旅の第3弾は下の地図の➍、ペナン島の様子をお送りします。なお、①~③は旅の前半に訪れた場所です。
また、後の下線部の数字にも対応しています。
4 ジョージタウン (2019年12月30日)
7時過ぎに起床、身支度を整えて外出。この宿は朝食がついていないのだ。
朝のムントゥリ通り。
ジョージタウンはストリートアートの街、そこかしこに描かれている。
アーチの上に、バランスをとるバレリーナ。右下は画風が一変して、ガスマスクを着けた人
マレーシアの国花、ハイビスカスが植えられている。
あてもなく通り沿いに東へ進み、マスジッド・カピタン・クリン通りにぶつかってやや南下。カフェの看板を見て入店。
洋風の外観なのに、中華料理屋なのである。オーダーしたのは福建麵【ホッケンミーともいう。中国福建省から移住した人がつくり始めたといわれ、マレーシアではペナン式とクアラルンプール式があり、またシンガポールにも同名の料理がある。ペナン式は蝦麺とも呼ばれ、海老の殻や味噌からとった出汁に唐辛子を加えた赤いスープに、ビーフンと黄色い卵麺をミックスするのが特徴。クアラルンプール式はうどんに似た太麺と具材をラードと中国醤油で炒め、醤油由来の真っ黒な色味が特徴の汁なし麺】。自分が食べたのはペナン式とクアラルンプール式の折衷のようだった。これと温かい中国茶(Cちゃんとシェア)で5.7RM(≒168円)。
一旦ホテルに戻り、9時半過ぎに観光へ出かける。まずはセント・ジョージ教会へ【1818年築、東南アジア最古のイギリス国教会の教会。アジア・太平洋戦争中の日本軍による空襲でほとんどが焼失、司教座と洗礼盤だけ残ったという】。こういうのを “白亜” って表現するんだろうな~
外観に負けず劣らず、内装も白を意識した空間になっている。
生き延びた洗礼盤はモニュメントと化している。
マスジッド・カピタン・クリン通りに沿って南南西へ。が、スリ・マリアマン寺院には入れず、午後オープンのカピタン・クリン・モスクは閉まっていた。
あきらめて、アルメニアン通りへ。このあたりが中心エリアらしく、観光客向けのお店が建ち並び、人出もたくさん。
実物と組み合わせたストリートアートが目白押し。
写っているのは通りすがりの旅人。このアートと撮影したい人がわんさかいて、誰もいない画像を撮るのは至難の業だった
これも大人気で、人が入らないようにギリギリの角度で撮った結果、椅子が見切れている・・・もう少し左後方からがベストなはず。
付近のクー・コンシー【福建系華人の邸(クー)氏による。コンシーとは同姓の協会で、就職のあっせんや争い事の調停等でメンバーを扶助し、また祖先を祀る廟を併設した。福建省から職人を招いて豪華につくったという19世紀後半の建物は焼失し、現存するのは20世紀初頭の再建】。
色彩をおさえているが、実に精緻な装飾。自分好みど真ん中だわ
内部はさすがに金ピカ。
裏手には台所もあった。画像左奥は蝋人形による再現。
鯉も飼われていた。
コンシーを出てフラフラしていると、傘が浮かぶ通りに行きあたった。
異国情緒に酔いしれさせる街並み。
ここからまた、ストリートアートを求めて歩きまわる。
猫が可愛い
今にも飛び出してきそうな姉弟
ポップな眼鏡をかけているのは、もちろん見ず知らずの少年。
遊ぶこどもシリーズ。
気づくと正午を過ぎていて、お腹がすいてきた。海沿いのウェルド・キー(通り)を越えて、クラン・ジェッティーへ【船が発着する埠頭の脇に7つの桟橋があり、一族(クラン)別に水上家屋群が形成されている。かつては治安が悪いエリアで取り壊しの計画もあったが、2008年に世界遺産に指定されたことで保存が進み、今や観光名所となった】。
屋台が集合するジェッティー・フードセンターにて昼食。自分がチョイスしたのはアッサム・ラクサ【ペナン・ラクサともいい、この地を代表する麺料理。サバやアジなどの青魚の出汁にスパイスとタマリンド(アフリカ原産のマメ科の果物)の酸味をきかせたスープ、うどんのような太い麺が特徴。オタ・ウダン(蝦醤=へーコー)というエビを発酵させた甘いタレ(=下の画像のレンゲに入っている黒っぽいペースト)を添えるのが一般的】。朝から二食続けて麺・・・お米好きだけど、同じくらい麺も好きなんだもん
Cちゃんは海南チキンライス【鶏肉のゆで汁で炊いた米に、生姜やニンニク入りのタレをかけた鶏肉を添える。鶏肉はスチームとローストの2通りの処理法がある。マレーシア以外の東南アジアでもポピュラーな料理】。
北の隣国タイにもカオ・マン・ガイという同種の料理があるのだが、米の上に鶏肉が乗っかっているし、こんなにタレだくではない。面白い違いだなぁ
2人でシェアしたポピア【薄餅ともいう、ニョニャ風の春巻き。福建省が起源とされる。クレープ状の小麦粉の薄皮で具を包み、チリソースをつけて食す。具はきゅうり・もやし・甘辛く煮たヒカマ(葛芋ともいうメキシコ原産の野菜。切り干し大根に似ている)など】。
大瓶のビールもシェアして、1人あたり15.95RM(≒469円)。
食後 海沿いをそぞろ歩き、居並ぶ桟橋の中からなんとなく李氏のを見学。ゲートをくぐって進む。
画像左奥は対岸のバタワース。
船も行き交う。
西には他の氏族の桟橋。水上家屋の感じが伝わると嬉しい。
コムタへ向かう途中、なおもストリートアートを探す。東南アジア版ヒナノではないか【ヒナノ; タヒチのブランド、現地語で「かわいい女の子」を意味する。パレオをまとう女性をロゴマークに地ビール会社として創業、こんにちアパレルや雑貨も展開する】
