poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

モロッコ篇 その2

2021年10月03日 | アフリカ
下の地図中の①~④は第1弾で訪れた場所です。旅の中盤では➎~⓬をまわりました。ただし、カスバ街道は➒のトドラ渓谷に集約しています。
また、後の下線部の数字にも対応しています。


5・6・7・8 フェズ ⇒イフレン ⇒ミデルト ⇒メルズーガ (2013年7月29日)

2泊したフェズを発つ朝。パティオに面した小部屋でコンチネンタルな朝食をとる。



この日はサハラ砂漠のメルズーガ目指して、400㎞ほど南下することになっていた。
9時にホテルを出発、フェズの南南西数十kmのイフレンで休憩。
標高1,650mのこの地は冬に雪が降る場所で、夏でも涼しい【フランスの植民地だった時代に避暑地として開発され、現在も富豪の別荘があるという。冬にはスキーリゾートとしてもにぎわうらしい】。確かに、これまでまわってきたモロッコの各地とは一風趣が異なる。

家並みはヨーロッパ風 屋根の上にご注目あれ。

多くの家の煙突にコウノトリが営巣しているのだった。

軽井沢をこじんまりとした感じの町には、それなりに観光客がいた。私たちと同様にこれから砂漠へ向かう人たちもいるのだろう。
ちょうど目に留まった郵便局に入り、この旅で書くつもりのハガキぶん、切手をごっそり入手

山脈(モワイヤン・アトラス)を越えながら2時間ほど進み、ミデルトに到着。イフレンより約100㎞南の地点である。
宿泊業も営んでいるホテルのレストランで昼食。例によってドリンクメニューを見ながら、ダメもとで “Do you have wine?”
まさかのYes!だった。とはいえ ここまで振られ続けてきた身、目の前に出てくるまではにわかに信じがたい。妙な緊張感が漂うこと数分・・・
堂々とGuerrouaneの赤が登場。ああ・・・なんと神々しい ヴォルビリス遺跡で拝んだディオニュソスが降臨したのだ
エチケットの裏にメクネス近郊の地図が描かれていた。入国以来3日ぶりのアルコール、しかもそれが待望のメクネス産ワイン Dちゃんが引くほどテンション爆上がりな自分だった

ちなみに、お料理はサラダとスパゲッティーボロネーゼだった。どちらもシュレッドしたチーズがかかっているため、パッと見同じような印象だなぁ



メルズーガまでの4時間半、トイレ休憩で所々停まりながら進んで行った。以下は立ち寄った場所の景観。地名を記録しておらず、詳細不明でごめんなさい


途中、化石を掘り出して研磨する工房にも立ち寄った。これも備忘録に地名を記していないのだが、この記事を書くにあたり調べたところ エルフード(メルズーガの北方数十㎞の町)だと思われる。その昔 この場所が海だったとは想像しがたいが、目の前にはその証が数々横たわっていた。
中でもロケット状の細長い化石が目を引いた。直角貝だろうか ←今回リサーチした知識

これはアンモナイトだよね・・・

三葉虫でいいんだろうか? いかんせん、この方面の知識がほぼない自分

砂漠のバラ。砂の中のミネラルが結晶化してできるという。


17時55分、メルズーガの宿に到着。観光客の便宜をはかって砂漠のすぐ横に建てた感じで、目の前にシェビ砂丘が見える。

ホテル前にはラクダstationがあり、初めてラクダの鳴き声を耳にした。羊の "メェ~” に近いといえば近いかも・・・(画像の撮影は翌朝)


ディナーまで部屋で休む。
18度設定でクーラーが入っているにもかかわらず、座っているだけで汗がダラダラ流れる。シャワーを浴びても、その直後から汗が噴き出す。これが砂漠の暑さか・・・正真正銘の初体験 ともあれ、汗拭きデオドラントシートが大活躍なのだった。
パティオにあるプールでは少年たちが戯れている。いいなぁ~ こういう環境下では水浴びが一番涼しいに決まっている。
水着は一応スーツケースの中に入っている。が、衆人環視のプールに入る勇気はない

