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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

い~かげん 選挙 やめてくれ! ・・Scheonberg

2016-10-30 22:17:51 | 日記
A.つかれた選挙
 今年は春から選挙が続いた。参議院選挙、都知事選挙、それに先頃の衆議院補選。どれも投票したけれど、ぼくの投じた候補はみな落選した。せっかく一票を投じても落選しては無駄な死に票だから、気分もよくないし選挙なんて行く価値はないと考えるなら、それは選挙というものの意味を理解していないことになる。教科書的に言えば、意見や政策の違う複数の候補者がいて、競い合って有権者の支持を求め、その結果が示す分布がその時点での「民意」だとわかることが重要であり、当選した人物はその「民意」を体現して政治権力執行権を与えられる、ということになる。
 ということに、なったわけだが、どうにもすっきりしない。ぼくの一票が死に票になったことがすっきりしない、のではなく、投票率35%という選挙では選挙自体の正当性が怪しくなるからだ。当選した候補者は75,755票、次点で落選の候補者は47,141票、第3位の幸福の科学の候補者は2,824票だった。つまり有効票総数は125,720票(これが全有権者中34.85%)とすれば、当選候補の獲得票率は過半数を越える有効票の60.25%だが、全有権者36万人のわずか20%(20.99%)でしかない。有権者の5人に1人しか支持する票をもらっていなくても、次点を上回っていれば国会議員になれる。投票率が下がれば下がるほど勝者に有利に働いたとすれば、それは小池百合子人気の影響だというよりも、有権者の3分の2が選挙に行くつもりがないという判断をしたということが二重に危機的だ。つまり、人々は選挙に関心がないという危機と、選挙に行かなくても何も問題はないと思っていることの危機。
 なのに、また年内に衆院選をやる、かもしれないという。い~かげんにしてくれ!

「民意と政党 つなぐ回路を:世論調査部長 前田直人
 「真の勝者」と呼べる政党はどこか。それが、どうにも判じがたい。今月終った三つの注目選挙のことだ。
 新潟県知事選は野党系が制し、衆院東京10区と福岡6区の補欠選挙は与党系の2勝。しかし、その内実は自民も民進も組織にゴタゴタを抱え、矛盾を取り繕いながら「勝ち馬」を求める姿がきわだつ戦いぶりだった。
 「日本国中で自民党が支持されているかどうかは、慎重に検討して対応すべきで……」。自民の二階俊博幹事長によるそんな控えめな言葉がストンと胸に落ちる。
 政党の地力はどうだったか。朝日新聞が選挙情勢調査にあわせて行った世論調査から、3地域の主な政党支持率をピックアップしてみた。
 新潟県   自民32%▽公明1%▽民進7%▽共産2%
 東京10区 自民33%▽公明2%▽民進12%▽共産6%
 福岡6区  自民37%▽公明2%▽民進9%▽共産2%
 自民が第一党だが、どこも3割台で3人に1人くらい。最大勢力は無党派層で、新潟が54%、東京10区が44%、福岡6区が48%だった。
 鮮烈だったのは、原発再稼働が争点になった新潟県知事選だ。自主投票の民進を除く野党3党が担いだ再稼働慎重派の新顔が無党派層を味方につけ、自公推薦候補に土をつける「大金星」をあげた。
 旧来型の組織戦は形なしだった。民進の支持団体の連合新潟は自公推薦候補を支持したが、民進支持層の大半が野党系へ。あてが外れた自民関係者からは「連合とは何なんだ」とのぼやきを聞いた。
 鳩山邦夫元総務省の死去に伴う福岡6区補選では、自民は無所属新顔2氏の公認争いの決着がつかず、選挙前に公認できずじまい。当選した邦夫氏の次男を後追いで公認したが、自民県連が推した新顔は得票率13%と惨敗した。
 自民公認候補が勝った東京10区は小池百合子・東京都知事の人気頼みだったが、投票率は34.85%と自民支持率と大差ないレベルに低迷した。
 争点が明確だった新潟を除けば、これまでの与党の勝ちパターンと同じ。つまり、手練手管にたけた自民が波風をおさえ、低調な中で2補選をしのいだのが実態である。
 次の衆院選へ態勢固めを急ぐ自民も民進も、進む道を見失ってはいないだろうか。
 自民は、原発再稼働反対という県民世論がもたらした「新潟ショック」に揺れ、衆院選候補者の差し替えまでちらつかせるスパルタ式の組織引き締めに懸命だ。民進は野党共闘を支える市民らとの意思疎通を欠き、自らの「応援団」の間に不信を広げる悪循環の中でおぼれている。
 「市民と政党をつなぐ回路を張り巡らすことが、今後の課題です」。野党共闘を求める市民グループの関係者から、そんな指摘を聞いた。
 与野党や市民の別を問わない重い課題だ。争点化から逃げず、組織の利害とは無縁の民意と政党の間の目詰まりをなくす。その対話の「回路」を築く競い合いにこそ、全力をあげるべきときだろう。」朝日新聞2016年10月30日朝刊、4面総合欄。