Cちゃんは翌日発つため、コムタに隣接するバスターミナルを下見。
炎天下をゆうに1.2㎞以上歩いて到達したコムタ【ジョージタウンのランドマーク的な高層ビル。1985年築、65階建て・高さ232m】。1階に踏み入ると火照った身体にクーラーが心地よく、生き返る感じ セブ島でも思ったが、ずっと居たら寒いほどにクーラーでキンキンに冷やしているのは暑い中を歩いてくる人に報いるためだろう。
下層はデパートのようなフロアになっているのだが、お洒落すぎて買うものはない(求めているのはガチなお土産)
通りをはさんで向かい側のスーパーマーケットへ向かう。一帯は新しめのショップと、昔ながらの小売店が混在している。店先でパシャリ
青果店と思ったが、よく見るとウエストポーチやベルトが吊り下げられているし、奥にはナマモノ以外のものも置かれている模様。個人的には枝ごとぶら下がっているバナナ(画像中央)が気に入った
スーパーを出てペナン通りを北上。近代的なビルと古風な建物が並立している。
途中で左折してマレーシア全土のお土産を扱うショップに寄り、お買い物 ここはバラマキ用の安価なものからお高めの商品まで、ピンキリな品揃え。
牡丹と鳳凰の陶器が美しくて眺めていたら、お店の方曰くアンティークで、もう数少ないから売り切れたら再入荷はない、と。マラッカのババ・ニョニャ・ヘリテージで見かけた時から気にはなっていたけど、高価なものを大事にできそうもないので 後ろ髪引かれつつあきらめた。参考までに、マラッカで撮った同種の器の画像を載せておく。
マレーシアといえば錫、多少払ってもゲットしようと考えていた。高額帯だからかお店の方の説明にも熱が入り、冷えた飲み物を冷たいまま飲めるよとデモンストレーション用の器に水を注いで飲ませてくれる。結局、自分用のミニタンブラー(2つ)と、叔母に茶筒(華人っぽい装飾入り)を購入。下部に国花のハイビスカスをあしらったタンブラーはビールを飲む際に愛用している。高さ8.8㎝、2つで約6,820円(この記事を書くにあたり撮影)。ちなみに、店内では別々に行動していたCちゃんも同じのを買っていた。お互い呑み助だからなぁ
ホテルに戻ったのは16時半頃。洗濯したりして、部屋でくつろぐ。
20時、夕食のために外出。ムントゥリ通り沿いのストリートアート。実は前日明るい時刻に見かけて撮影したのだが、ライトアップされた方が何倍も素敵なのだった。
Cちゃんとの最後の晩餐は、ニョニャfusion料理【中国から移住した男性と現地マレー系女性の子孫女子(ニョニャ)に受け継がれた料理と、タイやベトナムなど他のアジア料理を融合】。全6品のコース料理(128RM≒3,763円)を食した。まずはパイティー【カップ状に揚げた器に野菜や海老を詰めた前菜。典型的なニョニャ料理】。
インゲンとヤングコーンの炒め物。
青菜の炒め物。
鶏肉料理。
カレーソースの一皿は、スパイス(レモングラス、コブミカンなど)とココナッツミルクで鶏肉を煮込むカリー・カピタンというニョニャ料理をアレンジしたと思われる。
デザート。
レストランから宿までは400mほど。照らし出されて雰囲気ある街並みを行く。
22時過ぎにホテル到着。一人旅では決して出歩けない時間帯、Cちゃんに感謝
4 ジョージタウン (2019年12月31日)
この日も7時過ぎに起き、朝食のために外出。宿から200mほど東のお店に入った。
店頭の自転車からして計算されているのか?? 映画のワンシーンに出てきそうな店構え。
店内には先客がいて、後にも続いた。それなりに繁盛している。
趣向を変えて洋食。30RM(≒882円)は前日の朝食の5倍・・・全体的に小綺麗に整えている分、ツーリスト向けの値段設定なのだろう。
一旦ホテルへ戻り、13時45分離陸の飛行機に乗るCちゃんに合わせて10時過ぎに宿をチェックアウト。空港へ向かう彼女とバス停で別れた。
一瞬しんみりしてしまったが、気を取り直してこの日の宿へ歩いて行く。自分の旅史上 最高の格式を持つホテル、Eastern & Oriental Hotel【1885年、アルメニア人の富豪サーキーズ兄弟(シンガポールのラッフルズ・ホテルも建てたことで知られる)により創立。かつて「スエズ運河以東で最上のホテル」と称され、サマセット・モームやヘルマン・ヘッセなど数多くの著名人が宿泊したという。大規模な改装を経て、今なお5つ星ホテルとして輝きを放つ。2013年にオープンした別館(ヴィクトリーアネックス)に対し、本館はヘリテージウイングと呼ばれる】。
ガイドブックでチラ見して気になり、ネットで検索したところ運よく値下げセールに遭遇。マレーシアの物価に合わせてそもそもの値段設定がリーズナブルなことも背中を押し、年越しだからと思い切ってポチッたのだった
値段的に別館だろうと思ってそちらの受付に足を運んだら、本館に予約が入っていたようで 長~い通路を歩いて通された。ときに11時前。
荷物だけ預けてすぐに飛び出す。翌日はクアラルンプールへ移動するため、この島でのタイムアップが刻一刻と迫っていた。
まず対岸のバタワースへ渡ることにして、タクシーでフェリーターミナルへ。ホテルからは2㎞もなく、いつもの自分なら苦もなく徒歩圏なのだが、なにせ暑いので横着してしまった 10.4RM(≒306円)也、この国の物価からしたら贅沢な使い方なのだろう。