熱風の中、プールを囲むパティオにて夕食。21時からベルベル人の音楽ショーが始まったが、明朝の4時起きが引っかかる。
ひととおり食べ終えると、そそくさと席を立った(夕食の画像がなくて、ごめんなさい)。


8・9・10 メルズーガ ⇒トドラ渓谷 ⇒(カスバ街道経由)⇒ワルザザート (2013年7月30日)

ラクダに乗って砂丘に向かい、日の出を見るために午前4時に起きて支度。しかし、寝ぼけていて普段以上に時間がかかった。
部屋を出てすぐに、パスポートの入ったケースを置いてきたことに気づいたが、待ち合わせ時刻の4時半を少し過ぎている。かなり気になるが、引き返す時間もない
辺りは真っ暗である。闇にうっすら浮かぶベルベル人のガイドさん。

私たちが乗るラクダ2頭をヒモでつなぎ、徒歩のガイドさんが先頭で引っ張る。ラクダの背中に取り付けられた金属の取っ手がかなりしっかりしていて、居心地が良い(3枚上の画像で、お尻を乗せる布の前方にT字形の取っ手が写っている)。かつてスリランカで象に乗った時よりも楽勝 こーいう時は背筋を伸ばしたほうがいいんだっけ、乗馬みたいに・・・って、やったことないけど

メルズーガ村の灯を背にしながら、ラクダはサクサクと砂を踏みしめて進む。
「どれくらいの時間乗るんだろう?」 「1時間?」 「そんなに? 30分くらいじゃない?」 ラクダの上で会話を交わすDちゃんと私。
結局30分ほどでラクダを降り、ガイドさんに連れられて砂漠を登る。薄暗いから恐怖感はないが、けっこうな急斜面 サラサラとした砂に足が埋まるけど、登山と同じ要領で、のぼりは前方に体重をかけると若干歩きやすくなる。ハイカットのスニーカーに3分の1ほど砂が入ったけど
剣先のように鋭い尾根(?)に腰を下ろし、日の出を待った。しだいに明るくなっていく空。



遠くに見ゆるはメルズーガ村(ピンボケでごめんなさい)。

日の出前、えもいわれぬ色に染まる砂漠。

30分ほどで日が昇った。快晴とはいかなかったが、雲の合間から日の出を拝むことができた。
それにしても、自分がサハラ砂漠の北西端にいるという実感がわいてこない。いつも思うのだが、美しい情景を目の当たりにするとリアリティーが薄くなるものなのか・・・

座っていたラクダのうち1頭が立ち上がり、今にも去りそうな気配を見せると、横にいたガイドさんは猛スピードで急斜面を駆け下りていった。

砂丘の上、Dちゃんと2人の時間がしばし流れる。

明るくなっての下りは、足元が見えるだけにスリルがあった。勢いにまかせて先に下りた自分・・・振り返って見たDちゃん。


砂漠を去る前にやりたいことがあった。趣味で始めて3年半、これまでの旅では思いもつかなかったのだが、ふとサハラ砂漠でフラダンスを踊りたいと欲望が湧いた
快諾してくれたDちゃんは動画を撮影してくれるという。モロッコ入りして数日、Dちゃんがシャワーを浴びている間にこっそり練習していた。
とにかく一度きりにしようと心に決め、集中して臨んだ。マキシワンピの裾を踏むトラブルはあったが、とにかく踊りきった。動画を見たら、いつも先生に注意されている所がダメダメで反省しきりなんだけど・・・初めて砂の上で踊って、気持ちよかったぁ 砂に刻んだ私の足跡

メルズーガまでの帰り道、下りではラクダの前足と後ろ足の高低差でその背中が前のめりになり、若干ヒヤヒヤ
Dちゃんは酔い止めを飲み、取っ手を力いっぱい握りしめていたところ、前腕が筋肉痛になったらしい。動物の背中に揺られるのもラクじゃない

9時にホテルを出発、300㎞ほど西のワルザザートへ向かう。経由するカスバ街道沿いには、その名のとおり要塞(カスバ)が点在する。
道中で見かけたカスバ、白い塔がひときわ目立つ。

