百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

ひと息いれる稿(24)【サマータイム(2)】

2010-06-19 10:57:08 | 日記


 上の写真は H18.3.30付け 産経新聞の切り抜きでありますが、
この記事を読むまでは、恥ずかしながら、【サマータイム】は、
サム・テーラーのテナーサックスが、キューンキューンと、あまりに
魂を揺さぶる官能的なものでありますので、きっとこれは、黒人の
貧しい娼婦を主人公に据えた 哀しい切ない物語ではなかろうか、
という認識であったのであります。



ところが、この もず唱平さんの訳詩にありますような子守唄であったのです。
で、歌唱つきのサマータイムも聞きたいと思うようになった次第でありまして、
それが やっと今回 実現したということでございます。

このCDは、14組の歴史的な飛びっきりのアーティストによりますところの
サマータイムのオンパレード でありまして、通常でありますと、
連続して 14曲も同じ曲がかかりますと、必ず飽きてくるのでありますが、
そこは名曲たる所以でありましょうか、全く違っておりまして、

ちっとも飽きないのであります。この点、絵も同じようであります。
毎日毎日眺めても飽きない絵こそ、名画であると言えます。
自分の絵も 毎日眺めても飽きないのでありますが、自画自賛という熟語すら
固定化してしまっている現状からして、これはちょっと違うのでありましょうが…

話題は逸れてしまいましたが、でも、でも・・・であります。
歌詞はこうなんだよ と思っていましても、
英語を からっきし理解しようと思わない愚生でもあるからでしょうか、
やはり 当初抱いたイメージから、どうしても脱し切らないのであります。

ですから、これは子守唄ではないのではないか と、今は 思っています。
子供に言っている振りして、実は自分自身に言っているのではないかと。

ところで子守唄とは、子守りする人その者自身を慰める唱(うた)と考える
ほうが、妥当かも知れません。だって、子守りされるような小さな子には、
意味なんか到底 分かろうはずがないのでありますし、歌によるところの 
感傷に耽ることができるのは、唄う人 その人でありましょうから。
コメント
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