イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

浅好深嫌、浅嫌深好!?

2009-10-26 | 第一章「意識と知覚」

 プロセススケールの3番目は「不一致」。これは、<深層心理での本音>と<意識や言葉>が一致(「生き甲斐の心理学」植村高雄著 P40)していないのに気づかないのが(底)。すぐに気付くのが(高)ということだ。

 さて、世の中には四文字熟語があり、時々真理をついていてハッとすることがある。その中に面従腹背という言葉がある。この言葉で、サラリーマン時代のことを思い出したりする。生き延びるために、顔では従っているようで、本音は別のところにある。そんな時も振り返ってみるとある。

 面従腹背は、この「不一致」尺度では、本人が気付いているので健全と見るべきなのだろう(倫理的に良いかは別にして)。あるとき、Aさんはプロセススケールで全体的に底の状態で、元気の無い様子でだった。Aさんは上司のBさんに、人事面の扱いで冷遇されていたようです。ただ、Aさんは昔の会社の社風(そのころは随分かわりつつあった)が身についているのか、あるいはBさんと昔から馴染みがあったのか、あるいはBさんが巧みにAさんと接していたのか、AさんはBさんに対して面従腹背というのと反対に面従服従でした。

 ある日、Aさんは気の合う女子社員2人と昼食後、談笑していました。その中で、Bさんの話題が出てきて、Bさんの素顔の話がでたのです。女子社員の鋭い感性と優しさもあったのかもしれません、突然Aさんは深層でBさんを嫌っていたことに気づいたのです。

 Aさんは、この気づきで立ち直って面従腹背となったようです。この浅好深嫌(勝手な造語)や反対の浅嫌深好に気付くことは、心の健康で大切。勿論、厳しい環境で生き残るにも。

 自分と関わりの深い人達であればあるほど、例えば、家族であったり夫婦であったりという関係の中で、知らず知らず倫理道徳等で自分を縛り(あるいは縛られたりで)、深いところの本音が判らなくなりがち。

 自分の本音をどう大切なひとに伝えるかという大問題は別にあるが、本音をキャッチし、それを受け入れることはイキイキと生きるうえで大事。

(イキイキ度 4/8)

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自分のこころの流れ・・・

2009-10-25 | 第一章「意識と知覚」

 2番目は「体験過程」という、こころの流れを表す尺度である。

 今、重大な自分のことを話ているにも関わらず、なにかガラス越しに眺めているような体験感覚。これは、(底)という状態である。

 自分の過去の経験でも、ある時期を自問自答すると、うまくこころの流れを言語化できない時期があるのに気付く。当時のことを思い出すと今でも抑圧が強くて、思考・感情・行動が断片的で連続性がないようだ。何となくバタバタしている。これも(底)の特徴なのだろう。

 自分にとっての常識や理想と、現実のギャップから惨めな感情等(負い目など)を感じることになるが、常識や理想が頑としていて、無力な自分の実態を、こころの奥底にしまいこんでしまう(抑圧)ケースがある。

 その時、この「体験過程」(体験のしかた)で、今ここの、自分のこころの流れ(感情や意識)を言語化できない(言語化する気分にもなれず)ことが起きるのだろう。

 さて、自分にとって、こうした「体験過程」の(底)への状態が、体験の過程の中でイキイキと生きるという(高)の傾向に大きく変化したことがあった。その大きな原因としては、カトリックの愛とゆるしの信仰を得たからだと思う。

 キリスト教や伝統的な仏教などでは、負い目が許されるという思想がある。愛というか慈悲というか・・・こうした思想は、人間を芯から解放するのではないかと思う。心理学とは違う世界だが、とても大切なことだと思う。

 日本人の自殺者が先進国の中で異常に多いという事実も、こうした許しの思想の有無と関係があるのではと思ったりする。

 今日本では、政治についてより語られつつあるように変わってきているが、宗教についても、健全に語られればと思う。

(イキイキ度 3/8)

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感情は噴水のように清浄か?

2009-10-24 | 第一章「意識と知覚」

 最近、遅ればせながら、カーナビを利用してドライブすることを楽しんでいる。

 以前はIT企業に勤め、GPSの技術やカーナビ車の体験などは、結構早い段階で知っていたが、実際にカーナビを自分で購入し利用したのは先月に入ってからだ(紺屋の白袴みたいなものかもしれない。)

 さて、利用し始めると、今まで知らなかったルートや、地域(自分の経験の範囲)に無関係に、近くの公園や美術館などに簡単に出かけたりできる。先日も、カーナビがなければきっとあと100年?は行くことがなかった隣の県の相模原公園に出かけた。

 相模原公園に行ってみて、素晴らしい庭園と噴水に出会った。その美しさを堪能する中で、自分の意識(行動範囲)が、如何に小さな固定概念で凝り固まっていたかがわかった。

 こんな近くに、こんな素晴らしい場所があり、素晴らしい噴水があるなんて。

 さて、噴水の水を写真に撮ろうとすると、いろいろなことに気づく。ひとつは光との兼ね合い。逆光方向から噴水を見ると、実に奥行というか、水の持つ美しさや不思議さが出てくる。

