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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

プログレの時代 Yes 3  経済成長というまやかし

2019-07-25 03:15:54 | 日記

A.「初来日」というインパクト

 これももう老人しか知らない昔になってしまったが、東京オリンピックが1964年10月に開かれる頃、紅毛碧眼の外国人がまだ身の回りにはいなくて、東京でも「ガイジン」というだけで引いてしまう日本人が多く、オリンピックでたくさん外国人が来るというので道案内程度の英会話を勉強しましょう、などと言っていた。日本人の多くには外国旅行など夢の夢であったような時代であった。あの頃は音楽でも「邦楽」という言葉は、江戸以来の三味線や琴や都都逸や新内といった純和風音曲のことを意味し、いまのJ-ポップにあたる曲は「歌謡曲」とか「流行歌」とか呼んでいた。

 戦後のGHQ占領時代に、アメリカの「流行歌」つまり、1950年代のスウィング・ジャズや、ハリウッドの映画音楽などが入ってきて、こじゃれた日本の中産青少年にアメリカン・ポップスの翻訳歌謡が広がりはじめ、60年代には米国製ロックンロールがプレスリーとともに日本の歌謡界にもブームをもたらした。そこまではたぶん、イギリスやヨーロッパ諸国の戦後大衆音楽の動向とさほど大きなずれはなかったと思う。多少の時差はあったにしても、戦後生まれの青少年たちのうち、ラジオで流れる陽気なアメリカ音楽を聴いて育って、自分もなにか楽器をやってみようとしたとんがった若者が、あちこちで自分勝手にバンドをやりはじめたのも、1960年代なかばからだろう。そして先頭を切ってメジャーなアイドルになったのが、いうまでもなくイギリス出身のビートルズだった。

 ビートルズ以後、エレキギターを抱えて自分たちで作った曲を演奏する「ロック」こそ、若者が好む最先端の音楽になったことも、改めて言うまでもないだろう。だが、どんなアートでも、ある傾向を前面に出したジャンルなり運動なりが、そのまま10年鮮度を保って存続するのは難しい。熱狂するファンというものは、大騒ぎで飛びついてスターを追い廻すくせに、やがて年齢を重ねるとともに二つに分かれる。ひとつは、自分が熱狂した記憶だけに愛着を感じて、それ以後の変化を認めない方向。もうひとつは、自分が熱狂したことを恥じてさっさと過去を忘れて新しいものに気を移す方向。

  ビートルズが日本に来たのは、東京オリンピックから2年後の1966年6月。大変な騒ぎだった。日本武道館で開かれたコンサートは、若者で溢れ返ったが音楽を聴くという環境ではなく、4人の実物がそこにいるという興奮とヒット曲を確認するファンの絶叫で終った。それに比べると、7年後のイエスの日本公演はずいぶん違ったものだったのかもしれない。なにしろ、ビートルズは来日時、大きな社会現象として一般大手メディアが報道して、ファンでなくても誰でもその名を知っていたが、プログレの時代が始まっていた1970年代初めには、イエスを聞いたことのある日本人は、ごく少数でメディアもほとんど採り上げず、マニアックなロックおたくだけが公演に詰めかけた。

 1973年3月にイギリスのロック・バンド「イエス」は初来日した。この時点で、のちにイエスといえばこれが最高傑作と言われるようになるアルバム「Fragileこわれもの」と「危機Close to the Edge」は前年1972年に発表されてはいたものの、日本の洋楽ロック・ファンには、「In the Court of Crimson Kingクリムゾン・キングの宮殿」('69)でびっくりして、ピンク・フロイド「Atom Heart Mother原子心母」(‘70)で「いやあ、これが新潮流プログレかあ」と気がつき始めた頃。まだイエスがどういう音を出すバンドかは、ほとんど知られていなかっただろう。その当時の雰囲気は、イエス日本公演のために書かれたパンフレットの次の文章に名残をとどめている。

