poliahuの旅日記

これまでに世界41ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

アイルランドおよび北アイルランド篇(1)その2

2020年04月29日 | ヨーロッパ


旅の後半、その2スタートです。上の地図では、前半に訪れた場所を白丸数字で示しています。黒丸数字は以下の下線部の数字に対応しています。
本当は北アイルランドにも着色したかったのですが、各国の地図という性質上、2ヵ国に色を塗ることができませんでした。どうかご容赦ください。

10・9・1 ディングル半島 ⇒リムリック ⇒ダブリン (2018年3月27日)

ディングルの朝、雨が降り続いた昨日よりはマシな空模様だった。下の写真は、宿の窓から臨むディングル湾。

アイルランド5日目、朝食の定番メニューは安定しておいしい トマトのソテーにベイクドビーンズ、そもそもの好物が並ぶ。その中でもオススメは、ブラックプディング 過去2回のイギリス旅行では口にしていない、アイルランドで初めて出合い、すっかり気に入った(帰国後にレシピを探してみたら、原材料は豚の血・豚の内臓・小麦粉・オートミール・ニンニク・スパイスなど。血かぁ・・・結局のところ自作には至っていない ホワイトプディングもいいけど、ブラックのほうが味わい深くてイイのだ。つまりは血の味が好みなんだろーか
下の写真、時計でいう10の位置にあるのがブラックプディング、12の位置にあるのがホワイトプディング。


支度を整えて、ガイドさんをロビーで待つ。
この国を旅して気づいたのは、時間に正確ということ。約束の10分前には来る。人も、バスも(基本的にスケジュール通り走るバス、驚異的)。
ガイド兼ドライバーのTさんも時間前に来た、やはり。わりとおじいちゃん。
正直にpoor Englishと言って、分かりやすい説明をリクエストした。結果的に、省エネなガイドだったな。ビジネスライクというべきか

車はディングルの町を出て西へ、半島の先へと向かう。
緑の大地に迫る海、そのすぐ傍を走る道。ビューポイントじゃなくても、目に飛び込んでくるもの全てが絶景。

最初に案内されたのは、漁港らしき所。水色のはカニを獲る籠なんだって。


次に案内された牧場では、baby lambを抱っこさせてもらった。前日に移動中の車窓から見かけてその愛くるしさにやられていたので、大歓迎 
私が抱きあげたのは、顔に大きな茶色の斑がある左端の仔。私の体型を見て、一番小柄な仔を選んでくれたのだろう。
欧米人家族と私の3人がトライしたミルクやり体験では、他の子羊たちに押し負かされてミルクを飲めずじまいだった 
それでも、体験ショーの後に牧場のお兄さんは斑の子にだけミルクをあげてた。分かってるのね・・・”よき羊飼い”だわ


母羊の背後には、Beehive Huts【ディングル半島と世界遺産スケリッグ・マイケルに特徴的な、蜂の巣型の石積み小屋群。起源は8世紀との説が有力】。ついでに見せてもらった。もともとの予定ではダンベックの砦を訪れるはずだったけど、積雪【2018年3月上旬、アイルランドでは36年ぶりの大雪】の影響で立ち入り禁止となってしまったので、かわりに。



映画「ライアンの娘」【1970年公開、デヴィッド・リーン監督】のロケ地にも案内された。この Coumeenoole Strand、何度か出てくる。マイケルが小舟を出すシーン、反イギリス活動者たちのトラックがバックで降りてきて神父やマイケルと出くわすシーン、反イギリス活動のために密輸しようとして海にばら撒かれた武器を拾いに村人たちが嵐の中駆け降りてくるシーン。
特に3つ目はこの映画の見せ場と評される鮮烈なシーンだけど、今はただ静かに波が打ち寄せるばかり・・・
先客の足跡を発見。ん 足指が3本の動物? 当時は単純に羊かなと思っていた。この記事を書くにあたり動物の足跡を検索してみたら羊ではないようで、結局分からずじまい



半島をさらに進む。前日にストランド通りで土産物屋を物色していた時、見かけて不思議だった絵葉書。それと同じ案内板が目の前にあった。
Dunquin Pier、目と鼻の先のブラスケット諸島に羊たちを送り出し、そして出迎える港。草を食べさせるための移動で、夏なんだって。

港までは、曲がりくねった急坂。季節も違うし羊たちもいないけど、写真撮りながら降りた。港の沖合に突き出ている2つの岩、三角錐ぶりがスケリッグ・マイケルに見えなくもない(夏しか行けない世界遺産、今回は断念した。しばし雰囲気を味わう。規模が違いすぎ、ムリがあるけども
帰りは、険しい道を羊さながらに登った。ふうぅ