 ふと、感情のことを思った。感情も噴水に似て意識して観ると、表現しにくい煌めくようなな感情を味わえることがある。勿論心地よい感情もあるが、反対の感情もある。そして、感情の変化は、噴水が時間とともに大きく変わるように、素晴らしい心の動きとなる。

 心の健康度を測る、プロセススケールでは、第一番目に「感情と個人的意味づけ」がある。どんな感情が湧いても、それを恐れることもなく十分に味わう余裕があるのが良いとされている(高)。瞬間瞬間的の感情を掴むということでもある。

 反対に、感情が実感として湧き起こらない(感じられない)時もある(底)。顔は無表情になってしまう。

 今の自分は、高だろうか低だろうか。そして、意識して感情ウオッチングをし、そしてその意味づけを考えると素晴らしい発見をすることもある。

(イキイキ度 2/8)

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イキイキ度?

2009-10-23 | 第一章「意識と知覚」

 不安を知覚し、イキイキと生きる。そんなことを6回考えてきた。

 さて、自分の生まれてから、今までの生育史を考えてみると、極めて困難な時期であっても、こころがイキイキとし、自由闊達に行動していたときがあったことが判る。

 20代の頃、セールスエンジニアとして仕事をしていた時に、本当に絶好調の時があった。ちょっとした気配・不安を察知して、商談を大逆転したりした。

 30歳台~40歳台では企画関係の仕事(実際はとても地味)で、輝いていたこともある。 もう10年前くらい前の危機の時(内容はヒミツ)も、後で考えるとどうしてこうも的確に行動したのか、自分らしくないと思うことも(笑)。

 その反対に、全く輝かない時というときもある。時には精神的に病気スレスレということも。

 会社に入って間もないころ、システム開発の仕事をする中、ほとんど心身症のようになった(環境やタイミングもよかったので、直ぐに回復したが)。その他、30代でも、40代でも、あるいは50歳台の今になっても不調な時がある。

 そんな、こころの健康度は自分にとて曖昧糢糊としていたが、10年近く前になるが、サラリーマン生活を送りながら、U先生の「生き甲斐の心理学」を学び始め、世界の一線の心理療法等の知識を学び、カールロジャーズのプロセス・スケールを学んで眼を開かれる想いをした。

 これは、自分のこころの健康度、イキイキ度を7つの視点で、7つのレベルに評価するものであった(生き甲斐の心理学では日常で応用するときは簡素化するが)。世界で愛用されている、尺度である。

 尺度というと、直ぐ他人に応用したくなるのが人情だが、他人のこころのうちは所詮推察するしかないので、まずは自分に応用し、理論武装するのが良いようだ。

 「意識と知覚」というテーマではあるが、意識、知覚を健全に保つために、イキイキと生きるために、ちょっと寄り道であるが、自分の事例を踏まえつつ、イキイキ度(プロセス・スケール)に触れてみよう。

(イキイキ度 1/8)

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私ってヘン?

2009-10-22 | 第一章「意識と知覚」

 幼い頃から住んでいた家は、南北に長い土地の南端にあり、祖父母の家が北端にあった。そして二つの家の間に庭があり、その庭で幼いころからよく遊んだ。

 一人で遊んだり友達と遊んだりするには、庭の草花は遊びの対象ではなく、飛んでくる昆虫やハエ、そして大量のアリが関心の的になった。

 特に、アリは、小型のアリから、大きなアリまで種類が豊富であり、庭にはアリの巣の穴がいくつかあった。それを掘り起こし観察したり、残酷にも虐殺したりしたものだ。

 そんなある日、一人夏休みの宿題を考え、アリを使った作品を思いついた。そして、画用紙に砂糖を載せ、地面に置き、しばらくしてアリが集まったところを、ローソクでロウづけすることを試してみた。

 2-3匹ロウづけしたところで見てみると、きれいにロウづけされていたものの、なにか自分を睨んでいるようであった。そして、何か嫌な感じがしてやめた。それから、アリを無闇に殺したりすることはやめた。少し大人になったのだろう。

 自分のもつ、ひとつの常識が体感からクエスチョンマークをつけられ、変更を迫られた原型のようである。

 自分のもつ常識や理念。それらは、時に変更すべきものである。大人になると、例えば政治の問題などで良くでてくることだ。Aという自分の常識をじっくり考えると、Bに変更すべきだと気がついたりする。

 自分の理想領域の理念や常識は、常に謙虚に反省すべきなのだろう、もちろん間違いはあるかもしれないが。きっと死ぬまで試行錯誤しなければならない。その時、ストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱)はとても大切なアドバイザーなのだろう。

(不安の知覚 6/6)

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