 「イエス――Yes,Exquisite & Superb!     今野雄二

 実際、イエスに捧げるべき賛辞を数えあげてみても限りがありません。おそらくこの世に存在するすばらしい形容詞のことごとくがイエスという稀有のロック・バンドの音楽美に吸収しつくされてしまいそうです。  かねて、ロンドンのロック界の消息に詳しい知人から、イエスの音楽のすばらしさを吹きこまれていたぼくですが、それにしては、イエスとぼくの出合いはずいぶんと長い回り道(Long Distance Runaround)を経たようです。というのも、あの『こわれもの』のアルバムに接して初めて、ぼくはイエスの持つ魅力に目覚めさせられた、いわば遅れてきたイエス・ファンだからです。 それにしても、『こわれもの』の衝撃的な感動を表わすのは至難の業です。その感動を言葉で表現するなどという次元を突き抜けたところに、イエス・ミュージックのもたらす感動の本質が潜んでいるような気がするのですが、まったく、イエスの作品は不滅の生命を誇る古典音楽を彷彿とさせる深みを備えているのです。『危機』を聞くまでもなく、イエス・ミュージックが古典的な骨格の上に、未来へ向けられた壮大なスケールに基づく視点をしっかりと兼ね備えている事実は、明白です。その、イエスの宇宙とも呼ぶべき世界が5人の若者たちによって、確固とした護りを得ている事実は、さらに明白です。おそらく、イエスほど、個々のミュージシャンに抜群のテクニシャンを擁したロック・バンドは他に例を見ないでしょう。

 ジョン・アンダースン(ヴォーカル)、ビル・ブラッフォード(ドラムス、但し現在はアラン・ホワイトと交代)、クリス・スクワイア(ベース)、スティーヴ・ハウ(ギター)そしてリック・ウェイクマン(キーボード)という5人が各々、ソロ・パートをフィーチャーした『こわれもの』はその自信のほどを何よりも雄弁に物語っています。 中でも特筆に値するのはウェイクマンと言うべきでしょう。ブラームスのスケルツォをシンセサイザーを始め各種キーボードに分解し再構築した演奏には、まさにウェイクマンの魅力のすべてが結集されています。 いまほどポピュラー・ミュージックに夢中でなかった頃どっぷりひたっていたブラームスを、ストローブスの頃から注目してきたウェイクマンがとりあげたことが、ぼくにとっては尚一層の魅力を感じさせたのかもしれません。アムステルダム公演のイエスのステージをレコード化した‟WHITE YES ALBUM”で、このウェイクマンのキーボード・ソロはさらに華麗なる成長ぶりを示しています。そこではシンセサイザーとメロトロンを同時に演奏するというアトラクションが展開されているからです。

 おそらく、イエスのステージの楽しみは卓越したヴォーカリストのアンダースンを上廻って、ウェイクマンの美しい金髪をふり乱した活躍ぶりにあるのではないか、と思います。だからと言って、メロトロンやシンセサイザーのエレクトロニック・サウンドのみに心を奪われないように気をつけなければいけません。ピアノの澄みきった音に、またハウのアコースティック・ギターの透きとおった響きに、ぼくはあの『危機』のジャケットさながらに徐々に透明度に向かって色を失っていくグリーンのはかなさを〈見たい〉と思うからです。 イエスの音楽は人生を描き出します、人生――そのもっともはかない美の一瞬を。その一瞬を捉えようと、ぼくはまた何度もイエス・ミュージックを繰り返し聞き続けることになるでしょう。」今野雄二「特別掲載1973初来日によせて」(文藝別冊「イエス プログレッシヴ・ロックの奇蹟」河出書房新社、2016) pp.116-117.

 当時メディアで音楽評論家として知られていた今野氏は、『こわれもの』の収録第2曲Cans and Brahmsがまず気になったらしく、この文章ではリック・ウェイクマンを重点的にとりあげている。ブラームス交響曲4番の第3楽章をほぼそのまんま、キーボードで弾くだけのこれが、ロックというクラシックとは正反対の野蛮で単純でパワフルな音楽というステレオタイプがあったからこそ、ブラームス!が出てきただけでびっくりしている。でも、これは『こわれもの』というアルバムが、製作時間が足りなくて、半分仕方なくメンバーのそれぞれのソロを、全員合奏の大きな曲の間に挟んだという事情の結果であって、ウェイクマンがさほど真剣にやっているとも思えないし、ブラームス4番の3楽章は、アレグロ・ギオコッソとなっていて、3拍子系スケルツォではなくスケルツォ風に演奏するというだけだ。つまり、この来日公演当時の日本では、今野氏の文章にも「プログレッシヴ・ロック」という用語は登場していない。ただ、逆に、クラシックを弾くだけのテクニックがある、ということがイエスの名声を高めてしまった。つまりちゃんと楽譜が読めて、コードを鳴らすだけじゃない早引きのアルペジオみたいな技をみせびらかして、長大なシンフォニックな響きを煌めかせるバンドは、ビートルズ、ストーンズ以来のロックとは違う、なにかハイ・ブラウなものだと思わせたのだった。それがつまり「プログレ」というわけだ。

