poliahuの旅日記

これまでに世界42ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

韓国(2)篇 その1

2023年09月15日 | アジア
出かけたいけど前後の仕事がまわらなかったら首が締まるよなぁ・・・。勇気が出ず夏の旅は何年かあきらめていたのだが、無性に旅立ちたくなってしまった。捻出できそうなのは3泊4日と逆算、近くて訪れてみたかった場所として浮かんできたのが慶州だった。
韓国訪問は1999年に続き2度目となるため、(2)としています。3泊4日の旅を2日ずつに分けて、前半をその1としてお届けします。
この旅で下の地図の➊・➋を訪れました。また、後の下線部の数字にも対応しています。


1 出国 ⇒釜山 (2019年8月26日)

のっけから告白すると、これはやり直しの旅である。当初は7月下旬のはずだったが、ガッツリ台風にあたってしまい、日本から韓国への飛行機が飛ばなかった。ピンポイントで仕事を空けていたため日程延長はできないし、台風一過後に遅れて入国し端折ってまわるなんて考えられなかったのだが、このままうやむやになるなんて絶対に嫌 そんなわけで、意地にも近い感じでスケジュールを再調整。シーズンなので再び台風に見舞われないようにと心配していたが、運よく出発にこぎつけたのだった
往路は済州航空。国際線でLCCに乗るのはマカオ便以来2度目である。初めて成田の第3ターミナルを利用した。エコノミーで購入していたのだが、チェックイン時に無償で新設のnew classに格上げしてくれた。ドリンクは普通だったけど、アメニティーがもらえて、シートがかなりゆったりしていた。2時間のフライトとはいえ、ラッキー

14時20分に離陸した飛行機は16時半過ぎに釜山に到着。時差ナシだから、分かりやすい
ホテルへは軽電鉄と地下鉄を乗り継いで行く。金海空港駅から1つ目の西釜山流通地区駅を出て洛東江を渡りながら、車窓のビル群に目を奪われた。新宿西口も真っ青の林立ぶり。ただしビジネスビルではなくて、高層アパート(マンションと言うにはくたびれている)。台湾・マカオ・香港もしかり・・・縦に細長い高層住居に暮らすのは東アジアの習性か いや、国土に対して人口が多いんだろーなぁ。ともあれ、予想以上に大都市を目のあたりにして気圧される。初回訪問時はソウルと水原のみだったので、釜山は初めてな自分。たしかにソウルのほうがもっと都会だったけど、首都と構えて臨んだから想像を超えなかったんだよなぁ

沙上駅で地下鉄2号線に、西面駅で1号線に乗り継いで温泉場駅まで。駅からホテルまでは数百m、迷うことなくたどり着いたが、空港を出て1時間半近くかかり18時半前になっていた。やっぱ遠かったか・・・でもねぇ、温泉泊まりたかったんだもん。7月に予定していた旅では着陸がもっと遅かったので、空港に近いホテル(温泉なし)を予約していた。転んでもタダでは起きないもんね~っだ
部屋に荷物を置いてすぐ、夕食のため外出。暮れているので遠出する気はなく、近くの通りを歩いて入りやすそうな食堂へ。観光客も入るんだろうけど、先に入っていたおじちゃんは地元民な感じのちょうどいいローカル具合。折りしも日韓関係が最悪な時期だったが、お店のおじちゃんは嫌な顔せず対応してくれた。メニューはハングルのみ、全然読めないけど写真付きだったので、お目当ての品を頼むことができた。待っている間に、付け合わせが出された。そうそう、お店で注文すると何皿か提供される習わしになってるって韓国初訪問時に聞いたんだったわ【煮物・和え物・炒め物・漬物などの常備菜が少量ずつ盛られた小皿をパンチャンという】。
ていうか、たくあん これって、日本の植民地時代の影響かなぁ?【一説によると、僧の沢庵宗彭が江戸時代の初期に考案したというたくあん漬け。この記事を書くにあたり調べたところ、やはり植民地時代に日本から持ち込まれたと判明。ちなみに、同様にかつて日本の植民地支配下にあった台湾にもたくあんはもたらされ、残存しているという】

