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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

相手の感情を理解すると違ってくる!(魂で感じる ① 4/10)

2014-11-13 | 第十章「今ここでの恩寵」

今日の「マッサン」は、幸子さんのお父さんの迷走というか、娘への理解のちぐはぐさがテーマだったようだ。

U先生の「生き甲斐の心理学」で学ぶのだが、人を理解するときに感情を理解することの大切さである。私も陥りやすいが、自ら作った基準に照らして人を理知的に判断すると、とかく何かちぐはぐな対応になりがちなのだ。まず、相手の感情、悲しんでいるのか、どんな感情なのか・・・・そして、それを因数分解のように理想と現実のギャップまで分解してみると何かが観えてくる。そんな感情理解のプロセスが大事なようだ。

 さて、今日は富士山と月のツーショットの写真を撮った。確か10月の十三夜が今年は名月であったが、雲に隠れて良く見えなかったが、その時、何故十三夜の月が名月とされているのか不思議だった。それから、満月を経過して昨晩、久しぶりに夜更けに登っていく月を観たのだ。風流に宵月というらしい。

 ところで縄文の勉強をしていたら、日本の古層の月の愛で方は十五夜ではなく十三夜だったそうで驚いた。十五夜は中国から入った習慣だそうで、十三夜が古来の日本の習慣だったらしい。ちょうど正月に小正月があり、小正月が古層になるように。

 十五夜の満月は景気が良くて愛でるのもわかるが、何故十三夜を縄文の人々は愛でたのだろうか。いろいろな解釈がありそうだが、私は最近カメラで十五夜をよく撮ったりして気づくのだが、肉眼では観にくいが十五夜お月さんも、よく見ると、欠けつつあったり満ちていく満月もあるのだ。本当の満月はある一瞬にすぎないので当たり前だが、確かに観る場合に感情は微妙だ。

 そして、思うのだが縄文の人々の視力や五感は今より遥かに研ぎ澄まされていたということもあるかもしれない。そして、その感受性は欠けつつある満月の不吉さを感じたかもしれない。それ故、まだ満ちるに余裕のある十三夜のお月さんが選ばれた・・・そんな想像もなりたつのではないか。

 月と、それを観るひとの感受性は様々、生育史にまで遡ったりするのだろう。そして、人の理解の鍵はやはり感情なのだろう。

魂で感じる ① 4/10

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