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プログレの時代 Yes 2  お薦めできない進路

2019-07-22 22:09:48 | 日記

A.イエス入門の「現在性」

 半世紀、つまり50年前に流行っていたことは、当然今の50歳代以下の人たちには生まれる前の出来事で、たんなる知識として知ってはいても、自分になにか意味のある、具体性としてつながってくるものではありえない。50年前にティーンエイジャーだったぼくなども、その時点で、半世紀前の大正の終わりから昭和のはじめ頃の時代の流行が、どんなものであったかなど、何も知らなかったしまったく興味はなかった。それどころか、音楽について振り返れば、ほんの10年前までの昭和30年代のヒット曲すら、ひどく古めかしい演歌歌謡曲かアメリカン・ポップス曲を真似しただけの軽薄な曲で、おれたち若いもんは、もう自分でギター弾いてフォークソングを歌うんだぜ!という陽水・拓郎が出てきたのを喜んでいたのだった。その頃、イギリスの若いもんは、もっぱらアメリカのポップ・ヒット曲やR&B、そしてロックンロールをラジオで聴いて、俺たちもこういうのやれんじゃね、と思っていた矢先、素人バンドのビートルズが一躍世界に躍り出て、大ブームを巻き起こしたロックの嵐を追いかけることになった。そして、1970年代が彼ら「プログレ」の短い黄金時代になる。労働者階級からロックは生まれたけれども、次はミドルクラスの音楽をたくの実験場になった。

 いつの時代も、新しい流行は先行世代の硬直したマンネリに飽きた、若いもんのまぐれ当たりから始まる。それが同世代の若いもんを熱狂させ、世界中でまたたく間に広がったのは、レコード産業とテレビ映像と野外ロックコンサートが実現した1960年代末の、あの男の子が髪の毛を長く伸ばしたむさくるしい狂騒の季節だった。でも、どうしてあの中から「プログレ」は一ジャンルを築くまで支持されたのか?ある意味で謎だが、また別の意味で今になってなるほどと解ることもあるのだ。

 

 「『リレイヤー』の後しばらくして、ジョン・アンダーソンが抜けてしまうんです。このへんは事情が複雑で、アンダーソン以外のメンバーがイエスを勝手にやっていたように見えなくもない。その後イエスはバグルズというバンドの二人を迎えて『ドラマ』というアルバムを作るんですが、これはかなりポップな作品で、個人的には大好きですね。ただ、昔からのプログレ・ファンには受けなかった。有名な話ですが、このとき新しいメンバーでライヴをやったら、バグルズの二人は観客席からいろんな物を投げられたりしたそうです。あそこでジョン・アンダーソンがいないままバンドが展開していたら、ちょっと面白いことになっていたかもしれません。でも結果的には、ジョン・アンダーソンが戻る。そしてバグルズのトレヴァー・ホーンがプロデュースをして「ロンリー・ハート」を作るんです。このタイトル曲が大ヒットした。わかりやすい曲で、プログレであるにもかかわらず、当時はディスコでプレイされるほど売れた。こうしてイエスは復活を遂げたわけです。昔、イエスのメンバーにインタビューしたとき、バンドの長い歴史の中で、大きな転換点がニ回あったと言っていました。一度目は、サード・アルバムのあたりでプログレッシヴになったとき、二度目が『ロンリー・ハート』の頃だそうです。『ロンリー・ハート』は83年発表で、いわゆるプログレ受難の時期ですよね。大作主義は格好悪いという風潮のなか、ポップな『ロンリー・ハート』で復活したわけです。

 たぶんこのあたりで、イエスのメンバーたちは、人が替っても音楽性を保てば何とかなるということを感覚的にわかりはじめたんでしょう。さらに、そのあと入ったトレヴァー・ラビンというギタリストがわりあい器用な人で、音楽性のほうに自分を合わせることができた。彼が中心になって作った87年の『ビッグ・ジェネレイター』は、とてもよくできたアルバムだと思います。見方によっては、黄金期の自分たちの音楽のセルフ・コピーにハード・ロック感覚を加えただけのようにも感じられますが……。そういえば、このアルバムが出たとき、僕は雑誌の評にそういうことを書いたんですよ。黄金期の自分たちを真似しているだけで、よくできているけど可能性はあまり感じないアルバムだと。でも、いま思うと逆に、音楽性を変えないところが、実はイエスの素晴らしいところだったんですね。