【バタワースまでは2㎞強、フェリーは20分間隔で出航、所要20分。ペナン→バタワースは無料とのガイドブック情報は半信半疑だったが、本当に支払わずに乗船できた。ちなみに、バタワース→ペナンは1.2RM(≒35円)かかる。飛行機が飛んでおらず 橋でマレー半島とつながっていない時代にはフェリーでバタワースへ渡るのが唯一の手段で、バタワース駅から国鉄(KTM)で先へ進むため国鉄の料金にペナンからのフェリー代が含まれていたという。今や渡った後にバスに乗ったり車に乗ったり必ずしも国鉄に乗るわけではないが、かつての慣習が残っているらしい。この記事を書くにあたり調べて知った】
フェリーの中。
フェリーの上からバタワースを遠望する。
ペナン島を振り返る。画像右、ひときわ高いのがコムタ。
南を向くと、視界にはペナン第二大橋【全長24㎞、東南アジア最長。2014年に完成】。
遠くなりゆくペナン島。
ガイドブックにバタワースのページがなく、フェリーターミナル・バスターミナル・国鉄(KTM)駅がつながっている、というわずかな情報だけが頼みの綱だった。
実際のところ、正しくてホッ 下の画像左がバスターミナル、中央がフェリーターミナル(帰路に撮影)。
バスターミナルから国鉄駅へ向かう通路にて。港の向こうはペナン島、わずかに橋も見晴らすことができる。
人けの少ない細い通路の先にエレベーターがあって、地上へ降りるべく乗る。すると、居合わせたインド系の中年男性が "列車に乗りたいんだけどお金がなくて・・・恵んでほしい” と言ってきた。うげ~っ この国で初めて物乞いされたよ・・・
“いやいや、無理ですって” みたいな反応をしてみせたところ、わりとあっさりあきらめてくれたのは不幸中の幸い。今思えば、二人きりでエレベーターに乗ったのは不用心だったよね。彼が後から乗り込んできて扉が閉まり、あっという間の出来事だったんだけど、一歩間違えば追い剥ぎに遭ったかも・・・気をつけねば
【バスターミナルは新しく綺麗でショップが並び 人も多くてにぎわっているが、国鉄駅へ向かう通路付近が一転してさびれている。たった数歩で環境が激変、海外あるある 明るい日中でさえこんな状況だったので、薄暗くなったら一層治安がよくないと思われる。これからKTMのバタワース駅を利用される方は、どうかお気をつけくださいね】
こちらが駅の正面入り口。
駅構内から線路を見下ろす。画像右奥がバスターミナル、その奥にペナン島。
反対側はこんな感じ。橋のほか、左手にはモスクと思われるドームがのぞいている。
国鉄の窓口で翌日のクアラルンプール行きのチケットについて尋ねると、朝6時台しか空きがないとの回答。だよね~
実は、前日にクラン・ジェッティーへ向かう前に埠頭の一角にあるKTMのオフィスで確認済みで、1日経過したところで状況に変化はなかった・・・年末年始のマレーシア人帰省による混雑を全く考慮していなかったのが大失敗 かくして、国鉄でクアラルンプールへ戻るプランは夢と散った
国鉄駅を後にして、バスターミナルへ向かう。時刻表を見ると、クアラルンプール行きは1時間に1本くらいありそう。一方、ジョージタウンの街中にあるコムタ隣のバスターミナルから乗れば、ペナン大橋を渡ることができる。どっちから乗るか・・・迷ったが、古式ゆかしいバタワース経由に決めた。
13時前、バタワースを発つ。帰りの船内は往きよりも混んでいた。車と一緒に海上を運ばれていく。
午後の行き先について、まずはペナン・ヒルが思い浮かんだ【ジョージタウンの西5㎞にある標高823mの丘。晴れていればジョージタウンだけでなく、海をはさんでマレー半島まで一望できるという。平地より気温が低いことから、マラリアから逃れることができる避暑地としてイギリス統治時代に繁栄】。
しかし、前日に見逃した箇所を切り捨てることができずヒルは断念、暑いのを承知で歩いてまわることにした。
まずフェリーターミナルから北へ数百m進む。ロータリーにそびえるは時計塔【1897年、ヴィクトリア女王の治世60周年を記念して60フィートの高さで建立】。
その先にコーンウォリス要塞が鎮座【1786年、クダ(マレーシア最北西部。島の対岸)のスルタンからペナン島を獲得したイギリス人フランシス・ライトが上陸した地に築かれた(なお、ペナン島はイギリスが領有した東南アジア最初の地)。当初は木造だったが、1810年に現在のようなレンガ造りになった。かつてはイギリス東インド会社の兵舎や弾薬庫があった】。訪問時は修復中で敷地の半分しか見学できなかったが、雰囲気だけでも伝えたい。
非常にさりげない壁。
顏出しパネルがお出迎え。
大砲のスリ・ランバイ【1603年、オランダで製造。ポルトガル人やジャワ人など様々な人々の手に渡った後、最終的にここに落ち着いた】。
砲身にVOC(オランダ東インド会社)のマークが刻まれている。
ここにも大砲たち。
涼みがてら要塞敷地内の土産物屋を冷やかした後、海沿いの道を西へ進むと公園の一角には戦死者慰霊碑。第一次世界大戦(1914年)以降、20世紀末に至るまでの死者を弔っている。
コタ・バル同様、日本軍が遂行した泰緬鉄道(死の鉄道)の建設にかり出されて命を落とした人々がここにもおられる。
マスジッド・カピタン・クリン通りで見かけたトライショー(人力車)。派手に装飾していたマラッカのと違って素朴。