次は、ビューポイントから眺める映画ロケ地。
真ん中に突き出ているシビル・ヘッドで「スターウォーズ 最後のジェダイ」【2017年公開】が撮影された。また、そのシビル・ヘッドの右側にある3つの峰(スリー・シスターズ)の手前の草原に、「ライアンの娘」の舞台となる村のセットが組まれた(架空の村であり、撮影のために資材を運んでゼロから造りあげ、撮影後に解体)。


ディングル半島の最西端から、北東へ向かう。
私をアイルランドへ向かわせたモチベーションのひとつ、ガララス礼拝堂に対峙した。
西を向く入口の高さは1.6mくらい。中は幅2m×奥行き3mくらいか。窓と思しき穴がひとつ穿たれているほか、何もない。
7~8世紀の建造とされるが、謎も多いらしい。東の窓から光を取り込む発想は、原始キリスト教とのつながりが取り沙汰されている。

一般的に舟をひっくり返した形とされる。360度どこから見ても美しい石積み、惚れ惚れするぅ 
その昔 『世界の教会』で写真を見た時、強く印象に残った。素朴だが緻密で安定感のあるフォルム。
キリスト教の入島以前から発達していた石を積み上げる技術・・・現地の要素を取り込みながらキリスト教が伝播していった足跡をまたひとつ辿った。

下の写真は、ガララス礼拝堂の脇に立っていた石柱。表面に刻まれている十字架は、ハイクロスのように日輪を抱く形。


ガララス礼拝堂からさらに北東へ。下の写真、お墓の向こうに見える石造物がキルマルケダル教会。
ちなみに「キル」とは教会の意味だそうだ。キルデア、キルケニー・・・アイルランドの地名の先頭に付く例が多数。

教会の前庭には日時計あり。ガイドのTさんが説明のため、小枝を挿してくれた。

こちらの石柱は、古代の文字が刻まれたオガム石。やや左肩上がりの斜線数本が文字だとは・・・説明してもらわなければ絶対見逃すな、自分。う~ん、奥深い世界


キルマルケダル教会は12世紀の建築。アイルランドロマネスクの傑作、キャッシェルはコーマック礼拝堂の影響を強く受けてるらしい。が、廃墟なんだよなぁ。天井は無く青空がこんにちは、壁画はなかった。残念 コーマックの影響云々は、馬蹄形のアーチを指すらしい。
下の写真は、ファサードの裏側。

あれ 裏クーポラ(?)に寄ってみよう。これって・・・クロンファートのファサードにいた、動物の頭っぽいモチーフに似てる。

そして、馬蹄形アーチの最も高い部分に骸骨っぽい人頭。1つしかないとはいえ、これまたクロンファートのファサードに共通するなぁ・・・


半日観光の最後は、コナー・パス【ディングルの町から半島北岸へ抜ける峠道。最高点は標高456m】。
下の写真、左の山肌にへばりつくように沿う細い道をご覧ください。大型車両の通行禁止も納得。

ビューポイントから見下ろした風景。約1万年前、氷河によって形成された地形なんだって。
下の写真、遠くに海が見える・・・幅の狭い半島部にいるんだなと実感。



バス停近くでガイドのTさんとお別れ。ダブリンに戻ったら買えそうにない土産物を買いに走る。
朝ホテルを出て3時間以上が経過。次の乗り継ぎ地トラリーまで1時間はかかる。さすがにトイレに行きたい。
バス停横のカフェに入る。土産物選びに時間かかったので、あまり余裕はない。コーヒーを流し込み、ものの5分で店を出なければならなかった。せわしない客と思われたことだろう(苦笑)
コーヒーだけではさすがにお腹がすく。この旅の初めに胃腸の調子を崩して以来の「1日2食作戦」が効いたのか、元気になってきた。
ダブリン到着予定は20時半過ぎ、お店が開いているか怪しい。2番目の中継地リムリックでサンドイッチを買う。珍しくサーモンがあった、ラッキー
駅構内に酒屋はない。前日うろついた時に目をつけていた駅前の酒屋に入り、缶ビールを入手。下の写真、背景はリムリック駅舎(一部工事中)。
本当は駅並びのパブで駆けつけ1杯やって去る、なんてクールなことやりたかったんだけど、35分って意外と短くて断念。いや、ムダのない乗り継ぎスケジュールを組んでくれたRさんに感謝せねば


ダブリンまで3時間の道中、ビールが効いたのか、後半の1時間くらいは眠ってしまった。目覚めると予定到着時刻が迫っていた。外は完全に暗い。
定刻運航が基本のバスといえども、走行距離が延びるほど遅れは出るのだろう。夕刻であれば渋滞も加わる。結局、15分遅れでイーデン・キーに到着した。車窓からハーフペニー橋が見えたので、降りて迷うことはなかった。
幸い、スーパーが開いている。いつもの定番、水とビール1本、サイダー1本を買う。21時で開いているのだから、やっぱりダブリンは都会だ