 原発再稼働が争点であれば、原発立地県では無党派層が選挙に行って投票率が上がる。特定イシューへの意思を問われていると感じるからだ。しかし、東京10区や福岡6区では、そういう構図がなかった。ほんとうは問うべきイシューがないわけではない。たとえば憲法や消費税や年金・保険制度をどうするか、選挙で明確な争点になれば、無党派層も投票に行く気になるかもしれない。しかし、オリンピックを安倍晋三首相に任せておけばこの国はなんとかなるだろう、というようなまったく根拠のない希望から、ただの人気投票みたいな選挙に行くのは、まったく無駄で魅力のないものになっているのだ。そこにつけこんで、今のうちに与党の盤石体制を固めるために解散総選挙をやろうというのは、まったく亡国の道だな。



B.音楽の話・どこから始めようか?
 この秋から、ぼくは「アートと社会」をテーマにする講義を始めた。まずは美術編として、絵画を中心に話をしている。そろそろ美術編は一区切りなので、次は音楽編にするつもりだが、どこから話をはじめようか?およそのプランはあるのだが、絵画なら学生に図版を画像で並べて見せることも簡単なので、ルネサンスから19世紀、そして20世紀終了までの現代美術まで、材料には事欠かない。ついでに毎回、スケッチブックとクレヨンを与えて学生に「ぬりえ」をしてもらっている。だが、音楽編では画像だけでは説明にならない。いろんな音楽作品を実際に音で流す必要がある。これも今は、いちいちCDを購入して、手間のかかるサンプリングをしなくても、ある程度は手に入るのだが、現代音楽の特殊な作品とか、民族音楽とか、雅楽・能楽・三味線音楽などは探すのが手間である。しかたないので、ピアノや楽器ももちこんでお粗末ながら自分でやるしかないか。

