イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

鑑賞は能動的行為!

2009-01-21 | 第三章「無意識の世界」

 「生き甲斐の心理学」を学ぶ中で、絵画鑑賞療法を勉強した。

 カウンセリングなど、一般的には言語を中心にした心理療法が有名である。しかし五感に関する療法もあり、絵画鑑賞療法は言語療法では得られない効果を挙げることもあるという。

 勉強した中で、世界的に使われている、シャガールの絵の中の一枚を定期的に鑑賞し、リラックスする中で浮かんできた想念から、大きな気づきを得たことがあった。

 視覚に関する脳神経は、恐らく相当太古より発展し、言語を司る神経より古くから発展したためか、その出来は果てしなく良く出来ていると最近つくづく思う。筆舌に尽くしがたいことも沢山あるのも頷ける。

 10年くらい前までは、工学部を出ての浅い知識のせいか、視覚とは眼球で光を捕え、単にそれを脳に伝達した程度のものと考えていた。頭に写真機がついてる程度の貧しいイメージであった。

 それが、「生き甲斐の心理学」を学んだり、最近ブログの写真を数千枚撮ったり、脳科学の知識を本で得たりする中で、視覚が如何に人にとって奥行き深い行為であることが判ってきた。神秘的とも言える。

 観る行為は、光を単に受身で感じる行為ではなく、主体的に情報を選択し、意識的にも無意識的にも、本質を求めていくような能動的行為のようだ。(「脳は美をいかに感じるか」セミール・ゼキ著 河内十郎監訳 日本経済新聞社を参考)

 そして、リラックスして美しいもの(芸術作品や自然など)を見ていると、様々な自分に必要な想念が湧いてくることを経験するようだ。

<美の世界から 1/4>

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霜柱のようなお医者さん!

2009-01-20 | 第三章「無意識の世界」

 幼い頃は、身の周りで良く見かけた霜柱も、最近は見かけなくなった。そして、この年末年始にかけて、どこかで観たいと思っていたが、見つからなかった。

 そして、先日家の近くで何気なく歩いていたら、見つけた。

 昼間であったので、できたての霜柱という感じではないが、

 「霜柱 はがねのこえを 放ちけり」(石原八束)という感じが残っている。

 さて、幼い頃から、青年期にかけて大変お世話になった、ホームドクターがいた。第二次世界大戦で軍医をされていた先生で、風邪をひいたりしたとき寒々とした病院に行くと、だいたい他に患者はおらず、一人で待たされた。

 少し待つと、白衣姿で出てこられ、ガスストーブに火を入れ、診察をする。

 熱が38度以上でないと、注射はせず、また、抗生物質も余程でないと出してくれなかった。注射はお尻にうたれた。優しい先生ではあったが、寡黙で、その寒々とした病院のイメージもあり、霜柱の似合う感じの先生であった。

 昨晩、話題の映画、「感染列島」を見に行った。

 養殖の海老にまで、経済性だけを考えて抗生物質をバラまいてきた人間の性(自分のさがでもある)を見る感じであった。厳しい選択を迫られたWHOから派遣された医師(壇 れいさん)も良かったが、もし、思い出の軍医の先生が主人公だったら・・・などと想像した。

 年間3万人以上が毎年自殺し(その数倍の自殺企図者が存在する)、感染症や地震などで脆弱性をもった今の社会。長い人類の歴史を考えれば怖れるに足りないことかもしれない(人間の存在は何時も危機がいっぱい)が、何処か大切なことを忘れてきたのかもしれない。

 時に、暗い感情も大事にしつつ、理想を点検し、霜柱のような声を放ち、悔いのない人生を送りたい。

<対人関係8/8>

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鉄格子の中から!

2009-01-19 | 第三章「無意識の世界」

 動物園は好きであるが、鉄格子の冷たさは嫌である。

 虎やアジア象などの檻は太い鉄格子で、安全のためと判っていても、ちょっと可哀そうである。写真はオーストラリアのエミューで、背丈もあり、きつい眼つきで、存在感があった。しかも、安全な動物と聴いているが、その時は鉄格子の中にいて、じっと私を見つめていた。

 私は、物理的な鉄格子の中に住んだことはないが、昔自分で作った窮屈な世界に閉じ込められたことはある。

 15年くらい前であろうか、今まで良好であったある人との関係が悪化し、自分ではどうしようもない・・・というような苦悩を味わった。本当に鉄格子のように現実は厳しく閉ざされ、他者を全く変えられない自分の無力さを嘆いたものだ。