こちらは丸い要塞の形がはっきりと分かる。


正午過ぎ、トドラ渓谷へ【カスバ街道で一二を争う景勝地という】。
両側から岩壁が迫ってくる。トドラ川(画像の右下)はかなり浅いが、雨季になれば増水するのだろうか。

ここで昼食をとった。典型的な前菜、モロカンサラダ【角切りにしたトマト・玉ねぎ・ピーマン、黒オリーブのドレッシング和え】。

ケフタ(=ミートボール)のタジン、目玉焼き添え。第1弾で既報のとおりメクネスでも食べたが、かなり自分好みの料理


車窓から見かけた建物。日干しレンガに模様が浅~く刻まれている・・・これまで自分が旅してきた国々では見かけたことがない類。思わずパシャリ

15時過ぎ、バラの栽培で有名なエル・ケラア・ムグナに寄ったが、ローズウォーターや石鹼などを扱うお店に入ったのみ。5月初旬に収穫を終えてバラ祭りを開催するらしいので、シーズン外ということか・・・時期が合えば花を愛でることができたのだろうなぁ。一面ピンク色の花園を夢想し、ちょっぴり残念な気持ちになった

17時過ぎ、ワルザザートの宿に到着。これがかなりモダンで洒落たDar(リヤドよりも小規模な邸宅風の宿)だった。
こちらはエントランスを振り返ったところ。絨緞はこんな風に使うのね・・・

入ってすぐ目の前はパティオ。

プールが見えるテラスで夕食。

備忘録によるとタジンも食したようだが、画像がない。代わりに(?)前菜の画像を載せる。2人分とはいえ、てんこ盛り。旅先でこんなに野菜をたっぷり口にできるとは、本当にありがたい(照明で画像の右が白っぽくなっていて、ごめんなさい)。

スタイリッシュな宿ゆえか、ワインも普通にオンリスト 血眼になって探したメクネス、フェズでの日々が遠い昔のことのように思える。
この銘柄プレジデントは、この後も他の場所で見かけた。ポピュラーなんだろうか・・・


10・11・12 ワルザザート ⇒アイト・ベン・ハッドゥ ⇒マラケシュ (2013年7月31日)

ワルザザートの朝、部屋からの眺め。

この日は150㎞くらい北西のマラケシュへ移動で、その途中に世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥへ立ち寄ることになっていた。
1時間ほどでアイト・ベン・ハッドゥへ。

対岸の村で車を降り、歩いていく。前方の丘に要塞らしきモノが見えてきた【正確に言うとここは要塞=カスバではなく、要塞化した村=クサルなんだそうだ。素人目には違いがイマイチ分からないが、これまで車窓で目にしてきたカスバよりも こじんまりまとまっている感はある】。

雨季には川になるのだろうが、訪れた時期には完全に干上がっていた。

入口を振り返って見ると、こんな感じ。

塔には浮彫装飾がほどこされている。アーチの下、十字に渡されている木材は崩落防止用だろうか。

織機と食器が無造作に置かれている。観光客のためにかつての暮らしぶりを保存しているようだ【今もこのクサルで暮らすのは数家族ほどで、かつての住民はほとんどが電気・水道が通る対岸の新しい村へ引っ越したという】。

ちょっと可愛い看板

クサルの中の高い場所へと上っていく。けっこう距離があり、また真上から照りつける日射しが思いのほかキツかった

下の画像でピンクの♥からの眺めが、下の3枚。3枚目に写る家々は件の対岸の新しい村である。
ちなみに、♥の右の建物は見張り台&穀物倉庫。敵の襲来に備えてとんでもない高所に食糧を貯える・・・すごい知恵





マラケシュへは、この国を北東に貫く山脈を越えなければならない。オート・アトラス越え、景色のいい場所で昼食だった。

振り返ると、この日は最も体調がすぐれなかった。実は4日目からお腹を下していたものの胃はいたって健康、食欲はあった。ところが、この日は時間が経過してもなかなか空腹感を得られない。昼食はスープを飲むのがやっとだった

