猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

1966年、レッドライン7000、AUTOSPORTS、スロットレーシング

2008-06-17 | 映画
1966年は日本のモータースポーツにおいて、また僕にとっても思い出深い年だ。第三回日本グランプリレースは出来たばかりの富士スピードウェイで5/3に開催、瀧進太郎(後に11PMのカバーガールでオルガンを弾いていた高橋レナと結婚)のポルシェカレラ6とプリンスワークスのR380との戦いであった。それは翌年、伝説の「TNTの戦い」トヨタ・日産・タキレーシングとつながり、まるでプロレスのような遺恨ストーリーとなっていく。F-1ではロータスを操るジム・クラークが全盛、アメリカではCAM-NAMレースが大人気で日本でもTV放送していた。
←高橋レナのハモンド炸裂のGSカバーレコード、未入手
その年雑誌「AUTOSPORTS」創刊(上右の画像はヤフオクに出品されていた1966年6月号)当時はゴング、CG、模型とラジオを定期購読していた。その前年から日本はスロット・レーシングブームが始まり各地にレーシング場ができた。僕はいちはやくキットを買い、走らせた。コグレ模型のコルベット・スティングレイ(“スパイキャッチャー J3”<'65年10月から'66年3月まで放送されたスパイアクションTVドラマ>の主人公J3、壇 俊介(川津祐介)の愛車)に始まり、ニチモのポルシェF-1、田宮模型のジャガーDタイプと続き、マブチモーターのコイル巻き直し、ボールベアリング軸受への改造、タイヤの整形、果ては真鍮パイプによる自製シャーシに行き着いたのだった。

そんな1966年に公開されたのがアメリカのストックカーレースをテーマにしたこのB級映画「レッドライン7000」だ。監督は「リオ・ブラボー」などで有名なハワード・ホークス、主演はジェームズ・カーンで確か吉祥寺の映画館で見た記憶がある。レースシーンも迫力なのだが映画の中でレーサー達がスロット・レーシングで遊ぶシーンがあった。この映画、低予算なのでやたらタイアップ(プレイスメント)が多いのだがアメリカのプラモデルメーカー、レベル社が提供していたらしい。もう一度観たくてビデオかDVD探しているんだけどいまだ発掘できず、スロット・レーシングもやりたい!誰かレーシング場のあるバーでも作って。
コメント
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