poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

ボリビア篇 その2

2020年02月24日 | 南米

さてさて、後半は世界遺産「チキトスのイエズス会ミッション」を巡る旅
上の地図に示した①~③は前半で訪れた場所、後半で訪れたのが➍~➏です。下線部の数字は地図中の都市に対応しています。

3~6 サンタ・クルス ⇒コトカ ⇒サン・ハビエル ⇒コンセプシオン (2016年12月28日)

サンタ・クルスのホテルはスタイリッシュな外観に違うことなく、機能性が高い。シャワーがお湯に切り替わるのが速かった。
今朝のパッキングは割と上手くいった。かさばるダウンコートとフリース、塩以外はスーツケースに入った。問題は帰国便の時。超過料金支払うハメになるのかな
お土産の塩、もうちょっと少なくてもよかったか・・・
国際電話料金は20bs(≒3ドル)だって。安いよね、距離が遠いわりに。

お迎えを待ちながらロビーに座っていると、昨日は気づかなかった壁のデコレーションに目が行く。
 エチオピアっぽくないか? 特に首がめり込んでる天使は、デブレ・ベルハン・セラシエ教会の天井埋め尽くしてたのに似てるような。
いやいや、音楽隊の雰囲気からいってロマネスクっぽいのか?! な~んて、取りとめもなく思いを巡らせる。


お迎えが来て一歩外に出ると、寒っ
雨がポツポツ、風も吹いてる。汗ばんだ昨日とはえらい違い。私、半袖に短パンなのだが
5分くらい走って紹介されたのが、サンタ・クルスの中心部。うん、遠いね。ホテルはやっぱり郊外だぁー

最初に停まったのは、コトカ。ここは聖母マリアが木から現れた聖地で、洗礼を受けに来る重要な場所とのこと。ガイドのW君もここで洗礼を受けたって。
そもそもはこの町が栄えてて、中心がしだいにサンタ・クルスに移っていったらしい。
かぐや姫のようなマリア様は、なんだかリ〇ちゃん人形のようだった。色白の西洋的顔だち。



教会の横には屋台食堂が連なり、にぎわっていた。ガイドW君に促されるまま、覗きに行く。まだ中学生くらいと思われる女の子が、ユカという長い芋をチーズと合わせて鉄板で焼いていた。食べるか聞かれたので、思わず頷く。朝食を軽めにしておいて、結果オーライ



次に向かったのは、陶芸家さんのお宅。3世代と思しき大家族が庭先でくつろいでいた。
準備を待っていると、庭先で寝てた犬が私のスニーカーを嗅ぎ、右の脛をペロッと舐めた。えっ 下を向くと、つぶらな瞳が私を見上げている。
う~ん・・・実は次の休憩所でも、寝てたフレンチブルドッグが私の左の脛を舐めたのだ。一度でも犬を飼うと他の犬にもなつかれるって聞くけど、外国でもそうなの?
でも、今まで他の国ではこんなことなかったはず・・・ボディーソープの香りがボリビアの犬好みとか?! 動物に好かれて悪い気はしないけど、ナゾ

陶芸家の女性はスペインで10年修業したそうだ。なんだかヨーロッパ人のような顔だち。生活によって顔も変化するのかなぁと思ったが、後でガイドブックに「コトカは混血しないスペイン美人が多い町」と書いてあった。なるほど。
個人宅にお邪魔したので、何か買わなきゃ辞去できないのではとの心配は無用だった。作品を見せてくれたけど全然商売っ気なく、笑顔で見送ってくれた。

サン・ハビエルまでの道のりは果てしなく遠かった。後部座席からフロントウインドーを見ると、熱帯雨林ジャングルの中をジェットコースターのような一本道が貫いている。
あぁ、パラグアイに行った時も同じような景色を見た・・・
単なるデ・ジャ・ヴではない。これはパラグアイにつながっている森なのだ。
そう強く意識して今回の旅を計画したわけではないけど、パラグアイの世界遺産「パラナ川北岸のイエズス会ミッション」とアルゼンチンの世界遺産「グアラニ人のイエズス会ミッション」を訪れた4年数ヶ月前の旅とシンクロしているのだ。
2007年5月の上川島を皮切りに、聖フランシスコ・ザビエルの足跡を訪ねる旅を友人Cちゃんと重ねてきた。
ザビエルは南米に来ていない。が、その番外編として自分はイエズス会を追っている。今や一人で。
行く先に待つ教会に、俄然期待が高まる

