poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

イギリス(2)&オランダ篇 その3

2022年05月03日 | ヨーロッパ
文字数がオーバーしたため、急きょ「その3」まで作成しました。旅の終盤には、下の地図の➌➏を訪れました。④⑤はその2で訪れた場所です。


3・6 アムステルダム ⇔ キンデルダイク (2010年12月31日)

夜中、廊下に響く人々の声で一瞬目を覚ました。New Year's Dayを迎える今夜はもっと騒がしくなるんだろーな・・・取りとめもないことを考えつつ、再び眠りに落ちた。

朝のライツェ広場でトラムに乗る。

なんとなく前日と同様に行動してアムステルダム中央駅へ向かったら、つかまえた列車は前日乗ったのと同じ9時29分発のVlissingen行きだった。何たる偶然
とりあえず、前日とは反対側の窓際に陣取る。車窓は延々と雪原が続く。アムステルダムでは小雨が残雪を溶かしていて気温も若干高いように感じたが、郊外はそうでもないらしい。この分だと、キンデルダイクは雪に埋もってるかなぁ・・・
列車はデン・ハーグを過ぎ、デルフトも通過していく。あぁ、もう少し時間があったなら寄ってみたかったよぉ・・・後ろ髪引かれながら運ばれていく自分

1時間10分でロッテルダムに到着。観光案内所は難なく見つかったが、キンデルダイク付近の地図は無いという。かくして、今日も当てずっぽうの旅が始まる・・・苦笑
行き方をたずねてみても、ガイドブックで得た情報と基本的に同じ。ふぅ
地下鉄D線に乗り換えてZuidplein駅に着くと、なんとも大きな駅でショッピングセンターと一体化していた。おかげで(?)1時間に1本のバスを数分の差で逃してしまう 
下の画像は、帰路に撮影した駅の構内。

乗り継ぐべき90番のバス停はすぐに見つかった。ここもアムステルダムと同じく小雨が降り続いている。霧にかすむ風車群が自分を待っているはず

乗車して1時間余り、情報どおりバス停「Molenkade」で降りると、前方にゲートが見えて迷う余地はなかった。どうりで地図がないはずだわ【ただし、バス停「キンデルダイク」で下車してはいけないので、要注意】。
ただし、土産物屋は閉まってるし、オフシーズンの様相が濃厚。わずかながら人々が行き来しているのがせめてもの救いか。
風車はこんな感じで点在している。

もっと立体的な地図。上の画像と向きが異なるが、手前に入口を配置したこちらの地図のほうが実際の足取りに近い。

前に広がる道をひとまず進んで行くと、さっそく風車が視界に入ってきた。予想に違わず霧に煙っている。

シーズン中は風車の内部を見学することができるらしい。

こんな感じの道をずんずん歩く。左は運河。

ススキの向こうに風車が3基。

運河に渡された橋も雪に覆われている。

あの風車、変わった形だな~ 小屋よりも羽のほうが大きくてアンバランス。

曲がり角にやってきた。3基まで見渡せる。

ここからも3基見える。天気が良ければもっと遠くまで見渡せるのだろうが、このコンディションではせいぜい3基までが限界のようだ。

それにしても、この景色キレイだなぁ・・・ここに居た証に、自分が写った画像が欲しい。降って湧いた欲求を満たすためしばし待ち、やって来た30代くらいのお兄さんに撮影を頼んだら、快くO.Kしてくれた。わ~い

時計を気にしながら(←1時間に1本の帰りのバスを逃さないため)さらに奥へ踏み込み、入場から16基までは目で数えたような気がする、何しろ霞んでいるから自信はないけど 全19基のうち大方見られたから、よしとしよう。
出口へ向かいながらも、余念なくシャッターを切る。欄干にカモメたち。

水上にもカモメたち。

最後に、キンデルダイクの看板。


乗り継ぎ地のロッテルダムはかなり都会だった。今回 町を歩きまわる時間はなかったのだが、地下鉄(といいつつ地上区間も長い)の車窓から見る限り、高層ビルが建ち並んでいた。昔ながらの建て方を意識しているアムステルダムやライデンとは雰囲気が違う。首都をしのぐほどに近代化されている、さすがオランダ第二の都市と思った。が、後でよくよくガイドブックを読むと、第二次大戦中にドイツによる爆撃で徹底的に破壊された歴史があった。眼前のモダンな建物群は、紛うことなき戦後の復興の証だった・・・
下の画像は、ロッテルダム駅まで10分ほどの距離にあるRijnhaven駅にて撮影。


