イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分に正直なのかなぁ?不一致を考える。(愛の訓練 8/10)

2012-03-25 | 第九章「愛」

 カウンセリング理論や心理学の本の中に、よく一致ということばがでてきます。「本音と建前」ということばが世間ではよくつかわれますが、ちょっとこれに似て<深層心理での本音>と<意識や言葉>の一致を表現しています。<深層心理での本音>は<体験していること>とか<本当の感情>と置き換えてもよいかもしれません。

 誤解を恐れずに言い直せば、「深層心理の本音と意識・言動」の一致でしょうか。本当は嫌いなのに好きと言ったりする。そんな例が不一致の実例です。本人は自分の深層心理までなかなか見通せないので、他人の眼から見て、本当にそうなの?と訊き返したくときなどは、不一致の時かもしれません。

 蛇足かもしれませんが、深層心理の本音を性善説的にとるか、性悪説的にとるかという大前提があるのですが、「生き甲斐の心理学」では性善説で考えています。

 プロセススケールの不一致は次のように表されています。

底辺:意識されない

中辺:認識が増大する。直接的体験過程が増大する

高辺:一時的にある

 この不一致はどう訓練されるのでしょうか?感情の意識化と受容。太極拳・・・今日は、一日何なのか考えてみたい。

 愛の訓練 8/10

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本心をポツリと語りはじめ、最後には望むがままに語る!(愛の訓練 7/10)

2012-03-24 | 第九章「愛」

 こころの健康を「生き甲斐の心理学」のプロセススケール(今日は7つのうちの4つめである)で検討していると、大切なことに気付く。

 一日のなかで、生活の各場面で7つの指標をみると、ある時は相対的に高辺、ある時は中辺、そして、ある時は底辺。しかし、観察していくと健康な時は個別の事柄(誰でも、触れられたくない問題はあるようだ)も、底辺から中・高辺に向けて流れるようだが、高辺が中辺、底辺へ逆流するようなことも残念ながら日常にある。この時が訓練の時なのだが・・・

 さて、こうした逆流現象で現象的にわかりやすいのは、今日のテーマの<自己の伝達>ではないだろうか。

 仲が良かったのに、だんだん無口になり、口をきかなくなる。普通の関係だったのに、よそよそしくなる。いつの間にか、関係が表面的になり本音がわからなくなる。神仏であれば祈ることが少なくなったり。

 人間は、こころの奥を自分に対しても、他人に対しても上手に表現する必要があるようだ。そして、それにより成長し豊かになる。それが阻害されると問題である。

<自己の伝達>のプロセススケールは次を参考に。

底辺:欠けている。

中辺:自己の伝達が増大する。

高辺:豊かな自己意識が望むがままに伝達される。

 通常は、健康な流れ(底辺から中辺・後辺へ)が多いが、地球でも紛争地帯はどうでしょう?正常な人でも血で血を洗うような状況下では中辺、高辺を目指すのは至難です。でも、人に対する愛の信念のようなものがあれば、実現可能ではないでしょうか。「人の身体は神の神殿」とか、どんな相手にも仏性があると信じるとか・・・結局はそういう信念がものをいうと思います。

 多摩動物公園のアフリカ園には、シマウマやダチョウが繁殖への配慮のためかオス、メスが別隔てられて暮らしています。写真のダチョウさん、塀を隔てて何を語っているのやら・・・

 愛の訓練 7/10

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エレガントな食事もいいけどね!(愛の訓練 6/10)

2012-03-23 | 第九章「愛」

 昨日は、Sさんから教えていただいた「エレガントな宇宙(超ひも理論)」をYouTubeで観させていただいた。一応私も理科系なので学生時代は物理も勉強したり、また卒業研究が多変量解析のモデルをつかった(つまり高次元空間)研究だったので、今の時代の超弦理論があまりにエレガントにこの世を表現しているので心が躍った。

 物理の世界は意外にも心理学の世界に近いところがあるようで、フォーカシングで有名なジェンドリンも元理論物理学の研究者であったりする。そのジェンドリンは、シカゴ大学で心理療法をカールロジャースについて習い、日本でも有名なフォーカシングを考案していく(なお、私の師匠のU先生も、当時のシカゴ大学で心理学の研究をされたご縁がある)。そして、ロジャースの考案した世界で愛用されるプロセススケールも7つの次元(ストリング)という表現をしているのもおもしろい。

 心理学の世界も将来11次元の大統一理論と関係が表面化するかもしれない・・・

 さて、理想領域の話は、興味が尽きないが、悩みを産むもう一つの現実の把握の仕方、体験の解釈の問題を考えてみよう。自分の愛の原型にとらわれ、他人の愛の原型(自分とは普通に違う)を柔軟に解釈できない。小さな愛に固執し、大きな愛の存在に気付かない(今の私も、そうかもしれないが)。U先生の「生き甲斐の心理学」には次の素晴らしい一節がある。