3時間半かかってサン・ハビエルに到着、まずは昼食。目当てのレストランがイベントらしきもので入れず、急きょ隣りに入った。
フライドチキン4ピースにフライドポテトと格闘。美味しいんだけど、量が多いのよね~ 
ガイドのW君はライスにマヨネーズかけてた。マジか・・・世界共通の現象なのね
ドライバーのVさんは料理が出て来るまでの間にフラッと出ていったかと思えば、本を3冊持ってきてくれた。植物図鑑etc. スペイン語が読めなくても楽しめる。
そして、フライドチキンにかけるケチャップのパックが開かずもたついてる私を見て、さっと手を貸してくれた。う~ん、年の功 ていうか、後で聞くところによると、サン・ハビエルで15年間ガイドをやってたんだって。なるほど。ウユニのガイドYさんの時も思ったけど、だてに年齢を重ねてるわけじゃない。円熟してる・・・
社会人として、身につまされる思いがした。


サン・ハビエルのファサード遠景。なだらかな三角の瓦屋根・・・高くそびえる欧州の教会とは全く異なる雰囲気。

そして、ねじり装飾の木柱 そう、これよ、これ。愛読書『世界の教会』で初めて目にした時、一瞬で心奪われたなあ。
あ。中央で存在感を示す紙製の星はクリスマスの名残と思われます、はい。

白い漆喰(?)の上に、茶色系の鉱物や植物で模様が書いてある。独特だなあ・・・
なんと、現存する80%がオリジナルなんだって。すごい

ファサードからは中へ入れないので、右手に進んでいく。途上の列柱が美しい

教会について説明するボードを読むと、イエズス会を創設した聖フランシスコ・ザビエルにちなんでこの町は名付けられたって。そうなのか~
彼が日本に初めてキリスト教を伝えたのよ、とガイドW君に言ったら、へえ~って顔してた。えっへん ただ事実を告げただけなのに、なんだか誇らしい気持ちになるのはなぜだろう。
世界史的に見れば、日本にキリスト教を誰が伝えたかなんてさほど重要ではないかもしれないけど。


教会の中へ進んでいくと、その昔教会で使われていたであろう宝物がそこかしこに飾られている。

てか、さりげなく壁の装飾美しいなあ~ 呆けた顔で、キョロキョロする私。
上の写真で遠目に写ってた天使(ガラス越しなので、反射は避けられず)。顔だちは欧州寄りかなあ
                                     


教会はロの字型になっていて、中庭に出た。あの鐘楼・・・ファサードの横にちらっと見えてたやつだ。
高さはそんなにないけど、欄干の装飾がキレイ。

鐘楼から眺めた中庭。丁寧に手入れされている芝生の緑が目に優しい。

てか、壁の装飾に手抜かりないのが心憎いなあ。
壁の装飾・装飾うるさくてゴメンナサイ。かなり好みなので、しつこくなっちゃいました


さて、教会の内部です。柱はやっぱりねじり装飾。正面の祭壇は新しいっぽかった。

さりげなく配置された天使。そして、天井の装飾模様に注目 同じ南米でも、ペルーやアルゼンチンでは見かけなかった・・・
フォルクローレ感が強いような・・・ボリビア独特の様式なのかなぁ??

所どころ、パステルカラーの装飾もあり。鳥や草花が淡~く浮かび上がる。メルヘン

聖人と思しき彫像は、ヨーロッパの様式とは一線を画した作風。


サン・ハビエルを後にして、今夜の宿泊地コンセプシオンへ向かう。
1時間半くらいで到着。ホテルにチェックインし、夜のオープンを待って外出。
この町の中心部と思われる四角い広場にホテルは面している。広場中央にあったクリッペ。中途半端にリアルなサンタが こ、こわい

教会も広場の一角にあり、ホテルとは目と鼻の先。宵闇に浮かびあがるコンセプシオン教会。

何気なく入ったら、ミサが始まってしまって出るに出られず、なんと45分間・・・
讃美歌と聖書朗読はいいとして、言語の通じない説教はツライわぁ
やむなく、前方の祭壇を見つめる。新しいっぽいなぁ(写真は翌日の再訪時に撮影したもの)。後から聞くところによると、マリア様以外はすべてrestoredらしい。

