代議士も先生と呼ばれるが、お医者様や学校の教師なども先生と呼ばれる。そして、その評価は先の支持率ではないが結構変化するようだ。昔は、先生という職業は暗黙のうちに尊敬する仕事というところがあったと思うが、今はサービス業的に捉える思想?が浸透し、以前にまして理想化と蔑視の両極端に揺れることも多いようだ。
先生という職業は別にしても、親子関係、上司・部下、先輩・後輩など到る所に、この先生的な要素があり、対人関係も理想と蔑視の間を揺れることがある。
特に日本人は、精神構造的にこのある意味で病理的な、理想化と蔑視を育む≪甘えの構造≫があることをU先生から学んだ。今丁度、井沢元彦氏の≪逆説の日本史≫を古代から中世にかけて読んでいるが、怨霊思想なども、≪甘えの構造≫(防衛機制でいうと同一化)と深く関係するのではと思うようになった。
理想化と蔑視の嵐の経験は、実に辛いものだと思う。人間はそう変わるものではないのに、評価が極端に変わるのは何かおかしい。そして、嵐の中で自己否定的になったり他者否定的になったりするのはしかたがないことかもしれないが、自己肯定・他者肯定に居続ける道も残されていると思う。
私は何のために生きているのか?この問いは≪甘えの構造≫をかいくぐり、より真実に近づく道のようである。
愛の領域⑱(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 58/60)
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