公園から600m南西のスリ・マリアマン寺院【1833年築、ペナン島最古のヒンドゥー寺院】。前日は入れなかったが、今度は入ることができた(撮影は前日)。
信者たちが熱心に寄付をするのだろう。実にきらびやか。
ナンディー像【ヒンドゥー教のシヴァ神の乗り物とされる聖牛】。ちょっぴり逆光気味
通りをはさんで200m、これまた前日に振られたカピタン・クリン・モスクへ【1801年、インド系のイスラム教徒が建立。何度か増改築して今日に至り、インド式のドーム屋根を持つ。1916年には宗教学校を併設】。ここも入れたが、アバヤを着ろと差し出された。髪を結んで帽子をかぶり、半袖に長いスカートでダメか・・・宗教施設ではその宗旨に沿わねばならぬことは理解しつつも、暑い中歩いてきて汗だくのタイミングゆえ 若干ゲンナリ
白が印象的な内部。
祈りを捧げる人々。
ミナレット(上部が切れていて、ごめんなさい)
おもむろにモスクの隣の食堂へ入る(下の画像、黄色い看板のお店)。
【この辺りはリトル・インディア(インド人街)と呼ばれる。この島に暮らすインド系の人々は南インド出身者が多く、ヒンドゥー教徒だけでなくイスラム教徒も多いのが特徴という】
よって、2つの宗教施設の近くにガイドブックでイチオシのナシ・カンダール【何種類かの肉・魚・総菜やカリーソースをライスの上に乗せたもの。その昔、インド系イスラム教徒が天秤棒をかついで売り歩いた】を売りにするお店があるというわけ
ビリヤーニに魚(画像右)・チキン(画像中央奥)とカリーソースが2種乗っかって、12.8RM(≒376円)。えっ、おかずの種類が少ないって 店頭で注文する方式なのだが、ヒンドゥー語もマレー語も分からないもので・・・not spicyなソースと主張するのが関の山、野菜や卵をリクエストする余力はなかった カタコトの英語が通じてソースは大丈夫だったが、ビリヤーニ【スパイスと肉・魚・卵・野菜などからつくる米料理】が想像以上に辛めだった。白飯が正解だったと気づけど、時既に遅し。
スプーン&フォークを渡されて食しつつ周囲を見まわすと、素手で混ぜながら口に運んでいる人が複数。あぁ、スリランカでもそうだった、懐かしいなぁ
次は、前日にたどり着けなかったストリートアートを探そうと思いたつ。
見つけたはいいけど・・・前日歩いた場所のわりと目と鼻の先だった、やれやれ
こちらを見通すような少年の表情が目に焼き付いた。個人的に最も鮮烈なインパクトを受けた壁画。
前日も立ち寄ったスーパーで買い物した後 ペナン通りを進み、ホテルまでの1.2㎞ほどを結果的に歩き通した。トライショーが通ったら乗りたいと思っていたけど、どうやら定番の観光地が主戦場のようで コムタ付近にはたむろしていなかった
さすがに疲れを隠しきれないまま、ヘリテージウイングのフロントへ行く。ベルボーイ(制服は短パンのサファリ)とフロント嬢に付き添われて部屋まで歩きながら、(たいていはタクシーで優雅に移動だろうから)ここに泊まる客はこんなに汗臭くないよね・ごめんなさい、と心の中で恐縮した。
なお、ベルボーイはポカラ(カトマンズの西200㎞に位置する都市)出身のネパール人だという。思わずテンションが上がり、ポカラからアンナプルナ連峰(7,000~8,000m級)を眺めつつ数日間ハイキングしたよ、と伝えずにはいられなかった。そしてその夜、共にネパールを旅したαちゃんにハガキを書いた。
客室は独立したリビング付きの仕様になっている。
反対側からパシャリ 敷かれているのはペルシャ絨毯らしい。椰子柄の肘掛け椅子がステキ てか、胡蝶蘭が活けられた客室に泊まるの初めてかも。
こちらはバスルームの扉。
左がバスタブ、右はシャワーブース(鏡に映る自分にモザイクをかけた)。
トイレの扉は独特。そして1枚上の画像のとあわせて、洗面台は2つ
お部屋の窓からは、きっちり整備された遊歩道を見下ろすことができる。
西を望む。画像中央奥のビル群はガーニーの町(ジョージタウンから車で10分程度の高級住宅街)。比較のため、ここからは暮れゆく同じ方角の夜景を連投する。
東を望む。画像右奥は対岸のマレー半島。こちらも同方向・異なる時間帯の夜景を連投。
旅はあと2日半。とっくに終盤なのだが、なお洗濯せねば帰国までに着替えが足りない。5つ星ホテルのお洒落なランプの柄にハンガーを掛けながら、鼻で嗤ってしまう。贅沢してみようと背伸びしたものの、貧乏くさくてこの部屋に似つかわしくないなぁ、自分
部屋に置かれた招待状で存在を知ったカウントダウン・パーティーは、別館(ヴィクトリーアネックス)にて22時半~翌1時まで。
こんな素敵なホテルでのカウントダウンなんて最初で最後かも・行ってみたいと好奇心に駆られつつ、部屋で一旦くつろいでしまったら ある種「七人の敵」に向かって「武装」するのが億劫で・・・かなりの葛藤のすえ、パスすることにした。
complimentaryのラインナップ、水はもちろんのことウィスキー、ウォッカ、ジンも無料(念のため、下の画像で空き瓶のように見えるのは撮影角度の問題。いずれも高濃度のアルコールゆえ、そもそも入っていた液体は底から数㎝のみ)。高級ホテルに舌を巻きつつチビチビ舐めながら、漏れ聞こえてくるパーティーの生ライブ演奏をBGMに まったり年が暮れていくのだった
★ 中締め ★
8月に旅に出たこともあり、月をまたいでのアップとなりました。遅くなってごめんなさい
次回はペナン島を発ち、再びクアラルンプールの模様をお届けします。