 

――サード・アルバムの頃にプログレッシヴになっていったのには、どういう影響があったのでしょうか。

 

 それもメンバーの人たちに訊きましたけど、口を揃えて言っていたのは、時代の流行、潮流だということでした。バンド結成時には、サイモン&ガーファンクルやCSN&Yみたいなものをロックっぽくやろうとした。それからフィフス・ディメンションなんかも好きで、コーラスの入った曲をやろうとしていたようです。ところが60年代の終わりになると、同じイギリスにプログレっぽいバンドがたくさん出てきて、ああいうふうにやろうじゃないかとなったようですね。

 ここで面白いのは、イエスって全員演奏が上手なんですけれども、個性がありすぎるというか、ものすごく偏ったプレイヤーばかりなんです。奇跡的に同じバンドに集まったから成功したけれど、他のバンドにいっていたら失敗していたかもというメンバーばかりですね。まずヴォーカルのジョン・アンダーソンは、すごく綺麗な声が魅力的なんですけれども、あの声ではブルージーな泥臭い曲は歌えない。ですからイエスの曲は必然的に、メロディラインのはっきりした、クラシカルで上品なものになるわけです。バンドに最初からいたクリス・スクワイアというベーシストがまた曲者で、上手だと思うんですけど、本当に一種類の演奏しかできないんですよ。ディストーションをかけてハードに弾く。音色面ではザ・フーのジョン・エントウィッスルからかなり影響を受けていると思うんですが、全然ブルージーじゃないですよね。たまには違う音色で弾いてみたらと言いたくなるくらい、一貫して同じ音色で、しかもブルースっぽくないので、彼のベースでバンドのサウンドが決まってしまうんです。そこに今度はビル・ブルーフォードというドラマーが途中から加入する。この人も不思議な人で、めちゃくちゃ上手いんですけどブルースが苦手です。この人の有名なエピソードで、十代の時にサヴォイ・ブラウンというブルースのバンドに入るんですがブルースが叩けないということで、クビになったとか、自分から辞めたとかいう話があります。まったくスウィングしないドラムなんですね。でも、ものすごくうまい。後の時代のプログレ・バンドのドラマーは、皆この人を真似しているみたいなところがある。極端なことを言えば、この人がいなかったらプログレッシヴ・ロックはジャンルとしてこれほど栄えなかったでしょう。この三人が出会ったというだけでも驚くべきことですが、さらにスティーヴ・ハウというギタリストが加わる。この人がまた独特で、やっぱりブルースを弾かない。コード弾きをしない人なんです。クリス・スクワイアのベースは分厚い音の壁を作るタイプで、そこにギターがジャーンとコードを弾いてしまうと、ただ暑苦しいもっさりした音になると思うんですが、スティーヴ・ハウはコードを弾かず、短音でめちゃくちゃ早く弾く。偶然だと思うんですけど、それがすごく合ったんです。もうこれは天の配剤というしかないですね。

 ただ不思議なのは、プレイ・スタイルはアンチ・ブルース的であるにもかかわらず、本人たちはブルースの延長にある音楽を――具体的にはロックンロールをやりたがる。僕の一番好きなイエスのアルバムは『こわれもの』なんです。正統派プログレ・ファンの間ではこのアルバムの最後に入っている「燃える朝焼け」という大曲が人気ですが、僕はむしろポップな短いナンバーが好みで、「ラウンドアバウト」「南の空」「遥かなる思い出」の三曲がすごく好きなんです。どれもポップで、ちょっとロックンロールっぽいんですよ。ブルースが苦手で黒人音楽とはかけ離れた世界の人たちが、一生懸命ロックンロールをやっている。すると非常に奇妙な感じで、熱気はあるんですけど、黒っぽさがないんですよね。ものすごく不思議な音楽なんですけど、これがワン・アンド・オンリー的な魅力になっている。さっき言ったLP時代に通じる話ですけど、長いスパンでロックの歴史を見た時に、この二〇年くらいでグローバル化みたいなことが進んでしまっていて、日本のミュージシャンでも、たとえばソウルや黒人音楽が好きだという人は、メンテリティの部分から黒っぽくなっていたりする。英語の発音がいいのももちろんで、本当に脱日本化していてすごいなと思うんですけど、一方で、たとえばかつてのはっぴいえんど系の人たちなどは、メンタリティが日本人なんだけど洋楽に憧れていて、そのアンバランスでギクシャクしたところから面白いものが生まれていた。実は70年代のロックバンドにはそういうものが多くて、イエスもその一つだと思うんです。当時のイギリスのミュージシャンの多くは、50~60年代にラジオでかかっていたソウルやR&Bを聴いて育ったという人たちがほとんどで、たぶんイエスのメンバーたちもそうだったと思います。ところが自分で楽器を持って演奏すると、好きだからというんでロックンロールをプレイするんだけど、まったく黒人音楽風にならない。異文化に憧れるんだけど、異文化を完全には体得できないわけですね。そこで苦労する。そこにギクシャクしたような歪んだ感じがあって、ところがそれが面白いものを生む。これはある意味で永遠の課題なんですけど、たとえば明治時代の初めに、それまで日本画を描いていた人たちが、西洋画に憧れて、西洋画を描こうとする。ところが日本画的な感性が身に染みついてるから、ちょっと変わったものが出来てしまう。でも、その歪みがすごく魅力的だったりするじゃないですか。ああいうものに近い感じが、イエスにはあると思うんです。異文化との接合のしにくさみたいなものを引きずったまま、それを解決しようとするエネルギーがよい曲を作らせて、その曲を模範にして何十年もやっている。そういったところがイエスというバンドの不思議な魅力なんだと思います。