アムステルダムに戻ったら、とっぷり日が暮れていた。夜の風景を載せておく。

そして、ここからは予定外のことだらけ
翌日オランダを発つのでお土産購入タイムだったが、ムント広場のデルフト焼き店は17時半で閉まっていて、急きょダム広場のお土産物屋で買い込むことになった。
そして、ダム広場のアルバート・ハインで前日に目をつけていたオランダ産ワインとジェネヴァを買うつもりが・・・19時でこれも閉まっていた 空港に期待することにして、レストランへ急ぐ。ところがライツェ広場でトラムを降りる予定が、自分の近くの扉が開かず次の停留所まで乗り越すことになった。しかも1駅がかなり遠く、到底歩いて戻る気になれない距離だったため、仕方なくトラムを待つことにしたものの、夜間のせいかなかなか来ない。たぶん5分以上は待たされたはず。やっと来たトラムは満員で乗るのがやっと。片手にデルフト焼きの入ったかさばる袋を提げていたので、両手で胸元に抱えあげた。が、ふとイヤな感じがして手を下ろしてみると、自分の後に押すようにして乗り込んできた地元人らしき男の右手指が私のショルダーバッグの左外ポケットに伸びているではないか 
外ポケットに貴重品を入れるはずもなく、そこには機内でもらった紙ナプキン(何かの時に拭くため用)やボールペンしか入っていないんだけど、そしてそれらは無事だったのだけど・・・
当てが外れたようで、彼らは次の停留所でサッと降りていったが、ヤツらの行為によってオランダの印象が思いっきり悪くなった
もちろん自分にもマズイ点はある。第一に大きな土産物を抱えて よそ者丸出しでウロウロしたこと、第二に(予定外だったとはいえ、トラムを待たされたことにより)暗い時間に人けの少ない場所に長時間居たこと。ふとした時にこーいう条件がそろうと、トラブルに遭うのだなとつくづく思った。幸い被害ゼロで済んだけど、やはりいい気分はしない 

気を取り直して、オランダ最後のディナーへ向かう。これもガイドブックに載っているお店だったが、あっさりと入れてもらえた。殊にアムステルダムのレストランはハズレなしだった。異国人で一人客であっても嫌な顔ひとつせず至極当然に招き入れてくれた、笑顔付きで
さて、ここではインドネシア料理を食した。オランダでなぜと言うなかれ。かつて宗主国・植民地だった関係で、ライスターフェルというインドネシア小皿料理なるものを提供するお店があるのだ。
まずはハイネケンを注文。日本だとあり得ないサイズのジョッキにも慣れてきた、恐ろしいことに 突き出しがインドのスナックを思わせ、既にアジアっぽい。

まずはスープ(以下3つの画像は全てピンボケです。ごめんなさい)。

揚げ物3種。

一見バイキングに見える机上だが、個人のテーブルにこれらが運ばれてくる。なんて豪華

最後はデザート。

2006年にインドネシアを訪れたことがあるのだが、感想としては現地ほど辛くなくて、ヨーロッパ向けにアレンジしているなという印象。お店の方にspicyと言われた2皿のうち片方は、辛いのが得意でない自分でさえ平気だった。ご飯やサラダにかける用と紹介されたcoconuts powderが美味しかった。また、クミンが効いた料理が美味しく、アジアのスパイスがうまく活かされているなとしみじみ思った。そして、お腹いっぱいになった。小皿とはいえ14皿だもんなぁ・・・ビールのせいもあるけど

ホテルへは21時過ぎに戻った。日ごとにこの国に慣れて帰着が遅くなっていったな~
わが宿の近くにある有名チェーンホテル。小さなツリーを散りばめるイルミネーションが可愛くて、ついパシャリ 


シャワーを浴びた後、テレビをBGMに日記を書く。外では花火をドンパチと連射している。まもなく23時半・・・これからますます騒がしくなるのだろう。
この国ではこれから新年を迎えるけど、日本では8時間前に年が明けてるんだよね・・・異国を旅している場合、どちらの年明けが適用されるんだろう 国籍のある国? それとも、その時にいる場所? 暇にまかせて、他愛もないことを考えてみる。
もし前者だったら、振り返ってみてロッテルダムの切符売り場で発車時刻を気にしながらやきもきし、窓口係員に向かって英語をまくしたてるフリしてた頃のはず。何とも気ぜわしい年になりそうな幕開けだ そして後者なら、テレビから偶然流れてきたアヴェ・マリアを耳にして心洗われた気分になり、屋根裏の窓越しに花火の音を聞くこれからということか。
そうこうしていると、テレビからオペラ『椿姫』が流れてきた。オランダのどこかでやっているカウントダウン・コンサートの中継らしい。新年まであと2分と表示されている。1分前からは秒を刻んでいき・・・新年になった。外から聞こえる花火(音だけ聞くと、もはや爆竹)は凄まじさを増していく。
しかし、人間眠ければどんな環境でも寝られるようだ。終わりそうもないお祭り騒ぎの中、いつのまにか眠りに落ちていた。

3 アムステルダム (⇒ロンドンへ出国) (2011年1月1日)

2時半過ぎ、廊下で話し声がして前夜と同様またも扉を間違われてノブがガチャガチャと回されたため、起こされてしまった。いい加減、自分の部屋の位置を覚えようよ~ てか、酔っ払いすぎだし ←他人様のこと言えるのか 外では散発的に花火がドンパチ続いている。一体何時までやるんだろうと思いつつ、すぐ眠りに落ちた。
次に気づいたら、5時半過ぎだった。余裕をもって空港へ行くには6時起床・7時出発を予定していたので、ちょうどよかった。
さすがに花火の音はしない。やはり夜明け前には止めるのだろう。しかし、いったい何時間花火をやるものなんだろう 少数派だけど気の早い人は12月30日の昼からやってたし、31日の18時前には派手に始まってたもんなぁ・・・トラムに乗ったらビール臭いし、道行く人々はハイテンションだし。旅人として傍観しているぶんには面白かったけど