 LPレコードで、大きなジャケットにロジャー・ディーンの目の覚めそうなイラストがあって、それに針を落として、始めから終わりまで目をつぶって聴く。それって、3分か4分で終るシングル盤のヒット曲とは全く違う聴き方をしなければならない。いわば、クラシックの交響曲を第1楽章からじっくり聞いてフィナーレで拍手するという鑑賞態度に近いものを要求される。考えてみれば、これがロックで成立したとすれば、70年代プログレってかなり奇妙な音楽だったかもしれない。

B.参議院選挙は結局どうってことなく終わったのか?

 選挙では劇的なことなどなにも起きない、ということを確認したような選挙だった。1人区で野党統一候補を立てて、それなりの戦績を上げ、安倍政権の政策継続と国会の現状維持を追認しつつも、改憲派の3分の2は阻止したというのが大方の総括だ。でも、それなりに新たな視点とこれまでにない兆候があったのだという記事が朝日新聞に載っている。

「耕論 選挙戦で見えたものは: 社会運動家らの課題提起 ようやく光  稲葉剛さん  今回の参院選では、野党が「2千万円問題」で与党を攻め立てる構図が見られました。年金だけでは老後の生活を支えられないのではないか、という有権者の深刻な不安を背景にした批判です。

 2千万円問題があぶり出したのは、日本社会の「中間層」にあたる人々が経済的にやせ細り、その地盤沈下がいよいよ隠せなくなってきているという実態でしょう。実際、この十数年間に日本では、貧困の問題が拡大してきています。

 選挙戦で示された野党の主張を見ていて依然と変わりつつあるなと感じたのは、住いの問題に光が当てられ始めたことです。賃貸住宅で暮らす世帯への「家賃補助」が掲げられたり、低家賃の「公的住宅」を拡大する政策が訴えられたりしていました。持ち家を奨励する政策が中心で、賃貸住宅での暮らしを充実・安定させる政策が手薄だと言われてきた日本にあって、ようやく住宅政策の見直しが意識され始めているのです。

 個々人の収入を増やす政策や生活保護などの福祉政策だけではもはや足りないことが明らかになり、生活の根幹である「居住」のありようを見直すことも必要だという認識が広がっている構図です。

 振り返れば、日本社会で貧困の存在が可視化されたのは今から10年ほど前のことでした。派遣切りに遭った人たちを支援する派遣村が設けられ、注目を集めたことが契機になっています。

 この10年間に起きた変化の一つは、絶対的貧困と呼ばれる問題の改善です。貧困に苦しむ人々への支援が広がり、路上生活者がこの時期に約5分の1に減っていることが象徴的です。もう一つ起きたのが、相対的貧困の増大です。生活が苦しいと感じる人が増えてきたのです。相対的貧困の問題が深刻化したのは、政府の政策によって非正規労働が拡大されたことが要因だと私は見ます。目的は、企業の人件費負担を圧縮するためでした。

 中間層に持ち家を持たせることを支援する従来の住宅政策は、正規労働者を中心とする「日本型雇用システム」の存在を前提にしていました。30年以上もの長期間にわたって住宅ローンを支払い続けられる労働者が必要であり、終身雇用と年功序列を特徴とする旧来の雇用システムが、それを支えていました。また住宅費と並ぶ重い負担である子どもの教育費についても、年功序列の賃金上昇でカバーできました。かつて老後が安定していたとすればそれは、ローンを払い終えた持ち家と、夫婦2人分の生活を支えられる年金があったからだと思います。