マレーシア篇のラストをお楽しみに
また、後の下線部の数字にも対応しています。
4 ジョージタウン (2019年12月30日)
7時過ぎに起床、身支度を整えて外出。この宿は朝食がついていないのだ。
朝のムントゥリ通り。
ジョージタウンはストリートアートの街、そこかしこに描かれている。
アーチの上に、バランスをとるバレリーナ。右下は画風が一変して、ガスマスクを着けた人
マレーシアの国花、ハイビスカスが植えられている。
あてもなく通り沿いに東へ進み、マスジッド・カピタン・クリン通りにぶつかってやや南下。カフェの看板を見て入店。
洋風の外観なのに、中華料理屋なのである。オーダーしたのは福建麵【ホッケンミーともいう。中国福建省から移住した人がつくり始めたといわれ、マレーシアではペナン式とクアラルンプール式があり、またシンガポールにも同名の料理がある。ペナン式は蝦麺とも呼ばれ、海老の殻や味噌からとった出汁に唐辛子を加えた赤いスープに、ビーフンと黄色い卵麺をミックスするのが特徴。クアラルンプール式はうどんに似た太麺と具材をラードと中国醤油で炒め、醤油由来の真っ黒な色味が特徴の汁なし麺】。自分が食べたのはペナン式とクアラルンプール式の折衷のようだった。これと温かい中国茶(Cちゃんとシェア)で5.7RM(≒168円)。
一旦ホテルに戻り、9時半過ぎに観光へ出かける。まずはセント・ジョージ教会へ【1818年築、東南アジア最古のイギリス国教会の教会。アジア・太平洋戦争中の日本軍による空襲でほとんどが焼失、司教座と洗礼盤だけ残ったという】。こういうのを “白亜” って表現するんだろうな~
外観に負けず劣らず、内装も白を意識した空間になっている。
生き延びた洗礼盤はモニュメントと化している。
マスジッド・カピタン・クリン通りに沿って南南西へ。が、スリ・マリアマン寺院には入れず、午後オープンのカピタン・クリン・モスクは閉まっていた。
あきらめて、アルメニアン通りへ。このあたりが中心エリアらしく、観光客向けのお店が建ち並び、人出もたくさん。
実物と組み合わせたストリートアートが目白押し。
写っているのは通りすがりの旅人。このアートと撮影したい人がわんさかいて、誰もいない画像を撮るのは至難の業だった
これも大人気で、人が入らないようにギリギリの角度で撮った結果、椅子が見切れている・・・もう少し左後方からがベストなはず。
付近のクー・コンシー【福建系華人の邸(クー)氏による。コンシーとは同姓の協会で、就職のあっせんや争い事の調停等でメンバーを扶助し、また祖先を祀る廟を併設した。福建省から職人を招いて豪華につくったという19世紀後半の建物は焼失し、現存するのは20世紀初頭の再建】。
色彩をおさえているが、実に精緻な装飾。自分好みど真ん中だわ
内部はさすがに金ピカ。
裏手には台所もあった。画像左奥は蝋人形による再現。
鯉も飼われていた。
コンシーを出てフラフラしていると、傘が浮かぶ通りに行きあたった。
異国情緒に酔いしれさせる街並み。
ここからまた、ストリートアートを求めて歩きまわる。
猫が可愛い
今にも飛び出してきそうな姉弟
ポップな眼鏡をかけているのは、もちろん見ず知らずの少年。
遊ぶこどもシリーズ。
気づくと正午を過ぎていて、お腹がすいてきた。海沿いのウェルド・キー(通り)を越えて、クラン・ジェッティーへ【船が発着する埠頭の脇に7つの桟橋があり、一族(クラン)別に水上家屋群が形成されている。かつては治安が悪いエリアで取り壊しの計画もあったが、2008年に世界遺産に指定されたことで保存が進み、今や観光名所となった】。
屋台が集合するジェッティー・フードセンターにて昼食。自分がチョイスしたのはアッサム・ラクサ【ペナン・ラクサともいい、この地を代表する麺料理。サバやアジなどの青魚の出汁にスパイスとタマリンド(アフリカ原産のマメ科の果物)の酸味をきかせたスープ、うどんのような太い麺が特徴。オタ・ウダン(蝦醤=へーコー)というエビを発酵させた甘いタレ(=下の画像のレンゲに入っている黒っぽいペースト)を添えるのが一般的】。朝から二食続けて麺・・・お米好きだけど、同じくらい麺も好きなんだもん
Cちゃんは海南チキンライス【鶏肉のゆで汁で炊いた米に、生姜やニンニク入りのタレをかけた鶏肉を添える。鶏肉はスチームとローストの2通りの処理法がある。マレーシア以外の東南アジアでもポピュラーな料理】。
北の隣国タイにもカオ・マン・ガイという同種の料理があるのだが、米の上に鶏肉が乗っかっているし、こんなにタレだくではない。面白い違いだなぁ
2人でシェアしたポピア【薄餅ともいう、ニョニャ風の春巻き。福建省が起源とされる。クレープ状の小麦粉の薄皮で具を包み、チリソースをつけて食す。具はきゅうり・もやし・甘辛く煮たヒカマ(葛芋ともいうメキシコ原産の野菜。切り干し大根に似ている)など】。
大瓶のビールもシェアして、1人あたり15.95RM(≒469円)。
食後 海沿いをそぞろ歩き、居並ぶ桟橋の中からなんとなく李氏のを見学。ゲートをくぐって進む。
画像左奥は対岸のバタワース。
船も行き交う。
西には他の氏族の桟橋。水上家屋の感じが伝わると嬉しい。
コムタへ向かう途中、なおもストリートアートを探す。東南アジア版ヒナノではないか【ヒナノ; タヒチのブランド、現地語で「かわいい女の子」を意味する。パレオをまとう女性をロゴマークに地ビール会社として創業、こんにちアパレルや雑貨も展開する】