本日のメインはカルグクス【カル=包丁、ククス=麺。小麦粉・卵・塩を水で練り、めん棒でのして包丁で切った麵を、煮干し・アサリなどの魚介系または牛・鶏などの動物系の出汁に塩などで味つけした熱いスープでゆでる】。手打ちの二色麺にネギと海苔、辛味噌がのっかっている。このスープの出汁は鶏かなぁ この国の素うどんにあたるらしいけど、ニンニクが効いているあたりが日本のと違っていて面白い。


ホテルの目の前まで戻って、ミ〇ストップでアルコールを入手。
酔う前に別館のスパへ向かう。部屋のお風呂にも温泉が引いてあるらしいが、この国の共同浴場の雰囲気を見てみたくて 日帰り入浴もあるらしいが、宿泊客は連絡通路を経由して行く。更衣室のロッカーの状況が不明で心配だったが、入口で渡された鍵は靴箱とロッカー共用でセキュリティー万全。部屋からバスタオルを持参したが、フェイスタオルが備え付けられている。しかも、ナイロンタオルももらった。さすが、垢すりの国
内部は少し前にリニューアルしたようで、綺麗だった。リニューアル前に訪れた方々のブログを目にしていたので、嬉しいほうに期待がはずれた
メインの浴槽はプールと見紛うような広さ。その他に、水温を変え趣向を凝らして何種類も浴槽がある。撮影して紹介したいよぅ~ ウズウズしたところで、カメラなど持ち込めるはずもないのだが 晩酌の時間確保、そして翌朝の出発時間を考えて30分ほどで切りあげたが、時間が許すならばもっと長居したかった。

20時30分頃から晩酌。ふだんワイン党の自分。件のコンビニには輸入物のワインがあったものの、よほど需要がないのだろう、うっすらと埃をかぶっていた。郷に入ればなんとやら、でビールを購入。マッコリとか焼酎じゃないんか~い はい、苦手なもので・・・
いつだったか日本の韓国料理屋で韓国ビールを頼んだら、会計の時に20代と思しき韓国人の店員さんに “韓国のビール、おいしくないですよね・・・日本のがいい” と言われたことがある。追従している感じでもなかったし、率直な感想なのかなと思った。たしかに日本のビールとは味わいが異なるし、コンビニの品ぞろえも輸入ビールが多すぎるくらいだったけど。ひとまず旅の初日は韓国ビールで飾ってみた 

韓国産チューハイにも手を出す。桃味、うまい


1・2 釜山 ⇒慶州 (2019年8月27日)

8時に起きて朝食会場へ。夜はレストラン営業しているんだけど、ワインセラーが素敵 某ホテル予約サイトのバーゲンにて半額で泊まることができて、ラッキーだったな~

ビュッフェも豪華。野菜が豊富で満足

頼めばカルグクスも出してくれるみたいだったが、前夜とかぶるのでお粥をチョイス(左)。イリコらしきものをトッピングしたが、お粥自体にピーナッツが炊き込まれていて不思議な味。右は味噌汁。

カフェオレとフルーツも堪能。

見納めに、ホテルの部屋からの眺めを撮影 手前の緑深いエリアは、このホテルの別館食事処。高級そうな雰囲気・・・

チェックアウトの時、覚えたての "さようなら” を韓国語で言ってみた。イントネーションがよく分からないのでいい加減だったけど、20代と思われるフロントのお姉さんは微笑んでくれた。ホテルの教育が行き届いていて営業スマイルな可能性もあるから、通じたとは言い切れないけど うん、挨拶だけでも現地語で。自分のポリシーを大切にしよう なお、トルコ語と同様に去る側と残る側で言葉が異なるみたい。

地下鉄1号線で7駅、終点の老圃駅で下車、直結した釜山総合バスターミナルへ。高速バスと市外バスの切符売り場が並んでいる。下の画像は釜山帰着時(翌々日)に撮影した。右が高速バス、左が市外バス。【料金は同じだが、言語と運航頻度が異なる。高速バスは英語表示もあるけど、1時間に1本のみ。市外バスはハングルのみだけど、10~15分に1本】