「ヨーロッパ中世のグレゴリオ聖歌は単旋律で、はっきりとした拍節もなく、和音もありません。この一本線の音楽から複数の線が並行するようになり、和音が生まれたり、対旋律ができたりと複雑化してゆきます。何百年ものうちに音楽の様式は変化します。楽器の数も増えてきます。そのあいだに音楽をめぐる思想もいろいろ出てきました。
 美術史から借りてきた用語で、中世からルネサンス、バロック、ロココ、古典派、ロマン派といった流れが西洋音楽史にはあります。そしてだんだんと音楽は複雑になってきました。それが十九~二十世紀には加速し、二十世紀ともなると新しい技法や方法論を考えて、それを創作に応用すれば「新しい」と考えるかのようなことさえ出てきました。前衛や実験といった語も頻出してきました。
 一オクターヴにある十二の音を平等に扱う(シェーンベルク創始の)十二音技法。音の高さのみを扱った十二音技法に対して、拍や音色といったものまでパラメータ化して組織しようとするセリー音楽。いや、ひとつひとつの音の組み合わせではなく、音それぞれが動くさまを統計学的手法で処理する。あるいは音の重なりをクラスター(音塊)としてとらえる。逆に、音のありようを可能なかぎりコントロールしないようにする偶然性・不確定性。最小限の素材の変化に注目するミニマル・ミュージック。さらに、調律のあり方そのものを問い直してゆくひとたち……。
 音楽を複雑にしてゆくのみではなく、ときには揺り戻しや反動があり、別のかたちで音楽を見直すということも生じてきます。けっして歴史は一本の線のように扱うことはできません。
 ジャズやロックもだんだんと複雑化してゆきました。しかし、これもまた、突然、原理主義のようにシンプルなところに戻ってしまったりします。ディキシーランドとかニューオリンズのジャズから、ビッグバンドのジャズになり、ビバップになる。はるかにハーモニーの構造は複雑になって、それが飽和状態になったあたりでフリー・ジャズが登場、エレクトリック・サウンドが導入され、ある要素は複雑化しながら別の要素はシンプルになったりもします。細かく見ていけばきりがありませんが、複雑化と単純化が入り混じるところが音楽の歴史にはあります。
 古代より音楽は数理的な論理性と情緒性との両方をそなえたものとされてきました。ひとつのメロディーは、聴く人に何らかの感情をもたらしつつ、それぞれの音は周波数をもち、前の音と数理的な関係をもっています。時代によって、あるいは個人によって、音楽の聴き方、音楽についての考え方は数理性/情緒性のどちらに比重があるか変わってきます。そしてそれは当然、音楽をつくるときにも大きくかかわってくるのです。
 シェーンベルク
 ヨーロッパの芸術音楽を大きく変革したひとりの人物として、アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)を忘れることはできません。ドレミファで長調と短調という調性によって音楽がつくられるようになったのは十六世紀から十七世紀にかけてでした。現在に至るまで、この調性は多くの音楽の基本になっています。しかし十九世紀の後半になってくると、作曲家たちはさまざまな表現とその複雑化を押し進めるなか、調性はひとつの限界に達したかにみえ始めました。リスト(1811~86)やワーグナー(1813~83)、あるいはドビュッシー(1862~1918)はそれぞれに調整システムに対して新しい解決法を見いだしましたが、シェーンベルクはさらにドラスティックな方法を考え出すことになります。まず、調性をもたない、無調、そして十二音技法です。
 はじめはワーグナーやマーラー(1860~1911)の響きの延長上に、音楽史的には、後期ロマン派風と呼ばれるスタイルで作品を書いていた――その代表例は「浄められた夜」(1899年)であり「グレの歌」(1910~11年)でしょう――シェーンベルクですが、無調作品の『月に憑かれたピエロ』(1912年)などを経て、十二音音楽へと至ります。
 十二音技法とは、一オクターヴにある十二音を平等に扱うというものです。調性だと、中心となる主音があり、二番目に属音があり、というような一種のヒエラルキーがあります。ハ長調ならハ音が中心(ド)で、ト音が属音(ソ)になるというように、です。しかし、こうしたものがなくなっています。それだけではありません。平等にというのが大切で、セリー(音列)というのをあらかじめつくっておき、そこでは十二の音に偏りがないように順番を決め、メロディや和音へとあてはめていきます。そして今度はそのセリーを逆から読んでいったり、上下を逆さにしたりすることで変化をつけてゆくのです。こうすることによって、シェーンベルクはみずからの方法論が、調性にかわるものであり、かなり長いあいだ有効であり、将来は子どもが十二音音楽でうたを歌うようになるだろうと考えていました。
 シェーンベルクはオーストリア、ウィーン生まれのユダヤ系だったため、第二次世界大戦が近づいてくると故郷を離れ、アメリカ合衆国に亡命します。かの地では大学で教えたりしていましたが、弟子のひとりにジョン・ケージがいたことは、二十世紀の音楽の流れをみるうえで、記憶しておくべきことでしょう。」小沼純一「現代の音楽5」(森山直人編『メディア社会における「芸術」の行方』)藝術学舎、2014.pp.56-59.
 
 シェーンベルクも「浄められた夜」などはCDを持っているのだが、無調時代の音楽や十二音の作品はあまり手に入らない。シェーンベルクでもこうなのだから、もっとマイナーな作品は厄介だな、と思ってネットで検索してみたら、おお!少なくとも20世紀の音楽作品の主要なものなら、U-Tubeにたいてい載っている。そうか、時代はずいぶん便利なことになっていた。ダウンロードできるものも多い。ありがたいことだが、さすがにジョン・ケージの例の曲ばかりはない。自分でやるか。
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