パッキングして身支度を整え、7時少し前にフロントへ。チェックアウトはすぐに完了。そりゃそーだ、冷蔵庫ないから精算もないし。
「コーヒーでも飲む?」とフロントのおじちゃんが声をかけてくれたけど、怪しげな英語で「時間がないの」と伝える。十分時間あるけどなぁ・・・と言ってるのは理解できたけど、“早めに余裕を持っておきたい” と英語で表現できそうもなくて笑顔でごまかす。別れのあいさつになったので、「Dank u,Tot ziens.」と言ってみた。テキトーにアクセントをつけたオランダ語の"ありがとう、さよなら” は通じたようで、意外にもオランダ語を耳にしたという反応のおじちゃんは嬉しそうに「Tot ziens.」と返してくれた。
実は、ここまで色々な場面で片言のオランダ語を使ってみてもポカンとされることが多かった。英語で通じるのに、わざわざなんで?って反応。これほど母国語そっちのけで英語天国なのも、来てみて初めて知った。そんなわけでmy旅ポリシーがズタズタになってたんだけど、現地の言葉で相手が喜んでくれる瞬間がついに到来。やっぱり、こんなやり取りができるとたまらなく楽しい ホクホクしながら、外気いまだ冷たい戸外に出てライツェ広場を目指す。ところが・・・ここからがやや問題アリだったのだ。

ちょうど行き違いでトラムが発車したため、停留所でずいぶんと待たされるハメになった・・・そして思い起こされるのは前夜のこと。そう、大きな荷物を持って長時間姿をさらしているとロクなことがないのだ。案の定、後方を振り返ると怪しげな男が立っている。周囲にはカウントダウン明けのオールナイト組の男女の集団もいるから大丈夫とは思いつつ、気味が悪いので2m平行移動すると、まもなくヤツも平行移動してきた。これは狙われている・・・覚悟を決めて体中に緊張感をみなぎらせる。
2分くらい経って元の位置に平行移動すると、とりあえずターゲットからはずれたようで、今度はオールナイト組の集団を舐めまわすように見ていた。目を合わせないように盗み見たが、実に気味悪かった 振り返ってみるとトラムが来るまでに10分弱だったと思うのだが、非常に長く感じられた。
そして、トラムに乗ったら乗ったで別の変な小男がいて、乗客に次々と話しかけながら移動している。こっちに来るな~!!と心の中で叫んでも、どんどん近づいて来る。が、何もなく自分の横を通り過ぎて行った。こーいう時、目立たぬ風貌で実によかったと神に感謝するのであった その男は次の停留所で降りていった。この2日間の経験で知ったのは、怪しげな人は乗降客が少ないマイナーな停留所ですーっと降りていくの法則。

アムステルダム中央駅から空港へ向かう列車は乗客であふれていた。元旦のせいか、午前すいているの法則は無効だった。通路に立つことになり車窓を見ることができず、アムステルダムに目で別れを告げることはできなかった。

空港内をフラフラしてお酒専門のお店に入ったが、オランダ産のワインはないし、ジェネヴァは750㎖以上の大きいボトルしかない。2日前にアルバート・ハインで見かけながら買わなかったことをつくづく後悔 旅先では一期一会の気概で臨まなきゃいけないんだった・・・同じような失敗を何度もしでかしてるよなぁ
この後、ヒースローを経由して成田まで旅は続くのだが、以降は割愛する。

★ 終わりに ★

アムステルダムで多少ヒヤッとする事態に遭遇したことを率直に記した。文中にも書いたように、いくつかの条件が揃うと危険な目に遭うのだろう。オランダに限ったことではないが、旅慣れているといくら自負していても気を緩めると決して安全ではなくなるのだなと痛感した。

それでも、またオランダを訪れたいと思ってしまう。今回は時間の都合で泣く泣くあきらめたデン・ハーグとデルフトの他にも、アクセスが難しいクレラー・ミュラー美術館など・・・
それと、ついぞ口にすることがなかったオランダのワイン 後で調べてみたところ、生産量が少なくてほとんど国内で消費されてしまううえに、主要産地はドイツと接しているヘルダーラント州(オランダ東部)、ベルギーとドイツに挟まれているリンブルフ州(オランダ最南部)と知った。今回自分が足を踏み入れていない地域・・・おいそれと出合うはずもないわけだわ

母国語のオランダ語はどこへやら、英語が相当浸透しているオランダ。自分の英語力では正直厳しいのだが、にもかかわらず再訪したいと思わずにはいられない

 おしまい 















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イギリス(2)&オランダ篇 その2

2022年05月03日 | ヨーロッパ
旅の中間では、地図中の➌~➎を訪れました。
ヨーロッパ全体図だと小さすぎて訪問地をうまく表示できないためオランダ単独の地図にして、旅の前半で訪れたイギリスは割愛しました。


3 アムステルダム (2010年12月29日)

ホテルのcold buffetにさして期待せず行ってみたら、意外と種類豊富 
特に、初めて口にしたクミンシード入りのチーズが美味しくて感動 下の画像中央のヤツ。味わいは端的に言うならカレー。自分はクミンの香りでカレーを認識しているんだなと気づかされた。酪農王国のオランダ、かつて香辛料貿易に携わった歴史も反映してるのかなぁ・・・
ちなみに帰国後に探してみたら、デパ地下に入っているスーパーで発見。興味をそそられた方はぜひ。