電光掲示見たら、高速バスの発車は1時間後。あっさりあきらめて、ハングルだらけの市外バス窓口へ。ガイドブックを開き、「慶州」がハングル表記されていて且つ仏国寺多宝塔の写真が載っているページを指す。ちゃんと通じて、10分後に発車のバスチケットを入手できた。よ~し、時間の使い方いいぞぉ

慶州へは1時間、11時45分に到着。しかし・・・途中から雨が降り出した
バスターミナルで降り、まずは近くの観光案内所に入る。窓口で南山石仏群を見に行きたいと伝えると、係員のお姉さん2人は顔を見合わせて浮かない感じの顔になる。雨が降ってるし、止めた方がいいかも・・・と終始消極的だった。確かに、土地勘のない場所で一人で山登るってリスク高いんだろうけど。ま、今日はこの時間だし無理だよね、明日行くかどうか後で考えよう。この時点では全然あきらめていない私。
案内所でもらった観光マップを手に、ゲストハウスを目指す。ざっと1.5㎞ほど、20分くらいと見積もっていたが それ以上かかった。雨で歩きにくいのもあった。
ゲストハウスの周辺は細かい路地で絶対に迷うだろうと予想していたが、ここぞという場所に道標が出ていたおかげで大過なく到着。民家のようなさりげないゲートをくぐる。


画像左端がゲート(2枚上の画像)。左の白壁は道路を挟んで向かい側に建つ他所の。

宿のオヤジさんは、私が名乗ると帳簿を見てうなずいた。パスポートはチェックされず、2泊分を先払いだった。チェックイン時間前だったが、あらかじめ正午頃到着と伝えてあったので すんなり部屋に通してもらえた。
こちらが宿泊棟の玄関。右端の下足箱の空いている場所に靴を入れる感じ。

奥に何部屋もあるようだったが、私にあてがわれたのは玄関脇の一室。扉を開ける。

右奥の扉を開けるとシャワー&トイレ。この画像で隠れている左奥にトイレと洗面台があった。

思っていたよりも断然綺麗だった。が、机・椅子はないので 小さいチェストの上で日記や絵ハガキを書くしかなかった。本来はリモコンなどの小物を置くもので、骨董風で可愛いんだけど、その上で文字を書くにはデコボコ気味、しかも手に金具が当たる

ひとまず仏国寺と石窟庵へ向かうことにした。ガイドブックには午後は混むから朝早くと書いてあったけど、なんといってもメインだからな~ これらを差し置いて他をまわったところで、気もそぞろだし。
ゲストハウスを後にして、まず郵便局を目指す。難なく切手をゲット 郵便局のすぐそばにある慶州駅をパシャリ

道路をはさんで郵便局の向かいにある城東市場前の停留所から11番のバスに乗り、仏国寺へ。車内放送は韓国語のみ、表示はハングルのみ。きついなぁ
台湾を旅してどうにかなってきたのは、錆びついてるとはいえ単語だけでも中国語を知ってるからなんだなぁ・・・今さら気づく。
ガイドブック情報では20分くらいとあるのに、なかなか着かない。窓から青い看板(日本と同じような道路標識)をチェックしていると、仏国寺と出てきた。直後の停留所で数人とともに下車。ところがである。仏国寺駅だったのだ
事態を悟り、地図を広げて徒歩で向かおうとした。が、雨が土砂降りになってきた。それでもしばらく進んでいたが、デニムは膝までグッショリ
さすがにあきらめて元のバス停まで戻り、軒先に立っていた男性に“プルグッサ?”(韓国語で仏国寺)と聞いてみる。すると、ここから数㎞あるよ、と。バス停の横に無人のタクシーが2台停まっていた。付近に立っていた男性にドライバーか尋ねるとビンゴ もうこの雨だし、信じてついて行くしかない。6,000ウォン(≒600円)が割高なのかどうかも分からなかったけど、あの雨の中を歩けなかったと思う、タクシーで5分の距離を。歩きかけてた方角が合ってたとはいえ

