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星田オステオパシー

人間は魂の徳で立つ を読んだ

例の宗教関係者さんにお借りした3冊の一冊。

なるほどこれは良いことが書かれている!まったくもってその通りと思うところが多いのだけど、やっぱりそこは宗教の本、救われるためにはこの宗教に入って励むしかない・・と言う方向に行っちゃうんですよねぇ、当たり前と言えば当たり前だけど。

ところが僕ってば、物事を心底信じると言うことが出来ないタチなんだな、コレが。

たとえば、この教えの中のメインは神様は人間が楽しく過ごして生きることを求めておられる・・・と説くわけですが・・

ならばなぜ、神様はそもそも人間に、そういう過剰な欲望やらねたみ、不満、不安・・などなどを持たせてしまったのか?

神様の万能を信じるならば、それは、そういうネガティブな感情を体験する必要があるからだ、魂を練るために・・・などと宗教関係者とか精神世界系の人は言うだろうな。

と言うことは、宗教に頼ってそのネガティブな体験から救われようとする事こそ、神様のシナリオからの逸脱を狙う恐れ多い行為と言えないだろうか?

などと、そういうこと考えちゃうんですねコレが。こういう考えをさせないようにするためか、考えすぎる人は救われない・・・アホになれ!ということが多くの宗教ではもとめられるわけですが、ほんじゃあそもそも、そういう思考をする脳味噌を人間に与えた神様の設計ミスってことか?

とかそういう事考えちゃうんだコレが。

ただ、僕としては宇宙の大いなる意志みたいなのはあると思うし、色んな感情やらを体験して魂が磨かれるってのも大いにあり得る話だと思う。

僕の結論としては、結局、それぞれの運命を味わい尽くすしか無いんやん?と言うことになるので何をしようがどうなろうが、明るくネタに出来るように覚悟して生きるしかねーなー・・・と言うのが僕の信仰かな。ま、こんな考え方は宗教にはならないですね、何もいらないわけですから。

ちなみに、本の中には高慢やらを抑えるよい文章が多かったので自分で読み上げたのを録音してたびたび聞くようにしようと思います。
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