司祭さんのそばには “見習い小僧”と思われる子供が2名いた。日本でいう小学校低学年くらいだろうか。親元離れて生活してるのかな、朝早くから修行や雑用に奔走してるのかな・・・勝手な妄想を巡らせて時間をつぶした。説教は耳トンネルで、バチあたりだね
そうこうしてミサが終わると、参列者たちは抱き合ったり握手しはじめた。んこれは風習なのか 戸惑う私も、何人もの人から握手を求められ、応じてしまった。
そうか、12月25日にラパスのカテドラルで礼拝をチラ見した時、クリスマスだから特別なのかと思ったけど、これが通常運転なのね。その国独自のバリエーションになってて興味深いな

教会に入った時は一緒にいたはずのドライバーVさんはいつの間にか姿をくらましていて、ガイドのW君と2人でディナーをとることになった。教会のある広場の一角のレストランにて。
放し飼いのオウム(?)君がいて、ちょっとビックリ。客があげたと思われるパンのかけらを器用につまんでる。鮮やかでキレイな色~

このレストラン、サラダビュッフェ付きで嬉しい

が、メインにボリビア料理らしきものがない。魚介系1つと、肉3つからのチョイスなんだけど、内陸部で魚介いく勇気はなく、ミラノ風ビーフを選ぶ。昼も肉だったんだけどなぁ・・・
日頃たて続けに肉を食べることは稀なので、胃腸が心配

赤ワインはカジュアルで美味
私はいつもの調子だったけど、ガイドW君は1杯ちょっとしか飲まなかった。ボリビアではビール、特にPACEÑAがポピュラーなんだって。たしかに看板多かったな。

酔いも手伝って、怪しい英語を駆使してガイド君と会話に努めた。W君は29歳で、この仕事を始めて1年半、以前は小学校で1年半勤めてたそうだ。
若く見えるから、大学生かもと思ってた。ヘタすると自分は親くらいの年齢かも疑惑は晴れて、セーフ・・・
てか、仕事続かない人なのかしら 職業病スイッチが入りそうになったけど、それどころではなかった。
当然こちらも訊き返されるわけで。年齢・職業はおろか、離婚歴まで語るハメになってしまった。これぞ、旅の恥は掻き捨て

レストランから徒歩1分、ホテルに戻る。この町に着いてから、行動がこの広場内で完結しちゃってるな~
朝ホットシャワーが出ないだろうと予測して、ポリシー(アルコールが入ったら、入浴禁止)を曲げてお風呂に入る。
ところが、C(スペイン語のcaliente=熱)のつまみをひねって5分経っても出るは冷水のみ。念のためF(スペイン語のfrio=寒)のつまみもひねってみたけど、もちろん冷たい。
んんん・・・ソーラーシステムなのかな? 確かに昼間は曇りのち雨だった。
これはヒドイね 思ったけど、どうしようもない。どうせ1泊だし。頭洗うのはあきらめて、さっと浴び終えた。


6・5・3 コンセプシオン⇒ サン・ハビエル⇒ サンタ・クルス (2016年12月29日)

朝食前に宿の中をウロウロする。ロの字型の構造で、中庭に朝食会場があった。廊下には様々な調度品が置かれてるんだけど・・・

このお面、おもしろ~い ラパスからウユニを経てここまで来て、初めて出合った。まだまだ奥深いボリビアがあるんだなぁ 
明日出国せねばならないのが残念


コンセプシオンを出て、さらに奥へ車で30分。St.Ritaという村へ。綿織物を生業とするお家に着いた。
恰幅のよいお母様に、綿をいかに糸にしていくかを見せてもらった。下は織機の様子。

叔母にスカーフを買った。買って買って、って感じじゃないんだけど、やっぱりねぇ・・・割り切れないところが日本人なんだろうか。
1枚100bs、安くはない。ボリビアーノ余っててよかった。

川で洗濯&沐浴するファミリーの横を通り過ぎ、さらに奥へ分け入る。
隕石でも落ちたのかと思うような巨岩に到着。ドライバーVさんとガイドW君に導かれるまま、岩に登る。周りはジャングル・ジャングル・ジャングル
私はアマゾンにつながる森の中に確かにいるんだな、と実感する。今回の旅の東端、もはやパラグアイに近い場所に私はいた。
胸の奥からこみあげてくる・・・ あぁ~ ここに来てよかった