この日は遠出せず、アムステルダム市内をじっくりまわることに決めていた。
まずアンネ・フランクの家を目指す。近くの停留所でトラムを降りて歩く。目印となる西教会の尖塔が見えてきた。

アンネの像。

アンネの家が面するプリンセン運河の様子。

白鳥が優雅に泳いでいる。

事前情報で行列ができると知り9時に到着する予定が、ホテルを出るのにもたつき20分ほど遅れてしまった。行列の長さを見て1時間待ちを覚悟したものの、10時には入館できた。オンシーズンの夏だったらこうはいかなかったかもしれない、ラッキー【この記事を書くにあたり調べたら、2016年に入館システムが変更され、9時~15時半までは事前予約者のみ見学、予約がない者は15時半~閉館時間までとなったようである。予約は2ヶ月前からウェブで可能】

アンネの物語を幼い頃に絵本で読み、またこの訪問の少し前にアニメ『アンネの日記』を見る機会があり、あらためてアンネの日記を読み返していた。そんなわけもあってか、「表の家」と隠れ家をつなぐ回転式本棚の脇を通る時は少し緊張した。
下の模式図はアンネ・フランクの家で売られていたハガキを撮影したものである。左半分が「表の家」=アンネの父オットーが経営していた会社で、右半分の3階・4階・屋根裏部屋にアンネたち8人が1942年7月から捕まるまでの2年余り隠れていた。件の本棚は3階中央部にあった。


館内で流れていたインタビュー映像では、ホロコーストを生き抜いたアンネの父オットーが失った家族のことを「亡くなった」ではなく「戻って来ない」と表現していた。
いっぽう、戦後に家族のもとへ届けられたカードが館内に展示されていて、アンネ・フランクは死亡したと簡潔に書かれていた。人間の命について紙切れ1枚でおしまいなんて・・・受け止められるはずもないだろう、肉親ならばなおさら。そんなことが起きる世の中であってはならない。

見学を終えて退館した後、運河をはさんで対岸からアンネの家を撮影。やはり、朝より行列は長くなっていた(画像中央、蒸気の出ている奥が入口である)。


次にアムステルダム中央駅へ向かう。こちらが駅舎。東京駅のモデルになったというのも納得のシンクロぶり 工事中につき、青いシートがやや無粋ではあるが。

運河を走る水上バス=canal busから町を眺めることにした。駅前の乗り場はこんな感じ【複数の路線があり30~45分おきに運航、乗り降り自由。1日券は翌日正午まで有効、€22】。

まず、オレンジ・ラインに乗船。さっそく大型船が見えてきた。

小型船もたくさん係留されている。

そうこうするうち、風車が見えてきた。この記事を書くにあたり調べたところ、16世紀に製作された木製の風車は第二次大戦中まで現役で稼働していたらしい。1985年以降は地ビール醸造所のモニュメントになっている。

水上バスに乗った目的のひとつは、マヘレの跳ね橋を眺めることだった。ところが、船は右折しないでシンゲル運河を直進していく。
国立ミュージアムが目に入ってはじめて気づく。あれれ 乗る路線間違っちゃったか・・・

かといって、どこで降りれば他の路線に乗り継げるのかよく分からない・・・中央駅に戻るしかないと腹を決めた。
再び中央駅の乗り場へ戻り、乗り継ぎ8分でレッド・ラインに乗り換え。遠くに見えるは聖ニコラス教会。

近くで見るとこんな感じ。船乗りを守護し、ご存じサンタクロースのもとにもなった聖人をまつる教会は秋~春先まで閉じられる。入れなくて残念

船をモチーフにした科学技術センターを横目に、水上バスは南下していく。

運河の脇を何気なく見上げると、建物の壁面上部に1642の数字とマークを発見。グレーの雨戸(?)は新しそうだが、ベースは海洋王国としてオランダが活躍していた時代のものなのだろう【てっきりVOC(東インド会社)と思い込んでいたが、あらためて確認したところGWC(西インド会社/ アフリカやカリブ海の交易に従事)の倉庫と判明。ややこしや~】。

趣ある跳ね橋が目の端を通り過ぎていく。


そして、ついにマヘレの跳ね橋へ【17世紀建造、アムステルダムに残る唯一の木製跳ね橋。21世紀初頭までは昔ながらの手動で開閉していたという。ライトアップされ、運河に写りこむ夜景が美しいとも】 自分は、自転車に乗ったアンネが軽やかにこの橋を通り過ぎるアニメのシーンを思い浮かべた。ドイツ侵攻前後の生活を対比するために描かれたのだろう、そもそも史実かどうか不明であるが、まぁそこはご愛嬌


この日2度目の国立ミュージアム前までやって来たところで下船。徒歩で北上し、ムント広場経由でダム広場へ向かう。
途中、サンタクロースの装飾にHeinekenの看板を出す街角でパシャリ

この後の観光を王宮かアムステルリング博物館かで迷っていた。王宮は外観工事中でカバーがかかっていたのと、まだ明るかったのとで いちかばちか“飾り窓地帯” にある後者へ足を踏み入れることにした。その道中で遠望した中央駅(正面奥)。運河が張り巡らされたアムステルダムはファインダーでどこを切り取っても水辺が写り、サマになるなぁ

