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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

仲間は、とてもいいもんだ!(防衛機制を考える 11/15)

2011-01-30 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、府中でボランティアをした。このお仲間に入れていただいたのは、7年近く前のことである。今では気心も通じた仲間で、一つの方向を見ながら活動をするのは楽しいものである。

 生まれてから今まで、思い出せば、誰かと一緒という記憶が大半である。幼友達との遊び、幼稚園、学校生活(小学校の2年の時に一年アラスカの小学校に通った経験もある)、クラブ活動、社会人として組織に参加(私の場合は、純日本的組織もあれば、かなり違う文化の外資系企業の経験も)、労働組合もあれば、マンションの管理組合。勿論、親子をはじめとする、家族の付き合いもある。

 そして、想うのだが、仲間だなぁという感じは良いなと思う。ひょっとすると、天国かと思う時さえある。

 さて、こころに残った本の中で、≪甘えの構造≫という、最近亡くなった土居健郎先生の本があるが、2-3年前に再読したとき、日本人の文化の中に、フロイトの14の防衛機制でいう、同一化と日本文化の関係をいろいろ論じていることを今さらながら知った。

 同一化をテキスト(生き甲斐の心理学)で調べると、≪自分ひとりでは不安なので、自分以外のものと自分が融合した自他一体感をもとうとする事≫とある。

 外国人社会も同一化は当然あると思うが、日本人の眼からして、やはり日本独特の同一化の文化というものがあるように感じてしまう。その日本の文化の起源にも興味があり、NPOの仲間と一緒に古代、奈良時代あたりをいろいろ楽しんでいる。律令制度。官僚制度の始めはどんなものだったのかなど・・・木簡等面白いですね。

 自分にとっての同一化は良い面も沢山あったし、これからもお世話になると思うが、同一化で失敗した経験も沢山ある。自分の本音が判らなくなったり、大切な決断のチャンスを見失ったり揺らいでしまったりする。あるいは、何か変に裏切られたというような悲しみも味わったりする。冷静に考えれば、そういう錯覚・同一化のデメリットに陥らないですむのだが。

 教科書的な言い方になってしまうが、生きる上では、自分が同一化の機制の中にあることをこころの何処かにしまっておく客観性が重要なのだろう。勿論自分の経験からしか学べない。

 まあ、甘えるときと、甘えてはならないときをきちっと把握するということなのだろうか。

こころの防衛機制を考える 11/15

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