・・・愛の多様性(相手の愛の原型)を柔軟に解釈出来る人は、どんどん、幸せになりますが、一面からしか愛を感じない人は、どんどん異常な愛に走りやすく、かつ孤独になります。柔軟に人の善意、やさしさを体験する為には臨機応変に相手の愛を体感できる訓練が必要。・・・

体験の解釈を調べるプロセススケール(7つのうちの一つ)は以下です。

底辺:構成概念(思い込み)が硬い。構成概念が事実として見られる

中辺:硬さが減少する。思い込みは自分自身でつくるものという認識が増大する

高辺:一時的な構成概念はある。しかし現実の諸現象には、それぞれ深い意味があると分るようになり、その現象、体験を柔軟に、体験過程に照合して検討していくようになる

底辺はよくない状態。中、高を目指すのが良いとされている。

私も、日々訓練をしているが、その方法は高辺の状態を意識することが参考になる。日々の森羅万象を謙虚に受け止め、その意味を模索する。他人の愛の原型は何だろうと、時には想いを寄せる。そんなことだろうか?

愛の訓練 6/10

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「鉄の女」の理想領域!(愛の訓練 5/10)

2012-03-22 | 第九章「愛」

 昨晩は、映画「マーガレット・サッチャー」を楽しんだ。丁度、生き甲斐の心理学でU先生や学友と持統天皇の勉強をしているが、自分にとっての持統天皇の謎もサッチャーの映画を見ていると何か半分くらい解けるように感じた。持統天皇は何故、大津皇子に謀殺といってよい対応をしたのか。持統天皇は何故、天皇家で初めて自らを火葬にするよう命じたのか。

 「生き甲斐の心理学」の勉強で悩みが理想と現実のギャップであることを学ぶ。そして、悩みを解決するために、現実の解釈を変えたり、時には理想(理想領域)の吟味をしたりする。例えば、理想が低くなれば悩みが軽くなる。

 人のもつ理想領域。その中には政治とか経営とか宗教的理念が入ることもあろう。また、その理想領域ゆえに深い悩みが起こる。サッチャーがフォークランド紛争に理念をもとに戦争に突入するが、当然の結果で自国にも戦死者が出る。イギリスもキリスト教文化の国である、聖フランチェスコの平和の祈りの一節が出てくるが、愛とかけ離れているように見える政治の現実に、サッチャーはどう自己を統合していくのか興味深かった(これがこの映画のポイントかもしれない)。年老いたサッチャーの戦いも、フォークランド紛争に突入したころの戦い以上に大変なのだなと、老後の厳しさも実感した。

 さらに、愛と意志の問題。「ある種の理想領域をどう考える」かという、心理療法やカウンセリングの大事な問題を想起させる。たかだか100年の歴史しかない臨床心理学で、数千年の歴史をもつ宗教や哲学・政治の世界に立ち向かうことは愚かかもしれない。 

 愛の訓練 5/10

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いっぴきオオカミの生き方に学ぶ!(愛の訓練 4/10)

2012-03-21 | 第九章「愛」

 今から20年以上昔になるが、Kさんの紹介で某異業種勉強会に参加するようになった。当時は某外資系企業に勤める中堅サラリーマンであったが、勉強会の参加者の半数以上は、さまざまな業種で活躍する事業家であった。

 そして、近況や、最近の関心事を報告したりするのだが、何回か参加するうちに、一匹オオカミ的な人の迫力というものに眼をみはるようになってきた。何か真剣さが違うというのだろうか。打てば響く感じなのだ。

 今から考えると、当時の自分は、ここひとつ責任感の乏しい生き方をしていたように思う。いざというときに逃げる(表面的には自分でも気づかない)、そういう癖があったように思う(今はどうかな?)。ある日プレゼンテーションをしていると、何かむなしくなった。自分の会社のことを説明しても、結局は自分の会社の社長(意志決定者)であるわけでない。それなのに、心理学用語でいうと感情転移で、あたかも責任者のように感じたりする。等身大ではなく、肥大した自分に気が付いた瞬間であった。

 愛の健全性を測る指標、プロセススケールの一つ(7つのうち)は、本当の問題を恐れず意識化する<問題に対する関係である>。

 底辺:問題が認識されない。自分を変えようとする要求がない

 中辺:責任をとることが増大する。自分を変化させることを怖がる

 高辺:問題を外部的対象物として見なくなる。問題のある側面の中に生きている

 底辺はよくない状態。高辺を、日々折にふれて意識すると(他の指標もそうだが)良いようである。また、「生き甲斐の心理学」でU先生も言われているが、自分の愚かさ(人間は聖人でないので、誰でも愚かな面を持つと思うが)に気付き、神仏にそうした自分を委ねるといった経験は大切だと思う。

 愛の修業 4/10

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