アムステルリング博物館では、通常の住宅に擬態した隠れカトリック教会を公開している【カトリックのスペインから戦争により独立したオランダではプロテスタントが強い影響力を持ち、16世紀後半にはカトリックのミサが禁じられた。かつてはこのような隠れ教会が市内にたくさんあったというが、現存するのはここのみ】。
残念ながら外観は撮っていないのだが、言われなければ気づかないほど普通のたたずまいで、決して教会とは思わない。下の画像は、博物館内から外を眺めたもの。

実はこちらも改修中で、いまひとつ風情に欠けたのだが 
内部の2~4階部分をぶち抜いて礼拝堂に仕立てている。正面奥が祭壇。

パイプオルガン(遺構)もあった。

念のため、往時の姿を載せておく(館内に貼ってあった写真を撮影)。

こちらの博物館では、18世紀の部屋も保存・公開している。中でも、17世紀のタイルを使ったキッチンに魅かれた。白地に青で描いてある素朴な絵に心はズキュン【デルフト陶器は16世紀から生産されていたが、17世紀以降はオランダ東インド会社が中国から輸入した磁器の影響を強く受けたという】 あぁ~ こんな台所で料理したら幸せだろうな


博物館を出てもまだ暗くなかったので怖くはなかったが、過激な単語が踊る看板や電飾にドキドキしながら、隙を見せぬようセカセカ歩き通した飾り窓地帯【港町として繁栄したアムステルダムでは、長い航海の途中に立ち寄る船員を相手とした酒場や売春宿が発達。中央駅から旧教会・計量所までの一帯が該当し、今日もポルノショップやストリップ劇場、売春宿などがひしめく。2000年にこの地域での売春は合法となったが、一方で麻薬の売人がたむろするなど、市内で最も治安が悪い場所とされる】。


再びダム広場に戻ってきた。正面は王宮。

広場に面したアルバート・ハインに入ってみる。前日の店舗と比べると格段に広い。チーズ買いたいけど冷蔵庫ないし・・・品ぞろえが充実してるなぁ、とチェックだけして退出。なぜなら、オランダ第2夜こそレストランに行こうと心に決めていたので
どの国であっても、一人でレストランに入るのはそれなりに勇気が必要である。が、快く通されて拍子抜けした。17時半という早めの時間が功を奏したのかもしれない。
オランダにおける初Heinekenと、名物料理を注文。やっとオランダ料理にありついた
こちらはハーリング【ニシンの酢漬けに刻み玉ねぎをのせたもの。5月から出回る】。時季だったらもっと脂がのってるんだろーなぁ。それにしても、玉ねぎ・パセリ・マスタードのソースがよく合う

スタンポット【キャベツやジャガイモをゆでてつぶしたものに、スモークしたソーセージを添えた料理】。付け合わせのソースが濃厚、ソーセージはやわらかく口の中で溶ける。


ホテルへの帰路、ライツェ広場にある市立劇場を通り過ぎた。これもアムステルダム中央駅すなわち東京駅に似てるな~(ピンボケでごめんなさい

泊まっていた宿のフロント壁面の装飾。オランダ語で「メリークリスマス」

郷に入れば、ということで晩酌はビール【グロールシュは、オランダ国内シェアでハイネケンに次ぐ第2位】。350mlで€0.8、安い


3・4・5 アムステルダム ⇒ライデン ⇒ユトレヒト ⇒アムステルダム (2010年12月30日)

この日は日帰りで地方都市をまわった。例によって、トラムでアムステルダム中央駅まで行く。下の画像は駅前の様子。

券売機で国鉄の切符を買おうとするも、コインしか受け付けないことが判明。窓口で買うしかないのかぁ・・・会話に自信ないから避けたかったのに
恐るおそる窓口で「ライデン行きの切符を買いたい」と告げると、往復か片道か問われたので、「ライデンの後、ユトレヒトへ行き、その後アムステルダムに戻りたい」と怪しげな英語でまくしたててみた。あっさり通じて1枚の切符でアレンジしてもらえた。しめて€21.8、下調べしておいた金額どおり。しかも、親切にライデン行き列車のプラットフォーム番号と、あと10分で発車するとまで教えてくれた。すばらしい この国では勢いよく英語を話すこと とにかく英語を喋れれば人とみなされ、相応のサービスを受けられる。自分のように会話力が乏しい場合、しゃべれる風を装うしかない ←以上、オランダ入国審査を体験して学んだ教訓

入国以来初めてアムステルダムの外に出た。車窓には寒空の景色が広がっている。

アムステルダムから南西に約40㎞、列車に揺られ30分余りでライデンに到着。
駅を出て方角を確かめずに歩き始めたところ、どんどん建物がまばらになっていく。さすがに怪しいと思い、雪道をジョギングしてきたマダムに地図を広げて聞いたところ、駅をはさんで逆サイドに居ると知った。往復40分のロスで駅まで戻った・・・やれやれ
それはともかくとして、お目当てのシーボルト・ハウスまでの道中がなんとも雰囲気いい。


右端のギザギザのファサードを持つ建物には1612年と書いてある。色々な国を渡り歩いてきたが、こんなシルエットは見たことがない。オランダ特有なんだろうか??