アイルランド銀行を過ぎた辺りから、人通りが減る。アイルランドに限ったことではないが、少し離れただけで人の流れがガラリと変わるのが日本とは大きく異なる点だ。
ナッソー通りに入ると、さらに暗くなる。とにかく早足。こーいう時は止まらず動き続けることが重要。
キャリーバッグじゃなくて、ソフトバッグ(愛用のレス〇ートサック)にして正解 音を立てず、目立たないことも大切。
レンスター通りを急いでいると、ダウンコートの中が汗ばんでいった。
4日前、アイルランド初日に泊まったホテルに再びチェックイン。通された部屋は前回と比べて3分の2の広さ、バスタブも無くなった。
2泊するので、ちょっぴり残念。ま、遅い時間にチェックインするとハズレの部屋、は旅先あるあるだね

1・11~13 ダブリン ⇒ニューグレンジ ⇒モナスターボイス ⇒タラの丘 (2018年3月28日)

朝8時半のピックアップ前に、アイルランド銀行近くの両替屋へ行く。翌日早朝から北アイルランド日帰り混載ツアーに参加するので、ポンドが必要。昨夜、イーデン・キーからの途上で営業時間が8時からとチェックしておいたのだった。しかし、ホテルを出るのがもたついて かなり急ぎ足となり・・・ホテルに戻ったのが出発予定時刻の5分前 やはり来ていた、3日ぶりのガイドRさん。
もはやなぜその話題になったのか覚えていないのだが、ヒート〇ックはいかに優れているか、まるでユ〇クロのまわし者のようにその機能性を説き、ダブリンにないけれど最寄りの店舗ロンドンに行く機会があれば買ってみますと言わせるほどに熱く語っていたら、ニューグレンジに着いてしまった(車で小1時間、途中ボイン川の古戦場【1690年、フランスの援助を受けたアイルランド軍がイギリスに敗れた戦い。以降、アイルランドにおけるプロテスタントの優位を招いた】付近を通過)。

ビジターセンターで、シャトルバスの発車を待つ【グループツアーに参加しないと入場できないシステムになっている】。
バスに揺られて1㎞、到着。なだらかな円形の古墳が現れた。う~ん、今日もいい天気
下の写真は古墳の入口。手前に横たわる石には渦巻き模様が彫られている。


大きな外観に反して、内部は相当狭かった。石室へ向かう一本道は、ダウンコートで着膨れてたら小柄な自分でも大丈夫かと思うほどの細さ。この道を通って、冬至の日は石室に太陽の光が射し込むんだって。
ふとメキシコはチチェン・イツァーを思い出す。あっちは春分と秋分の日だけど、四季の中で重要な日にサプライズを起こそうという発想が共通してるなぁ。そして知恵が深い。5200年前、キリスト教はもちろん存在しないけれど、ニューグレンジの内部は十字型の不思議 雨が少なくない気候にもかかわらず、未だ一滴の水も漏らさない緻密な構造。
外に出て外周をまわっていると、古墳入口のと同様に渦巻き模様の描かれた石がたくさんあった。そもそもこの古墳はどの民族が造ったのか不明だけど、この渦巻き模様は後にケルト人に大きな影響を与えたらしい。そして、3つ連続しているのは「永遠」を意味するとのこと。ガイドのRさん曰く、アイルランドでは3がラッキーナンバーなんだって。シャムロックも三葉だしねぇ。


この日第2の訪問地はモナスターボイス。クロンマクノイズと1・2を争う素晴らしいハイクロスがあるのだ。
なんといっても、オリジナルが屋外に建っているのがいい
3つのうち、私のお気に入りはこちら。
ありとあらゆる面に細かい彫刻が施されている。聖書から題材を採った人物彫刻だけでなく、渦巻きや組み紐などのケルトらしい模様がしっかり脇を固めている。

一番下の彫刻は、イエスがローマ軍に捕縛される場面。下の狛犬的な動物の彫刻、いい仕事してるなぁ

裏にまわっても、ぎっしり彫刻。

一番下の彫刻は、左半分がアダムとイブ(禁断の実を手に取っている)、右半分はイエスの弟子ペテロがマルコスの耳を切る場面(イエスが捕縛される時)。
180度反対側にイエス逮捕の場面が描かれているのは偶然じゃないんだろうな。人は罪を犯すというテーゼ、と捉えるのは考えすぎか

