明治時代の末期に、明治天皇、皇后に女官として仕えた方の手記。
結構、衝撃的な内容。これが、私が生まれた1960年に出版されてたとは・・・
冒頭の「私の生いたち」で、のっけから「何につけても子女の自由はあまりにも無視されて」いたと書き、「本当の女はつまらないものだとつくづく考えていました」
華族の親戚になるのが一種の流行のようでさえあり、そんな中で飾り物のようなお嫁さんになって我慢するくらいなら一人で生きて行きたいと夢見ていた、と。
その最初の2ページで早くも「ひぇ~~」となりましたが、驚くのはまだ全然早かった。
この方は、宮中に勤めていたのは5年ぐらいのようでしたが、その間に明治天皇の崩御があり皇后陛下の崩御があり、一般世間だけでなく宮中でも変化の大きな時期にお勤めされています。
天皇さんや皇后さんとの会話なんかもリアルに書かれているし、お二方の晩年から亡くなるまでのご様子も「いいの?」と思うくらいに生々しく書かれてるし、大正天皇のありのままのご様子(庶民にも伝わっている❝お人柄❞があるけど、それを裏付けるような)とか、「目をつけられて」(というのは私なりの表現です、念のため)「迷惑に思った」ことなどなど・・・・・
令和の今でさえ、「こんなの読んでしまっていいのかしら・・・」と思わないでもないような手記を、よくもまあ昭和35年なんかに出せたものだなぁと、もうそういう驚きが大きくて。
文章は正直言って、高貴な方のお言葉遣いが読みにくいというか、わかりにくいんですが、原武史という方の解説がとても分かりやすく、読んでしまってよかったのかしらという戸惑いを慰めてくれます。
よく、明治維新ごろのドラマで、京都から江戸城に嫁いできた和宮様が何事も御所風を押し通して云々・・・という描写があるけど、明治天皇の皇后さまは「下々の着る着物」を生涯着たことがなく、着物を着る人の裾から見える赤い長じゅばんをとても珍しがられたというお話などもあり、こういう「お姫様」が現実に本当にいたんだなぁ~、と、それなら、和宮様の逸話もわかる話だなと。
そして、これを書いた山川三千子さんは、恋愛結婚をしていらっしゃるんですよね~。それも、結構積極的とも思えるような。華族さんと言ってもいろんな方がいらっしゃるという、考えてみれば当たり前のことですが、なにか目から鱗のような感じもしてしまいました。
しかしまあ、皇室というところがこういう「伝統」を受け継いで続いてきているのかと思うと・・・
外から入った美智子様や雅子様の苦労はおのずとしのばれるというものですね・・・・・