自分の口に合う。再訪したい欲望を搔きたてられずにはいられなかった。
実は、何年も前から訪れたいと温めている場所がルソン島にある。短期間で訪れるのは難しそうで、今回は涙をのんだ。が、必ず行く、いつか。
ひとつの国を訪れて また行きたいと思う、旅人にとってこれほどの悦びがあろうか。

ちなみに、フィリピン発のハガキはちゃんと友人達のもとへ届けられた。ほぼ見ず知らずの私のために、ありがとう、おじちゃん 
どの国に行っても必ず親切な人がいて、助けられている。本当に幸せ
 おしまい 














































































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