Cちゃんは翌日発つため、コムタに隣接するバスターミナルを下見。
炎天下をゆうに1.2㎞以上歩いて到達したコムタ【ジョージタウンのランドマーク的な高層ビル。1985年築、65階建て・高さ232m】。1階に踏み入ると火照った身体にクーラーが心地よく、生き返る感じ セブ島でも思ったが、ずっと居たら寒いほどにクーラーでキンキンに冷やしているのは暑い中を歩いてくる人に報いるためだろう。
下層はデパートのようなフロアになっているのだが、お洒落すぎて買うものはない(求めているのはガチなお土産)
通りをはさんで向かい側のスーパーマーケットへ向かう。一帯は新しめのショップと、昔ながらの小売店が混在している。店先でパシャリ
青果店と思ったが、よく見るとウエストポーチやベルトが吊り下げられているし、奥にはナマモノ以外のものも置かれている模様。個人的には枝ごとぶら下がっているバナナ(画像中央)が気に入った
スーパーを出てペナン通りを北上。近代的なビルと古風な建物が並立している。
途中で左折してマレーシア全土のお土産を扱うショップに寄り、お買い物 ここはバラマキ用の安価なものからお高めの商品まで、ピンキリな品揃え。
牡丹と鳳凰の陶器が美しくて眺めていたら、お店の方曰くアンティークで、もう数少ないから売り切れたら再入荷はない、と。マラッカのババ・ニョニャ・ヘリテージで見かけた時から気にはなっていたけど、高価なものを大事にできそうもないので 後ろ髪引かれつつあきらめた。参考までに、マラッカで撮った同種の器の画像を載せておく。
マレーシアといえば錫、多少払ってもゲットしようと考えていた。高額帯だからかお店の方の説明にも熱が入り、冷えた飲み物を冷たいまま飲めるよとデモンストレーション用の器に水を注いで飲ませてくれる。結局、自分用のミニタンブラー(2つ)と、叔母に茶筒(華人っぽい装飾入り)を購入。下部に国花のハイビスカスをあしらったタンブラーはビールを飲む際に愛用している。高さ8.8㎝、2つで約6,820円(この記事を書くにあたり撮影)。ちなみに、店内では別々に行動していたCちゃんも同じのを買っていた。お互い呑み助だからなぁ
ホテルに戻ったのは16時半頃。洗濯したりして、部屋でくつろぐ。
20時、夕食のために外出。ムントゥリ通り沿いのストリートアート。実は前日明るい時刻に見かけて撮影したのだが、ライトアップされた方が何倍も素敵なのだった。
Cちゃんとの最後の晩餐は、ニョニャfusion料理【中国から移住した男性と現地マレー系女性の子孫女子(ニョニャ)に受け継がれた料理と、タイやベトナムなど他のアジア料理を融合】。全6品のコース料理(128RM≒3,763円)を食した。まずはパイティー【カップ状に揚げた器に野菜や海老を詰めた前菜。典型的なニョニャ料理】。
インゲンとヤングコーンの炒め物。
青菜の炒め物。
鶏肉料理。
カレーソースの一皿は、スパイス(レモングラス、コブミカンなど)とココナッツミルクで鶏肉を煮込むカリー・カピタンというニョニャ料理をアレンジしたと思われる。
デザート。
レストランから宿までは400mほど。照らし出されて雰囲気ある街並みを行く。
22時過ぎにホテル到着。一人旅では決して出歩けない時間帯、Cちゃんに感謝
4 ジョージタウン (2019年12月31日)
この日も7時過ぎに起き、朝食のために外出。宿から200mほど東のお店に入った。
店頭の自転車からして計算されているのか?? 映画のワンシーンに出てきそうな店構え。
店内には先客がいて、後にも続いた。それなりに繁盛している。
趣向を変えて洋食。30RM(≒882円)は前日の朝食の5倍・・・全体的に小綺麗に整えている分、ツーリスト向けの値段設定なのだろう。
一旦ホテルへ戻り、13時45分離陸の飛行機に乗るCちゃんに合わせて10時過ぎに宿をチェックアウト。空港へ向かう彼女とバス停で別れた。
一瞬しんみりしてしまったが、気を取り直してこの日の宿へ歩いて行く。自分の旅史上 最高の格式を持つホテル、Eastern & Oriental Hotel【1885年、アルメニア人の富豪サーキーズ兄弟(シンガポールのラッフルズ・ホテルも建てたことで知られる)により創立。かつて「スエズ運河以東で最上のホテル」と称され、サマセット・モームやヘルマン・ヘッセなど数多くの著名人が宿泊したという。大規模な改装を経て、今なお5つ星ホテルとして輝きを放つ。2013年にオープンした別館(ヴィクトリーアネックス)に対し、本館はヘリテージウイングと呼ばれる】。
ガイドブックでチラ見して気になり、ネットで検索したところ運よく値下げセールに遭遇。マレーシアの物価に合わせてそもそもの値段設定がリーズナブルなことも背中を押し、年越しだからと思い切ってポチッたのだった
値段的に別館だろうと思ってそちらの受付に足を運んだら、本館に予約が入っていたようで 長~い通路を歩いて通された。ときに11時前。
荷物だけ預けてすぐに飛び出す。翌日はクアラルンプールへ移動するため、この島でのタイムアップが刻一刻と迫っていた。
まず対岸のバタワースへ渡ることにして、タクシーでフェリーターミナルへ。ホテルからは2㎞もなく、いつもの自分なら苦もなく徒歩圏なのだが、なにせ暑いので横着してしまった 10.4RM(≒306円)也、この国の物価からしたら贅沢な使い方なのだろう。