シーボルト・ハウスの外観。オランダを旅しようと決めた時、絶対にここは外せないと思った。
【江戸時代、長崎は出島のオランダ商館付きの医師として来日したシーボルト。1823年にやって来て、長崎郊外に鳴滝塾を開き診療のかたわら西洋の学問を日本人に広めた。帰国に際し日本地図を持ち出そうとしたことが露見し、1829年に永久国外追放となった(シーボルト事件)。その後しばらくライデンにて自らの見聞をまとめた『Nippon』を著述し、当時多くのことが知られていなかった日本のことをヨーロッパに紹介した。1858年、日蘭修好通商条約が締結されるにあたりシーボルトの罪は赦されたため翌年に再来日、1862年まで滞在した。現在、ライデンの邸宅はシーボルトが最初の帰国時に日本から持ち帰った品々のうち800点を展示する博物館となっている】

シーボルトの胸像。いわゆる教科書に載っているシーボルトの肖像画は若かりし日のものだが、こちらはひと歳めした後の風貌のようだ。

以下、展示品を紹介したい。まずは雛人形。

唐箕(選別に使用した農具)。

ハリセンボン

サギのはく製。

アサガオの標本。

木の板に描き、詳細な説明を加えている。まだカメラがないもんなぁ・・・

刀の鍔。

アジサイの標本。シーボルトは日本原産のアジサイをヨーロッパへ紹介するにあたり、学術名を「オタクサ」と付けた。日本滞在中に娶った妻おたきから名付けたというから、ことのほか愛好した花だったのだろう。

飼っていた犬「さくら」のはく製【シーボルトは長崎の町中で野良犬を拾い、帰国に際し連れ帰ったという】。

フグの絵。

フジを描いたうちわ。傷んでいる和紙が非常にリアル。

展示室を仕切る扉のノブ。日本語も記されていて、なんだか嬉しくなる


樺太の地図。最初の帰国時に持ち出そうとしたモノは没収されただろうから、オリジナルではないだろう。いつ入手したんだろう

左端に間宮林蔵が書いたとあり、最上徳内のサインがある。

シーボルトは単なる商館付き医師ではなく、東洋外交のためのある種"スパイ” として日本の国情をオランダに報告することも重要な任務のひとつだったのだろう。
それにしても、である。彼は本当に日本のことが好きで、尽きせぬ興味を抱いていたのではないだろうか。来日当初はともかくとして、いつしか任務以上の感情を持つようになったのではないか?? あの時代にこれらを船で運んだんだよなぁ・・・膨大な収集品を前にして、仕事だっただけでは片づけられないような日本への情熱をひしひしと感じるのだった。

なお、常設展示のほかに企画展もやっていた。そのポスターがこれ ↓ ↓

上のポスターにも採用されている「神奈川沖浪裏」や、俗に赤富士とよばれる「凱風快晴」のような著名な作品以外も紹介されていた。
富嶽三十六景より「遠江山中」。

同じく富嶽三十六景より「五百らかん寺さゞゐどう」。

最後に、ミュージアムショップでシーボルトの本を買った。日本語のが堂々と売られていた 応対の際に日本語を使ってくれたレジのお姉さんはライデン大学の学生あるいはOGだろうか・・・【スペインからの独立から間もない1575年、オランダ最初の大学として創立されたライデン大学。19世紀後半に世界で初めて日本学科を設置したのには、日本学の第一人者となったシーボルトの影響も大きい】

外に出ると、太陽が凍った運河を鈍く照らし、陽炎のような靄がたちこめていた。この旅の中で印象に残っている風景のひとつである。

数十m先のライデン大学を目指す途次、現れたステキな門。かつて市街地とその外をつないでいたらしい。

いつのまにやら大学の敷地内に足を踏み入れていたことに気づく

構内の植物園には、シーボルトが日本から持ち込んだイチョウ・カエデ・フジなどが植えられた日本庭園があるのだが、冬休みで閉まっていた。見たかったなぁ、残念 
やむなく、外から植物園の温室らしきものを撮影して去った。

駅に向かう途中、レンブラント広場を通過【1606年にここで生まれたレンブラントは早くから頭角を現し、売れっ子となった後にアムステルダムへ拠点を移した。当時の建物は無く、モニュメントの奥の建物は後世のもの】。

広場のすぐそばに流れる運河にはレンブラント橋が架かり、その奥にはデ・プット風車がのぞく。

別の角度から見ると、こんな感じ。この町、本当に美しいなぁ


この後に向かうユトレヒトのことが気にかかりながらも、まだ訪れたい場所があった。
駅でバスを探すと、お目当ての56番がちょうど発車しそうだったので飛び乗った。切符は車掌さんから難なくゲット。行き先を「Kooipark」と告げると、怪訝な顔をしていた。そりゃそうだ、観光客があまり行きそうにない場所なんだろう。
10分弱でバスを降り、ヤマ勘で辺りを探す。本当は観光案内所で情報を得たかったのだが、見つけられず・・・
しかし、意外にもあっさりと出島通りが見つかった【1845年、シーボルトは日本の建築様式をまねた別荘を建てて「ニッポン」と命名。その付近がニッポン通り・シーボルト通り・出島通りと呼ばれた。別荘は今や無く、ニッポン通りは消滅】。
ビールAmstelの看板を出すDECIMAというカフェに興味があったが、先を急ぐのと、窓にカーテンがかかっていて中の様子が分からなかったのとで断念。


