1951年生まれの私は戦争は知らない。父や母、おじさん、おばさんの世代は戦争当時のどん底を知っている。
父や母の年代の人とお話をしたりすると、いろいろ気がつくことがある。戦争の時の、どん底の体験と今との関わりである。
16年前に亡くなった父の思い出がある。16年前の今ごろ、父は抗がん剤投与後に一時退院をし、家族で広島の実家に帰郷した。子供と孫に囲まれて、数日瀬戸内海沿いの実家で一家団欒のときを過ごした。
既に余命数ヶ月と診断されていたが、父には告知していなかった。ただ、眼光するどい父がそのことに気がつかないはずはないと、私は内心思っていた。事実後から判ったが、父はその時既に覚悟していた。
ある日、海岸で孫たちの海水浴に付き合っていた父が、私を呼んで、一緒に近くの岬の山に登ろうと言い出した。小高い山であったが道なき道を辿り、頂上付近に到着した。そこには荒れ果てた神社があった。
戦時中、その神社は祈願に来る人たちで溢れていたそうだ。父の学生時代の友達の多くも、戦争で亡くなった。父と二人で、荒れ果てた神社で祈った。父の胸に去来した思いは何だったのだろう。
帰り道に父と見つけた、山百合。その白さを、今でもはっきりと覚えている。
私たちは、一人ひとり成長する力を内蔵していると思う。人の身体は神の神殿という言葉も真実だと思う。そして、何よりも大事なのは時に原点を見つめ、方向性を確保することだと思う。
私は戦争を知らないが、百合の白さを覚えている。
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