【バタワースまでは2㎞強、フェリーは20分間隔で出航、所要20分。ペナン→バタワースは無料とのガイドブック情報は半信半疑だったが、本当に支払わずに乗船できた。ちなみに、バタワース→ペナンは1.2RM(≒35円)かかる。飛行機が飛んでおらず 橋でマレー半島とつながっていない時代にはフェリーでバタワースへ渡るのが唯一の手段で、バタワース駅から国鉄(KTM)で先へ進むため国鉄の料金にペナンからのフェリー代が含まれていたという。今や渡った後にバスに乗ったり車に乗ったり必ずしも国鉄に乗るわけではないが、かつての慣習が残っているらしい。この記事を書くにあたり調べて知った】
フェリーの中。
フェリーの上からバタワースを遠望する。
ペナン島を振り返る。画像右、ひときわ高いのがコムタ。
南を向くと、視界にはペナン第二大橋【全長24㎞、東南アジア最長。2014年に完成】。
遠くなりゆくペナン島。
ガイドブックにバタワースのページがなく、フェリーターミナル・バスターミナル・国鉄(KTM)駅がつながっている、というわずかな情報だけが頼みの綱だった。
実際のところ、正しくてホッ 下の画像左がバスターミナル、中央がフェリーターミナル(帰路に撮影)。
バスターミナルから国鉄駅へ向かう通路にて。港の向こうはペナン島、わずかに橋も見晴らすことができる。
人けの少ない細い通路の先にエレベーターがあって、地上へ降りるべく乗る。すると、居合わせたインド系の中年男性が "列車に乗りたいんだけどお金がなくて・・・恵んでほしい” と言ってきた。うげ~っ この国で初めて物乞いされたよ・・・
“いやいや、無理ですって” みたいな反応をしてみせたところ、わりとあっさりあきらめてくれたのは不幸中の幸い。今思えば、二人きりでエレベーターに乗ったのは不用心だったよね。彼が後から乗り込んできて扉が閉まり、あっという間の出来事だったんだけど、一歩間違えば追い剥ぎに遭ったかも・・・気をつけねば
【バスターミナルは新しく綺麗でショップが並び 人も多くてにぎわっているが、国鉄駅へ向かう通路付近が一転してさびれている。たった数歩で環境が激変、海外あるある 明るい日中でさえこんな状況だったので、薄暗くなったら一層治安がよくないと思われる。これからKTMのバタワース駅を利用される方は、どうかお気をつけくださいね】
こちらが駅の正面入り口。
駅構内から線路を見下ろす。画像右奥がバスターミナル、その奥にペナン島。
反対側はこんな感じ。橋のほか、左手にはモスクと思われるドームがのぞいている。
国鉄の窓口で翌日のクアラルンプール行きのチケットについて尋ねると、朝6時台しか空きがないとの回答。だよね~
実は、前日にクラン・ジェッティーへ向かう前に埠頭の一角にあるKTMのオフィスで確認済みで、1日経過したところで状況に変化はなかった・・・年末年始のマレーシア人帰省による混雑を全く考慮していなかったのが大失敗 かくして、国鉄でクアラルンプールへ戻るプランは夢と散った
国鉄駅を後にして、バスターミナルへ向かう。時刻表を見ると、クアラルンプール行きは1時間に1本くらいありそう。一方、ジョージタウンの街中にあるコムタ隣のバスターミナルから乗れば、ペナン大橋を渡ることができる。どっちから乗るか・・・迷ったが、古式ゆかしいバタワース経由に決めた。
13時前、バタワースを発つ。帰りの船内は往きよりも混んでいた。車と一緒に海上を運ばれていく。
午後の行き先について、まずはペナン・ヒルが思い浮かんだ【ジョージタウンの西5㎞にある標高823mの丘。晴れていればジョージタウンだけでなく、海をはさんでマレー半島まで一望できるという。平地より気温が低いことから、マラリアから逃れることができる避暑地としてイギリス統治時代に繁栄】。
しかし、前日に見逃した箇所を切り捨てることができずヒルは断念、暑いのを承知で歩いてまわることにした。
まずフェリーターミナルから北へ数百m進む。ロータリーにそびえるは時計塔【1897年、ヴィクトリア女王の治世60周年を記念して60フィートの高さで建立】。
その先にコーンウォリス要塞が鎮座【1786年、クダ(マレーシア最北西部。島の対岸)のスルタンからペナン島を獲得したイギリス人フランシス・ライトが上陸した地に築かれた(なお、ペナン島はイギリスが領有した東南アジア最初の地)。当初は木造だったが、1810年に現在のようなレンガ造りになった。かつてはイギリス東インド会社の兵舎や弾薬庫があった】。訪問時は修復中で敷地の半分しか見学できなかったが、雰囲気だけでも伝えたい。
非常にさりげない壁。
顏出しパネルがお出迎え。
大砲のスリ・ランバイ【1603年、オランダで製造。ポルトガル人やジャワ人など様々な人々の手に渡った後、最終的にここに落ち着いた】。
砲身にVOC(オランダ東インド会社)のマークが刻まれている。
ここにも大砲たち。
涼みがてら要塞敷地内の土産物屋を冷やかした後、海沿いの道を西へ進むと公園の一角には戦死者慰霊碑。第一次世界大戦(1914年)以降、20世紀末に至るまでの死者を弔っている。
コタ・バル同様、日本軍が遂行した泰緬鉄道(死の鉄道)の建設にかり出されて命を落とした人々がここにもおられる。
マスジッド・カピタン・クリン通りで見かけたトライショー(人力車)。派手に装飾していたマラッカのと違って素朴。
公園から600m南西のスリ・マリアマン寺院【1833年築、ペナン島最古のヒンドゥー寺院】。前日は入れなかったが、今度は入ることができた(撮影は前日)。