そして、出島通りのひとつ奥がシーボルト通りだった。何の変哲もないと言えばそれまでだけど・・・

通り沿いのお宅の窓辺に仏像が飾られていた。どんな方が住んでいるんだろう

再び駅に戻ると、運よくユトレヒト行きの電車が7分後にあった。なんてラッキーと、これにも飛び乗った。
さようなら、ライデン。この国に来てというよりイギリスから通算しても、初めて青空を見ることができた場所だった

40㎞東のユトレヒトへ向かう車窓では、風車が所々に姿を現す。未だに使われていて、生活の一部なんだろうなぁ~
そうこうしているうちに、辺り一面 雪原になってきた。やはり内陸部のほうが寒いのか ユトレヒトは一体どうなっているんだろう・・・
雪の下の草をはむ馬や羊を見かけた。このあたりの馬はロバと間違いそうな小型の品種である。また、時折出没する教会は長くて尖った三角形の屋根を持つものが多い。

到着後、ユトレヒト駅が巨大なことに驚く。ショッピングモールと合体しているため、先行きが見通しにくい。はたしてこの方角で合っているのかと疑いつつ、人の多い方へ突き進むと、無事に駅前広場へ出た。そこから郵便局へ迷わずたどり着く。ようやくオランダの切手を入手、わ~い だってアムステルダム市内で郵便局が見当たらなかったんだもん・・・
しかし、浮かれすぎてミッションを1つ忘れてしまう。郵便局の付近にあるという、ミッフィー型に点灯する信号機をチェックしなかったのだ。やっちまったなぁ 
下の画像は、駅前の様子。運河より高い位置に町が築かれている。

その後、人の流れに沿ってドム塔を目指す。吹き抜けになっている尖塔は遠くからでも目立つ。メッチャ繊細な造形だわ【14世紀、数十年を費やして造られたゴシック様式の塔は112m、教会塔としてはオランダ最高を誇る】

ユトレヒトの中心部を流れる運河アウデグラフトを横切る。てか、落ちそうになってる自転車もあるけど・・・

こちらは帰り際に撮影したもの。はあぁ~ 絵になるぅ

山積みのポテトフライに圧倒される 小便小僧がトレードマーク・・・有名なんだろうか【今回調べたところ、マネケン・ピスというチェーンと判明。アムステルダムにも店舗があり、行列ができるほど人気らしい】。

ドム教会に到着。すぐそばのドム塔を撮ろうとしたのだが、自分のデジカメの広角では収まりきらなかった というわけで、4枚上が唯一残せた塔の画像となった。

模式図のおかげで、ドム塔と教会はその昔ひとつだったのに、17世紀後半の暴風雨で真ん中が崩壊、再建されないまま今や別々の建物のようになっていることが分かった。

アムステルダムでは機会に恵まれなかったこともあり、オランダに来て初めて教会に入った。クリスマス仕様で、イエスの誕生をテーマとする影絵が用意されていた。

パイプオルガンやステンドグラスは新しい感じ。


赤が印象的な磔刑のフレスコ画。てか、右下の有翼の動物は何??

顔が徹底的に剥ぎ取られた彫刻【調べたところ、スペインからの独立前(16世紀後半)にカトリックへの不満が高まるなか、オランダ人が抵抗の一環として行なった偶像破壊と知った】。

臼のような形をした洗礼盤。頭上に鳩・・・ということは、真ん中がイエス、左がバプテスマのヨハネ

その裏側の彫刻。意匠は何だろう・・・


教会を出てディック・ブルーナ・ハウスを目指したが、道選びに失敗。メインのアウデグラフトのひとつ外側を歩いてしまい、ひとけの少ない住宅地に出てしまった。朝のライデンを思い出しながら、今回こそ方向は間違ってないはずと歩いていると、後ろから声をかけられた。どこへ行くのかと聞いてくれたので、(ブルーナ・ハウスは分館の位置づけなので、向かい側にある)セントラル・ミュージアムと答えたら、"ブルーナ・ハウスか?”と言われる。そうだと伝えると、"たくさん日本人が来るんだよ。君は日本人か?”と。もちろん、苦笑しながら肯定するしかなかった
彼はスマートに道を教えてくれて、スタスタと歩いていく。彼と私の岐路にやって来た時、思わず彼の方を見ると、彼も私を振り返って正しい方向へ進むのを見やり、軽く笑って手を上げてくれた。つられて私も頬に笑みをつくり、手を上げて応えた・・・さわやかな別れだった。50代に入っていると思われる、オランダでは一般的な長身の男性だった。

若干遠回りしたせいでブルーナ・ハウスに着いたら閉館50分前・・・慌てて見てまわるハメに

金ぴかのミッフィー像が出迎えてくれた。

世界各国で出版されているミッフィーの絵本がズラリ並ぶ。何語なんだろうと想像するだけで楽しい。

あぁー ピエロ好きだったなぁ・・・懐かしさがこみあげてくる ブルーナ・シリーズの絵本を買い与えてくれた母曰く、私は主人公のミッフィーよりも他のキャラが好きだったらしい。白黒ブチの犬とかライオン、魚、亀、不思議なシッポの小鳥、緑の目を持つ黒猫 etc。
三つ子の魂百までか・・・幼い時に豊かな絵本の世界に出合わせてくれた母に感謝したい。