 

――メンバーの出入りの激しさについて。

 イエスの場合、一度脱退したメンバーが数年後に戻ってくるということが実に多い。メンバー交替ではなくて、まさに「出入り」ですよね。辞めても戻ってくるというのは、なんだかんだいって自分の実力をいちばん発揮できる場所はイエスだということを、わかっているメンバーが多いということなんでしょうね。たとえばベーシストのクリス・スクワイアですけど、さっきも言ったように一種類のプレイしかできない人なんで、イエス以外の場では自分が生かせない。だから、これだけキャリアの長い人なのに、ソロ・アルバムはちょっとしか出していません。ジョン・アンダーソンの場合、ソロ・アルバムの枚数は多くて、ジョン&ヴァンゲリスのいくつかの作品みたいな傑作もあるんですが……、ただ、彼があの声で歌うと、どんな曲もイエスになってしまう。だったらイエスで歌った方がいいや、ってことになりますよね。スティーヴ・ハウも、やっぱりイエスでのプレイが一番という人で、たとえばエイジアの作品なんか聴いていても、彼がソロを弾き始めると途端にイエスになっちゃう。個性が強すぎるんですよね。ただ、ハウという人は、ギタリストとしてだけでなく、サウンド・メイカー的な実力も持っていると思います。たとえば、99年にソロ名義でリリースしたボブ・ディランのカヴァー集『ポートレイツ・オブ・ディラン』などは、隠れた名盤だと思います。

 反対に、イエス以外でも良い仕事をしているのが、ドラマーのビル・ブルーフォードと、キーボーディストのリック・ウェイクマンですね。ブルーフォードはキング・クリムゾンの作品で数々の名演奏を残していますが、それ以外にもソロ作品がものすごく充実している。個人的には、自身のバンドを作って最初のニ作、『フィールズ・グッド・トゥ・ミー』と『ワン・オブ・ア・カインド』というのが好きで、これは英国風ジャズ・ロックの名盤だと思います。上原ひろみあたりのファンが聴いても、けっこう楽しめると思いますよ。それからキーボードのリック・ウェイクマンですが、この人だけは、他のイエスのメンバーが「これしかできない」という中で、唯一例外的に何でもできるというタイプの人。もともと楽譜に強くて、イエスに入る前は何百枚というアルバムのレコーディングに参加していたと言われているくらいで、セッション・プレイヤーとしてめちゃくちゃ有能なんです。ライヴの映像を見ると、派手な服を着てたくさんのキーボードに囲まれていて、一見すると目立ちたがり屋なのかと思いますけど、実は他のプレイヤーを立てて邪魔しないように弾くのが上手い人なんです。この人がキーボードというのが良かったですね。スティーヴ・ハウと同じくらい個性的なキーボーディストだったら、完全に喧嘩になっていたと思います。実際、ウェイクマン脱退後の『リレイヤー』ではパトリック・モラッツというキーボーディストが入るんですけど、この人は上手いんだけれども目立ちたがり屋で、個性的な演奏をする人なんです。だから『リレイヤー』は、メンバー同士のバトルみたいになっている。これはこれで面白いんですが、曲のまとまりという点ではいまひとつ。ウェイクマンのおかげで曲がまとまっているというところが大きかったんですね。ウェイクマンに興味がある人は、彼が参加しているイエス以外の作品がたくさんありますので、ぜひ聴いてほしい。僕がお薦めしたいのは、一つはシングルで、キャット・スティーヴンスというシンガー・ソングライターの曲です。日本でもコマーシャルでよく使われましたが、「雨にぬれた朝(Morning Has Broken)」、あのイントロがリック・ウェイクマンなんです。スタジオでアドリヴで弾いたらしいんですが、これはもう素晴らしい。もう一つはデヴィッド・ボウイの初期の作品『ハンキー・ドリー』。全体がフォーク・ロックっぽいアルバムなんですけど、ほぼ全曲で、素晴らしいアコースティック・ピアノを弾いている。ちょっと大げさに言うと、ウェイクマンという人は、70年代イギリス・ロック史の大事なところをキーボード・プレイで押さえているともいえますね。