マラケシュまでの途上、アルガン・オイルのお店に寄った。自分たちが訪れる少し前あたりから、日本でも話題になっていたアルガン。
初めて見るアルガンの実は思ったより小さめ。

まさにオイルを絞り出しているところ。

肌に塗るスプレー、リップクリーム、食用のオイルを購入したのだが、画像を撮ってなくてごめんなさい

15時半、マラケシュに到着。この旅で最長の3泊過ごすDarは旧市街の中である。
私だけでなくDちゃんもお腹を壊してしまい、2人してテンションが急降下 出歩かず、涼しくなるまで部屋で休むことにした。
結局、夕食はレストランに行かず、宿から片道15分くらいのスーパーへ行って部屋食にする計画を立て、18時半過ぎに宿を出発した。しかし道を間違えて時間をロスし、たどり着いたら閉店しているようだった。なんとお粗末な それにしても、ガイドブック情報の22時よりもかなり早い閉店である。ラマダーン中だから?
幸いなことに、歩いていたら多少元気になってきた自分 途上のお店で飲料を買い、宿へ向かう。
旧市街とその外を隔てるドゥカラ門まで戻ってきたところで、この日のラマダーン終了を告げる放送が入った。すると、門のそばの市場で働くモロッコ人たちは1.5ℓのペットボトルを一気飲みしている。また、カウントダウンしながら用意したであろうスープを口にしていた。ちょうどタイミングよく通りすがり、ローカルな人々のリアルな光景を目にすることができた。ラッキー

夕食(と呼べないかもしれないが)は機内で出されたスナック2袋と、先ほど調達した500㎖のスプライト。汗をかいたから塩、お腹が緩いから砂糖、と結構いいかげんな対処である。栄養面では問題アリだが、消化器官を休めることはできるかも。
このマラケシュの宿のほど近くにはモスクがあって、夜中?夜明け?に眠りを覚まされた。ラマダーン入りを告げる放送 その昔イスタンブールはブルーモスクのそばに泊まった時も大音量に驚いたな・・・懐かしく思い出しながら、再び眠りに落ちていた。
ちなみに翌日と翌々日には放送も何のその、しっかり眠ってしまった。いやはや、慣れとは恐ろしいものである
下の画像が件のモスク。手前が市場、右奥が宿のある方角である。


12 マラケシュ (2013年8月1日)

私たちの部屋は最上階の3階だった。部屋を出ると、パティオを見下ろす格好になる。ちなみに3階にはテラスがあり、画像左のスペースで宿泊客は自由に過ごせるようになっていた。

朝食はパティオにて。木製の扉が雰囲気を醸し出している。



9時半、ホテルを出発。このDarの扉にも“ファティマの手”が付いていた。

宿を出て通りへ合流するまでの路地では、猫がのんびり寝そべっている。

この町のシンボル、クトゥビア【高さ77mのミナレットは12世紀末、ヤクーブ・エル・マンスールが建てた。均整のとれたそのスタイルから、スペインはセビリアにあるヒラルダの塔とともにムーア様式の傑作と称される】。

最初に伝統工芸館へ向かった。様々な職人さんたちが集まっており、販売される手工芸品は値札付き(値引き交渉なしのスタイル)のため相場を知ることができる、とのガイドブック情報に魅かれた。スークで買い物する前にチェックしないとね
見るだけのつもりが、exoticなデザインとvividな色にヤラレてサンダルを買ってしまった(撮影は宿へ戻った後、パティオのプールサイドにて)


次にサアード朝の墳墓群を目指した。この日も含めマラケシュでまる2日フリーだったが、翌日には開いていないことが判明したので。
下の画像、馬車ではなく右のデジタル表示にご注目あれ。前夜、Dちゃんの検索で気温が41度になるらしいことを知ってはいたが、実際に歩いてみて汗の吹き出し方と喉の渇きが尋常ではないことに驚く 500㎖のペットボトルを2時間でかなり消費してしまった・・・宿へ戻る前に尽きることは確実。