 この旧システムの特徴は、住宅や教育への重い出費を各世帯が「賃金収入から払う」ことでした。しかし、それが成り立つ前提は2000年代を通じて崩れました。非正規労働が広がり、住宅費も教育費も賃金収入で担う方式の無理があらわになった。家賃負担や公共住宅の充実といった政策が提示され始めたのは、そうした社会の変化を映したものです。

 非正規労働の拡大によって従来の日本型雇用システムは崩壊しました。にもかかわらず、政治は人々の生活を支える新しい仕組みを提示できず、従来のシステムの手直しにとどまっています。こうした現状が、いま日本を覆っている行き詰まり感の根っこにあると思います。

 社会をより良くしようと活動する人々と多く出会っていて少し不安を感じるのは、NPOや社会的起業による民間の創意工夫は高い関心を向ける反面、政府の政策を変えようとする動きが低調な傾向です。政治へのあきらめがあるのかもしれませんが、民間だけでは貧困は解決できません。貧困のような構造的な問題を解決するには、政府の巨大な力を活用して普遍的な支援の体制を築きあげていく作業がやはり欠かせないのです。

 生活への公的な支援を充実させる方向に政府の役割を変えるべきだという異議申し立ては、参院選での議論にも表れたと思います。ただ、それが旧システムの終わりの始まりになるかは未知数です。投票率は低く、日本では自己責任論が広がり、社会としての連帯感は10年前より後退している印象さえあるからです。

 先日、元ハンセン病患者の家族を支援する方向に政府が政策を転換しました。参院選を意識したものだと言われましたが、長年にわたる当事者や支援者の地道な活動があっての転換だった事実を忘れるべきではありません。日本では社会運動が弱いと指摘されますが、今回の転換から見えたのは、この社会にも「課題を設定する力」はあるという事実です。

 問題は山積みですが、社会運動による課題提起の力を、野党の公約だけでなく現実政治の転換にまでつなげていければと考えています。 (聞き手 編集委員・塩倉裕)」朝日新聞2019年7月23日朝刊17面、オピニオン欄。

 投票率は毎回前回を下回る状況を嘆くだけでは、空しい。選挙に行かないマジョリティは、中央の政治に何かを期待してもしょうがない、という醒めた意識に取りつかれているのか、それとも「安倍的なもの」に他よりましなポジティヴな改革を期待してあえて投票しなくても自民党は勝つと思っているのか、選挙によって統治のシステムを維持する現在の政治自体になんの価値もないが他に選択肢がないから選挙なんかばかばかしいと考えるのか。そもそも政治を考えることに全く興味がないのではないかとすら思う人たちはいる。

 「耕論 選挙戦で見えたものは: 目先の「経済成長」訴え 抱え込むリスク 藻谷浩介さん  そもそも経済は「生きもの」です。政治の過度な介入は経済の活力を失わせます。仮に政策を総動員して好景気にしたとしても、景気の循環によって、何年か後には必ず不景気が訪れます。だからこそ、過去の政権は経済成長を数字で公約にすることは避けていたのです。

 そのタブーに挑んだのが、2012年に誕生した第2次安倍政権です。以来、国政選挙のたびに「経済成長」を正面に掲げて、勝ち続けてきました。 この言葉を、消費税や年金、格差拡大、マイナス金利政策の是非といった複雑な問題を見えにくくする「魔法の言葉」として使ってきたのです。そして、今回の参院選でも勝利をおさめました。 安倍晋三首相は、経済学界では少数派である「リフレ論」を深く信じ込みました。日本銀行による「異次元の金融緩和」が緩やかなインフレをもたらし、購買意欲が刺激されれば、内需が拡大し、経済が持続的に成長するという考え方といえます。確信したがゆえに、安倍首相は真摯に経済成長を訴え続けました。多くの有権者は理論をよくわからぬまま、その「真摯さを信じた」といえるのではないでしょうか。 では、現実はどうだったのか。株式の時価総額はトランプ政権の景気刺激策や日銀や公的年金を動員した買い支えもあり、12年から18年にかけて、年率16.1%も伸びました。同時期のGDP(国内総生産)の成長率は、政府が積極的な財政出動を続けた効果もあり、年平均で1.7%となり、名目上の経済成長は実現しました。ただ、当初目標の3%にはほど遠い。その間に政府の純債務が年率2.5%増えたのに比べても、効率が悪いものです。同時期、個人消費は年率で0.9%しか伸びず、多くの国民や企業には、戦後最長ともされる「好景気」の実感がありません。一部の大企業や投資家は大きな利益を上げたものの、そのもうけはためこまれたままなのです。