 当時はまだ勉強していなかった「生き甲斐の心理学」から考えると。私のある人への「~すべき。」という理想(心理学では構成概念と言ったりする)と現実(そのとらえ方もかなり独断的)のギャップで苦悩していたわけである。

 「~すべき。」という背後には、自分の育った環境からの常識や考えが厳としてあり、それは自分の信じて疑わなかったアイデンティティ(自分らしさ)と密接に繋がっていた。

 「~すべき。」は鉄格子のようになっていた。

 こういう状況の場合、北風と太陽の寓話のようで、北風でますます思い込みが固くなることもあるが、ちょっとした暖かさに触れて、外套を脱ぐことができることもある。

 15年前のあの時と、今、自分はどのように変わったか。ほとんど変わってもいないようであるが、年をとった分あるいは「生き甲斐の心理学」を学んだ分、ちょっと高みに移動し、見通しが良くなったことがあるかもしれない。

 今まで、つまらないことが引っ掛かり感じなかった、あの時、あの場所の人の優しさに、後の祭りで気づくことが増えた。

<対人関係7/8>

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不思議な体験!

2009-01-18 | 第三章「無意識の世界」

 心と脳・身体の関係に興味を持ち、いろいろ本を読んでいた中で、小林秀雄の「感想」を知り、読みはじめている。

 小林秀雄が大事にしていた母が亡くなり、その後の一連の不思議な体験が、書かれている。

 不思議な蛍に出会ったり、泥酔し国鉄の水道橋駅のプラットフォームから落ちたが、運良く助かったことなどだ。運良く助かった時、「母親が助けにきたことがはっきりした。」という感想を持ったそうだ。当時は落ちて即死することもあり、その感想はとてもリアルだ。

 自分のことを振り返ると、 この十年の中でも、身内の生命に関係するような事件など、いくつかリアルで何とも不思議な体験をしている。その受身の体験から、自分の中に考えてもみなかったような変化が始まっているようだ。

 そして、こうした人生を左右するような体験は、話をしてみたりするとどうも、様々な人が経験しているようだ。宗教家は不思議な質をもった体験で出家したり、何かを悟ったりする。偉大な芸術家の自叙伝を読んだりすると、そういう体験のことが出ていたりする。テレビでも、個人の不思議な体験が紹介されたりする。

 人生を左右するような不思議な質を持った体験。心の奥から、「母親が助けにきたことがはっきりした。」と言う人がいる時、私は、それが夢だとか幻想だと、冷たく疑うことはしたくない。

 人生とは、それ自体不思議な質をもっているのだと思う。

<対人関係6/8>

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ちょっと、逃げないで!

2009-01-17 | 第三章「無意識の世界」

 多摩動物公園の昆虫館は、私の好きな場所である。動物園で昆虫館というのは、ちょっと不思議な感じであるが、今では全く違和感がない。温度管理された室内には、様々な蝶が静かに舞い、写真も気楽に撮れる。

 ただ、蝶はなかなか被写体として収まってくれず、逃げたり、あるいは羽ばたいきブレてしまう。動かないで、と願いつつ写真を撮るが、蝶は自由気儘に逃げる。

 危険を感じたり、違和感を感じたり、暗い感情を感じると、そこから逃げるのが動物、あるいは人間の性質かもしれない。こころの仕組みにも、防衛機制というものがあり、逃避したり、感情転移したり、合理化したりして、直面する問題に蓋をする。醜い自分は観たくもない。

 それが悪いというのではなく、いろいろある人生なので、全てに真面目に対応していったらもたないので、嫌なことに蓋をするのは時に必要でさえある。

 ただ、ある問題に対峙して、問題の存在にふと気付き、暗い感情を恐れず意識化していくと、自分の成長、自分を変えていくことに繋がる。これも事実で、時が満ちた時に、恐れず意識化を図ることは良いことではないか。

 しかし、自分を変えるということは、結構辛い。自分の生身の自我では耐えられないこともある。その時、ひたすら謙虚に神仏に祈ると、自分を越えた力の中で、幸運にも変化が起こり、問題がより観えてくるように思う。

 10年近く前になるが、自分の大きな変化の時、「すべて紙一重」と実感したことがあった。あの時の謙虚さを、いつも身につけていたらと思うが、蝶のように逃げてしまう。

<対人関係5/8>

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尚、いつも参考にしていますが、今回は「生き甲斐の心理学」p44を参照させていただきました。