14時20分、大雨の中を仏国寺観光スタート。いやぁ~濡れるのなんの。ビニール製のショルダーバッグの中の財布や手帳まで湿った。もちろんスニーカーもビッチョリ、靴下は最悪。自分の旅史上ワーストの雨だった 不幸中の幸いは、雨のおかげで午後のわりに観光客が少なかったこと。撮影するには好都合だった。
【仏国寺; 751年頃、新羅の宰相である金大城が現世の父母のために建立したという。文禄の役(1592年~1593年、豊臣秀吉による朝鮮侵略)で焼失し、石垣や石段のみ残った。焼け残った石垣の上に伽藍を再建し、1973年に現在の姿に修復された。統一新羅時代の最盛期の仏教美術を伝える】
雨降りしきる般若蓮池は風情がある。

天王門。

そこにおわします四天王像。龍を鷲づかみしてる・・・

楽器持っちゃってる・・・日本のとは持物が違ってて、面白い。

【この記事を書くにあたり調べたところ、日本の四天王との違いが浮かび上がってきた。日本で最も有名な東大寺戒壇院のそれ(8世紀制作)は、多聞天が宝塔、広目天が筆と巻物、持国天が刀、増長天が三叉戟を持つ。日本に伝わった仏教が経由した古代中国のも大差はなかったと推測されるが、元の時にチベット仏教を受け入れて大きく変化し、多聞天は傘、広目天は蛇または龍、持国天は琵琶、増長天は剣を持つのが中国では一般的になったという。あくまでも想像になるが、8世紀にこのお寺が創建された時の四天王の持物は今のとは違っていたのだろう。それが、再建時に中国の影響を受けて現存の四天王像が完成したと思われる】

境内にポストがあるんだね~

お手水だよね・・・日本でも龍があしらわれてるけど、やっぱり少しずつ違ってて面白いなぁ

このお寺イチオシの紫霞門。これをくぐると、仏の世界となる。

正面より、横からのショットが絶景とされているようだ。なんでも、門へ続く階段が2層になっていて青雲橋・白雲橋と呼ぶんだとか(画像右奥)。
左端は1枚下で紹介する安養門の階段。

紫霞門の隣に位置する安養門。その階段も2層で、蓮華橋・七宝橋という。

紫霞門・安養門ともに保護のため階段をのぼることはできず、裏をまわって仏の世界へ入れてもらう。
回廊に灯篭がびっしり吊るされていることに驚いた。蓮の花の形で、短冊には文字が書かれている。日本でいう絵馬みたいなものか 


木魚。

このお寺の中心的な存在、大雄殿【現世=娑婆世界を表すという】。

その手前には多宝塔と石塔が左右に並んでいる【いずれも8世紀半ばの制作】。

自分は特に多宝塔が気に入った。

多宝塔の階段の上、ちょこんと座す獅子の彫刻に魅かれずにはいられなかった。狛犬にもシーサーにも見えるよねぇ・・・やっぱり近接文化圏なんだなと思う。
【獅子はかつて4体あったが、1体を残して失われたという】

大雄殿の中。ご本尊は釈迦如来像。

軒下の装飾も細やか。

極楽殿に至る(下の画像の右手前)。左奥が先ほどまでいた大雄殿。

こちらの回廊の灯篭は白だった。

極楽殿【天界=西方極楽浄土を表すという】。手前には金の豚像がある。とはいえ・・・大きなネズミにしか見えないのは、私の審美眼の問題か

ガイドブックに幸運の豚像のオリジナルは大雄殿の中にあると書いてあったので探したら、額の裏側に隠れていた。これをつくった人、遊び心満載だなぁ 
てか、周りに十二支の動物が見られた【十二支の起源は殷に遡る。日本では猪となっている十二番目、元々は豚だった。韓国は中国に倣って豚。豚とお金の発音が同じことから、金運が上がるとされているらしい】。

極楽殿の中。ご本尊は阿弥陀如来像。左右の灯篭、明かりがともされると一層華やいでキレイ

仏国寺、山の緑の中に堂宇がそびえる美しさが目に焼き付いた。
敷地内の売店でハガキを買う。この後も他所で見かけるかもしれないけど、ない可能性もあるし、と一期一会買い。石窟庵の写真ハガキ14枚入りで4,000ウォン(≒400円)。仏国寺のじゃなくて石窟庵のシリーズを買っておいたのは正解だった。のちに訪れた石窟庵の境内の売店(2ヶ所)には置いてなかった。よくあるパターンなんだな
石窟庵行きのバスは1時間に1本なので時計を見ていたつもりが、買い物してたら気が逸れておっとっと・・・12番のバス停まで走っちゃった。幸い雨は弱まってきた。