 

――これからイエスを聴く人へのおすすめは?

まず一枚というのなら、やはり『危機』でしょう。いちばん完成度が高いです。個人的にはポップな『こわれもの』が好きですけど、『危機』はプログレッシヴ・ロックというジャンルを代表する作品の一つだと思います。そして聴くときに大事なのは、アルバム全体を通して聴くということですね。さっきも言ったように、プログレというのは全体性を楽しむ音楽なんです。しかもイエスの場合はロジャー・ディーンの描いたジャケットが非常に魅力的で、トータル・アートとしての魅力が大きいと思うんですよ。ですから本当はLP番を手に入れて30センチ四方のジャケットを楽しむのがいいのかもしれませんが、でも、いま出ている日本製の紙ジャケットCDがとても良くできていて、LP盤のジャケットを完全にミニチュア化して再現している。だから、それを見ながらCDを飛ばさないで聴いて、トータル・アートを全体として味わってもらいたい。そうすれば、イエスの魅力に浸ることができると思います。 (談)」立川芳雄「イエス入門」(文藝別冊『イエス プログレッシヴ・ロックの奇蹟』河出書房新社、2016)pp.50-55.

 

 なるほど、にわかプログレ学習者へのイントロとしては、かなりツボを押さえたガイダンスだな。シングル単曲ではなくアルバムの全体性を味わう長尺主義、とか、べたのねばっこいブルースに、つまりコードを押さえてジャーンとやってあとはこぶしを入れて叫べばいい、という野蛮な根性路線が彼らには生理的にダメで、楽譜に書ける調性音楽の楽器習得と子どもの頃から教会でコーラス歌ってたりした素養があるんで、ロックをやりたいんだけどど~しても、もっと凝った音楽に傾いていくイエス。そうなのかあ。音楽の話題は、個人の好き嫌いが露骨に出るのは当然だが、それがどんどん細分化されわずかな違いが拡大され、互いの好みが似通ってくればくるほど、逆に一致できない箇所が気になって喧嘩する。そもそもロックバンドって、それぞれ違う楽器を持ち寄りながら自分の個性を前面に出して目立ちたい人間が集まっているわけで、ひとつの曲に仕上げるのはスター独裁主義になるか、激論デモクラシーになるかしかない。でも、長続きしたイエスの場合は、メンバーの出入りを繰り返しながら、独自の曲をもっていることで、分裂ではなく協和を実現した、というわけか。

 とにかく『危機』と『リレイヤー』をぼくはちゃんと通して聴いていないので、まずはそれをした上で、なにかが言えるというわけ、ですね。

 

B.労働市場としてのお笑い芸人と大学教員

 吉本興業は、関西の寄席興行主から始まっていまやTV芸能界最強の大企業になっている。でも、落語・漫才・コントを出身母体とするお笑い芸人と呼ばれる人たちは、吉本の正社員ではなく、いわば仕事をもらう契約社員のようなもので、芸能人として才能もあり知名度もある人でも、芸能活動だけで安定した収入のある人はごく一部だという。一度当たりをとって、テレビなどに露出して売れたとしても、多くは数年で消えてしまう。歌手や俳優として転身をする人もいるが、これはこれで長続きするにはかなりの努力と幸運が必要だ。今回の「闇営業」の件は、かなり名の売れた人が並んでていたために世間の注目を集めた。暴力団関係の催しに事務所に断らずに出演してギャラを得たことが問題だというが、そのような稼ぎ方は常態化していたという。彼らは「その筋」の会とは知らずに出ていたという。後悔しているだろうが、そこまで自己点検できる体制ではないとすれば、問題は別だ。

