猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

GRAND FATHERSの「アタリメ」

2007-02-21 | 音楽
「バーは時にタイムマシンとなる。」
(2002年発行の雑誌DECO PLUSに書いた原稿より)

1971年のニューミュージックマガジンのこのバーの広告にはサントリーホワイト、ボトル2200円、Rock'n Roll Music Inn店とある。
当時渋谷駅の近くの高校に通っていた僕は、授業のあと道玄坂を登って渋谷ヤマハへ行き何枚かのレコードを試聴し、なけなしの金で買った一枚をこの店でよくかけてもらった。当時の山水製の大きなスピーカーからは素晴らしい音がほとばしっていた。

以来三十年以上経ったいまでもこの店の佇まいは殆ど変化がない。そもそもオープン当時からビルが古く、いつもトイレのドアが壊れていた記憶がある。元々は輸出専用だった藍染付のブルーダニュウブの皿、トリスバーのようなカットグラス、マッチのデザイン、そしてメニューの醤油だれに漬け込んだ「特製アタリメ」とすべての時間は止まっているように見える。

かける音楽はすべてアナログLPで一枚のアルバムから一曲づつ、一晩に一回はジェリー・ラファティの「霧のベイカーストリート」が聴けること、マスターが笑わないこと。変わったものは向いにあったロック喫茶「めいじどーり」が無くなったこと、棚のボトルキープのメインの酒がサントリーホワイトからタンカレーに、テーブルのランプシェイド、スピーカーと自分の年齢ぐらいか。

その店「GRAND FATHERS」は渋谷明治通りの東急インの右隣の雀荘が四軒も入居している古いビルの急な階段(いったいオープン以来何人が踏みはずしたのだろう)を降りた地下にある。1978年頃にはすぐそばに遠藤賢司の店「ワルツ」があり、そこで焼酎「銀河」の一升瓶を呑みながらピラミッド・カレーを食べてからこの店に流れたものだ。この店出身のあるいは影響されたロック・バーは少なくない。今は無き自由が丘「グラファン」で皿を回していたO氏自由が丘「エンドルフィン」を、新宿「LONG RUN」のT氏は「GRAND FATHERS」に憧れて店を作った(一年で潰れてしまったが)。

今でも当時通っていた友人たちと時々この店に行く。齢五十も間近の永遠のロックンロール少年・少女達は店に入ったとたんに二十数年前の自分に戻る。心なしか皺も減り、髪も増え始めているようだ(店の明かりが暗いからなのだが)。そしてある者はアル・クーパーの1973年の名盤NAKED SONGSの「As the Years Go Passing By」を、僕はエリック・クラプトン24歳の時に結成したブラインド・フェイス「Presence Of The Lord」をリクエストしながらアタリメを齧る。バーは時にタイムマシンにもなるし、若返りのサプリメントの代わりにもなるのだ。














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