信者たちが熱心に寄付をするのだろう。実にきらびやか。
ナンディー像【ヒンドゥー教のシヴァ神の乗り物とされる聖牛】。ちょっぴり逆光気味
通りをはさんで200m、これまた前日に振られたカピタン・クリン・モスクへ【1801年、インド系のイスラム教徒が建立。何度か増改築して今日に至り、インド式のドーム屋根を持つ。1916年には宗教学校を併設】。ここも入れたが、アバヤを着ろと差し出された。髪を結んで帽子をかぶり、半袖に長いスカートでダメか・・・宗教施設ではその宗旨に沿わねばならぬことは理解しつつも、暑い中歩いてきて汗だくのタイミングゆえ 若干ゲンナリ
白が印象的な内部。
祈りを捧げる人々。
ミナレット(上部が切れていて、ごめんなさい)
おもむろにモスクの隣の食堂へ入る(下の画像、黄色い看板のお店)。
【この辺りはリトル・インディア(インド人街)と呼ばれる。この島に暮らすインド系の人々は南インド出身者が多く、ヒンドゥー教徒だけでなくイスラム教徒も多いのが特徴という】
よって、2つの宗教施設の近くにガイドブックでイチオシのナシ・カンダール【何種類かの肉・魚・総菜やカリーソースをライスの上に乗せたもの。その昔、インド系イスラム教徒が天秤棒をかついで売り歩いた】を売りにするお店があるというわけ
ビリヤーニに魚(画像右)・チキン(画像中央奥)とカリーソースが2種乗っかって、12.8RM(≒376円)。えっ、おかずの種類が少ないって 店頭で注文する方式なのだが、ヒンドゥー語もマレー語も分からないもので・・・not spicyなソースと主張するのが関の山、野菜や卵をリクエストする余力はなかった カタコトの英語が通じてソースは大丈夫だったが、ビリヤーニ【スパイスと肉・魚・卵・野菜などからつくる米料理】が想像以上に辛めだった。白飯が正解だったと気づけど、時既に遅し。
スプーン&フォークを渡されて食しつつ周囲を見まわすと、素手で混ぜながら口に運んでいる人が複数。あぁ、スリランカでもそうだった、懐かしいなぁ
次は、前日にたどり着けなかったストリートアートを探そうと思いたつ。
見つけたはいいけど・・・前日歩いた場所のわりと目と鼻の先だった、やれやれ
こちらを見通すような少年の表情が目に焼き付いた。個人的に最も鮮烈なインパクトを受けた壁画。
前日も立ち寄ったスーパーで買い物した後 ペナン通りを進み、ホテルまでの1.2㎞ほどを結果的に歩き通した。トライショーが通ったら乗りたいと思っていたけど、どうやら定番の観光地が主戦場のようで コムタ付近にはたむろしていなかった
さすがに疲れを隠しきれないまま、ヘリテージウイングのフロントへ行く。ベルボーイ(制服は短パンのサファリ)とフロント嬢に付き添われて部屋まで歩きながら、(たいていはタクシーで優雅に移動だろうから)ここに泊まる客はこんなに汗臭くないよね・ごめんなさい、と心の中で恐縮した。
なお、ベルボーイはポカラ(カトマンズの西200㎞に位置する都市)出身のネパール人だという。思わずテンションが上がり、ポカラからアンナプルナ連峰(7,000~8,000m級)を眺めつつ数日間ハイキングしたよ、と伝えずにはいられなかった。そしてその夜、共にネパールを旅したαちゃんにハガキを書いた。
客室は独立したリビング付きの仕様になっている。
反対側からパシャリ 敷かれているのはペルシャ絨毯らしい。椰子柄の肘掛け椅子がステキ てか、胡蝶蘭が活けられた客室に泊まるの初めてかも。
こちらはバスルームの扉。
左がバスタブ、右はシャワーブース(鏡に映る自分にモザイクをかけた)。
トイレの扉は独特。そして1枚上の画像のとあわせて、洗面台は2つ
お部屋の窓からは、きっちり整備された遊歩道を見下ろすことができる。
西を望む。画像中央奥のビル群はガーニーの町(ジョージタウンから車で10分程度の高級住宅街)。比較のため、ここからは暮れゆく同じ方角の夜景を連投する。
東を望む。画像右奥は対岸のマレー半島。こちらも同方向・異なる時間帯の夜景を連投。
旅はあと2日半。とっくに終盤なのだが、なお洗濯せねば帰国までに着替えが足りない。5つ星ホテルのお洒落なランプの柄にハンガーを掛けながら、鼻で嗤ってしまう。贅沢してみようと背伸びしたものの、貧乏くさくてこの部屋に似つかわしくないなぁ、自分
部屋に置かれた招待状で存在を知ったカウントダウン・パーティーは、別館(ヴィクトリーアネックス)にて22時半~翌1時まで。
こんな素敵なホテルでのカウントダウンなんて最初で最後かも・行ってみたいと好奇心に駆られつつ、部屋で一旦くつろいでしまったら ある種「七人の敵」に向かって「武装」するのが億劫で・・・かなりの葛藤のすえ、パスすることにした。
complimentaryのラインナップ、水はもちろんのことウィスキー、ウォッカ、ジンも無料(念のため、下の画像で空き瓶のように見えるのは撮影角度の問題。いずれも高濃度のアルコールゆえ、そもそも入っていた液体は底から数㎝のみ)。高級ホテルに舌を巻きつつチビチビ舐めながら、漏れ聞こえてくるパーティーの生ライブ演奏をBGMに まったり年が暮れていくのだった
★ 中締め ★
8月に旅に出たこともあり、月をまたいでのアップとなりました。遅くなってごめんなさい
次回はペナン島を発ち、再びクアラルンプールの模様をお届けします。
マレーシア篇のラストをお楽しみに