グネグネしたのぼり道を20分進むうち、雨はほぼ止んだ。16時に到着。石窟庵への道は舗装されていなくて、数分の距離。絶対にぬかるむわ、さっきのような大雨じゃなくてよかったぁ てか、薄暗くなって人けがなくなったらコワイ道だわ。夕方の女子一人歩きは勧められないな(撮影は帰路)。

石窟庵の前方と右は雪崩れていて、鋭意工事中だった。豪雨・台風・地震、はて どれだろう? 


【石窟庵; 751年頃、新羅の宰相である金大城が前世の父母のために建立を開始(仏国寺と同時)、8世紀後半に完成。前方後円の構造で、木造・方形の前室は地界を、石造・円形のドーム型主室は天界を表し、両者は扉道で結ばれている。李氏朝鮮の時代の仏教弾圧で廃墟と化し忘れ去られていたが、1909年に雨宿りしようとした郵便配達夫が発見した】
いよいよ入場。私を今回の旅に誘った仏様と対面。いつの頃からか仏像に癒しを感じるようになった。自分にとってキリスト教美術は憧れでドキドキはするけど、癒しとは違うんだよなぁ・・・。写真・ビデオともに禁止のため、絵はがきを撮って載せる。ここが整備される前の様子【はがきの裏書きによると、発見からまもない1913年の撮影】。

結論から言うと、ハイライトなはずなのにいまいち盛り上がらなかった。第一に、ご本尊の顔だちが好みではなかった・・・目がつり上がってて、キツめの印象を受ける。日本の仏像でいうなら、自分の好みは広隆寺の半跏思惟像のような優しい感じ。まぁ、あくまでも個人的な好みのモンダイに堕してしまうけど。
第二に、ガラスを隔てている。本尊よりもその周囲に彫り出された天部や菩薩たちが自分好みだったので、近寄ってじっくり観察することができたなら もうそれだけで満たされるのに、保護のためかガラス越し。本尊の真後ろの彫刻は7mくらい先・・・と、遠いわ
本尊周囲の彫刻も、絵はがきを撮影して載せておく。



 
その昔は近くで見ることができたんだよなぁ、いいなぁ。こーいう時、見たいモノはできるだけすぐ見に行かねばと思うのだ。バーミヤンやパルミラは極端な例だとしても、見学できる状況は刻々と変わっていく。今回、ガラス越しにしか見学できないと予め知ってはいたけど、想像以上に残念だった
【この記事を書くにあたり調べたところ、ガラス越しの見学になっている現状は復元工事の失敗によるものと知った。既述のとおり、この石窟庵が「発見」されたのは折りしも日本が朝鮮半島を植民地化する前夜のことだった。そして日本の植民地時代に設計図がないまま誤って組み立てられ、さらにセメントで補修したため 換気できず湿気がたまる状態になってしまった。そこで前室をガラスで閉じ、人工的に換気しながら維持しているという】。
経緯を知り、とても複雑な気分になった・・・。浅はかな感想を抱いた自分を恥じるばかりである

なお、高さ3.45mの本尊は東南東を向いており、その先には統一新羅の文武王の陵があるという。仏の力で国を守ろうとする願いが込められているという説があると知り、東大寺の大仏(752年完成)を想起せずにはいられなかった。東大寺のは高さ14.98mと大きさこそ異なるが、ほぼ同時代の作例。尚且つ ともに鎮護国家思想に根差しているとしたら・・・なんとも不思議な縁だなぁと思ってしまう。

庵の前にあった礎石【土の上にこれを置き、柱を立てた。土に直接立てる(掘立柱)よりも耐性が高い】。上を覆う建物も おそらく木製だったであろう柱も失われて、これだけ残ってるんだな・・・