なお、オランダではMiffyよりもNijntje(ナインチェ/ オランダ語で「小さなうさこちゃん」の意)で通っている。耳の感じも今とはちょっと違うような・・・

原画も展示されていた。

ディック・ブルーナ氏は絵本だけでなくポスターも制作しているようで、作品群が紹介されていた。その一部がこちら。


切手も発売されたらしい。

白い壁に、原色のカラーが映えるステキな空間だった。

最後に、売店で自分用と友人へのお土産を購入 買い物含めて1時間足らずの超駆け足でも、なんとか終了


ブルーナ・ハウスの目の前の停留所にちょうどやって来たバスに飛び乗り、駅へ向かった。限られた時間の中で目的は果たしたが、ドム塔に登れなかったのがやや心残りか。
天空のチャペル・・・どんな景色が広がっているんだろう【塔へ登るには1~2時間おきに出るツアーに参加しなければならず、人数制限もあり。465段をのぼりきると、ユトレヒトの町を見渡すことができるらしい】

ユトレヒト駅の構内でついに発見、揚げ物の自販機 事前のガイドブック情報であるらしいと知っていたが、アムステルダムでは見かけなかった。縦列で種類が分けられていて、画像右端がコロッケだった。味が気になるし買ってみたいと思ったが、コインがないため断念せざるをえず

アムステルダムへ向かう電車は混んでいた。終点はDen Helder、オランダの北部である。そういえば朝乗った列車はVlissingenで、真逆の南部行きだったなぁと思い起こす。この国では朝の動きが遅く、夜が輝くように華やかに続く。朝はトラムも電車もガラガラだったが、ちょうど混む時間になったようで、ぎゅうぎゅうに詰めて座った。
いや、座れたのはラッキーなんだけど・・・目の前でしきりにゴホゴホされると困るなぁ 前日、水上バスの中にもそういう人がいた。この寒さだから風邪をひいている人が全体的に多い印象。こんな状況でうつされないようにするのも限界があるかも・・・ろくに言葉がしゃべれない異国に独りで、何かあってはマズイという緊張感だけが私を病から遠ざけている、今のところ。

中央駅から乗ったトラムをダム広場で降り、アルバート・ハインに入る。1.5ℓの水を買うためだったが、地下のリカーショップに気づいてそわそわと赴く。そして遂にオランダ産のワインに初お目見え €12.99、けっこうするなぁ~ さらにジェネヴァと、それにリキュールを混ぜたカクテルも発見してテンション 持ち歩くのが重いので、翌日買いに来ようと決めてレストランへ向かう。
ガイドブックに載っているオランダ料理のお店。予約なしなので心理的に敷居は高かったが、いちかばちかで入店待ちの列に並んだ。思った以上に早く席に通され、1人客でも嫌な顔ひとつされなかった。エルテンスープとヒュッツポットを注文したら、“It’s perfect!”と言われた。そーいえば、昨夜も同じようなこと言われたな。注文としては正しいらしい。あるいは、お店が自信をもつ推しメニューなのかも。
こちらがエルテンスープ【乾燥エンドウ豆をベースに、玉ねぎ・じゃがいも・セロリ・ソーセージ等を加えて半日煮込み、豆を煮くずして完成。冬の寒いオランダを代表する料理】。味は好みだけど、食感は離乳食だなぁと思ってしまう

ヒュッツポット【人参・玉ねぎ・ジャガイモをゆでて潰したもの&肉類。牛肉の煮込み或いはベーコン、ミートボール、ソーセージを添える】。想像通りの味だったが、どちらかというと付け合わせに魅かれた。ペコロスはまるでラッキョウのようだし、ピクルスは酸味が穏やかで、何となくキュウリのぬか漬けを連想させる美味しさ

ドリンク1杯目はビールAmstelのBock【発祥はドイツのアインベックだが、現在の製法(ラガー酵母を使用した下面発酵)は17世紀のミュンヘンに始まる。ローストした麦芽を使用した豊かな香り、ブラウンの濃い色が特徴。アルコールはやや高めの6~8%】、2杯目はジェネヴァのベリー風味(画像右)。ジェネヴァはかなり薬草味が強く好みは分かれるだろうが、カンパリが好きな人はイケる【ジェネヴァ; ライ麦・大麦・トウモロコシなど穀物の粉を蒸留してネズの実(ジュニパーベリー)で香りづけする。2008年、AOC(原産地統制呼称)に認定された。なお、これがイギリスに渡り改良されてジンとなった。ジンに比べて濃厚でクセが強い】。
てか、ビールグラス大きすぎ

1時間くらいで切りあげ、ホテルへ戻った。街は人であふれていて、危なさはゼロに等しい。
道すがらの店先には果物が整然と並べられている。

ハイネケンの電飾看板を思わずパシャリ

部屋での晩酌はビールBrand【14世紀半ば創業、オランダ最古のメーカー】。350㎖で€0.85、前夜のグロールシュとほぼ同額。


★ その3に続く ★










































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする