癒しなる私のブログ~そして、ここから~

英語習得目指して、これまで歩んできたけれども、新しいことに挑戦したいと思う、ほんのりなひとときです。

小高赤坂病院の思い出

2012-01-13 22:38:53 | 思い出
本当に懐かしい入院、通院、デイケアでの
南相馬市の小高赤坂病院・・・
入院患者はみな懐かしいです。
院長先生、看護師さんたち・・・

今日、元担当看護師さんと院長先生と電話で話しました。
今の症状、飲んでいる薬、生活等話せてよかったです。
警戒区域・・・いずれは20mシーベルトで
病院自体戻れる可能性は・・・難しい状況だと聞きました。

警戒区域で分断された浜通り地方は、
いわきから相馬へはものすごく遠くになりました。

私が最後に退院したのは、平成20年10月の終わり頃です。
それから入院しない歴、3年3か月です。
私の場合、毎年、2月3月は調子崩すと確認しました。
昔のお薬手帳があり、空白期間は入院していたのです。
確かに昨年の2月頃は調子崩して入院したくていました。
東日本大震災で事態は大きく変わってしまい、
入院が吹っ飛びましたが・・・

当時入院患者らとは、知り合いでしたから懐かしいし、
通院していた患者さんとも話をする思い出がありました。
看護師さんらも今は、どこにいるのかわかりません。

小高赤坂病院での運動会、盆踊り、ソフトボール大会、お花見などなど
いろんなレクリエーションがあり、楽しかったですね。

入院していた時は、随分落ち込みやイライラや過呼吸、罵声などと
問題児の一人でした。
今はそのような症状はなくなりましたが、
最近は、テンションあがりすぎで、そう状態みたいです。

ナイト薬を先ほど飲みました。
飲んだらすぐ寝ないといけないのですが、
赤坂病院のこと書いておきたくて起きています。
記憶がなくなるほどに睡眠薬はよき効きます。

今残しておきたいためにもブログを書いています。
赤坂で知り合った友達との交流は電話、メールでやりとりしているので
お互いに励ましあいがあり、癒しにもなるし元気になりますね。

薬も昔に比べたら減りましたが、
2月3月は本当に注意したいですね。

小高赤坂病院の建物は地震でどうなってしまったのかしりません。
開放病棟は本当に自由で落ち着ける病院でした。

昨年は30周年記念行事が予定されていたのですが、パーでした。
看護学生も入る状況でしたのに
病院関係者は本当に悔やまれてしかたないでしょう。
本当に残念です。

原発事故さえなければ、私たちの生活もあんていしていたはずです。
東電厳罰事故は、皆の人生をくるわせました。

こんな状況でも、看護師さんや院長先生は親切に来てくれて
よいアドバイスをくれます。
感謝しています

無くなった病院ですが、とても愛着があります。

4,5年後に再開できれば最高です。
夢みたいな話化もしれませんが、
詩っている患者仲間とは密に連絡とっています。

笑いがある、くよくよしていても仕方ないです。
避難生活で楽しいことに進んでやれることに取り組み夢中になれる時が幸せかもしれませんね。



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