裏側の日輪の中心部には、最後の審判の場面。
十字架のてっぺんの部分は家型になっている。ハイクロスを守る屋根を意味するのかなぁ


敷地の奥に進む。屋根を失ったラウンド・タワーの手前に建つ背の高いハイクロス。
こちらは日輪の下あたりでポッキリ折れていて、修復の痕が痛々しい。

下の方は角部分が削れてるし・・・さっきのより、こっちのが古そうだなぁ。

日輪の片面には磔刑の場面。真ん中のイエス・キリストが両脇から槍状のもので刺されている【アイルランドのハイクロス、日輪の中心部分の彫刻は「磔刑」と「最後の審判」というパターンが多い】。


3つ目は、一番シンプルなハイクロス。日輪の部分にのみ彫刻を施している。表側はケルトらしい組み紐模様。

裏側は磔刑の場面。とても素朴で分かりやすい。


遅めの昼食はスレーンという町の、かつて駅舎だった所を改装した素敵なレストランにて。敷地内には、廃線となった軌道とホームの一部が残されていた。写真撮ってないのが残念 
まさか旅ブログやるとは思いもしなかったあの頃

しっかりとしたコース料理なので、料理のサーブはゆったり。お皿を待つ間、ガイドRさんのトークに耳を傾ける。
24日、私をゴールウェイで降ろした後、クロウ・パトリック山【5世紀半ば、聖パトリックが40日間籠って断食をしつつ祈りを捧げた場所。毎年7月の巡礼登山には数万人が参加するという。ウエストポートの西8㎞にある】へ向かったそうだ。翌朝登って下山、ダブリンに戻って翌日からはフツーに仕事、日本人客を日帰りツアーに案内したとのこと。ものすごい強行スケジュール、しかもプライベートタイムの週末を下見に費やすとは。せっかく近くまで行ったのでついでに、とは言うけどゴールウェイから100㎞以上・・・なんと熱い人なんだろう

メインはサーモンかラムを選べた。元来は魚好きなのだが、アイルランドでポピュラーな肉を食べていないことに気づき、ラムをチョイス。
骨付きの立派なお肉でかなり量が多かったけど、幸い朝食を軽めにしていたので食べきった。お肉よりも、その下から出てきたマッシュ・ポテトに苦戦

アイルランド最初で最後のデザートもいただく。


最後の訪問地、タラの丘へ。
「運命の石」にたどり着く手前の小さな丘。
アイルランドに来て以来、たびたび目にする緑の野原・・・なんて魅力的なんだろう


丘に建つ「運命の石」。
ひたすら強い風が吹く、眺めの良い丘だった【アイルランドの3分の2が見渡せるといわれる。ここはケルト人が形成した緩やかな連合国家の王を決める儀式をおこなった場所で、「運命の石」に足をかけて叫び声が聞こえたら王になるとのこと。そして、移民で世界中に散らざるを得なかったアイルランド人にとって、今も魂の故郷なのだそうだ。タラに帰るという表現が『風と共に去りぬ』に出てくるように】。
広い場所を目にすると、素足になってフラを踊りたいな~とつい思ってしまう習性のある自分。でも、さすがにここではそんな感情は沸いてこなかった。聖地を踏むのはなぁ


17時過ぎ、ホテルに到着。翌日もダブリンに泊まるけど、日帰りツアーの帰着は遅いので、実質的に楽しめるダブリン最後の夜。
というわけで、すぐにホテルを出て町へ向かった。
体調が悪くなければ、初日にうろつくはずだったテンプル・バー【1990年代の再開発計画により、ダブリンの最先端をいく芸術・文化の発信基地となったリフィ川南岸の地域。レストランやパブ、カフェ、書店、雑貨店などがひしめく】。馬車が雰囲気出してるな~


初日に行くつもりだったレストランThe Shackへ行く。さすが有名店、かなり混んでいたけどウェイターさんはすぐに案内してくれた。東洋人にも分け隔てなく親切。一気に株が上がる
遅めのランチ、しかも大量の肉が効いてるけど、アイルランド滞在も残りわずか。胃腸が回復した今、食べずにいられようか。
まだ飲んだことのない銘柄のビールを試してみる。

アイルランド料理基本中の基本、Irish stewをまだ食してないが、昼からたて続けのラムを避けてBacon&Cabbageにする。
ぶ厚くて大きいベーコンはステーキに等しく、食べごたえガッツリ。濃厚なクリームソースは酪農王国ならでは。


お腹いっぱいになり、パブはパス。結局、パブはゴールウェイの1回きりだったなぁ
帰途、晩酌用ドリンクをショップで入手。もはや液体の入る隙間も少ないので、1本にしておく。昼間、Rさんから聞いたオススメの銘柄が売られていたので購入。
アイルランドに来てスタウトのおいしさに開眼したとはいえ、やっぱりラガーは落ち着くなぁ