朱色の壁に緑の砂岩が印象的なアグノウ門【スルタンが宮殿へ行く際に使用した門】。

こちらがサアード朝【1549~1659年、ここマラケシュを都にモロッコを支配した王朝】の廟。

12本の円柱で構成される空間の中央に、サアード朝の全盛期を築いたアフメド・アル・マンスールの墓がある。天井から床までの全てが精緻な装飾で彩られている。

見上げるとこんな感じ。石だけでなく木も使用している。360度手抜かりのない細工は見事というほかない。

ベージュの壁とブルー系のタイルの取り合わせが麗しい


次はバヒア宮殿へ。たった数百mの距離なのに、40度超えの中を歩くのは想像以上につらい
その途中で見かけた光景。馬が引く荷台にはトマトが山積み。あぁ、1つかじりたい・・・口中に広がる酸味を含んだエキスを思わず想像してしまった。最後の晩餐はトマトと思うくらい大好物なもので


閑話休題、バヒア宮殿である。タイルと木を組み合わせた不思議な家具。

木製の扉と床のタイルのコントラストが面白い。

白くて涼しげなパティオ。

天井の装飾に目を奪われる。


予定ではこの後スークで買い物するつもりだったが、腹痛と暑さですっかりまいってしまったDちゃんは一旦宿へ戻りたいという。
旧市街の中心ジャマ・エル・フナ広場へ向かい、カフェで冷たいものを飲んで宿へ引き揚げることにする。リヤド・ズィトン・エル・ケディム通りの外れにあるカフェでコーラを注文。冷たい液体が身体にしみわたっていく・・・ふだんアルコール以外の飲み物は冷やさない主義の自分だが、この気温では内側から冷やすのが心地良い。そして、大丈夫と思っていた自分も予想以上に体力を消耗していたらしい。しばらくは立ち上がる気力もなく、20分も休憩してしまった 
下の画像は昼間のフナ広場。まだほとんどお店が出ていない。 

マラケシュのDarはフナ広場から徒歩10分強。決して近くはないが、道が分かりやすくてありがたかった。フェズと比べるとマラケシュの難易度は全体的に低いが、たやすいに越したことはない。
2時間半ほど休んで、16時過ぎに再びホテルを出発。フナ広場の北に広がるスークで買い物タイム ぜひ買いたいと思っていたモノたちをgetすることができた(この記事を書くにあたり撮影)。タジン型小物入れは幅14cm、高さ8.5cm(現在、オブジェとしてTV台の上に飾っている)。

ミントティーグラス(高さ8.5cm)。モロッコ型の他にもトルコ型やフランス型が売られていることを事前に知り、洋梨のような丸いフォルムに魅かれてトルコ型を買った。
さて、画像を見て金色の模様の他に点々と残る緑色にお気づきだろうか。実は、買った時はグラスの下半分は着色されており、緑・ピンク・紫・赤・青の5個セットだった。が、セロファン状に色を吹き付けてあったらしく、帰国して洗ったら取れてしまった カラフルさが気に入って購入したのだから、残念このうえない 買う前にじっくり品物を確認しながら見抜けなかった自分の節穴加減に呆れつつ、ビールをちびちび飲むのに使っている。ちなみに、出国時にカサブランカの空港の土産店で同様のグラス5個セットを見かけた。形や模様を変えて何種類かあり、きちんとした箱入りで品質も問題なさそうだった。スークでの買い物は心配という方にオススメである。

なお、スークにてアザーン時計(礼拝の時間を告げるモスクからの放送=アザーンがメロディーになっている目覚まし時計)を見つけることはできなかった

17時過ぎ、買い物が一段落。この広場に屋台が集まって大道芸が盛り上がる時間帯までにはまだまだあるので、フナ広場に面したカフェに入りミントティーをすする。しかし普段そういう習慣がないからか、長居がどうも性に合わない。かなり回復してきた自分に対して、いまだ体調がすぐれないDちゃんのことも気にかかり、広場を去ることにした。
ただしその前に・・・レストランで夕食はムリにしても、何か調達しなければ昨夜と同じ状況になってしまう。さすがにそれは避けたい
広場の一角で、早めに支度して商売を始めているおじちゃんがいた。イワシとトマトをスパイシーに味付けしたような具をはさんだサンドを10DH(約120円)で入手、夕食を確保

