昨年の夏から秋。高校の時の一年先輩の内田樹の著作を読み続けていた時期があった。そして久し振りに、まだ読んでいなかった「下流志向」(講談社)を読んだ。
これを読んで、学ばない子供たち(学びからの逃走)。二ート(労働からの逃走)。・・・を思索した。自分にもいろいろ思い当たる事例があった。流動的な時代、ひとごとではない問題だ。
フロイトの14の防衛機制の中では、逃避の問題なのだろう。、逃避は自分の責任を回避してしまうことで、人に迷惑を掛けたり、自分の人生を不毛にしたりする。そういう問題点などがあるが、勿論、防衛機制で自分のこころを守る利点がある。自分も逃避によって健全性を維持できたこともある。
そして、逃避の機制が現代の物質主義の流れの中で、異様に社会現象と繋がってきているように思えてならない。
さて、プロセススケールの6番目は「問題に対する関係」。まさしく、この逃避の問題である。「問題を外部的対象物として見なくなる。問題のある側面の中に生きている。」が(高)。「問題が認識されない。自分を変えようとする要求がない。」が(底)。
自分を取り巻く問題。潜在的には無限にあるようにも思う。しかし、うまく出来ているのだろうか、自分が今すぐ浮かぶ問題は15くらいである。
そのうち、自分の人生を豊にする問題もある(悔いのない人生のための)。こうした問題は、不思議にすぐやらなくても何とかなる問題である。そういう問題が本当は重要。私の経験では、今できなくても良いが、こころのどこかに残し、時々思い出すべき問題だと思う。時が来て、その問題が解決できることもある。
(イキイキ度 7/8) 今回のテーマで「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)34P~47Pを参考にしています。
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