イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

私も貴方も感情仕分けを!(感情の世界②)

2010-05-21 | 第八章「魂と聖霊」
政治では事業仕分けが話題になっている。自分のことを考えても、例えばサラリーマン時代を振り返ると、いろいろ分類して整理するのは身に付いた癖のようであった。

 仕分けをすると、見えないものが見えてくる。混沌の中に、何か法則とか傾向とかの糸口が見えてくるものだ。人は3つの側面を常にもっている(これも仕訳だ)。思考・感情・行動。サラリーマン時代私は、思考や行動に関しては仕訳をよくした。皆さんも大なり小なりされているのではと思う。

 ただ、感情を仕分けすることは、思いもよらなかった。しかし、豊かな人生を歩む上で、感情の仕分けも極めて大事なのである。一日の中で、どういう感情がうごめているのか。これを例えば書き出してみて、仕分けをするとビックリするような気づきを得ることがある。例えば、昨日のブログを書く中で、気づいた感情(具体的な言語化を伴う)は次のようであった。

 早くブログを書きあげなければ、そういえばメールを出さねば。連絡が取れないA氏に電話しなければ。勉強会の案内を作らねば。ちょっと体調が・・・。旧約聖書を熟読したい・・・。逆説の日本史も海辺のカフカも源氏物語も読みたい。そういえば論文も相変わらず書いていない。明日は仕事場だなぁ。ホームページの申請もしなければ・・・

 そして、この感情は焦燥感、軽い錯乱感、罪悪感、かるい憂欝、身体的な不健康感、魂の渇望みたいな欲求、トキメキ、劣等感、憂欝、不安感などとラベルを張ったりする。

 また、暗い感情であれば、5つの分類で整理してみる。①不安感 ②怒り ③身体症状 ④鬱 ⑤錯乱。また全体的に①から⑤のどこら辺に今いるのかを考えてみても良いかもしれない。明るい感情があれば、これも5つに分類してみる。①平安感 ②友好的感情 ③健康感 ④幸福感 ⑤統御感 始めは難しいかもしれないが、実際にちょっと時間を掛けてやってみることをお薦めする。例えば一日の感情を仕分けしてみると知らなかった、自分の一面が見えてくる。

 生き甲斐の心理学で学ぶ、もうひとつの仕分けの仕方に、この感情は身体から来るのか、こころ(生まれてからの生育史が原因)から来るのか、魂から来るのかと仕分けをすることがある。例えば、昨日「ちょっと体調が・・・。」という不安があったが、これは身体から来る要素もあるが、過去の体調が悪い時に苦労したことを思い出して憂欝になるという、こころから来る不安要素もあった。

 感情を仕分けしてみると、意外な発見がある。そして、仕分けするだけで何か安心できるところがある。

感情の世界②(見えないものを観る、聞こえないものを聴く) 3/60)

人気blogランキングへ・・1クリックで燃えます!感謝しています!!! 



暗い感情はタカラ!・・・(感情の世界①)

2010-05-20 | 第八章「魂と聖霊」
 江の島の隣の腰越に始めて行ったのは4年前である。それから、今は毎月一回は行く。U先生の開催する勉強会に参加するためであるが、余程のことがない限り、海岸に出てのんびりする。獰猛なトンビが飛んでいたり、サーフィンを楽しんでいる若者を眺めたりする。
 
 そんな海であるが、天候や季節の影響でいろいろな表情を示すが、冬至の近い冬の海岸で気づいたことがあった。海がきらきら光っているのだ。丁度、冬至のころで太陽の位置が東側で、低かったのだ。その時の写真が今日の写真である。

 誰も居ない寒い冬の海。その中で光っている海は神秘的ですらあった。

 さて、生き甲斐の心理学を勉強して、U先生から何回聞いたか判らない言葉がある。ストレス曲線(暗い感情)からスタートする。混沌とした状況の中で、まず必要な大切な情報は暗い感情であるということである。

 話の筋道とか、理屈や考え方いろいろあっても、最優先に凝視するのが暗い感情?

 例えば、今ここで、ブログを書いている私に湧き起る感情は、さまざまであるが、その中にウンザリするほど湧き起るのが暗い感情である。
 
 早くブログを書きあげなければ、そういえばメールを出さねば。連絡が取れないA氏に電話しなければ。勉強会の案内を作らねば。ちょっと体調が・・・。旧約聖書を熟読したい・・・。逆説の日本史も海辺のカフカも源氏物語も読みたい。そういえば論文も相変わらず書いていない。明日は仕事場だなぁ。ホームページの申請もしなければ・・・

 その大半は、すぐに解決できる不安が殆どであるが、無意識の世界に食い込んでいるような不安もある。腰越に初めて訪れたころ、あるいはそれ以前のころに戦っていた問題が、今ごろになってさまざまな場面で意識にのぼり、何か統合されるのを待っているようだ。

 平安感を始め明るい感情はあるが、それは恵みのようなものであり、大半は暗い感情。平安感と不安感。どちらが人間の本質かといえば不安感が本質である。これは生き甲斐の心理学を学んで、何回も反芻した理論である。

 そして、例えば4年前に戦った頃の問題を、その不安感から再度思索し、今の行動に移していく。何か回答へ向かう可能性がある。不安感は貴重な宝物だと思う。

感情の世界①(見えないものを観、聞こえないものを聴く) 2/60)

人気blogランキングへ・・1クリックで燃えます!感謝しています!!! 



