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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

あこがれのクジャク様、羽を広げてくだされ!(防衛機制を考える 10/15)

2011-01-29 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 多摩動物公園で孔雀に出会い、美しく羽を広げている写真をとりたいと思うが、なかなかそういう機会は得られない。でも、ひょっとしたら、という憧れが何処かにあり、動物園に行く時の一つの動機になっている。

 何かに憧れる。私は、同年代の1951年生まれの会に参加しているが、同年齢は成育史上共通の憧れの対象もあるようである。女性であれば、タイガーズのジュリーさん、男性であれば・・・私も、大学生のころ、一時天地真理さんに憧れ、昨日述べた短編小説を書いたときは、ペンネームを虹森マリオとしたものだ。

 私は洗礼名にマリアが含まれていて、その男性形のマリオをニックネームにしている。学生時代は、無意識にマリアを考えたかもしれないが、確実に天地真理のマリの方を強く意識していたと思う。

 さて、こころの防衛機制の中に、置き換えというものがある。テキストを引用すると、≪坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの心理、あるいは、理科教師に好意をもつ生徒が理科が好きになる心理。≫とある。チベット死者の書の80自性にも、≪得たいと思っても得ることができない対象に執着する心の働き≫とある。

 そういった、こころの働き。自分でも意外なほど、苦境の時でもこころを健全に保つ働きをしていたことに気づく。馬鹿にできないのだ。勿論、こうした働きは、個人の成長を阻害したり、現状把握を狂わせるデメリットもあるが。

  こころの防衛機制を考える 10/15

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