石窟庵の駐車場脇には鐘楼があった。

「鐘」と書かれているのが分かる。

駐車場にあるトイレはブースも多いし、キレイだった。仏国寺では利用しなかったから様子は分からないけど、広い境内に何ヶ所もあったことは確か。
往路の逆をたどって仏国寺まで12番のバス、仏国寺で11番に乗り継いで市内へ戻る。時間があれば、仏国寺門前の土産物屋街を冷やかしたのかなぁ・・・でもお腹すいたし、暗くなる前に戻らないとね。
さて、どこで降りるか問題である。駅とかバスターミナルとか、分かりやすい停留所は宿から遠い。極力近い所で降りたいのだが・・・繁華街が近づいてきたので、必死に車窓を確認する。往きに目を皿のようにして観察していたのが功を奏し、目印にともくろんだカフェの看板を発見。ゲストハウス最寄りのバス停で下車に成功 雨にはしてやられたが、プラマイゼロかも 

宿から最も近いセブン〇レブンに入る(撮影は翌日)。アルコールを置いてなければ水を買おうと思っていた。が、なんと現実は逆だった
ビールとチューハイの計3缶にする。焼酎らしき瓶もたくさん並んでいたが、やはり手が伸びず。

さらに宿に近いコンビニ(GS25)で水2リットルを購入。さすがに重いので、これらを置きに一旦ゲストハウスへ戻る。時刻は18時、中庭で談笑する欧米人客らもいて、なかなか繁盛しているみたい。

夕食は慶州名物サムパプと決めていた。ガイドブックが推していたお店は宿から歩いて10分くらい。その道中、ご当地感満点のス〇ーバックスに遭遇。

お目当てのお店にたどり着いたものの、扉に貼り紙が出ていて、中を覗くとお店の方々が必死でセッティングしている。ハングル表記なので「19:30」以外は読み取れなかったが、1時間以上待てないし、場合によっては貸切かも 
あきらめて第2のターゲットに変更、来た道を引き返す。そこもダメなら道沿いにあるお店にフラリと入るつもりだった。
大陵苑近くのお店はあっさり入れてくれた。メニューを見るとサムパプは2名から注文と書いてある。でも、私の隣席の女性(たぶん韓国人)は一人で食べていたので、しら~っと注文したら通った。全部で22品出てきた。多いけど、残すのはなぁ・・・「もったいない」精神が発動し、極力がんばって最終的に4皿以外は平らげた。
【サムパプ; サム=包む、パプ=ごはん。葉(サンチュやエゴマなど)に様々な食材とサムジャン(辛味噌ダレ)を添え、白米とともに包んで食す料理】

少なくとも隣人よりは食べた。そして、後から入って来て先に出て行った韓国人と思われる男子2人組はもっとたくさん残してた。中国の饗宴みたいに、サムパプは食べきらないのが前提の料理なのかな、ムリしなくてよかったのかなぁ
ま、ほぼ野菜なのでわりと消化はいいと思って大量に胃に詰め込んだが、辛い料理は少しだけにしておいた、まだ1日半滞在するので・・・。これはミャンマーの教訓。辛い料理をたくさん食べると、必ずお腹を壊してしまう私
お店を出たのが19時過ぎ。辺りはすっかり暗くなっていた。中央奥はライトアップされた瞻星台。慶州のランドマークともいわれるが、韓国(2)篇「その2」で詳しく言及したい。


昼間びしょ濡れになったスニーカーのダメージは思ったより大きく、部屋備え付けのドライヤーをあてた。こんなの初めて。短い旅だから洗濯しなくていいやと思ってたら、これかぁ 気を取り直して、この日の晩酌ラインナップはこちら。韓国のビール2種。

さらに前夜の桃チューハイの味違い、パイン味


★ 中締め ★

書き始めた当初は4日間を1つの記事にまとめるつもりでしたが、画像がやたら多いため上限の文字数をオーバーしそうだと途中で判明し、急きょ2つに分けることにしました。
想定外でしたが、コロナ禍以降初の海外旅行に飛び出すため、もともと編集作業がかなりタイトだったこともあり、旅の後半篇は来月に先送りすることにしました 
後半では引き続き慶州を観光します。
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