1・14~17 ダブリン ⇒キャリックファーガス城 ⇒キャリック・ア・リード吊り橋 ⇒ジャイアンツ・コーズウェイ ⇒ダンルース城 (2018年3月29日)

電車を利用する北アイルランド日帰りツアーは朝が早く、7時半集合。
前日にガイドRさんのサポートによりタクシーと朝食(サンドイッチ)の手配が済んでいたので、7時5分前には円滑にホテルを出発。
タクシーで10分、コノリー駅に到着。集合場所ははっきりしないが、とにかく構内を進む。
・・・と、目印の黄色いジャケットは超目立ち、見つからないのではという心配は霧のごとく消え去った。
ガイドのSさんは、レオナルド・ダ・ヴィンチを彷彿とさせる風貌のおじいちゃん。
結局集まったのは、4人家族と成人女性1人と私の6人。アジア系は私だけ。
乗り込んだ列車は新しくて快適 同じ車両の中、見える範囲の座席に散らばって各々朝食をとる。
ベルファスト駅まで約2時間、日記かハガキを書くつもりだったのに、睡魔に襲われる。あ~ 一昨夜だよなぁ。9時間の時差を飛び越え、真夜中に電話が。タイミング悪すぎ てか、スマホをオフにしてなかったのが敗因か

ベルファスト駅のそばで待っていたバスは文字通り満席。私はダブリンから一緒に来た成人女性の隣りに座ることになった。ニュージーランド南島の方だった。
Marlboroughのソーヴィニヨン・ブラン愛飲してますと伝えればよかった、と後になって気づいても遅い
ここから再びベルファストに戻って来るまでの間、ドライバーのQさんがガイドを兼ねた。ダブリンから共に来たSさんは気配を消したかのよう。そういうシステムになってるんだろうなぁ。
ドライバー兼ガイドのQさんは年の頃30代か。典型的なサイド刈り上げの短髪(イギリス留学帰りのウ〇ンツ瑛士みたいなイメージ)。黙ると死んじゃうのではと思うくらい、ひたすら喋ってた。綺麗な発音だと思う。それでも話が半分くらいしか入ってこないのは、私のリスニング能力の問題
バスは少し走って、キャリックファーガス城【12世紀建造のノルマン式の古城。1690年、イギリス王ウィリアム3世がこの地に上陸した後、ボイン川の戦いに臨んだ】で停まった。目の前のスーパーにはATMがあって、ポンドへの両替ができるのだった。なるほど、ちゃんと考えられてるツアーだなぁ。
横着して正面にまわらなかったので、横から撮った写真しかない・・・ゴメンナサイ


「ゲームオブスローンズ」のロケ地だとかを車窓に見つつ、キャリック・ア・リード吊り橋へ向かう。
到着したのが12時半過ぎ。車内でランチのメニューがまわってきて選んだのだが、ランチは遅くなるよ、とドライバーのQさんが言ってたのはこーいうことかぁ。
待望の()トイレを済ませて、人の流れについていく。左側は茫洋たる海。風に吹かれながら、気持ちのよいお散歩。それにしても結構歩いたなと思ったら、片道1㎞だった。
下は、振り返って撮ったもの。モハーやディングル半島と違って、白亜の崖なんだなぁ。イギリスのセブンシスターズっぽい。


遠望した吊り橋。人影は、吊り橋渡るのを待つ行列。右の彼方に霞んでいるのはラスリン島(沖合8㎞)。

だんだん近づくと、こんな感じ。今はすっかり観光地だが、元々は漁師さんが対岸のキャリック島へ渡るために架けたのが始まりらしい。

真上から見ると、こんな感じ【海面からの高さが30m、橋の長さは23m】。
片側通行なので、渡り口にいる係員の指示に従い、一定の人数が対岸に渡って待機。そしてまた戻って来るというシステムになっている。

自分は高所恐怖症のわりに足がすくむほどではなかった・・・が、何に困ったって、寒さで手がしびれてること。両手でロープつかんで渡らなきゃいけないほど風が強いんだけど、しびれで掴みづらいったら 順番待ちしてる間に冷えちゃうんだよなぁ。晴天だし、予想してたより全然いいコンディションなんだけども、やっぱり寒い 前日にニューグレンジやタラの丘でも感じたけど、ダブリンの北方に行くと寒くなる。ヒート〇ックのありがたさが沁みる

14時過ぎ、ようやくランチにありつく。7択のメニューから、ギネス・シチューを選んだ。スタウトで煮込んだシチュー、食すのはもちろん初めて
各自が空いてるテーブルにつく時、どうしようかな~と見まわしていたら、バスで隣りだった成人女性が声をかけてくれて、彼女が親しくしていた少年2人(大学生くらいか)と共に食卓を囲んだ。3人がギネスを頼んでいたので、陽の高いうちにアルコールは口にしないポリシーを曲げて私もハーフパイントを注文。4人で一応”Cheers!”