18時20分、ホテルに帰着。交互にシャワーを浴びる。
実はフナ広場へ出かける前から、部屋のクーラーの調子がおかしかった。やはり全然冷えない 
幸い日が沈んで風が吹き涼しくなってきたので、テラスに出て食事をとることにする。こちらが夜のテラスの様子。遠くでひときわ目立つのはクトゥビア。

イワシのサンドは予想通り美味だった これに、日本から持って来たワインを合わせる(ラマダーン中のムスリムの国でアルコールが全然手に入らない最悪の事態を想定し、フランス産の赤を1本だけスーツケースにしのばせておいた)。十分満足


部屋に戻ってみると、風がさわやかな屋外より断然暑い
しばらくいじってみたがクーラーを諦めて、窓を開けて風通しよく眠ろうと試みる。が、あまりの暑さに午前1時半に目覚めてしまった。Dちゃんも眠れていないという。
この状況だと朝まで眠れない、そもそも2人とも本調子ではないから、睡眠をとらなければこの先が危ぶまれる。
しかし、今さら宿の人に訴えるのはどうなのか。夜中に事を荒立てたくはない・・・いやいや、そんな遠慮をしてる場合なのか
色々な思いが交錯するなか、ひとまず扉の外に出てパティオを見下ろしながら涼んでいた。

すると、宿の人が私に気づいて3階まで上がってきた。昼間2度ほど呼んでクーラーを調整してもらったので、ピンときたのだろう。
クーラーが効かず暑い旨を告げると、しばらくコントローラーを操作していたが断念し、窓を開けたまま眠ることを提案された。満室だから部屋を交換できないという。
既に窓を開けて寝ていたが耐えられずに起きたと伝えると、3階へ上がる階段を閉鎖して扉も開けてはどうかと言われる。
しかし、テラスでは1組の客が談笑しているところだし、3階は私たちの客室だけとはいえ そもそも窓を開けるのすら不本意なのに・・・仮に閉鎖したところで防犯上 扉を開放することはできないと拒否した。そうしたら、宿の人は大きめの扇風機を持って来てくれた。結果的にはこれがなかったら眠れなかったと思うので、ありがたかった。こうして、慮外の一夜が明けたのだった。

★ 中締め ★

このタームでDちゃんと私はそろって体調を崩してしまったが、モロッコの名誉(?)のために書いておきたい。
旅の途中で私たち2人が口にした何かが傷んでいたためにお腹を下したのではない。
3日目(お腹を壊す前日)の昼食を食べすぎたのである。第1弾でお伝えしたとおり、フェズ巡りの最中にガイドさんに案内されたレストランのお料理が美味しくて、前菜をかなり食べてしまった【モロッコでは前菜は注文するのではなくメインに附随して提供されるもので、上級なレストランになるほど大量に盛られたそれを好みの分だけ取り分けるスタイル】。口に運びながらいつも以上に進んでいる自覚はあったが、どうにも抑えることができなかった。今振り返ってみると、ちょうどモロッコに慣れてきたタイミングで警戒心がうすれ、またカラッと乾燥した気候のなか異様に食欲が高まったのだと思う。たぶんこれが10歳いやせめて5歳若ければ何の問題もなかっただろう。認めたくはないが、トシのせいで適応力が落ちてきたのだ 海外をふらつくようになって十数年、機内での眠りが浅くなったとか自身の変化に気づきつつあったが、この出来事は目をそむけたかった事実を突きつけてくれた。一期一会の環境下で怯みたくはないが、今までのような勢い任せは残念ながら通用しない・・・齢を重ねるのが不可避である以上、自覚のうえ工夫しながらでも快適かつ安全に旅を続けたい、これからも

旅の第3弾ではもう少しマラケシュの続きと、大西洋に面した港町エッサウィラとアル・ジャディーダに寄ります。お楽しみに




























































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