イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

トンネルを抜けると・・・

2009-09-26 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今住んでいる近くにもトンネルがある。

 幼い頃住んでいた東京の四谷駅周辺もトンネルがあった。両親に連れられて、良く行った広島県の田舎の駅周辺にもトンネルがあった。「トンネルを抜けると、家がまじか。」 トンネルを抜けると、何かほっとする原型が、いつの間にかできているようである。

 そんなことがあるのか、人がお化けが出てきそうだというトンネルでも、意外と私は平気である。トンネルは抜け出せる・・・

 トンネルの中にいると、どちらかというと無感動。防衛機制でいうと、抑圧というものに近いかもしれない。

 私の父は理工科系で建築屋(建築会社)であり、隣に住んでいた祖父も建築設計事務所に勤めていた。そんなこともあり、小学校高学年になると、何となく理数科の成績が気になっていた。ただ、好きな科目は体育、音楽、図工で、算数や国語は得意ではなかった。

 両親や祖父母の期待は、私が長男ということもあり、はっきり口には出さないまでも、息子が建築方面に進めたらということが、あったようだ。少年には大きすぎるプレッシャーだった。

 父から、高校生位で微分・積分を学び・・・という話を聴いた。父の書棚には難しい記号に溢れている数学の本もあり、憧れと劣等感の中で、算数の成績を気にするようになっていく。

 中学生になったとき、毎週読んでいた週刊サンデーを絶った!(伊賀の影丸を読めなくなった当時の残念さを思い出す)。ビートルズが流行ってきたが、気になっても、余り聞かなかった。考えてみれば、中学生時代は抑圧の日々だったようだ(楽しい思い出は極端に少ない)。トンネルのまっただ中。3年生のときには、建築科への進学を心に決めた(無理をしていたと思う)。

 ただ、少年向けの建築に関する啓もう書を読んだとき、妙に退屈であったことを思い出す。その想いもまた、当時は何処かで抑圧していたに違いない。

 そんな中の算数・数学であったが、大学生(建築科は諦め、理工科系ではあるが文科系に近い管理工学科へ)くらいから徐々に好き(本当に)になってくる。専攻もその影響もあり、卒論も数理統計のモデルの研究もずいぶんした。卒論は自分でも満足いくもので、ちょっと褒められたりもし、自分にとってちょっとした成功体験になった。この体験から、何か重要なセルフイメージができてきたように思う。

 トンネルを抜けたのかもしれなかった。ただ、抜けても、同じ線路を長々と走り続けていたように思う。少年時代の抑圧の経験は結構深い。

 ただ、そんな自己構造も、変化する。同じ線路ではなく、自動車のように勝手な道に。こころは意外と自由でもある。そして、不思議なものである。

<異物 2/8>

人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています。 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。