コンセプシオンに戻って、museoに入る。内観はざっとこんな感じ。

目を凝らしてみてください。ハープにさりげない天使の彫刻がカワイイ

木彫のキャビネット。真ん中のねじり柱の間におわしますは大天使ミカエルか。

色彩も表情も繊細・・・

素朴な表情のマリア様

腰掛け部分の古びた革の感じもいいけど、背もたれの彫刻に目が釘付け 勝手に、南米の作風と決めつける


サン・ハビエルで見かけた天使もこんな感じだったな・・・


かと思いきや、急に西洋寄りの彫刻たちが出現。もはやどうツッコんだらよいのか



美術史ど素人の感想としては、なんていうのか、いろんな作風が混在してる印象。
色々な国からやって来た人々がこの教会に携わったのかなぁ。

次に、昨夜立ち寄ったコンセプシオン教会に再入場。
幻想的な夜とはまた違った印象のファサード。青空の下、健康的でいいね

近寄ってみると、天使君が左手で指してる柱は 絵ではなくて立体と気づく。だまし絵みたい

ファサードの裏側。楕円の窓から射しこむ光が優しい。壁にはギッシリ草花文様が描かれている。

正面の祭壇は前夜ミサの間に凝視済みなので、側廊へまわる。

アース系の色彩でありながら、キラキラした装飾なんだよねえ。

リ〇ちゃん風の再来じゃなくて、その下方にご注目ください。



チャペルから出たところに、教会の再建前後についてパネルで説明があった。
昔はファサードと鐘楼が一体化していて、全然違ってた。かなり手を入れた再建なんだわ。

昼食は、再び昨夜行ったレストランにて。
迷うことなくlentegaを選ぶ。出国前日にして初めて、本格的なボリビア料理を食す。
レンズ豆が鶏肉とともに煮込まれている。味付けはマサラが主体か?! 米とよく合う。素直に美味しい
辛くないのもいいね。豆とイモと米・・・この国の料理、基本的に好みだわ。肉攻めを除けば


帰路はひたすら車窓を眺めていた。往復してみて分かったのは、サンタ・クルスからサン・ハビエルの手前まではそれなりに開発の手が入っていること。手つかずの森と、人間が手入れした草原は違いがある。
それにしても・・・この道路をつくってくれた方々に感謝 おかげで私は素敵な教会にたどり着くことができた。
そして・・・このようなジャングルの奥に伝道した先達の情熱に脱帽 宗教ってすごいね。自分が信仰を持たない人だからこそ、その力の大きさを感じる。

前日も寄った休憩所脇の食料品店で、桃ジュースを飲む。外見は梅にそっくり、味わいは身体に良さそうだけど、自分が想像する桃とは異なる。ガイド君に教えてもらわなかったら正体が分からなかったかもなぁ。

レジのおばちゃんは日系人でも通りそうな顔だちだった。ドライバーのVさんとは顔なじみらしく、楽しそうに喋ってた。”日本”って単語が聞こえたから、私のことが話題になったのかも。
前日はあんなに懐いてくれた犬は眠るのに忙しいようで、なんだか振られた気分。脛に虫よけを塗ったせいにしておこう

18時半過ぎ、まだ明るいうちにサンタ・クルスへ着いた。一昨日泊まった同じ宿、勝手知ったるエリア。
例のスーパーへ向かう。昨日から今日にかけてのチキン→ビーフ→チキンで胃腸に負担かけたくない感じなので、夕食はサラダに決めた。
外観に魅かれて買ったビールは黒だった (この1年数ヶ月後、本場のアイルランドを訪れるまで黒ビールが苦手だった私)。
あおりながら、この旅最後の洗濯にいそしむ。今回は冬(ラパス&ウユニ)と夏(サンタ・クルス)両方の支度が必要で手持ちを少なくしたため、最後まで洗剤と友達だった(苦笑)



3 サンタ・クルス⇒ アメリカへ出国 (2016年12月30日)

