生き甲斐の心理学でも、病理論は大事にされている。その中でも、悩みを生み出す、現実と理想を考察することが大事にされている。
煩悩というか、執着というか、そういう自分の傾向に対し、どう考えていくのか?例えば、今、自分で気になっている執着について、3つくらいを思い出してみる。
例えばA,B,Cとしよう。一番気になるAについて考えてみようではないか。Aに執着することで、自分はどういう理想を満たそうとしているか?現実は?自分の場合、もっともな回答がすぐ出てきても、そこで終わらす、さらに何故と問いかけてみる。
のんびり無理をせず考えてみる。表層で意識された部分とは違う、何か今まで意識されない部分の理想に気付いたりする。より深いところに疼き(本音)があったりする。そういうものに気づけば、解釈もちょびっと変わる(理想が変わる)。
さて、世の中のさまざまなコトやモノは、怪しげなものも多い(そういうふうに見える)。相反する理想を満たそうとするようなものもある(非現実的)。人のこころの仕組みを悪用するようなものもあるかもしれない。
Aに執着する中で、Aに翻弄されてしまう・・・こころが健康的でないとき、Aを判断する現実吟味力が弱まってしまう。いろはの≪い≫と解釈すべきものを≪ろ≫と解釈したりする(理想領域でも現実認識でも)。
時どき、自分の執着リストを作り、その中で、怪しげなものがないか見てみよう。判っちゃいるけどやめられないというのが、人間なのかもしれないが、意外と解釈の問題で、自分の傾向を乗り越えることもできる。
今日は、随分難しいことを考えてしまったが、早朝に起きて、主夫のように家事をいろいろした為かもしれない。掃除をしたりするのは、企業を退職して初めて知った悦楽である。
(愛の領域⑦(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 47/60)
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