イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分のこころの流れ・・・

2009-10-25 | 第一章「意識と知覚」

 2番目は「体験過程」という、こころの流れを表す尺度である。

 今、重大な自分のことを話ているにも関わらず、なにかガラス越しに眺めているような体験感覚。これは、(底)という状態である。

 自分の過去の経験でも、ある時期を自問自答すると、うまくこころの流れを言語化できない時期があるのに気付く。当時のことを思い出すと今でも抑圧が強くて、思考・感情・行動が断片的で連続性がないようだ。何となくバタバタしている。これも(底)の特徴なのだろう。

 自分にとっての常識や理想と、現実のギャップから惨めな感情等(負い目など)を感じることになるが、常識や理想が頑としていて、無力な自分の実態を、こころの奥底にしまいこんでしまう(抑圧)ケースがある。

 その時、この「体験過程」(体験のしかた)で、今ここの、自分のこころの流れ(感情や意識)を言語化できない(言語化する気分にもなれず)ことが起きるのだろう。

 さて、自分にとって、こうした「体験過程」の(底)への状態が、体験の過程の中でイキイキと生きるという(高)の傾向に大きく変化したことがあった。その大きな原因としては、カトリックの愛とゆるしの信仰を得たからだと思う。

 キリスト教や伝統的な仏教などでは、負い目が許されるという思想がある。愛というか慈悲というか・・・こうした思想は、人間を芯から解放するのではないかと思う。心理学とは違う世界だが、とても大切なことだと思う。

 日本人の自殺者が先進国の中で異常に多いという事実も、こうした許しの思想の有無と関係があるのではと思ったりする。

 今日本では、政治についてより語られつつあるように変わってきているが、宗教についても、健全に語られればと思う。

(イキイキ度 3/8)

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