 

 「新しい職種 生む道へ:芸人も研究者も供給過剰  経済季評 松井邦彦

 芸能界が「闇営業」問題で揺れている。TVでもおなじみの芸人たちが次々と所属事務所から謹慎処分などを受け、人気番組のMCを降板した芸人も出た。「闇営業」と聞くと、かなり怪しい感じがするが、どうやら業界用語では所属事務所を通さない営業のことで、「直営業」とも呼ぶらしい。今回の「直営業」が問題になったのは、その相手が反社会勢力だったことにある。

 しかし、問題の根底にあるのは、芸人に関する需要と供給のアンバランスだ。多くの芸人にとって、事務所を通す正規の仕事だけでは食べていけない。あるお笑い芸人がいるとして、自活できるのは200~300人くらいだという。需要に対して供給が多過ぎるのだ。「闇営業」をすれば中には危ないケースも生じるだろう。「闇」とは、むしろ芸人の生活苦やそれを黙認する芸能界のことだとも言える。

◎              ◎ 

 芸人と同様の構図が最近は、研究者の世界でもみられる。

 日本近世仏教思想の研究で日本学士院学術奨励賞を受賞した女性研究者が定職に就けず、自らの命を絶ったという報道は記憶に新しい。また、先月には神戸学院大が、薬学部の30代の助教が発表した論文10本で、データの改ざんがあったとする調査結果を公表した。聴き取りに対し、助教は「研究成果を出さないといけなかった」と述べた。精神的に追い詰められていたようだ。助教は依願退職したという。

 これらの事件を生んだのは、研究者に関する需要と供給のアンバランスにほかならない。

 まず重要側を見てみよう。

 政府は大学の経常的な資金である運営費交付金を毎年一定割合で減らしている。それに応じて、常勤教員の雇用数も減少している。代わりに増やしているのが競争的資金で、選ばれた分野や大学に重点的に資金を配分する。この競争的資金は多くの場合、5年程度の期限付きの資金で、大学はこの資金を用いて研究者の雇用もできる。長期雇用の裏付けとなっている運営費交付金が減り、5年程度の時限雇用を可能にする競争的資金が増えたのだから、その効果は明らかだ。

 任期なしの長期雇用は減り、任期付き雇用が増えている。例えば、東京大学では2006年から17年にかけて任期なし教員数は3千人強から2400人弱に減り、任期付き教員数は約2300人から4千人強に増えた。たった10年間で任期付き教員の割合は43%から63%程度に増えたのである。

 これらの数字からもう一つわかるのが、教員数の増加だ。単純計算でも10年間で灯台の教員数は約5300人から6400人に増えている。これを説明するためには研究者の供給側に注目しなければならない。

 1990年代、大学院の重点化が推進された。「大学教員・研究者のみならず社会の多様な方面で活躍しうる人材の育成を図る」ねらいで、大学院を2000年時点で91年時点の規模の2倍程度に拡大することが必要との提言がなされ、約10年間で大学院生の数は約1.2倍へと拡大した。例えば、評者が所属する経済学研究科では、80年代に年間20~30人に過ぎなかった大学院入学者数(一貫制)は現在では100人超(修士課程)へと大きく膨らんだ。

 需給の不一致は火を見るより明らかだ。政府は高度人材育成を推進したが、社会や大学の受け入れ体制がそれに追いつかなかったのだ。

 とりわけ人文社会系の場合、修士課程修了の学生はまだしも、博士課程修了の学生に対する社会の需要は少なく、ほとんどは大学の研究職のみでそれも十分ではない。博士課程の量的拡大は明らかに失政だった。

 国策に沿ったうえで儒教のバランスを保つには、社会の大学院生に対する需要を増やすと同時に、供給も適正化しなくてはならない。

 例えば、評者の研究科では社会から一定の需要が見込まれる修士課程の学生の定員は増やし、需要の少ない博士課程の定員は減らした。

 国の政策やそれに対する一般企業や大学の対応によって、研究者の需要と供給は決まっていく。受給のバランスが崩れれば、そのつけを負わされるのは若手研究者たちだ。短期的には供給の抑制もやむを得ないが、長期的には需要の拡大がなければ、問題は解決しないだろう。

