イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の祖先の眼を感じて、歴史を楽しむ!(時の旅③ 8/10)

2013-10-27 | 第七章「光と復活体」

 太極拳の仲間を中心に11月に府中周辺の遠足をする予定だったが、ちょうど私の所属するNPOが「旅と生き甲斐の心理学」をテーマに盛り上がっていて、私も遠足の訪問先・府中周辺を随分勉強した。八王子市、国分寺市などの歴史資料まで調べ、昨晩遠足ガイドがやっと完成した。

 そんな私も、もともと理科系で若い頃は物理的に見えるものにしか興味を覚えず、遠い昔の歴史は人ごとのように感じていたものだ。

 ところが、U先生の生き甲斐の心理学を学んでいくうちに、自分の生育史を大切にする意味を再確認し、さらに自分の血の通ったルーツをにも想いを馳せるようになっていく。

 生き甲斐の心理学テキストで学んだが、自分の両親は2人、祖父は4人、曾祖父母は8人と理論上世代が一つ上がるほど、自分のルーツは二倍に増えていくことにはハッとした。実際に計算していくと、20世代前では約100万人と日本の当時の人口をかるく超えていく。33世代前では現在の地球の人口70億人に達してしまう。

 こんなことはありえないので、自分の祖先がどこかで重なるようになると思うが、大事な視点として、歴史上のどんな時代のどんな時点でも私の祖先は必ず複数は存在していたということだ。

 江戸時代に徳川家康が大國魂神社に500石の朱印状を書いたときも。新田義貞が分倍河原の戦いで武蔵国分寺に放火した時も。平将門の追討のために藤原秀郷が武蔵国府から出陣したときも。聖武天皇や光明皇后の勅命で国分寺を武蔵国全域の総力をあげて創建したときも。府中に国府を誘致するに貢献した某豪族がなくなり上円下方墳に手厚く葬られたときも。安閑天皇の時代に国造と小杵(おき)の争いがあったときも。先住と日本武尊が戦ったときも・・・祖先はどこかで、あるいは歴史上の誰かとして生きていたのだろう。

 そして、その命のバトンタッチの結果がこの私であり、周りの身近な人たちなのだ。

 時の旅③ 8/10

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