というか、狩猟民族の血を引く人たちはすごい。出会っていずれ別れていくのを前提に、一緒に過ごす今を大切にする。
中高時代に通っていたミッション・スクールのnativeの先生達(アメリカとカナダから英会話を教えにいらした方が多かった)に感じていたことをふと思い出した。
翻って、成人女性と少年達なんて、何の共通点があるのかと思うけど、年齢も性別も超えて親しくなっていくのね。懐が広いわ~ 
基本的に定住、限られた人間関係の中で暮らしていく農耕民族の血を濃く引く自分からしたら、尊敬せずにはいられない

ランチの後、ブッシュミルズ蒸留所【1608年に認可を受けた、世界最古のウィスキー蒸留所】へ。
工程を見学したけど、当方ワイン党につき、終始へえぇ~な感じ
下は、お土産などを売るショップの入口。小綺麗な雰囲気をつくり出している。
ポンドに両替したわりに、ここまであまり使いどころがなく(支払い済のものが多いから当然か)、かといって両替額をケチったので高いモノには手が出ず 
買える範囲のお土産を買う。なんのこっちゃ。


いよいよ次は、北アイルランド随一の世界遺産ジャイアンツ・コーズウェー【約6000万年前の火山活動に端を発する柱状節理4万本がつくり出す奇岩地帯。巨人のフィン・マックールがヘブリディーズ諸島に住む恋人を通わせるために造ったとか、スコットランドの巨人を迎え撃つために造ったとか伝説がある】。
フリータイムが1時間半あったので、ミニバスのお世話になることなく、グイグイ歩いた。
海に向かって、柱状節理がニョキニョキ生えている。六角形、いいなぁ


晴れた日には見渡せるといわれるほど、スコットランドは目と鼻の先。内海に準ずる場所かなと思うけど、波は意外にも荒い。思いっきり外海に接しているディングル半島よりも荒れてるような・・・風が強いからかなぁ?


最後の訪問地、ダンルース城。
この時点で17時半をまわっていた。日が陰っているせいか、冴えない印象になってしまった・・・
もっと陽光きらめく時間帯に、しかも入城見学したらずいぶん違うんだろうなあ、残念
ダブリンから一緒に来た4人家族の娘さんが、写真撮ろうかと声をかけてくれた。素直にうれしくて、破顔。この旅最後の自分の写真になった。


1時間半でベルファストに着いた。市内のあちこちで、ツアー客が三々五々降りていく。
車窓から眺めるベルファストの町・・・ダブリンとはまた違う雰囲気だなぁ。

ダブリンからの私たち7人はベルファスト駅で降り、列車を50分待った。
トイレを済ませて日記を書いていると、ガイドのSさんが話しかけてきた。朝はウトウトしてたからなぁ、私。声かけようにも掛けられなかったのかも。
解散が近づいてきて自己紹介するのもヘンな感じだけど、面白くもある。家族のことを聞かれたので 夫はいないのよと言ったら、そりゃそーだろ、って反応で。やったあ、童顔日本人マジック炸裂 私を一体何才だと思ったんだろう 閑話休題。「弟と母がいて・・・父は亡くなった」と。英語で初めて表現したな。たった8ヶ月前のことなのに、彼方のことのように感じる。 
ちなみに、Sさんは男子校で40年ほど美術を教えてたそうだ。ダ・ヴィンチに似てるのはまんざらでもないのか。男子は元気だから机が飛ぶよ~って。アイルランドでは公立学校の教員や看護師を削減して財政を立て直そうとしている・・・とか言ってた気がする、自分が聞き取れた範囲では(笑)
そして、同道してきた4人家族の娘さんが、日本から来たんだって?と聞いてきた。曰く、東京・京都・大阪を旅したことがあるそうだ。娘さんは寿司が好き、弟さんは生の魚はダメだけどラーメンは美味しいと。アメリカ人らしい。自分の出身地を聞かれなくてセーフ・・・歴史、いや政治の問題?最後に気まずくなるのを避けられて、ホッ

22時20分、ダブリンに帰着。コノリー駅周辺はあまり治安が良くないと情報を得ていたので、ホテルまでのタクシーが懸念だったが、アッサリつかまえることができた。あらかじめ用意しておいたホテル名&住所を書いたメモを見せると、すぐ了解って感じで発車、5分ほどでホテルに着いた。
ここで問題発生 ホテルと目と鼻の先のSPARとCentraが閉まっていた。晩酌用のアルコールと、できれば水も買いたい・・・
クレア通りを眺めるが、開いてそうなお店はない。ナッソー通りのSPARは23時までだった気がするけど、少なくとも往復15分はかかる。いくら治安が悪くないとはいえ、断念せざるを得なかった
屋根裏部屋チックな窓からは、遠くリフィ川沿いの建物のネオンが雨に霞んでいる。ダブリンに戻ってきたら、ガッツリ雨だった。日中、北アイルランドではあまり降られなかったけど、時折ぱらついた。やっぱり雨が多い季節なんだなぁ。

