癒しなる私のブログ~そして、ここから~

英語習得目指して、これまで歩んできたけれども、新しいことに挑戦したいと思う、ほんのりなひとときです。

震災後1000日その2

2013-12-07 22:42:18 | 故郷おおくま
12日の翌朝は地区の集会所に集まっていました。
どうらや、大型バスで避難することを知り、歩いて役場まで行き、
体育館で乗るバスを待っていました。
13時過ぎにバスに名乗り、田村市へ避難行きとなり、渋滞でしかも受け入れ先が
混んでいて、夕方遅くに田村高校の体育館に避難しました。
寒さが厳しく、大型のストーブで暖まり、毛布一枚の支給で、
丁度寝袋を思っていたのでそれを敷いて毛布一枚で寝る夜でした。
余震は頻繁にあって怖かったです。
避難所で夜一つの塩味のおにぎりをいただき、それがとても美味しかった記憶があります。
避難所では入ってくる物資等の当番を決めたり、自分らでできることは役割分担を決めて過ごしていました。
田村高校は25日までで、同じ三春町の桜中学校の体育館に移りました。
そこでも物資、調理、片付け等の当番を決めて皆地から合わせて生活していました。
夫は3月21日に第二原発の仕事に呼び出され、離れて住むようになりました。
4月2日に東山温泉や熱塩温泉に3次避難しました。
私らは熱塩温泉の叶屋旅館にお世話になりました。
初めて暖かい布団に寝たときはうれしかったです。
旅館の配慮で食事は沢山でて、とてもおいしかったです。
しかも温泉付き、子宝の湯で有名な旅館です。
旅館で2か月過ごし、夫の仕事にいわきの民宿にいたのですが、
4月の地震で民宿は住めない状態になり、急いでいわき市内のアパートをみつけたというので、
5月に契約・・・私たち家族は、鹿島町にあるアパートに住むようになりました。
アパート生活するよりは、いわきに土地見つけて、新築へと始まって
今年思い切って物件をみつけて確保でき、運よく新しい家を新築しました。
8月末から9月にかけて引越ししました。
引越し後は体調壊してしまい大変でした。
今はようやく落ち着いてきました。
でも、大熊町には戻れない住めない地域だと猶更気づきます。
東電第一から4.6kmしか離れているので、
今後何か事故があったら怖いですね。



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