ボリビアを発つ日。早めにロビーに降りると既にガイドW君が待っていて、予定より早く出発。来た時は30分以上かかったのに、20分で空港に到着。朝だから混んでないのかな。
ラパスを経由せず、そのままマイアミへ出国するのでハガキを投函しなければならない。が、ガイドブック情報だと空港内に郵便局らしきものはない。空港へ向かう車中で尋ねてみたら、ドライバーのVさん曰く、ないだろうと。加えて、自動チェックインしている間にガイドのW君が探しに行ってくれたが、やはり無かった。メキシコはカンクンと同じか・・・出国する空港に郵便局が(ポストすら)ないパターン 
ここは覚悟して、お願いするしかない。ガイドW君は「city centerに郵便局があるはずだから、この後すぐに投函するよ」と言ってくれたけど、さてどうなるだろうか ドライバーVさんがしっかりしてるから、空港からそのまま郵便局に寄ってくれるとは思う。でも、現在7時半過ぎ。朝早すぎて閉まってたらどうなるのか・・・渡したチップ(150bs)が効果を発揮してくれることを祈るばかり

boarding timeの30分前に搭乗口に行く。X線検査はあっさり通過。窓口が多いので出国審査も早い。コピーにコピーを取られ続けたグリーンカード【入国時に書いたカードの半券。出国カードともいう】はここで回収され、ホッ 小さい紙だもん、失くさないかヒヤヒヤしたわ~
安心したのも束の間、次の荷物検査が超念入り
制服からして軍人さんだろう。鞄の内ポケットやポーチの中まで開ける。汗拭きシートが入った袋を嗅ぎ、家の鍵に付けたキーホルダー(パグ犬)にも引っかかってたなぁ。どうやら、膨らんでるモノを重点的にサーチしてるみたい。鼻で判断できるように訓練されてるんだね・・・麻薬に厳しいと聞いてはいたけど、ここまでとは。出国審査をこれまで数々受けてきたなかで、1・2を争う厳重さ
こーいう時は居心地悪くなってる場合じゃない、珍しさを楽しむべし

★ 終わりに ★

この後、マイアミを経由してダラスに宿泊・・・と旅は続くのだが、蛇足な感が否めないのでここで終わりにしたい
旅の後半のメインテーマだった、イエズス会ミッション。世界遺産に登録されている6ヶ所のうち、日程の都合で2ヶ所しか訪れることができなかった。叶うことならば全部見て、比べてみたかったなあ。参考までに、ポスターで他の教会をご覧ください(サン・ハビエル教会に貼ってあったものです)。

自分が訪れたサン・ハビエル教会は1691年、イエズス会がボリビアで最初に布教の拠点とした歴史ある場所。現存する教会は1749年から1752年にかけて建てられたもの。
2番目に訪れたコンセプシオン教会は1709年に布教が始まった。現在の教会は近年の修復によるもの。
コンセプシオンからの帰路、再びサン・ハビエルに寄って見比べると明らかに違っていた。サン・ハビエル教会は派手さはないけど、整然と美しい。ごく自然な色合いだし、柱や屋根のたたずまいがしっとり落ち着いており、格が違うなあと思ったものだ。しかし、この記事を書くにあたり調べていて、古いことが大切なのではないと気づかされた。
レドゥクシオン【トマス・モアが唱えた理想の共同体を目指し、イエズス会修道士と先住民が共同生活を送った場所。教会だけでなく、農園・住居・学校など生活に必要なものが備わった共同体】はボリビア以外の地にも建設され、今日世界遺産に登録されている。パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル・・・しかし、それらはみな廃墟である。18世紀後半、南アメリカ大陸からイエズス会が追放されると、まもなくレドゥクシオンは灰塵に帰した。パラグアイで、アルゼンチンで自分が見たのは、崩れ落ちたレンガの建物跡だった。
翻って、ボリビアのは現役の教会なのだ。イエズス会が去った後も、チキトスの人々は信仰を守ってきた。朽ち果てるに任せず、建物も再建した。
ボリビアと他の場所では何が違ったのだろうか・・・ともあれ、密林に踏み入った先人たちの努力の息吹が現在も根付いている。そのことに心震わされずにはいられない

いよいよ最後に。
前篇・後篇あわせて1週間超の旅では、スポットガイドとスポットドライバーの方々にお世話になった。ラパスのドライバーさんとZ君、ウユニのXさんとYさん、サンタ・クルスのVさんとW君。それぞれ個性豊かで面白かった。旅行社から当初提案されたスルーガイドを断念して(理由は費用)、結果的には大正解 旅は人との出会いだなあ、とつくづく思う。
ボリビアからのハガキは、2017年2月10日以降、私の友人たちに届けられた。かつてアルゼンチンからのハガキは2ヶ月かかったことを思えば、私を空港で降ろした帰路にVさんとW君が約束どおり投函してくれたのだろう。思いつくまま各国を放浪する一旅人に過ぎない自分は、様々な国の人々に助けられて今を生きている。感謝の念に尽きない。

 おしまい 
































 















コメント
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