1 ダブリン ⇒カタールへ出国 (2018年3月30日)

アイルランド離陸は15時過ぎ。教会に行った後、土産物を買い、最後に国立考古学・歴史博物館へ行く計画を立てた。
ダブリンにはメジャーなカテドラルが2つ・・・ダブリン最古と、アイルランド最大の。博物館見学の時間を極力残したかったので1つに絞ることに決め、最古のほう、クライスト・チャーチ大聖堂【11世紀前半に創建、現存するのは12世紀後半の建造】を選んだ。
本当に何度も通過したトリニティ・カレッジの正門。その前に延びる通りを数百m進んでいくと、教会が見えてきた。

ガイドブック情報では9時オープンのはずだったが、開いていなかった。ん 
ひとまず、外観の観察にいそしむ。私のお気に入りは、南翼廊の入口(馬蹄形アーチ)に残された柱頭彫刻。
下の写真、右端に写っているのが件のアーチ。さらに下の写真、右の柱頭彫刻は人頭獣身。Capricornにも見えるが、妖精だろうか・・・



結局9時半過ぎに入れたのだが、欧米人の団体が入口付近で待っていなかったら踵を返していたと思う。ありがたや
教会の真ん中あたりだけ、特に古い部分が残っていたような気がする。
下の写真は、北の翼廊で西側を振り返ったもの。アーチの真ん中の部分が全体的に黒くなっていて、柱頭彫刻は朽ちかけ・・・古さをうかがわせる。

礼拝堂の床に残る白い手描きの模様。素朴で可愛い


南の翼廊から地下に降りる。中世最大級といわれる地下礼拝堂【1689年、ジェイムス2世が滞在した時の宝物などが飾られている】へ。
有名な、猫とネズミのミイラ。時は1860年代、パイプオルガンの中に逃げ込んだネズミを捕まえようと猫も入り込み、両者とも出られなくなってしまったと
パイプオルガンの修理時に発見されたそうだ。究極のトムと〇ェリーだなぁ・・・

地下にあった、十字架を刻んだ遺構。アイルランドには十字架のバリエーションがホントたくさんあるよな~ 興味深い


教会を去り、ゴールウェイで手に入れられなかったクラダリングを買いに行く。お目当てのショップは開いていた。
シルバーから始まって、ゴールドまで様々な素材のリングを見せてもらう。緑色の石入りがいいこと、シルバーとイエローゴールドは好きじゃないと言う。
そうやって紹介されたのがホワイトゴールドのリング2つ。
さらに、ピンキーにしたいと伝えたら、全体的にデザインが大きい方は店員さん曰く「物に引っ掛かるわね」。確かになぁ~
語学力の問題で、店員さんとのやり取りは最小限にならざるを得ない自分 言葉がシンプルだと、買い物はこうも簡単なのか・・・さっくり決まってしまった。時間にして5分くらい。
4月から仕事が忙しくなるので、お守りにしよう 写真は、この記事を書くにあたって撮影したもの。


うちの本棚には、各国で巡りあったクロスやイコンを飾っている。
最初から考えていたわけではないが、ホテルまでの途次何度も往復したナッソー通り沿いの雑貨店にハイクロスのミニチュア陶器があった。アイルランド初日にショーウインドーをのぞいた時は、なぜ緑色なんだろうと思ったものだ。1週間後の今や、その理由は想像に難くない。
思いきって、クロンマクノイズを模したハイクロスを買う。50ユーロ也、決して安くない。もはや財布の中のコインを数えて、空港行きのバス代を確認する始末。両替金額の読みは正しかったとも言えるけど、こうもギリギリとは
いつ見ても閉まってることの多かった、やる気のないショップのおじさんに、良い旅を!と機嫌よく送り出される。もう発つんだけどな。ま、帰り着くまでが旅だもんね(笑)
下の写真は、この記事を書くにあたって撮影。


オオトリは、博物館【紀元前2000年から現代に至るまでのアイルランドの至宝が揃う】。友人たちへ送るハガキ用に買い求めた切手が偶然にも国宝シリーズだったので、一層興味を搔きたてられていた。タラのブローチ、アーダの聖杯、コングの十字架、etc・・・
が、オープンの11時をまわっても開いていなかった。大聖堂の前例もあるので しばらく粘ってみたが、やはりダメだった。イースターholidayの初日だからか
ともあれ、残念至極 
空港へ行くにはまだ早いが、財布の中は限りなくカラ・・・やむを得まい。ホテルに預けた荷物をピックアップし、目と鼻の先にあるバス停で待つ。
30分おきに出ている空港行きのバスは2階建て。もちろん2階へ行く。見下ろしながら、心の中で「さようならダブリン」 好きな町だったな