 

 

 

見えないものを観る!聞こえないものを聴く!

2010-05-19 | 第八章「魂と聖霊」
 カウンセリングのワークショップ(勉強会)で何日か泊まった時、同室だった青年A氏が算数の問題を出してくれて、時間を忘れ解いたことがあった。夢中になって楽しんだ。懐かしい一時であった。

 算数や数学の勉強の多くは実社会では直接役に立たないが、若いころに学問の楽しさを教えてくれたのは算数や数学であったのかなと思う。例えば、幾何の問題では、混沌の中から一本の補助線で回答が観えてしまう、それはとても刺激的であった。

 見えない、欠落した中から何かを観て回答を得る。聞こえない、欠落した沈黙から何かを聴く。

 生き甲斐の心理学も、混沌とした人間の状態の背後に、愛そのものの魂に繋がる何かを探す。何か似ている。混沌は同じとしても、補助線は何に当たるのだろうか?

 暗い感情、思考・感情・行動、こころの防衛機制、プロセススケール・・・。そういった幾つかの要素を観たり聴いたりする。そこから、解決方法が導かれてくるようだ。

 勿論心理学の知識はとても大切であるが、こころの世界は理性だけで割り切れるわけでなく、神秘的ですらある。今回は、特に感情の問題を考えつつ、見えないものを観、聞こえないものを聴くという心の理論を思索していきたい。

総論(見えないものを観、聞こえないものを聴く) 1/60)

人気blogランキングへ・・1クリックで燃えます!感謝しています!!! 



愛の領域!(今さら訊けない一億二千万人のための心理学)

2010-05-18 | 第七章「光と復活体」
 3月20日から書き始めた合計60回の、今さら訊けない一億二千万人のための生き甲斐の心理学が今日で終わる。3月20日のブログの写真が椿であったが、今日は府中で撮ったムサシノキスゲである。豊かな時間の流れを感じさせてくれるようだ。

 さて、この60日で書かせていただいた内容は次の3つのポイントである。

 ①こころを援助する意味(傾聴など)
 ②こころを鍛える(エンカウンターなど)
 ③愛の領域(自己愛の問題など)

 テキスト≪生き甲斐の心理学≫(植村高雄著)を片手に、自己事例を追いながら書いてきた。特に③の愛の領域は、殆ど今回はじめてブログで思索したことが多い。

 第一章、愛の領域は私にとって、今まで一番判りにくいところであった。ただ、U先生の言われているように自己事例で理論武装する意味は大きかった。

 愛の領域は、現代に生きる人達全てにとって、とても身近な問題だと思う。家庭、親戚、仕事、地域、さまざまなところに影響を与えている。日本で自殺が今年も3万人を突破したのも、恐らくこの領域の問題が未解決だからとさえ思う。

 その問題の回答は自分自身の中に存在し、人は教えることが出来ない。一緒に考え支援することはできても。ただ、自己事例を考える中で、U先生が教えてくれた、3つの問いかけは重要だと思う。繰り返しになるが、もう一度最後に述べてみよう。

 ①自分は何の為に生きているのか
 ②自分の生き甲斐とは何か
 ③自分の魂、心、身体を大切にしよう

愛の領域⑳(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 60/60)

人気blogランキングへ・・1クリックで燃えます!感謝しています!!! 




 
 

超・個人情報・・・≪名前≫・・・ (愛の領域⑲)

2010-05-17 | 第七章「光と復活体」
 きょうは朝目覚めるとふと、万葉集を開いてみた。一番最初に載っている歌は、ご存じの方も多いと思うが雄略天皇の「籠もよ み籠もち・・・」である。この歌は、菜をつむ娘の名前を教えてくれ、私も名のるからという、趣旨の歌である。若いころは、たわいのない牧歌的な歌かと思っていたがそうでない。

 古代、名前は超個人情報であり、名を知るのは結婚相手などごく一部の人に限っていたとされる。この歌は、そういう当時の常識の中での歌なのである。背景の知識を持ってこの歌を味わうと、魂と魂のやり取りといった深いきずなを感じさせる名歌となる。
 
 個人情報は最近法律もできて、いろいろ保護されてきているようであるが、名前くらいはという、感覚を私は持っている。しかし、古代からの歴史を考えると、もっと大切にしなければならないのかもしれない。

 名前も深いものだとつくづく思ったが、名前だけでなく言葉自体も深い。日本でも独特の感覚があり、結婚式や結婚披露宴などでは忌み言葉を絶対さける。受験でも滑るとかそういう言葉はタブーである。コトアゲ思想。言葉に出すとそれが実現してしまうという古代からの思想なのだろう。

 日本の言霊思想ももっと勉強したいが、聖書などにも同じような思想があるように思う。新約聖書で好きな言葉で、マリアの受胎告知での言葉がある。≪「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」そこで、天使は去って行った。≫(ルカ福音書1章34~38)

 今日は話が少し飛躍してしまったが、こうした魂の交流の感覚とは離れた、共感性の欠如の問題を本来書きたかったのである。人それぞれ、置かれている状況や生育史が違う。だから、お互いに理解しあったり共感したりするのは難しい。とはいえ、極端に共感性を無くす時もある。

 それは何故なんだろうか?


愛の領域⑲(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 59/60)

人気blogランキングへ・・1クリックで燃えます!感謝しています!!!