◎               ◎ 

 がしかし、芸人も研究者もある程度の供給超過は必然でもある。たとえリスクを冒しても芸人になりたい、研究をしたい、という気持ちは抑えることのできないものだからだ。だからこそ、新しい職種の開拓を通じた需要の拡大が大切になる。もっともこれは一朝一夕にできることではない。

 最後に一つ例を挙げて本稿を閉じよう。先日、学生時代の友人に会った。彼は長らく海外で研究者を務めた後、日本の研究機関で生命科学のサイエンスコミュニケーターの職に就いた。彼の仕事は研究の魅力を社会に発信していくこと。研究職ではないが、「最先端の研究を把握していなければできない仕事だ。新しい職種が生まれつつあると感じた瞬間だった。」朝日新聞2019年7月18日朝刊、13面オピニオン欄。

 

 一般の人には、大学の教員がどういう生活条件のもとで教育や研究活動をしているか、その実態は知られていないようだが、事態はもはや深刻なところに来ているといえる。ぼくも、ある私立大学で長年教員をしていたので、自分の後輩や若い大学院生たちが、この先に待ち受ける職業上・生活上の困難を抱える現実を日々感じている。ぼくたちの大学院生時代も、決して前途に希望がもてる状況ではなかったが、大学は増え大学生も増える時代だったから、研究者の職を得てなんとかなった。その後の重点化による大学院枠拡充と「縮小の時代」を思うとき、自分はまだ恵まれた時代にあったなあ、と思って心が痛む。学生に大学院に行きたい、と言われた時、どんなに勉学意欲にあふれ能力も高いと思えても、指導教員としては「やめておけ」と言わざるをえないだろう。新規の教員公募には、1名の枠に50人60人もの応募が来る。選考委員として論文業績を見ればそれぞれ努力の跡がある優秀な人も多い。しかし、採用できるのは一人だけ、あとの人たちはまた非常勤講師などの教育労働とアルバイトなどで生活しながら、学会誌投稿や学会発表をたゆまず行って次のチャンスを狙う。30過ぎてこれを十年続けるのは、いろんな意味でつらいはずだ。

 理系の場合は、大きな予算を使えるプロジェクトに参加しないと研究自体が難しい分野が多いが、エンジニアとして技術的応用分野もあり、共同研究のなかで育てられるのかもしれないが、文系の院生の場合は、共同研究もあるけれど、基本的に自分の設定したテーマをデータや文献を漁って追及する単独論文の数がものをいうので、孤独な作業の中で自分を支えなければならない。

 学問研究というものは、文科省が考えるような、きっちり計画され予算が無駄なく投入され組織的に研究がすすめられれば、数年後には社会が求める画期的な成果が確実に生まれてくる、というような予定調和的なサイエンスではないし、もしそのような研究が行われれば、どのみちろくなものではない。計画通り出てくる結果などというのは、すでに結果が予測されたものを、念のため検証し確認するといった種類のもので、多少の誤差や予測違いがあれば修正する価値はあるが、従来の説を覆す画期的な研究など出てくるはずがない。多くの画期的な新しい研究というのは、基本的な視点の転換や研究手法やデータの根拠そのものを疑うところから出てくるものだ。若い研究者の柔軟な頭脳に、そこを期待するのならば、短期的な論文の本数や目に見えるアウトプットではなく、予定されたレールを外れても独自の視点を耕し続ける資質を見るべきだろう。しかし、今の日本の大学院やオーバードクターをとりまく状況は、その能力をすり減らす方向にすすんでいて、学問本来ののびやかで余裕のある知的能力を伸ばすことを阻害しているように感じられる。

 経済学者の松井氏は、結局お笑い芸人同様の人材需給を無視した大学院拡充に原因がある、ということになるが、政策の失敗というだけではなく、ぼくには現代のサイエンス・テクノロジーの硬直したあり方を、政治家も大学人も当然のように信じ込んで、なんでも解決する科学万能を謳い、あやふやで役に立たない学問の象徴のような「文学」を視野の外に置くという大きな間違いをやっている気がする。ノーベル賞にだって物理学賞もあれば文学賞もあるのに。

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