★ 終わりに ★

この後、ドーハを経由して旅は続く。が、蛇足感が否めないので、ここで終わりたい。

ディングル半島を訪れた時、日頃から映画にほとんど関心のない私は「ライアンの娘」という作品の存在自体を知らなかった。ロケ地に案内してもらっても、感慨が浮かびようもなかった。しかし、旅の記事を書くには どのシーンが撮影された場所なのか説明できなければならないと思い当たり、映画を見ることにした【この後、ストーリーの内容に触れる部分があるので、目にしたくない方は「既に」で始まる最終段落まで飛ばしてください】。
3時間超の大作、海辺のシーンは数えきれないほどあった。しかし、百聞は一見に如かずとはよくいったもので、これは一見似ているようだけど違う海岸だな、これは間違いない、とか感じる箇所があった。見終えた後でネットを検索すると、その道に詳しい方々のサイトが驚くほどたくさんあり、いくつも見ては答え合わせをしたのだった(その過程で、天候に恵まれずやむなく南アフリカ共和国でも一部撮影したことを知った)。ともあれ、画面に映し出される半世紀前の風景は圧倒的に美しく、目を奪われるほかなかった。
一方で、ストーリーの展開には色々思うところがあり、主人公のロージーをかばうわけではないが、村人たちによるリンチは自分にとって特に受け入れがたかった。「ライアンの娘」には下敷きとした原作があるわけではなく、実在の人物が登場するわけでもない。全く架空の話であるがゆえに、裕福で美貌の主人公への嫉妬も一要因とはいえ、”反イギリスという感情を軸に、リンチを正当化してしまう人々”としてアイルランド人が描かれていること、しかもその監督がイギリス人であることに、何とも言えない気持ちになってしまった。その思いを扱いかね、理解を進めるにはデヴィッド・リーン監督の他の作品を見るしかないと思った。かくして、近年話題の映画が何たるかさえ知らない自分が いにしえの巨匠の作品を追うことになった・・・なんとも不思議

寡作と評されている監督のようだが、ふだん全く映画を見ない人間からすれば、何を見ればよいのか迷うほどである。残念なことに映画好きの友人はいないので、「戦場にかける橋」【1957年公開】・「アラビアのロレンス」【1962年公開】を自ら選んでみた。全ての作品見ればまた違う感想を抱くかもしれないが、少なくとも3作品を見て感じたことは・・・
デヴィッド・リーン監督は、自らがイギリス人であることを強く認識しながら、敢えてイギリスが絡む歴史の舞台をテーマに選ぶ人であるということ。しかしその手法は、徹底して自然主義的である。異なる価値観の人々が相対し、時には衝突しながら関ずらわっていく様を実に淡々と描くのだ。イギリス側の登場人物に決して肩入れすることなく、時に主人公でさえも突き放すほど無慈悲に中立的である。つとめて美化することなく醜悪を避けることもなく、ありのままに展開していく。その作風ゆえ、イギリス人がイギリスの利害に関連する問題を扱うことが昇華されている印象を受ける。
・・・こうして長い映画リレーの果てに、「ライアンの娘」を見た後に抱いた複雑な気持ちが解けていくのを感じたのだった

既に書いたとおり、ディングル半島を訪れた私の動機はガララス礼拝堂だった。而していわば必然的に「ライアンの娘」に出合い、思いがけず他の映画も鑑賞することになった。21年前にクウェー川鉄橋を訪れた時、存在は知っていたものの見るまでには至らなかった映画「戦場にかける橋」を初めて見た。「アラビアのロレンス」を見て、6年余前に訪れたアカバとワディ・ラムを思い出した。
そもそも、この旅のきっかけもふんわりとしていた。私の旅先選びは行き当たりばったり、今回も1択だったわけではなく、同時並行でウズベキスタンを扱う旅行会社にも照会をかけていた。アイルランドに決まったのは、1日早く回答メールが来たからという僅かな差。そのことをガイドのRさんに伝えたら、シーズン的に毎日は出勤しない時期だったらしく、回答が早かったのは偶然なのだそうだ。
それから2年以上経過し何度か海を越えたが、一方のウズベキスタンへの旅はいまだ実現していない。
日々生きていく中で、必ずしも意識することのない偶然と必然。それらが組み合わさっていくことを巡り合わせというんだなぁと思う。
巡り合わせによって広がっていく自分の世界をあるがまま受け止めながら、前に進んでいきたい。

 おしまい 















































































































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