   今回の参院選で、安倍政権はアベノミクスにより、若者の就職率が改善したことを強調しました。しかし、これは半世紀近く続く少子化で新規学卒者が年々減るとともに、団塊世代の最終退職によって労働市場が極端な人手不足になったことが主な要因です。実際問題として44歳以下の就業者の数は減り続けており、企業経営や消費の足を引っ張っています。

 とはいえ、安倍政権下において内需とGDP はかろうじて増え、マイナスにはなっていません。  投票率が低かったのは、政権の「針小棒大な」成果の宣伝にしらける一方、あえて「反対票」を野党に入れるという気分にもならず、投票に行かなかった有権者が多かったためではないでしょうか。  今回の参院選でもカギとなった「経済成長」ですが、それが実現したからといって、いろいろな問題が自動的に解決するわけでは決してありません。

 例えば、参院選の争点のひとつになった「老後の2千万円不足」に象徴される年金不安があります。原因は長引く少子化で現役世代の数が減る一方、長寿化で高齢世代の数が増えていることです。

 そんな中で、安倍政権の掲げる「2%インフレ」が達成されれば、年金の給付水準を自動的に調整する「マクロ経済スライド」が発動し、物価は上がっても年金は増えません。他方、消費増税で年金受給世帯の負担感は増すことになり、「ダブルパンチ」になります。このことを理解して今回投票した年金生活者はいったいどれだけいたのでしょうか。

 理解されていないのは、日銀の「異次元の金融緩和」の副作用も同じです。インフレになって金利が上がれば、国債の市場価格は下落します。400兆円以上を保有する日銀は債務超過となり、その発行する日銀券(お札)の価値が下落しかねません。わずかばかりの経済成長のためにとんでもないリスクを抱え込んだのが、「アベノミクス」の実態です。

 本来、政治が取り組むべきは抽象的な「経済成長」などではなく、女性と若者の賃上げによる内需拡大、これ以上の少子化の食い止めです。だからこそ、この参院選で多くの政党が最低賃金の引き上げを訴えたのです。様々な少子化対策の公約が打ち出されたことも評価はできますが、まだ濃淡があります。  アベノミクスのように、政府の借金を増やし、日銀の財務の健全性も損なってまで、目先の経済成長を求めることは、来たるべき反動への不安をかきたてて、少子化を進めることにつながり、長期的な日本の反映にはマイナスです。後世に「経済成長の早期達成を安請け合いする公約には要注意」という教訓が残れば、せめてもの救いなのですが。 (聞き手・日浦統)」朝日新聞2019年7月23日朝刊17面、オピニオン欄。

 「専門家」の解説が現状を冷静に正確にみるものであるなら、それは読むに値するし、ぼくたちの判断に影響を与えるはずだと思う。しかし、それにもかかわらず候補者の演説やテレビのコメンテーターなどが発言している内容は、きわめて思いこみだけの素人の議論としか思われないものが多い。落選した人はそれで言いたいことを言って気が済めば無害に近いが、おかしなことを考え発言する人がなぜか当選する場合がかなりある。これは、国会の劣化につながるし、現に失笑を買うだけでなく国際問題にすらなりかねない言動をする問題議員もいる。

 この日本総研主席研究員藻谷氏のここでいっていることは、かなりまともな議論として、説得力があるとぼくは思う。安倍政権が自慢するアベノミクスの成果、そしてなんとなく「経済成長」こそがすべての課題を解決する唯一の手段であるという言説が、もともと一種の妄想に近いことは、はじめからわかっていたけれども、それでもこの主張に日本の有権者の過半数が疑いをもっていないらしいことは、やはり「専門家」つまり企業応援団エコノミストではない、プロの経済専門家がちゃんと指摘し説明する必要が大いにあると思う。力強い経済成長は可能であり、経済成長すればほとんどの問題は解決に向かい、日本は安定する、などと今この状況でいうことは、詐欺みたいなものだと。

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